第3話 ヒーロー

 一日の間を置いて、早朝。

 陽太は、自分が待ち望んでいた予知夢を見て、事件が起きるバスに乗っていた。


 予知夢は、このバス内でフードを被った男がナイフを持って暴れ、数人に怪我を負わせるという内容だった。


 今の陽太には格好の犯人がいる事件だった。


「(ここで、ナイフを出した瞬間犯人を捕まえて、俺の身の潔白を証明してやる)」


 陽太が心の中で意気込む。


 通勤時間帯ということで混み合っているバスの中。

 フード付きの服を着ているのは三人。

 全員男。


 まだ、何かが起こる気配はない。


「(早く、犯人出てこい)」


 陽太が、犯人に浴びせる予定の防犯スプレーをポケットの中で握りしめた。そこへ、


「あ。あれって友瀬陽太っスよ」


 車内の中ほどに立っているスーツ姿の若いサラリーマンが、運転席のそばに立つ陽太に気づいた。


「ん? ああ、お前が言ってた例の子供か」


 それに返事をする、隣りの白髪の年配サラリーマン。


「まさか、バスの中で変なことやらかすんですかね?」


「勘弁してくれ、まったく」


 声が大きい二人の会話。

 周りの乗客も陽太に気づき、迷惑そうな顔を見せた。


「(変なことなんてするか!)」


 陽太が口には出さず否定して、スウェットシャツについているフードを被り、顔を隠した。


「最近の子供は、何を考えているのやら」


 白髪のサラリーマンが陽太を見たまま顔をしかめる。


「まったくですよね」


 よいしょをするように若いサラリーマンが調子をあわせた。


「自分で危ない場面を演出して、自分で助けてるんだろう? そこまでして注目を浴びて、何が嬉しいのやら」


「金のためじゃないっスか?」


「金が欲しいなら、額に汗して働け」


「将来の夢は、迷惑ユーチューバーか?」


 会話というよりも、明らかに陽太へ話しかけている二人。

 二人のやりとりに、バスの中にいる人達がクスクスと笑った。


「……」


 周りからの嘲笑を受けた陽太。

 フードに隠れる表情が怒りに歪む。

 意識がどす黒く染まっていく。


 陽太は、犯人がナイフを持って暴れるということで、さすがに怪我人が出る前に対処しようと考えていた。しかし、


「(……お前ら全員犯人に刺されろ)」


 作戦を怪我人が出てからに変更した。


「嘆かわしい世の中だな」


「まったくです」


 車内の、自分達のやり取りを聞いて笑ってくれているみんなの反応に気分を良くし、サラリーマン二人が会話をつづける。


「嘆かわしいといえば、こいつもだ」


 白髪のサラリーマンが、今度は目の前で自分の方を向いて座席に座る、三十歳くらいのボサボサ髪の男を見た。


「年長者が立っているというのに、その真ん前で堂々と座っているとは」


「ですね。図太いっつーかなんつーか」


「席を譲ろうと思わんのか」


「そもそも、そんな常識持ってないんじゃないっスかね」


 言われた男が、目を伏せたまま無言で席を立った。

 それを見た白髪のサラリーマンが、


「言われなければ行動できんのか」


 文句を言いつつも、替わって席についた。


 立ち上がった男は、回れ右をしてつり革を持ち、シュート体勢に入ったサッカー選手のように右足を後ろへ引き、自身の腰の高さにある白髪サラリーマンの顔面を、


 グシャッ


「ぶがっ」


 靴裏で蹴った。

 つづけ様に、若いサラリーマンの鼻っ面へ、


 ゴスッ


「ぎゃっ」


 頭突きを食らわせた。


「ぶっ、ぶふっ」


「ぐっ、うぅぅっ」


 背を丸め、顔を手で覆って痛がる二人。

 男の暴挙を見た周りの乗客全員が、息を呑み、表情を驚きに凍らせた。


「そんなに働いてる人間が偉いのか?」


 男が二人見下ろす。


「働きたくても仕事がない俺は悪か? クビになった俺が悪いってのか? ええ?」


 無表情に問いかけた。


「……あ~あ」


 男は、気の抜けた声を出し、


「もうどうでもいいや。ここで人生終わらそ」


 ジャケットについたフードを被り、ポケットからナイフを取り出した。


「(こいつだ!)」


 陽太は、すぐにこの男が予知夢で見た人物だと悟った。


「キャァァァァァァァァァァッ!」


 ナイフを見た女性の金切り声が車内に響く。


「こ、こいつナイフ持ってるぞ!」

「ヤバいヤバいヤバい!」

「バスを止めて!」


 全員が喚きながら、バスの中央にいるフード男から距離を取ろうと車内の前後に移動した。

 一瞬にしてバスの中は、パニック状態になった。


 運転席近くにいた陽太は、自分の方へやってきた連中を全員後ろへ押しのけ、フード男の動向を見守ることにした。


「まずお前な、ジジイ」


 フード男が、鼻から血を垂れ流し、怯えた目で自分を見上げる白髪のサラリーマンに狙いを定めた。


「ま、ま、待ってくれ」


 声を震わせて白髪のサラリーマンが右手のひらをフード男に向ける。


「待つ? 何を?」


「さ、さっきのことは謝る。ゆ、許してくれ。い、いや、ゆ、許してください」


「死んで後悔しろ」


 聞く耳持たず。

 フード男がナイフを振り上げた。

 それを見た陽太は、


「(やれ! 刺せ!)」


 助けることなく心の中で煽った。その時、


 キキーッ


 ブレーキ音を響かせバスが急停車した。


「わ!?」


 陽太が、慣性力で車内前方へ流されそうになる体を、座席を掴んで堪えた。


 だが、フード男は、何も掴んでおらず、陽太の方へとたたらを踏み、ドンと体をぶつけた。


「う、うわっ!?」


 驚きつつも、陽太は、手に持っていた防犯スプレーをフード男へ向け、噴射ボタンを押し、カプサイシンの霧を男の顔面に浴びせかけた。


「がっ!?」


 それをもろに食らったフード男。

 驚愕の表情で陽太を見て、


「ギャァァァァァァァァァァっ!?」


 すぐに顔を手で押さえて転げ回った。


「ハ、ハハッ、や、やった」


 陽太は、作戦と違ったことを残念に思ったが、興奮に顔を上気させて喜び、


「よ、よし、あとはこいつを捕まえて」


 一歩を踏み出し、


「……あれ?」


 ガクンと床に膝をついた。


 足に力が入らない。

 俺、どうしたんだ?

 陽太が不思議に思っていると、


「ひっ!?」


 車内後方にいる一人の女性が引きつった声を上げた。

 見開かれた目は、陽太の腹を見ている。


「へ?」


 陽太がその視線をなぞって顔を下へ向けた。

 陽太の腹にナイフが刺さっていた。


 フード男とぶつかった時、男の持っていたナイフが刺さったのだった。


「……あ」


 陽太の体から急激に気力が抜けていく。

 陽太は、寝そべるようにして、ゆっくりと体を横へ倒した。


「き、救急車! 119番!」

「い、今呼んでる!」

「医者はいないか!?」


 フード男がナイフを取り出した時以上に車内が騒然となる。

 そんな中、


「び、病院はすぐそこです! バスで運びます!」


 運転手が車内へ怒鳴るように言って、バスを発車させた。

 停留所を素通りすることになるが、当然、誰も運転手の案に文句を言う者はいない。


「しっかりしろ!」


 陽太の周りに人が集まってきた。


「う……あ……」


 うめき声を漏らす陽太。

 陽太の視界に映る横向きになった世界が、磨りガラスの向こう側のようににじんでゆく。


 陽太は、泣いていた。

 死への恐怖と後悔の涙だった。


 もっと早くフード男を捕まえておけばよかった。

 相手は、ナイフを持ってるんだ。

 そんなこと当たり前だ。

 そうするべきだったんだ。

 それなのに俺は、周りの人に笑われて、怒って、何の対処もせず、あまつさえ「刺せ」だなんて考えて、結果こんなことに……。


 俺は、何をやってるんだろう。

 人を助けたかった。

 人を守りたかった。

 ヒーローになりたかった。


 それが、いつの間にか、ちやほやされることが目的になっていた。

 いや、いつの間にかじゃない。

 そもそも最初から人助けの方法がおかしかったんだ。


 ヒーローってちやほやされたくてやるもんじゃないんだ。

 褒められたくてヒーローやるやつなんてヒーローじゃないだろ。


 それなのに、俺は……。


 あとからあとから後悔が陽太を襲う。


 陽太の視界のすみで、フード男が数人の男性に取り押さえられている。


「(死んで後悔しろ、か……)」


 陽太は、フード男の言った言葉を思い出し、今の自分にこそピッタリだと思えた。



 ◇◆◇◆



 バスの事件から数ヶ月後。


「すみませ~ん。道を教えてもらえますか?」


 街中で、一人の男子高校生が、歩道を歩いている化粧の濃い女性に声をかけていた。


「ググれ」


 にべもない女性。

 目も合わせず歩いて行く。


「あ、あの、今スマホの充電切れてるんですよ」


 女性のあとを男子高校生が追いかける。


「だから、教えてくれません? 立ち止まって。ね?」


「交番行け」


 女性は、まったく止まらない。


「こ、交番っていってもこの辺りには……あ、木村◯哉」


 男子高校生が女性の後方へ顔を向けた。


「マジで!?」


 釣られて見る女性。


「どこどこどこどこキム◯クどこ!?」


 来た道を戻って探してる。


「ちょっとあんたっ、どこにいるのよ!?」


「あ、すみません。あの人とキム◯ク見間違えました」


 男子高校生がひとりの男性を指差した。


「……あの人ハゲてんだけど」


「ですね」


「おじーちゃんだし」


「ね」


「ケンカ売ってる?」


「い、いえいえ、滅相もない」


「そこ動くな」


 女性が手提げ鞄を振り上げる。


「お、落ち着いて。落ち着いてください。ね?」


 男子高校生が両手を上げて女性をなだめていると、


 ガシャーンッ


 歩道の先から陶器が割れたような音が響いた。


「何?」


 女性が音のほうへ顔を向ける。

 そこには、十数枚の割れた瓦が散らばっていた。


 古い民家の屋根に敷かれていた瓦が滑り落ちたのだ。

 何だ何だと割れた瓦のもとに人が集まりはじめた。


「うわっ」


 女性は、目を丸くして驚き、


「写真撮ろ」


 落ちた瓦のところへ行ってしまった。


 もし女性が立ち止まらずに歩いていたら、彼女の頭に瓦が直撃していたのだが、本人に気づいた様子はない。


「ふ~」


 男子高校生が息を吐いた。

 女性が怒りを忘れて瓦のところへ行ってくれたことと、女性に当たらなかったことの安堵の息だ。


 男子高校生は、以前のようにちやほやされることはない。それでも、


「無事でよかった」


 腹に残る傷跡を撫で、満足そうに微笑んだのだった。

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予知夢ヒーロー 蝶つがい @Chou_Zwei

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