第28話


「西条くん」


 誰かが僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。


「西条くん。起きてってば」

「……理事長」


 瞼を開けると、そこには我が子を見つめるように優しい瞳をした理事長の顔があった。


「おはよう」

「おはようございます」


 おはよう。などと挨拶はしたものの、当然今は朝じゃない。

 あれから数時間が経った、十七時だ。


「……由香ちゃんは?」

「寝てるわ。今日はありがとう」

「いえ……」


 僕は、理事長の顔を見ることができなかった。

 それと同時に、このままでいることに底知れない恐怖を感じていた。

 そして、まるでそのことを知っているかのように理事長が口を開いた。


「西条くん」

「なんですか?」

「ごめんなさいね。あなたに押し付けてしまって」

「……別にいいですよ」

「よくないわ」


 理事長は僕に近づくと、軽すぎる僕の心をすくい上げるように抱きしめた。


「……なにやってるんですか」

「抱きしめてるのよ」

「だめじゃないですか。自分の学校の生徒にこんなこと」

「そうね。私はだめね」


 そう言って、理事長は僕を強く抱きしめた。

 僕を抱きしめる理事長の腕は、僕の声と同じくらい震えていた。


「……でも、甘えてくれって言ったのは西条くんの方でしょう?」

「そうですけど……あれは……」

「嘘だったの?」

「いえ……」


 答えを出すことはできなかった。

 それでも、理事長は僕のことを離さない。


「私はね、最近になって、自分がだめな大人なんだって思い知らされたわ」

「……」

「ずっと一人で頑張ってきて、無理にでも自分を奮い立たせて……でもね、由香ちゃんが西条くんに甘えてる姿を見て、羨ましく思っちゃったの」


 理事長の声が、心地よく響く。

 それは僕の着こんでいた鎧で反響して、甘美な音色を奏でていた。


「そこからはもう自分でも止められなかったわ。西条くんに取り入って、逃げられないように鳥籠で囲って。西条くんを縛り付けたのは私なのに、西条くんに救いを求めていたのよ。おかしな話でしょう?」

「……僕も、何も考えずにそれを受け入れていたんです」

「それも、知ってたわ。西条くんが、私たちを拒まないってこと。それがわかってて、私はどうしようもなく嬉しかったの」

「僕も、理事長が僕を求めてくれてるんだって、僕は理事長が求めているからそれに応えてるだけなんだって、安心してました」


 僕と理事長は、お互いの気持ちを赤裸々に語り合った。

 そこに嘘や偽りなんてものはなく、お互いを絡め合った鎖が僕らを気持ちよいほどに縛り付けていた。


「ねえ、西条くんは、こんな私でも受け入れてくれる?」


 はいかYESか。

 そんな質問を、理事長は投げかけてくれるのだ。


「もちろんです」


 僕に選択権なんてものはなく、ただ相手に従うだけ。


「私はね、もうこんな形でしか、誰かに甘えられないの」


 歪な形をした愛が、僕たちを包み込む。


「だから、少しだけ私に付き合って」


 その日、空っぽだった僕の心は、理事長の手で形作られた。

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学校で幼女の面倒を見る係に任命されました @YA07

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