第3話

青空が広がり涼やかな風が吹く穏やかな昼下がりのこと。


旅装でヤハルの森を歩くエレとエレの聖獣の周囲を、身なりの良い人々がばらばらと取り囲んだ。


エレはそれを見回し、ふんと鼻を鳴らした。


武器を持ち、エレ達を従わせようと迫っているのはほとんとが外域の人達だ。


何でも、彼らの中でも権力を持った者達が、エレの聖獣を珍しい道楽品として欲しがっているのだという。


最初は穏便に、立派な家や安定した生活を保証する代わりに聖獣を差し出せと彼らはエレに要求してきた。


しかし、エレはもちろん突っぱねた。


そうして、それならば力ずくでと取り囲まれるようになったのだ。


残念なことにそこには外域に移住した元ヤハルの民の姿もあり、エレを説得しようとしてくる有様だった。


可能な限り外域の人々との衝突は避けたいところだが、なかなか上手くいかない。


仕方なく、エレは愛するヤハルの森を離れる決心をした。


ヤハルを出るのを責める村の者は、エレが意外に思う程ほとんどいなかった。


祖母や村人達に挨拶を済ませ、エレは聖獣と並び意気揚々と出立する。


祖母や村の人々は多くを識っており、エレよりもよほど柔軟にものを考えている。


もしかしたら、この旅路はこの先、エレの頑なさを変えることがあるのかもしれない。


けれど、と、エレは鼻息を荒くする。


ずっとヤハルを離れているつもりはない。


いつかきっと、故郷ヤハルに帰ってくるのだ。


周囲を囲む迷惑な狩人たちがじりじりと距離を詰めてくる。


ひとりがエレに突進した途端、またひとり、そのまたひとりと、次々に襲い来る。


エレはそれらをひらりひらりと躱し、聖獣の背に飛び乗った。


聖獣の赤黒く弱々しかった皮膚はいまや傷ひとつ無く、全体を黒く滑らかな短い毛が覆う。鱗部分も青みのある光沢の守りを備えた美しい鎧と化した。


聖獣が軽やかに空に駆け出すと、人々からは羨望と忌避感の混じったどよめき声が上がった。


エレは遠ざかっていく人の群れを一瞥し、聖獣に向き直る。


そして、風の音に負けないよう声を張り上げた。


「ねー、聖獣さまー。あなたのことー、ヤハルって呼んでもいいですかー?」


神の忘れられた名であり、神聖な森を示す名であり、自分たちを示す名である、―――ヤハル。


恐れ多い、大事な名だ。


けれど、だからこそ。エレは、この名前で生きる者に存在してほしい。


冒涜だとしても、構わない。


「いいよー。エレー。」


聖獣もまた、声を張り上げて答える。


明るく幼気な聖獣の声はエレによく似ていた。


「君に呼ばれるならー、どんな名前でもいいよー。それにその名前ー、何だかわくわくするー!」


聖獣の背中からも嬉しそうな気配が伝わり、エレはにっかりと笑った。


空から見下ろすヤハルの森は、密集した緑の木々が様々な濃淡で複雑な模様を描くように広がり、大きな河川が輝く巨大な蛇の様に曲がりくねって流れるのも壮大で美しい。


少し先に目を向ければ、外域の人達が住まう街らしき場所がある。びっしりと頑丈そうな建物が立ち並んでいるのもまた、違った趣があり見応えがあった。


遠くには緑に覆われた低い山が悠々と点在している。


空は青く澄んで、高い空の風が強く吹き付けてこようとも気分は爽快だ。




―――我らは個であり、同一の存在。


『死の国へのうろ』で遭遇した聖獣はそう言っていた。


それなら、彼らが命を落としてまで残し、生きている内に見れなかったであろう景色を、今を生きる聖獣ヤハルと共に見て廻ろうではないか。


エレはヤハルの背で両手を広げ、晴々と笑った。

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なりそこないの聖獣と邪妖の乙女 虫谷火見 @chawan64

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