酒は飲んでも

人間は、よせばいいのに歳を取ると酒を飲む。もちろん飲まない人もいるが、ここでは飲む人を前提として話を進める。


こんな駄文を書くぐらいなので、いうまでもなく私も飲む。毎日、350 mlの缶ビールを4本ないしは同等のアルコールをかかさず飲んでいる。自分の体でいろいろ試してみた結論として、この量のアルコールを接種すると十分酩酊できて、なおかつ安定した社会生活を営む上で支障がないと思われる範囲で二日酔いの症状が現れない、そういった適度な量であることを経験的に導き出した。だが、どうもこの量は世間一般的には歓迎されない量であるらしく、健康診断では「少しお酒の量を減らした方がいいですね」と告げられるのが常である。加えて、飲み会などではおおいにはしゃいで酒を飲むため、遺憾ながら周囲の人々に私は酒を尋常ではなく飲む人間であると誤解されているようである。


私は自分がそれほどの酒飲みだとは思わない。これは謙遜でもなんでもない。実際、政府が公表している統計を参考にすると、ビール1.4リットルに相当する酒(純アルコール量56グラム)を毎日飲む人の割合は51%だそうである。したがって、私など凡人の中の凡人だと断言できる。


万事、上には上がいるものであり、世の中にはもっと酒を飲む人などごまんといる。そういうわけで、私が知る限りの大酒を飲む著名人を挙げていき、私など酒飲みの末席にも座れぬような木っ端であることをしっかりと確認しておきたい。なお、挙げているエピソードのほとんどはうろおぼえで書いているので、全くの記憶違いのものもあれば、他人の話と取り違えているものもあると思う。



【山口瞳】

『酒呑みの自己弁護』をはじめとして、お酒にまつわるエッセイ等を多数執筆しており、加えて、「文壇酒徒番付」に前頭筆頭として名前が載っているほどなので、大変な酒飲みであったと推測される。


私は若かりしころ、酒の飲み方を学ぶために氏のエッセイを参考にしていた時期がある。そこでおぼえたことは以下の二つである。


・ウイスキーを水割りで飲むな

・初めての酒場ではマティーニを頼め


現在、私は蒸留酒は基本的にストレートかロックで飲む。しかし、酒の飲み方なんざ個人の勝手であるから、水割りでもお湯割りでも飲みたい方法で飲めばよい。私が今でも蒸留酒を前述の手段で飲むことを好むのは、氏の教えを守ってというよりかは、一通りの飲み方を試して、ストレートかロックがもっとも好むところであるという実感を得たからである。


問題は二つ目である。自分の金で酒を飲むようになったころ、私は今よりもカクテルに関する知識が乏しい、というかほとんどゼロであった。そのため、マティーニがどういう性質の酒であるか全く知らず、居酒屋だろうとバーだろうと、とにかくマティーニを頼んでは、お店の人に、「ないですね」と断られるという迷惑を方々で繰り返していた。いかに私がうかつな人間であろうと、そんなことを数年も繰り返せばさすがに学ぶもので、今ではマティーニをいきなり頼むことはなくなった。代わりに、ジントニックを頼むようになった(これもメニューになければ注文しないことを学んだが)。ジントニックも店によってけっこう味わいが違う。甘みが強い店があれば、柑橘系が主張する店もある。ほこりっぽいというか妙な風味が出てまずい店というのもある。初見の店の楽しみの一つにはなっているので、多少は氏の教えを役立てられているのではないだろうか。


話を戻すと、山口瞳はどれほどの酒を飲んだのか。意外によくわからない。なんとなくおぼえている話になるが、氏がだれか(イラストレーターの柳原良平だった気もするが違うかもしれない)と二人でバーに行き、延々とハイボールを飲んだそうである。それがどのくらいの量かというと、伝票の数量を示す「正」の字が、「ハイボール 正正正……」のように横に続いていって、そのまま伝票の周囲をぐるっと一周したそうである。試しに、標準的な伝票のサイズの紙に、お店の人がやるような殴り書きの具合で正の字を一周書いてみたところ、50個書けた。ということは、一人当たりハイボールを125杯飲んだという計算になり、シングル(ウイスキー30 ml)だとしても、純アルコール量で1200グラムという尋常ならざる数値になる。日本酒換算では5升5合ぐらいだ。話の出所がエッセイであるから、いくらか盛ったり創作の部分があるか、あるいは私の計算が見当違いかもしれないが、山口瞳がかなりの酒飲みであったことは想像に難くない。


69歳没。晩年は糖尿病に苦しんだとあるが、長年の飲酒との関係は不明。あと、歯もほとんど残ってなかったらしきことをエッセイに書いている。



【梶山季之】

どこで読んだ情報か忘れたが(たぶん山口瞳のエッセイだと思うが)、氏の飲み屋に対する月の支払いは200万円にも達していたそうである。物価を考慮して現在の金額に換算するとざっと500万円といったところで、ただただ恐れ入るよりほかない。


梶山季之の場合、飲み屋で他人におごることが常であったそうであるから、500万円を一人で飲んだわけではないのだが、それでもこれだけの金額を酒に注ぎ込めたというのは尊敬に値する。それほど稼いでいたこともすごいし、それほど酒を飲みに行ける時間を作れたのもすごいし、それほど酒を飲んで生活していたのもすごい。


しかし、やはりというかなんというか、無茶な執筆活動と飲酒がたたって体を壊して大喀血。食道静脈瘤破裂と肝硬変のため45歳で没。どちらも酒飲みが最期にかかる病気として知られている。



【中島らも】

東海林さだおとの対談で、正確な数字は全くおぼえていないのだが、「中島らもはこれまでにプール一杯分ぐらい飲んだ」というようなことを、同席していたわかぎゑふがいっていたような気がする。


対談の時期やらプールの大きさやら不明な部分が多いが、20年間毎日お酒を飲んで、それで一般的な25メートルプールを満たしたという仮定で計算してみよう。縦25×横15×深さ1メートルで計算するとプールの容量は375立方メートルということになり、リットルに換算すると375,000リットルになる。これを20年間で飲んだとすると、氏は一日当たり51リットルのなにがしかのお酒を飲んでいたことになるが、いくらなんでも常軌を逸し過ぎた数値のため、この件については私が何かを勘違いしているようである。


中島らもは一晩でどれほど飲むのか。先ほど触れた対談で氏の執筆スタイルの話が出ており、それによれば、氏は酒を飲みながら原稿に向かうというスタイルだったそうである。飲んでは書いて、書いては飲む。そうして朝を迎えると、おぼえのない文章と空になった一升瓶だかウイスキーのボトルだかが一本できあがっているという塩梅である。したがって、中島らもは一晩に日本酒一升(純アルコール量216グラム)かウイスキーボトル一本(純アルコール量224グラム)ぐらいはゆうに空けていたと推測される。


思うに、一升いけるかどうかというのが大酒飲みかそうでないかの目安ではないだろうか。一晩で一升あるいはボトル一本という話は、大酒飲みの逸話でよく引き合いに出される。よくというぐらいなら具体例を出してみろという人もいるかもしれないが、最近たまたま読んだ『昭和100年100人 スタア篇』において花菱アチャコが大酒飲みだったという話でそのような表現が出ていた。一晩で一升という数値は、第一にキリがよい。瓶をきれいに空にするというところに、何やら達成感や爽快感を感じてならない。第二に、一晩で一升というのは、私のような凡人でもがんばればできなくはない量であるから、想像しやすいというところもある。大谷選手のホームランや藤井竜王・名人の読みについて、実体験としてのすごさというものは、大部分の人類には残念ながら憶測するよりほかない。それに対して、酒を一升飲むとどうなるかというのは、想像ではなく自らの体験と照合できる。私の場合、一晩で一升空けると完全に意識が飛ぶ。そして次の日はすさまじい二日酔いで一日寝込むことになる。水ものどを通らないほどだ。これは、そうなるんだろうなという予想ではなく、現にやったことがあるからわかるのだ。だからこそ、一升飲んでケロッとしている人は、大酒飲みだと断言できる。


とはいえ、たまたま手元に中島らものエッセイ集があったのでそこから引っ張ってくるが、一晩で二升飲むタクシー運転手に仰天する話が載っている。それから、一升飲んだ次の日はそれなりの二日酔いにはなることも記されている。大酒飲みとはいえ、やはり限界はあるんだとなんだか安心する。


52歳没。酒を飲んで酔って転んだことが死因となっている。意外に、著名人でこういう死に方をした人を私はほかに知らない。



【吉村昭】

吉村昭こそが文壇酒徒番付における横綱である。古今東西、押しも押されもせぬ最強の酒飲みである。


手元にあった吉村昭に関するエッセイで証言されているが、氏は一晩で2升5合(純アルコール量540グラム)を軽く飲んでいたそうである。軽く、というのは、それだけ飲んでも乱れたりすることはなかったという意味である。我々凡人が日にたしなむ量の10倍というわけであり、オリンピックの100メートル走金メダリストだって私の10倍の速さで走ったりはしないことを考えれば、氏の超人的な酒の強さに我々凡人はただただ驚愕するよりほかない。


さて、軽くということは氏は飲もうと思えばもっと飲めたということになる。前述のエッセイによれば、「焼酎を17杯飲んだときはさすがに千鳥足になった」そうである。コップ1杯を180 mlとして、また、まさか割って飲んだ話のはずもなかろうということで、ここではストレートで飲んだと仮定しよう。すると、純アルコール量で612グラムということになり、もはや筆舌に尽くしがたい。しかも、酔いつぶれたわけではないから、その気になればまだいけたのかもしれない。はたまたコップではなくジョッキでいった可能性だってある。とまれ、そこまでいくと酔いではなく腹が膨れて飲めないという状況ではなかろうか。晩年はさすがに弱くなったそうだが、それでも一升ぐらいは飲んでいたようである。横綱、恐るべし。


79歳没。舌癌と膵臓がんが原因で死去とある。長年の飲酒との関係は不明だが、あれだけ飲んでもここまで生きられるという事実は、世の酒飲みに希望と言い訳を与えてくれるのではないだろうか。



【東海林さだお】

東海林さだおは食べ物にまつわるエッセイを多数執筆しており、酒類、とりわけ、ビールへの言及もたびたびである。


氏によればビールにもっとも合うあては串カツだそうである。私はこの主張をまだ酒を飲めないころにどこか(たぶん週刊朝日だと思うが)で読んで、大人になったらぜひ試してみたいものだと思っていた。合法的に酒を飲める歳になって、早速串カツを実現したかというと世の中ままならぬものであり、串カツというのは意外に居酒屋のメニューに載っていない。コンビニとかスーパーの総菜でもあまり見かけない。少なくとも私の生活圏内ではそうであった。てなわけで、私がビール+串カツのアンサンブルだかマリアージュだかを楽しんだのはだいぶ歳がいってからであった。人間、歳を取るとなんだか感動する能力が低下してしまう。したがって、ビール飲みながら串カツ食べても「うまいうまい」という月並みな感想しか抱けなかった。


そもそもビールっていろんな食べ物と合うじゃないですか。ご飯に合うものは日本酒に合うという言説を信ずるならば、パンに合うものはビールに合うという命題もまた真であると推測される。私はパンに挟めるものならビールに合うと思って飲み食いしている。チョコレートやクリームとかも、パンに合うからビールにだって合わんでもない。自分では積極的にはやらないが、甘いものをあてにビールを飲む話はそんなに珍しくはないようである。今までに目撃したことがあるもっとも印象に残ったビールのあてのエピソードとして、ファミリーレストランでパフェを食べながらビールを飲んでる人を見たことがある。それが心底楽しそうに映ったので、機会があれば一度くらいはやってみたいものだと思っている。もちろん串カツが合うことは論をまたない。


東海林さだおはどれくらい飲むのか。かなり飲むんだろうな、と推測される記述は散見されるが、具体的な量は不明である。だが私は常々思っていてるが、飲める酒の量でいばったり誇ったりできることなど一つもない。ビール一本で気持ちよく酩酊できるのであればそれに越したことはない。酒代はかからないし、体への悪影響も抑えられる。私が東海林さだおを敬してやまないのは、その筆力もさることながら、何より氏の飲酒に対する真摯な情熱に心を打たれるからである。本気度が違う。ガチ勢である。氏曰く、「ビールを飲む前に水を飲むようなやつは出世できない」と。もちろん酒など各自が好きなように飲めばいいのだが、あえて断言するところに氏の飲酒に対する真剣さを感じる。


88歳存命。肝臓がんと脳梗塞を経て、一時期はノンアルコールビールで辛抱していたが、最近読んだ話によると日にビールを二本飲むようになったそうである。だいぶ先のことにはなるが、私もそれぐらい飲んでいたいものだ。



【北杜夫】

北杜夫は躁うつ病を患っていたことで有名だが、酒もなかなかのものだったようである。文豪酒徒番付では前頭のなかなか上の方に名を連ねている。そして、さまざまな文章から推測するに、氏は酒癖もまたなかなかのものだったようである。


本人が記したエッセイであるから多少の脚色はあるにせよ、氏は酒を飲んでは泥酔して、周囲の人々に議論ないしは難癖をふっかけて悶着を起こしている。いわゆる、うちしてやまん、という飲み方だったようである。保高徳蔵氏という、文学を志す若人の面倒をよく見ていたえらい方に、酒を飲んで喧嘩をふっかけて返り討ちにあった話なども書いている。ドイツを訪れた際に酒場で泥酔して、同席した女性にsieではなくduで熱心に話しかけたというエピソードなんかもあった気がする(私はドイツ語はほとんど知らないので、それがどれほどのことかはよくわからないが……)。


北杜夫はどれほど飲んだのか。例のごとく、だいぶ飲んだとは思うのだがよくわからない。収納ボックスをあさればどこかにしまってあるはずなのだが、たぶんどくとるマンボウ青春期に、「酒を一升飲んで翌朝起きて割合平気だったため、『おれは酒が強いんだ』と自信をもちかけたが、『きみ、昨日はひどかったよ』となじられて愕然とした」というような記述があったような気がする。酒飲みの基準の一つである、一晩で一升ぐらいは飲んでいたのだろう。


すぐ手元にあった話を書くと、福島正実の『未踏の時代』にこういう感じの話があった。


“北氏にSFを頼みに行くと、氏は「ぼくはSFは読むが自分では書かない」とか細い声で一旦は断った。そこをどうにかと食い下がると、氏はやおらウイスキーを取り出し、コップに半分ぐらい注いだやつを二三杯飲み干した。それから氏は多弁になり、最終的に氏にショートショートを書いてもらうことを取り付けた。”


ウイスキーをコップの半分で3杯(80 ml×3 = 240 ml)で計算すると、ま、ざっとビール2リットルといったところである。驚愕する量だとは思わないが、それより気になるところは、来客への応接時に堂々と酒を飲むというところである。こんなこと常人がやらかせばアルコール依存症かそれに準ずる何かだと判断されかねないところだが、氏は少なくとも実刑を受けるような刑事事件は起こさずに人生を過ごしたのである(躁期の目に余る散財で準禁治産宣言は受けたようだが)。やはり何か精神の強さがあったのかもしれない。


私が氏から勝手に教わったことといえば、ビールは徹底的に冷やして飲むに限るということである。北杜夫は酒はとにかく冷やして飲むのが好きで、冷蔵庫で冷やすのには飽き足らず、ビールにすら氷を入れて飲むほどであった。げ、ビールに氷、と鼻白む人もいるかもしれないが、実際やってみるとけっこういいものである。ビールに氷を入れると薄くなるだのどうだのしゃらくさいことを抜かす御仁もいるだろうが、ビールも氷もたいしてコストがかかるものでもないんだから、一回やってからケチをつけるべきである。ウイスキーのように度数の高い酒であれば、氷を入れてちびちび飲むということもあろうが、ビールなんてパッと注いでパッと飲むようなものであるから、そらまあ、理屈の上では多少は薄まろうが、酔っ払いの味覚からすればたいしたことではない。だから私はお酒に慣れていない人がビールに氷を入れたとしても苦言も揶揄も呈さない。いろいろやってみなされ、と思うぐらいである。何より、北杜夫が酒に対して自分なりの流儀を晩年まで持ち続けていたことに深い敬愛を感じてならない。そういうわけで、私はビールはとことん冷やす主義であり、ビールは飲む前に冷凍庫に三十分ないし一時間ぐらい突っ込むことにしてる。一時期は氷を突っ込むこともあったが、いろいろあってめんどくさくなって今に至る。


84歳没。死因は腸閉塞か誤飲による窒息とあるが、家族が誤飲の処置が適切であれば死ななかったのではと主張していることから、飲酒とはあまり関係ないような気がする。



【内藤國雄】

ここまで文士を挙げてきたが、内藤九段は将棋棋士である。文士もよく飲むようだが、棋士もまたよく飲むらしく、お酒に関するエピソードには事欠かない。


酒を飲むよりほかないのである。近年は多少改善されたようだが、プロ棋士の対局は日付をまたぐのがざらである。夜中の一時二時に解散となってどうするか。タクシーで帰るというのも理論上は可能ではあるが、まあ、安くはない。であれば始発まで待つことになる。詳しくは知らないが、将棋会館は宿泊できるようになっているそうなので、朝まで会館で寝て待つというのも、一見ありそうに思える。しかし、深夜まで起きていれば腹が減るもので、何か入れてから休みたいのが人情だろう。それに、私はへぼながら自分でも将棋を指すから想像できるが、対局の後というのは頭に血が上り気が高ぶって、とてもじゃないが大人しく寝ることなどできない。


それなら何をして始発までの時間をつぶすか。まさかいい大人が何時間もじゃんけんぽんをして遊ぶわけもない。パチンコ屋なんてとっくに閉まっている。となればあとはもう朝までやってる酒場で酒を飲んで過ごすよりほかないというわけである。かくして棋士は酒を飲むことを宿命づけられている、というロジックをどこかで聞いたことがある。


棋士に大酒飲みは少なくないと聞くが、私が独断と偏見で棋士酒徒番付を作るとすれば、内藤九段に横綱をお願いする次第である。内藤九段の酒飲みのエピソードをいくつか挙げよう。


・若いころは、店でたくさん飲むと高くつくので家で一升瓶を空けてから酒場に行くのが常だったとか。

・若手時代の木村九段を対局で負かした後、木村九段を誘って酒場に行き、そこでつまみもそこそこに大ジョッキ10杯(純アルコール量240グラム)を間髪を入れずに飲み干す。酒飲みを自負する木村九段は「せめて酒では勝とう」と意気込んでいたが、内藤九段の飲みっぷりにたちまち目が回ることになる。見かねた内藤九段が一言、「きみ、わしに合わせてたら死ぬで」

・升田九段と二人で酒場に行き(升田九段も酒飲みである)、延々とお銚子を空けたときのこと、あまりにも飲むのでお店の人が面白がって、空いたお銚子を下げずにカウンターに並べていったそうである。最終的に、お銚子がカウンターをずらっと埋めて、お店の人が「もうお銚子がない」と降参したそうである。


最後の話、試しにカウンターの長さを5メートルで計算してみると、だいたいお銚子が60本ぐらい並ぶ計算になる。ということは、升田九段と内藤九段で同じぐらい飲んだとすると、一人当たり3升(純アルコール量648グラム)飲んだ計算になる。確かに、こんなお酒に常人が付き合っていては死んでしまう。


86歳存命。棋士の中には芹沢九段など大量飲酒で身を崩した人もいるが、内藤九段はかなりの高齢まで現役を続けていた。やはりどこか体の作りが違うのかもしれない。



【おわりに】

この文章の趣旨は、大量飲酒しても案外人間は大丈夫だということではなく、どちらかというと、そういう人はごくまれな例外だということである。大量飲酒して大丈夫ではなかった話はたくさんある。その境界がどのへんかとか、体のどこがどう違うのかとか、いつか明らかになる日が来てほしいものだ。

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