第5話
時間を一時間ほど戻す。
理々子が、家を出た後、
「そうだ、亜希ちゃんと遊ぼう」
そう決めていたわけではないのだが、あそこで一人で遊んでいるのが嫌になったのだ。今日は、そうしようと決めたのだった。太田亜希とはよく遊んでいたのだが、何分気分やなので、その日によって誰と遊ぶかころころと変わるのである。
太田亜希子の家は大黒屋のすぐの十字路を西に十メートルほどいった宮川沿いにあった。家は自転車店で、そんなに大きくない店だが、中には十四五台の自転車が並べられていた。というより、乱雑に置いてあった。
祖父の達也がやり始めたもので、家族の誰もが手伝いもしなければ、子供も後を継ごうなんて思っていなかった。身長が一メートル八十以上あり、この本里の誰もが達也を見上げる。だが、なぜだが分からないが、この店で自転車を買う者は一人としていなかった。
「あんな所で・・・」
誰が買う。店主である達也は無愛想の塊りだった。
理々子は、そんな店の中を覗き込み、
「亜希ちゃん?」
とちょっと小さめの声で言った。
店の中には達也が四歳の理々子を睨み付け、
「いない」
と、無愛想な態度を示した。
理々子も亜希子のおじいちゃんが嫌いだった。だから、目を合わそうとはしないで、そのまま何処かへ行ってしまった。
(どうしようかな?)
という気持ちは少しもない。理々子はそのまま歩き始めた。
ここまでが、理々子について分かっていることである。
この後、理々子が、どのような行動をしたのか、辿ってみる必要がある。
理々子はそのまま宮川沿いに歩いて行った。
多分・・・こんなことがあったのだろうと想像する。
宮川沿いには樹木と背丈の低い竹林がずっと続いていた。
「こんにちは・・・お嬢さん」
理々子の目の前に現れたのは、ウサギさん・・・しかも、すごく大きなうさぎさんでした。
「へへ・・・こんにちは!」
「だあれ・・・?」
理々子は首を傾げた。ウサギというのは、理々子にも分かっている。人間の言葉をしゃべっているのである。もっとも彼女は実際のウサギを見るのは初めてだった。
(こんなに大きいとは・・・)
とは思わなかったのだから、ただ驚いている。
「どうしたんだい?」
少しガラガラする声のウサギさんだった。
「どうして一人でいるの?」
「遊ぶ子が、誰もいないの」
「そうかい、そうかい、それなら、私と遊ばないかい?」
「うん」
理々子はすぐに返事をした。一人では何もすることはなかったのだから、仕方がない。
「じゃ・・・ウサギさんについておいで」
大きなウサギさんと理々子は、手を繋いで歩き始めた。
しばらくすると、理々子は訊いて来た。
「何処へ・・・行くの?」
「とっても面白くて楽しい所だよ。きっと気に入ると思うよ」
面白くて楽しいと聞いて、理々子は何だか嬉しくなった。そこで、
「ウサギさんは、どうして、大きいの?」
と、訊いた。
「大きいの・・・嫌いかい?」
理々子は返事に困った。だから、彼女なりに、
「そんなことはないよ」
と、いった。
少し歩くと、
「いいかい」
大きなウサギさんは大きなタオルを取り出した。所々泥のようなものなのか茶色っぽく汚れていた。
「これで、目隠しするからね」
と、いう。
この後のことを想像するのは、それ程困難ではない。
「朝美、よく噛んでね」
今日の八並の朝食は、小さな赤いウインナ二つだった。それに目玉焼きだ。のどに詰まらす心配はないと思うのだが、もう七歳になっていた。
兄の健次はとっくに食べ終え、中学だから自転車で学校に行った。姉の春美は食べ始めている。
「お父さんは?」
と春美。
「もう、会社に行ったわよ」
由紀子は箪笥の上の時計に目をやった。八時を回っている。もう会社に着き、仕事を始めている時間だった。
「いいから、早く食べなさい」
イライラしているわけではない。毎朝、こんな調子なのである。でも、
(変・・・可笑しい)
のである。その原因は、由紀子にもはっきりと分かっていた。
一つは、寄合橋の下で見つかった身元不明の遺体、
もう一つは、副田理々子が行方不明になっている事件
どちらも、こんな田舎・・・本里のような所で起こるような出来事ではない。そして、どろらも、まだ解決していない。あれから二年近くなるが、本里の誰もの記憶から消され掛かっていた。だが、由紀子は違う。ここ本里で育った人間ではなかったから、
(信じられない)
由紀子の本心だった。身元不明の遺体の方は、修の甥の亀谷英雄という噂があるが、確かな情報ではない。そういうことから、修のもとには何回ともなく刑事がやって来ていた。
修は容疑者ではないから、平然としているが、
「あいつら、俺がやったと疑っている・・・」
刑事が帰った後、やたらと不満を喚きたてていた。
「先に行っているからね」
春美が出て行こうとするのを、由紀子は止めた。
「春美ったら、ちょっと待ちなさい」
由紀子は声を荒げた。
(もし・・・)
考えたくない。でも、
「この子は・・・」
由紀子の脳裏には、朝美のスカートに付いていた赤い斑点がこびり付いていて離れない。
「もう・・・何もない」
と思う、あんなことは・・・。由紀子はそう思いたかった。
「もう、すぐだから、待っててよ」
「早く、しな」
春美は妹を急かした。
姉の春美が春美を連れ、集合場所の桜の木の下に着いたときには、みんなは学校に向かっていて、誰もいなかった。
「もっと早く食べなさいよ」
春美は少し怒った素振りを見せた。
「ごめんなさい・・・」
朝美は言い返したかったが、何といったらいいのか思いつかなかった。
「今まで、あんたのために集合時間に何度も遅れたことがあるんだからね」
「分かってるって・・・」
その度に、春美に手を引かれて、何度も学校に行っている。朝美には聞き飽きた春美の小言だった。一応、春美は言いたいことだけ、言う。後は、二人とも学校まで黙ったままである。
寄合橋にかかると、
「行こう」
春美は握っている朝美の手を強く引っ張った。結局、今日も二人だけの登校となったのである。
「痛いよ!」
この時、朝美は顔を背けた。
「あっ・・・ウサギさんだ・・・」
彼女はポツリと呟いた。
「何か・・・言った?」
「ウサギさん・・・すごっく大きいの」
「馬鹿なことを言っちゃ・・・だめ」
「本当だよ、見て」
春美は朝美が見ている方に目を向けるが、それらしきものは見えない。
「いないじゃないの」
朝美がちょっと目を背けた時に、そのウサギはいなくなっていた。
「いいから・・・行こう」
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