原点
@tad1963
第1話 はじめに
二十歳の仲田は自閉症気味だった。
それを克服するための方法を考えていた。
思いついたのが旅である。友達にアメリカに一人旅した奴がおり、そいつに言われたことが、
「インドに行ったら人生観が変わるよ」だった。
よしそれだ!
思い立ったら吉日、自閉症気味だったが行動は早かった。
仲田は小学校までは明るい性格だったが、中学から内気な根暗な性格に変化していった。だから高校からの仲田を知っている人間は彼を根暗だと思っている。高校の時はそれが顕著であった。
仲田は読書が好きで本からの影響もありこのままではいけないと思うようになっていた。
特に太宰治の「人間失格」の本に出てくる主人公が自分と重なりまるで自分のことを言っているようだった。
このままではいけない!行動するしかない!
その前に仲田の自閉症の原因が何なのか先天性でなければ必ず原因があるはずだ。
仲田の幼少期は明るい少年だった。その頃の性格に戻りたいと考えたのである。
仲田の幼少期に一番影響があったのはもちろん両親だが、極めて親父が影響していた。教育熱心で石原慎太郎のスパルタ教育の本を愛読書としていた。
物心ついたころから数字やひらがな等を教えるようになった。
ところがそのやり方が変わっていた。スパルタと称して体罰を与えるのだ。平手打ちだ。
仲田はその時の恐怖心をこらえるために空想に耽った。自分がこの家に生まれなくて他の家に生まれてたら何をしたいかを思った。
例えば遊園地に毎日遊びに行ったり、レストランに行っておいしいものを食べたり、ちょっと離れたところに従妹たちがいてそこに泊まることが一番の幸せだった。
ここでずっと暮らせたらなあ~!と真剣に思うこともあった。
しかしそれよりも親父がいなければすべて解決するのだがと、思ったりもした。
小学校に上がると親父の体罰は一層激しくなった。毎日勉強するとき、親父の右手には棒が握られていた。
一字間違えれば一度尻を叩かられ二つ間違えれば二度叩かられる。たまには平手打ち、鼻血が出ることもしばしばあり恐怖心は増すばかりだ。
仲田はその時の影響で漢字が苦手だ、トラウマになっている。特に傍で字を書くのを見られるのが嫌だった。緊張して頭の中が真っ白になるのだ。
仲田は家ではおとなしい子供だった。
たまに自分という人間は何者なのか、今意識のある自分、この世に一人しかいない自分が不思議な存在になり瞬間瞬間物を考え行動し時間が過ぎていくことがどうゆうことなのか意味が分からなくなることがあった。
人間は時が刻む未来の一瞬一瞬を、何を元に動かされているのか?動いているのか?
仲田が一番怖かった罰が窒息刑だった。洗面器に水を溜め親父は仲田の頭を顔面もろとも沈めるのである。
苦しくて暴れるとまた顔を突っ込まれ何回かそれを繰り替えされる。
よくテレビや映画などで水責め(拷問)する場面があるが、仲田はその時のことが思い出される瞬間である。普通の人には何でもない光景だが、あの苦しさ恐ろしさは想像を絶することを理解している自分がいた。
一番みっともなかったのが裸吊り刑であった。
海に遊びに行きそれがバレたのである。下級生が海で溺れて亡くなり今まで以上に海に行くことを禁止されたのである。
その刑は両手を軒の梁に吊るし下半身だけ裸にするのである。
だから家の前を通る人からは丸見えである。
悔しくて涙が出てきたが、自分ではどうすることも出来ない。
少年にとってあそこを見られるのは絶望しかないと思うが、どうだろうか?
この罰は人の自尊心やプライドを傷つけ奈落の底へ突き落す絶好の行為である。そして少年の心を破壊する最高の刑である。
仲田はロープに繋がれながらこの姿を同級生や下級生に学校のみんなに見られたらどうしよう。こればかりが気がかりであった。いつもは学校で威張っている自分がこんな姿でいるなんて!死んだ方がましだと思った。
そしていっそのこと殺してくれればと。
仲田にとって死は現実であった。
運よくその時は隣のおばさんが助けてくれたが、そうでなければ何時間吊るされていたやら、そして何より好きな子にでも見られていたら恐らく自死していたかもしれないと思った。
仲田の親父のいやなことは、成績が下がることと言いつけを守らないこと。
それを怠ると罰が待っている。
仲田の母親はただ見ていたわけだはないが、助けに入ると同じよう殴られた。
仲田は母親が殴られるのを見るのは死ぬほどつらいことなので母親に助けないでくれと懇願した。
仲田の親父は酒乱でもあった。週に2度は家で暴れた。仲田のおふくろは毎回殴られ顔を腫らし、前歯も折られた。小学校低学年の頃はさすがに仲田も手出しはできなかったが、高学年になるとおふくろを守るようになった。親父に手はださなかったが、代わりに殴られ、親父が疲れたころに、押さえてロープで縛ることをした。
小学校も高学年になると親父の体罰にも微動だにしなかった。仲田は体力もあり喧嘩も強かった。
後に山口組系の組長になる男だが、彼と些細なことで喧嘩になり一度は負かしたのだが、校門で待ち伏せされ棒でこめかみのところを切られ負傷した。
山城は無言で仲田に棒で殴り掛かった。よける暇はなった。バッシと音がしてこめかみが熱くなってきた。鮮血が仲田の頬をつたう、
「タックルサリンドー。“殺されたいのか”」
仲田はそう叫ぶと山城の棒を奪った
「ヤー!マキーネー、ボーチィカインバーナー。“おまえは喧嘩に負けたら道具を使うのか”」と怒鳴りながらタックルした。そして馬乗りになり拳で顔を二三発殴った。
「チヤ―ヤガ、ナーマスンナ!“どうだ、まだやるか”」と降参をうながした。
仲田の常とう手段である。幼いころから天性的に喧嘩がうまかった。
仲田はいつも一人であった友達もいない。親友と呼べる人がいなかった。
遊び友達はいたが、彼の立場を理解できる人はいなかった。
仲田は野球が好きで少年野球のチームに所属していたが練習も時間制限があった。最後まで練習に参加することが出来なかった。課題の勉強があるので早く帰る必要があった。
最悪だったのが、小学校6年の最終学期で成績が少し下がったので親父が切れて通信簿を破り仲田の大事にしている野球グローブをハサミでギザギザに切り裂いたことである。
それから殴り棒で仲田を殴りにかかったのである。二発ほど腰あたりを殴っているところに近所のおじさんが門からに入って来てその光景を見るなり
「マサル~、逃げろ!」と叫んだのである。
仲田は山に逃げたが、夜になるとほとぼりが冷めたと思い家に帰った。
その日は特に何もなかったが、言われた言葉が
「野球はやめろ」。
仲田は今まで反論したことが無かったがこう言った。
「俺はプロ野球選手になりたい、だから野球は続けたい」。
親父が返した言葉が
「お前がなれるわけないだろ、医者とか学校の先生とか他にあるだろ、ほかの夢をみろ」。
そのころの仲田にとってはプロ野球選手になることが夢であり生き甲斐だった。
それを完全否定されたのだ。こんな親もいるんだと人ごとのように感じ自分を落ち着かせるのだった。
勉強が一番であり二番はないのだ。
余談がある。その何日か後に小学校最後の大会があったのだが、もちろん仲田は出られない、野球をやめさせられたからだ。
しかし大会の当日監督とチームの連中が仲田の家まで呼びに来ていた。
恐らく仲田はピッチャーで4番を任されていたのでチームにとって重要だったからだ。
トントンと戸を監督が叩く、チームのみんなも大声で叫んでいる
「マサル~。試合だぞ!」
しかし何度呼んでも返事がない。戸が開くこともなかった。
仲田は布団の中で泣いていた。声を押し殺して!すぐ傍には親父が寝ている。
絶対涙なんか見せられない。この人に弱みなんか見せられない。
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