第6話
紀伊半島の中央部にある大台西小学校は、国道四十二号線を西に曲がり、五分ほど行った所にある小道を北に四十二号線に沿って戻った所に木造の二階建ての学校がある。一年生から三年生までが一階で、四年から六年までが二階の教室になっている。前が運動場で、そんなに広くはないが、全校児童でも大体三百人だから十分遊べる広さである。校舎の後ろがそんなに高くない山になっている。運動場の前は小高い丘になっていて、沿うように細い田んぼ道がある。
八並朝美の席は窓側で、前から三番目である。彼女・・・今日は気になって仕方がなかったことがある。
今日の朝、見かけた大きなウサギのことである。
「お姉ちゃんは信じないけど、私、絶対に見たんだから・・・」
でも、すぐに消えちゃったんだ。
「あんな大きなうさぎ・・・見たことないのよ。小父さんっちに、たくさんのウサギがいるけど。みんな、可愛い。小父さん、私に抱かせてくれないけど、きっと暖かいんだろうな」
(どうして、抱かせてくれないのかな?)
なんて、今も考えてしいる。
「学校が終わったら、小父さんっちにウサギを見に行ってこよう」
っと・・・この時、
「朝美さん」
と、中西ひとみ先生の声が、何処からか聞こえて来た。
朝美はキョロキョロと教室の中を見回した。すると、ひとみ先生の目と合ってしまった。
「何処を見ているんです。ちゃんと先生の方を見て、話を聞いてくださいね」
「はぁぁい」
と、返事はしたものの、何か、すっきりしない気分だった。
その一か月と十日ほど前まで、時間を戻す、
「あの医者・・・」
亀田秀雄は、そこにいて、北島嘉四郎という医者の診察室にいた。
秀雄は、にんまり・・・とほほ笑んでいる。
「先生、この顔・・・何とかなりなせんかね!」
北島は、
「どうしたんだね?」
「そんなことには、俺は答えない。答える気もない。あんたは、俺の質問に答えればいい」
「そんなことを言ってもなあ・・・」
それでも、北島は目の前の患者の状態を確認していた。
「言っておくけど、あんたは俺のために、何でもしなければならないのはよく分かっているはずだ」
北島医師は、この患者を睨め付けた。のだが、
「わ、分かった、何とかしよう」
「さすがに、先生だ。頼りにしていますよ。はは・・・」
「さあ、こっちに来て。このベッドに寝てくれないか」
北島は医療用のゴム手袋を着けた。
「痛むかね?」
「当り前だ」
「きついかも知れないが、麻酔は使わずに、このまま治療する」
「ああ・・・」
秀雄は目を閉じた。
時々痛みに耐えられないのだろう、秀雄は顔を歪めた。
「この傷は・・・そう簡単には復元しないだろう。どうしたんだ?」
北島医師は治療の手を動かし、時々その手に力を込めた。
(一層、このメスで切り刻んでやるか)
「いたい・・・もう少し緩くやってくれないか」
「我慢することだ」
北島医師は、一層、
(この男を殺すのは、今しかない)
と・・・それを実行することは、可能だ。
「ふっ・・・」
北島は苦笑した。
「何が・・・可笑しい」
「・・・」
と、北島は肩を震わせた。
「お前には、俺を殺せない。前から、いっているはずだ。何度もな。その理由も、お前は納得しているのと違うか」
この患者、秀雄の口調ははっきりしていて、迷いがない。この声は柔らかだが、北島医師の脳に食い込んで来る。
「くっ!」
この瞬間、
北島医師はメスを落とした。
「どうした!」
北島は間違いなく動揺している。
「何でもない。お前の血で、メスを持つ手が滑ったのだ」
「おい、間違っても、この手術・・・失敗しないでくれよ」
「分かっている」
こうは言ったものの、顔の傷は深く食い込んだものもあり、完全に元通りにするのは不可能だろう。
「やるだけのことは・・・やる」
北島は言い切った。
大きなウサギと朝美 Ⅱ 青 劉一郎 (あい ころいちろう) @colog
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