Log.02_旧友
停車駅から飛び降りた先はハッジ市と呼ばれる田舎だ。辺境故に戦火の手があまり届いておらず、治安も先ほどよりかはまだマシだといえよう。
だが、影響がないわけではない。富国強兵のために故郷を発つ男手は辺境の地でも珍しくなく、より一層静かな場所となっていた。
足取りの悪い砂利と土手の路を歩いて2時間ほど。小麦畑を越えた先に彼のアテはぽつりと建っていた。
何の変哲もない煉瓦製の小さな倉庫と木製の古い一軒家。堅木材のドアを、負傷してない右手で強くノックする。
躊躇いがあったかのような間を後に、ゆっくりとドアが開く。恐る恐る、というよりは渋々と開かれたようにも見えた。
シードよりかは頭ひとつは抜きんでる背丈。軍人とは異なった筋肉質の体は建築や製造業で働いている故か。その証拠に、ごつごつした両手は硬いマメと黒炭の粉が染み込んでいる。
それに見合い、彼の顔は彫刻で粗く削ったような、容易に人をひきつけない堅牢さを象っているが、まだ若さを残している。
シードは懐かしいものでもみるかのように、笑みを向けた。
「俺だ、覚えてるか?」
「知らんな」
ドアが閉ざされる――直前、それをシードのブーツが挟んで止めた。
男の目が金髪の頭を見下ろす。
「おまえんとこの金属部品を買い取って食扶持困らねぇようにしてやったじゃねぇか。な、思い出したろ」
隙間から覗き込む子どものような笑顔。だが、その皮を一枚剥けばどんな顔をしているか、男は知っている。
「あぁそうだったな。あのときの俺は騙されてたよ」
「なぁ頼むよデニス。俺もう何日もろくなもん食えてねェんだ」
そう訴えるも、デニス・クラッジは強面を一切緩めない。
「おまえの噂はこっちにも流れてきてる。作った武器を売ってるらしいな。俺から買い取った部品は人殺しのためにあるんじゃねェ」
「何を根拠に。俺じゃなかったらどうするんだよ」
「いんや、あれはお前だ。偽名使ってることも知ってるぞ」
舌打ちしそうになるも堪え、うんざりした顔をシードは向ける。
「だとしても何だってんだよ。かつての商売仲だろ、時には助け合いってもんが」
ガッと、ブーツを蹴られる。拒絶するようにバタンと粗々しく閉まったドア。下賤な言葉を吐き捨て、感情をドアに叩き付ける。だが、返事はなかった。
ドアを背に、三段ある石階段へすとんと腰を落とす。
「……クソッタレ、俺も冷静じゃなかったか」
戦時中の今、遠くへ行くことさえ軍の許可が要る。無駄に技術だけは発達したのもあり、そのセキュリティはザルではない。シードの知る別の宛は軍が設営した門の向こうにある。だが、裏の人間が通る門などないことは、誰もが知る常識だ。
ここ以外のアテなど近くにない。路頭に迷った青年は、血と汗と砂にまみれた小柄な体を丸め、うずくまるしかなかった。
「……入れ」
ドアが開き、背中から声をかけられたときには、日はとっくに暮れていた。信じられないようなシードの顔を、デニスは真摯に見つめ返していた。
入ってた先、芳ばしい香りが鼻腔を通る。隠すことなく鳴った腹。誘われるままに廊下を進んだ先、質素なダイニングテーブルの上には二人分のシチューとパン、そして澄んだ水が入ったコップが用意されていた。
シードを座らせたデニスは、対面に位置する椅子に腰を下ろす。
「ほら、食えよ」
「……すまねェ」
「そう思ってるんなら最初から来るんじゃねーよ。それ食ったらとっとと出てけ」
複雑な心境。歓迎されていない視線を浴びながら、シードは乾いた情けを食す。口腔に広がる芳ばしさ。じわ、と頬がにじむように痛む。ふと、手が止まった。
「うめぇ……」
「この町で採れる麦と、近くでパン工房やってる家族が愛情込めて作ったもんだ。腐ってもまずいとはいわせねぇよ」
同じようにデニスはパンを頬張る。
「俺の妻はその工房の店主の娘でな。ちょっと前までは工場勤め合間を縫って朝昼晩、顔を合わせたもんだ。毎日な」
「いまも工房に?」
何気ない言葉は、デニスの癪に障ったのか。睨み。ただ咀嚼音が響く。それを待つ重みは、十分にシードは受け取った。
「おまえに言ったところでどうすんだよ。戦争もそろそろ5年経つ。都市部はもっとひでぇだろうが、この町も状況は同じだ。なんの罪があって、俺たちはこんな仕打ちを受けなきゃならねぇんだ」
叫ぶような嘆きに、しんと静まり返る。恐れることも委縮することもなく、シードはただ、食べる手を止め、彼のうつむいた姿を見つめていた。
「……悪い、おまえといえど久しぶりの客人だからな。つい吐き出しちまった」
「いや、むしろ聞くことくらいしかできなくて申し訳ねぇ」
「慰めの言葉なんざ期待してねーよ。一言でも発してたらぶん殴るとこだったぜ」
「俺も同じ立場ならそうする。いや、なんなら八つ当たりするね。そう思えば、おまえはやさしいよ」
そう言うと、デニスは小さく笑った。
「褒め言葉として受け取ってやる。……飯のかわりはいるか?」
「残ってるなら」
「俺がやさしくてよかったな」
まったくだ、とシードも笑って返す。ふと窓の外を眺めると、すっかり日は沈み、微かな星の光がちりばめられていた。
こっちは命からがら生きてんのに、宙は変わらずの日々を過ごしている。何もないところから争いは生まれやしない。命ある限り、群がる限り、生物の闘争は絶えない。だからこの戦争も起きるべくして起きたのだと。
煙草でもふかしたい気分に駆られる。あの澄んだ空を自分のちっぽけな煙で汚したい。
「なんだかんだ、俺とおまえはどこか馬が合ったよな」
半分ほどの赤ワインボトルをデニスは直接口につけては、何の前触れもなく言う。
深底の皿に汲んだシチューを、シードの前に置いた。立つ湯気に含む香りは、底なしの食欲を促してくれる。水を飲んだ少年は、再び木のスプーンを持つ。
「作った部品を他よりも高く買って俺の経営を黒字にしてくれなかったら、妻とのやりくりもままならなかったか。短くてもあいつとの幸せを分かち合えたなら……罪の一つや二つ、どうってことなかったのかもな」
「出会いがしら人殺しのための
「武器はともかく、おまえの作る物はどれも画期的なものばかりだったな。まだ十五歳ちょっとの――」
「二十歳だポンコツ」
今まで一番鋭い声だったろう。道端の人に尋ねても誰もが齢十五だと信じる程の童顔。それを納得しない成人男性に対し、意に介さない様子だ。
「齢なんてどうでもいい。その若さでそのとんでもねぇ発明力にひとりの職人として惹かれたのは事実だ。だから契約したんだ」
「なんだよ急に。気持ち悪いぞ」
企みでもあるのか。裏を読もうとしつつ、半ば嬉しくもある。
「なんでマフィアや
ああその話か。一気に警戒を解いたシードは当然のように言い切った。
「儲かるからに決まってんだろ。それに武器の製作は俺の十八番だ。時代と環境が、天才の俺をそうさせたんだよ」
「なら研究者の道もあっただろ。相当待遇がいいと聞いたが」
口へ運ぼうとしたスプーンが止まる。ぱちゃ、と煮たジャガイモがシチューの中に落ちた。鼻で息を一つついては、
「優遇され続ける保証なんかねーよ。いつ首が飛ぶかわからねぇ業界だ」
「おまえほどの頭だったら誰も手放したくねーだろ」
「釣り合わねーって言ってんだよ。俺には夢があるんだ」
「馬鹿な奴だよテメェは」
眉間にしわを寄せ、睨む目つきで呆れる。このご時世、夢をみるやつは現実から逃げている臆病者か狂人だと揶揄されかねない。だが、目の前の技術商人の目は屈託なく輝いていた。
「言うだろ、天才と馬鹿は紙一重。その区別は一見した程度じゃわからねぇもんだ」
「だったら……」と席を立つ。ローテーブルから新聞を手に、デニスはそれをシードの前に叩き付ける。
「早いとこ争いを助長させるような
その記事は昨日のものだった。
カルマン市で内紛の勃発。ここからそう遠くもない場所だ。戦死者や被害も小さくはない。武器が一般市民の手元に流れていることから発生した事件だ。なにも今に始まったことではない、日常的な記事だとシードは文字を読み流す。
「年々、物騒な事件が多くなっている。問題はなにも国同士の戦争だけじゃねぇ、武器の横流しで民間までもが被害に遭っている」
「紛争か」
「人だけ無駄に多いくせして物資がろくになけりゃ、当然奪い合いが始まる。助け合える口を塞いで銃口向けてしまってる状況になってんのは、紛れもなくそこに人殺しの手段が石ころみてぇに転がってるからだ」
「なにが言いたい」
デニスに目をやる。黄金色の瞳に映ったのは半ば侮蔑したような、強い目つき。冷ややかな沈黙。
あぁ、成程。
一度固く結ばれた絆があろうと、情報を前にすればあっけなく罅が入るんだな。
「おまえが稼いだ金の分、人が死んでんだ。その重さ、わかってるか?」
偽善者気取りが。最初に思いついた言葉がそれだった。
この
「軍の武器が横柄してる方が多いだろ。なんでもかんでも俺の武器が帝国中に回ると思うか?」
「武器商人やっててその考えは甘いにもほどがあるぞ。……もっと他に賢い生き方はあっただろう」
それでも敬ってはいるのだろう。だが、彼なりの説教はシードには耳障りなことだった。料理をすべて平らげ、背もたれては腕を組む。
「世の中はよ、食うか食われるかっつー話だ。俺だって明日のパンが食える保証すらねぇのに、そんなどこの誰かが死のうが殺そうが知ったことじゃねぇ。そこに俺の売ったものが関係してようがな」
至極当然のことを言ったまで。だが、相手も相手でこれ以上言う気になれなかったのだろう。
「……そうかよ」
ただそれだけを返した。そこに憤りも何も、感じなかった。まさに虚無の一言を体現していただろう。
「兵器の発明が好きだからってのは否定しねぇが、俺がこの仕事やってんのは戦争したいからじゃねぇ。こんなくだらねぇ時代を終わらすためだ。そのためにありったけの金が要るんだよ」
前のめりになって訴える少年のような技術士。だが所詮はろくでもない商人の言葉。返ってくるのは失笑か。
「何を言うかと思えば。おまえ一人だけでひっくり返るほど世界は甘くねぇぞ。この国が目をつければ弾かれて終わる程度だおまえの存在は」
「勝手に言ってろ。兵器も誰かの命を救ったり、国を守ったりするんだ。見方ひとつで簡単に印象ってのはころりと変わるんだよ。今に見てろ」
「バカなことせずに修理屋やってればいいものを」
「バカ、それはつまんねぇだろ」
浮かべた笑みは子どものように無邪気で。デニスは肩を落とす。
「やっぱりおまえの私利私欲じゃねーか」
カチャン、とスプーンを皿に置く。
「うまかった。できれば風呂も借りたいとこだな」
「どこの坊ちゃんだよ全く。自分の立場をわきまえろ」
そう吐き捨てながらもシードの前に小金と紙切れを置く。手に取って目を通す。
どこかの
「……おまえ、奥さんいるんだろ? ご無沙汰なのはいいけど性別のボーダーは取っ払っちゃダメだろ」
「バカ言ってんじゃねぇよ気持ちわりぃ! どーせ泊まる宛も金もねーんだろ。一泊ぐらい貸してやるよ」
ダン、とテーブルを叩くデニス。当然冗談で言っていたシードは疑問を口にする。
「ここじゃダメなのか?」
「こんなオンボロじゃろくに眠れねぇだろ。なにより、これ以上の来客は俺も勘弁だからな」
あぁ、と察したお尋ね者は、これ以上余計な口は挟まなかった。
「悪いな」
「そう思うならさっさと次の働き先見つけて利子つけて返すんだな」
やっと解放される。そう言わんばかりの友人の目を見て、シードは皮肉交じりの笑顔と適当な返事を返した。
ふと目に入った、デニスとその妻らしき女性の盾写真に違和感を抱きながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます