第19話 ホワイトデー狂騒曲
ホワイトデー。
それは洋菓子店にとって重要な、もう一つの書き入れ時である。
そして、俺にとっても手作りお菓子を湊に贈る重要な一日だ。
「頼もう。我が盟友、千隼はいるか?」
と、そんな重大な日の前日、友人である聖が翡翠屋にやってきた。
「お、聖か。いらっしゃい」
なんとなくこいつが来るのが読めていた俺は、特に驚くことなく出迎えた。
「よう、モテ男。うちのお菓子を買いに来たのか? マシュマロ、クッキー、キャンディ、よりどりみどりだぞ」
中身はともかく見た目はいい男である。バレンタインデーはたんまりチョコを貢がれてるはずだ。
となると、ホワイトデーで上客になってくれることは予想できる事態である。
「いや、申しわけないが今日は客ではないのだ」
しかし、聖は意外にも俺の言葉に首を横に振る。
あれ、当てが外れた。
「む……意外だな。まさか、他の店で買う気か?」
なんということだ。いや、ケチを付ける筋合いはないが、このくらいの義理立てはする性格だと思っていたのだが。
「最初はこの店で買おうと思ったのだが、なんというか……計算したところ、出費が一カ月の給料を超えたものでな……」
遠い目をして溜め息を吐く聖。
おおぅ……なんということだ。モテすぎて上客ですらなくなってしまったとは。
「なんかそこまで行くと、羨ましいとも思わなくなるものだな……」
過ぎたるは及ばざるが如しとはこの事か。
やはり本命が一人、それも幼馴染みがいるくらいがちょうどいい。
「で、客じゃないなら何をしに来たんだ?」
改めて用件を訊ねると、聖は一つ頷いて答えた。
「うむ。いかに予算を超えるとはいえ、返礼を怠るのは義理を欠く。そこで、手作りをしようと思ってな」
「つまり、俺にレシピを教えろと?」
聖もこの道のプロだ。適当なレシピでお茶を濁すことを良しとしなかったのだろう。
とはいえ、こっちとしてもそう簡単に
「無論、ただとは言わん。今日は繁忙期だろう? 下っ端として使ってくれて構わない」
「下っ端ねえ……助かるっちゃ助かるが、それだけじゃ不足だな。なんかもっと俺の心が惹かれるようなことをしてくれないと」
元より忙しいのは目に見えていた日。
既存の人員だけでこの日を乗り切る準備はとうに出来ているのだから。
「ではこういうのはどうだろう。ホワイトデーの返礼をする際、その女子を先生の結婚式のスタッフに勧誘しよう」
渋る俺に、聖は更なる譲歩案を出してきた。
「ふむ……それは悪くない条件だ」
俺たちは目下、宮國先生の結婚式のために準備をしているところである。
聖にそれなりの好意を持っている相手であれば、勧誘も成功しやすいだろう。
「……ま、それでギブアンドテイクとしておいてやる。準備して厨房入れよ、扱き使ってやる」
「感謝する。誠心誠意、お前に尽くそう」
俺は聖を引き連れて厨房へと向かった。
製菓の仕事が専門じゃないとはいえ、聖も決して素人じゃない。
抜群の吸収力を持って仕事を覚えると、さっさと作業を終わらせて指導してもらう時間を作ってきた。
「そこ、粉を入れたら可能な限り触るな。食感悪くなるぞ」
「了解だ」
聖の手元を見ながら、俺は適宜アドバイスをしていく。
今作っているのは『白いフォンダンショコラ』。ホワイトチョコを使い、全体的に白く仕上げる、ホワイトデーにピッタリなフォンダンショコラだ。
「こんな感じか?」
本職ではないとはいえ手際はよく、俺の言うことを守って聖は綺麗に生地を仕上げた。
「ああ。合格点だろう。あとは焼くだけだ」
聖は生地を容器に入れると、天板に載せてオーブンに突っ込んだ。
「あとは170℃で十二分だ。オーブンによって癖があるから、家で作るなら様子見しながら時間を変えるといい」
「ああ、そうさせてもらおう」
そうして、作業が一段落ついたところで俺は一つ思い出したことがあった。
「そうだ。これを深紅に渡してくれ」
厨房の隅にラッピングしてあったクッキーを聖に手渡す。
「これは?」
「深紅へのお返し。俺が直接渡すと角が立つから、お前から渡しておいてくれ」
万が一にも湊に現場を見られたら絶対ややこしくなるし、渡し方でもなるべく義理っぽさを出したい。
思えば、深紅が今年あんな斬新なチョコの渡し方をしてきたのも、湊への配慮だったのかもしれない。まあ俺が空気を読まずにその配慮をぶち壊したがな。
「承った。お前の気持ち、大切に扱おう」
聖は俺からクッキーを受け取ると、しかと頷いた。
よし、これで安心。
「おっはようございまーす……って、聖?」
と、その時、厨房の入り口から声が聞こえてきた。
振り向けば、そこにいたのは出勤したばかりの湊。
「おう、おはよう」
「お邪魔してます、お嬢」
俺と聖が揃って挨拶をすると、彼女は軽く小首を傾げた。
「聖がうちの厨房にいるなんて珍しいね。どうしたの?」
「ちょっとモテる男の相談に乗っててな」
俺がそう答えると、それだけで事情を察したのか、湊は苦笑した。
「なるほど。聖も大変だね。それも聖が作ったもの?」
と、湊が指差したのは、俺がさっき彼に渡した深紅宛てのクッキー。
「ああ、これは俺が作ったものだ」
「千隼が? なんでそれを聖に渡してるの?」
「それは――」
深紅に渡すものだ、と素直に答えようとして、止まる。
そういやバレンタインの時は、深紅からもらったチョコを見せてだいぶ機嫌を悪くさせたんだっけ。
このまま正直に事情を説明すると、またあの時の二の舞になってしまうかもしれん。
「……ちょっと色々とあってな。まあ気にするな」
咄嗟に、歯切れの悪い誤魔化し方をしてしまうのだった。
当然、湊はそれじゃ納得しなかったようで、訝るような目でこっちを見てくる。
「色々って?」
「それはほら……なあ?」
俺は聖にアイコンタクトをして、助けを求める。
と、それをきちんと察してくれたのか、彼も頷いてみせた。
「うむ。申し訳ないが、こればっかりはお嬢にも言えません。俺に言えるのは、これに千隼が込めた気持ちを、俺が大切に扱うと誓ったことだけです」
「聖くーん!?」
なんかそれだとまた別種の誤解を与えるんだけど!
「え……もしかして二人、そういう関係?」
案の定、湊の目に露骨な疑念が宿っていた。
「いやいやいや、そんなんじゃないからね! 俺と聖は! 俺の本命はお前だからね!」
「……いや、私への態度はカモフラージュという可能性も。もしかして、今日は二人でお互い作り合うために集まってるの? そういうタイプのデート?」
やばい、最悪の誤解を招いている。
「デートってなんだよ! 普通にお菓子作り教えてただけだし! そうだよな、聖!」
「その通りだ。今日は千隼に『心惹かれるようなことをしてほしい』と言われ、俺はそれに『誠心誠意、お前に尽くす』と返した。ただそれだけです、お嬢」
「最悪のタイミングで最悪の情報ぶっ込むじゃん! 事態をややこしくするプロか!」
くっ……すっかり忘れていた。
この天然中二爆弾にヘルプを求めると、状況がもっと悪化するだけということに……!
「えー……本当にそういう関係なんだ。なんかショック。千隼、今まで私にかけてくれた言葉とか全部カモフラージュだったのね……」
しゅんとした様子の湊。
おい、なんか思わぬところから失恋の危機を招いてるぞ。
「違う! マジで違う!」
慌てて否定するが、湊にはまだ響いた様子がない。
「えー、信じられないなあ。なんかこう、愛の言葉を叫んでくれたりしないと、全然気持ちが伝わってこないっていうか」
「めちゃくちゃ好きですけど!」
「まだ足りないなあ」
「世界一好きですけど! 生まれ変わっても好きってレベル!」
「もっともっと」
「もっと!? え、えっと、今すぐ抱き締めたいくらい好き! 可愛い!」
「本当に?」
愛情表現の重ね掛けが効いたのか、湊が少し心を開いてくれた。
「本当!」
「聖と私ならどっちが好き?」
「もちろん湊!」
「深紅と私なら?」
「もちろん湊!」
「それなら私と深紅、どっちが先にホワイトデーのお返しを受け取るべき?」
「もちろん湊!」
「じゃあ、聖の持ってるあのクッキーは何かな?」
にっこりと笑う湊。
あ、あれ……? なんかいきなり空気変わったような。
「あの……もしかして、最初から気付いておられましたか?」
震える声で、恐る恐る湊に訊ねる。
「なんのことかな? まさか私に見えるところで深紅へのプレゼントをやりとりしてるってことがあり得るはずがないし……謎は深まるばかりだよ」
なんだろう、オーブンが稼働中なのに、厨房の温度がぐっと下がったような気がする。
「い、いや……お前が来る前にやってたことだし」
「そうだね。たまたま私が見ちゃっただけだもんね。でもね、こういうのって見られたら駄目だと思うんだ。ちゃんと見えないところでやるのがマナーっていうか、見られた時点でマナー違反になるっていうか」
ぐうの音も出ない。
湊のシフトなんて最初から分かってたんだし、もっと余裕を持って受け渡しをしておくべきだったかというか。
「よし、フォンダンショコラのラッピング完了だ」
と、ここで空気を読まずに黙々とお菓子を焼き上げ、ラッピングまで終えたらしい聖が、マイペースに報告してきた。
「では取り込み中のようなので失礼します、お嬢。それと千隼、きちんと頼まれ事は必ず果たすから任せておけ」
彼は固い決意を口にしながら、俺の渡したクッキーを大事そうに抱えて去っていった。
言うまでもなく、最悪のタイミングである。
「よかったね、千隼! 深紅へのプレゼント、大事に届けてくれるってさ! きっと深紅にも千隼の気持ちが伝わるよ!」
「いや悪かったよ! 今度から見えないところでやるから!」
「それはそれで浮気っぽくて嫌なんだけど!」
「どうしろと!?」
「千隼が煮え切らないから私に余裕が生まれないんだよ! まず何よりもうちのホテルに就職して私を安心させなさいよ!」
「おい、その交渉の仕方は卑怯だぞ!」
――バレンタインに続き、湊のご機嫌取りに時間を費やす俺であった。
チョコアイスにホイップクリーム載せてクレープで包んだ後ストロベリーソースを添えたくらい甘々な幼馴染との日常 三上こた @only_M
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます