山賊狩りの泣き女
あんころまっくす
山賊狩りの泣き女
私は剣士をしている。
剣士、といってもそのような職業があるわけではないので、この表現はあまり正しくない。
私は剣で人を殺してお金を貰っている。もちろん合法の範囲内で。
だから職業としては、そう、賞金稼ぎなのだろう。
けれども問われれば私は剣士だと答える。何故だか知らないけれどそれが一番しっくりと馴染むのだ。
あるひとに言わせると、それが私の【生き様】だからなのだそうだ。なるほど生き様。
生き様というものは難しい。突き詰めれば自分で選んでいるのは確かだが、かといって自分の気持ちだけで決められるものでもない。私だって別に剣士になりたいと思ってなったわけではない。
ただ、すべきことを、すべきだろうと思ったことをして、そうやって生きていくための選択をしていたらいつの間にか、私は剣士になり、賞金稼ぎになっていた。
「おいおい泣いてんじゃねぇかねーちゃんよぉ」
「男に囲まれてブルっちまったか?腰に下げてるモンは飾りかよ」
暗い森の中で私は五人の男に囲まれていた。
誰も彼もが薄汚く不揃いな鎧を身に着けている。手にはあまり手入れされていない剣、斧、槍、短剣。ひとりは素手で弓持ちは居ない。
少し痩せ気味だが精悍な身体つきと下卑た笑みの男たちが取り囲めば、ひとりの女を震え上がらせるには十分だろう。少なくとも今までの彼らの人生はそうだった。
けれども、私が涙を流しているのはそれとはなんの関係もない。
「外套はボロいが革鎧は小綺麗なもんだ。駆け出しの素人じゃねえのか?」
私から見て一番奥の男が品定めして周りに伝える。この五人の中では彼がリーダーだ。
「なあねーちゃんよぉ。俺たち女に困ってんだ実は」
「へへ、だからさ、痛いより気持ちいい方がいいだろ?あんたもさ」
私は大きくため息を吐いて剣を抜いた。手のひらに少し足りない程度の短い柄、それと同じ長さの十字の鍔を挟んでやはり同じ長さの鞘口を持つ二振りの細身剣。
「おいおいなんだそのヘンテコな剣はよ。柄短過ぎんだろ」
「ひゃはははは、それどうやって握るんだ?なあ?」
いつものことだ。誰もがそうやって笑う。もっともことが済む頃には誰も笑えなくなっているので気したことはあまりないのだけれど。
「心配しなくてもすぐにわかるわ、アーロン」
目の前の、短剣を持っていた男に声をかける。男は凍り付いたように目を見開き、それ以外の四人は怪訝そうに首を傾げた。
「浮気した恋人を殺してしまったのね、アーロン。優しい小心者のあなたが激昂して過ちを犯してしまうほど愛していたのね、彼女を」
「おま、おまえ俺の名前、それを、クラーラのことをどこでっ!」
腕の振りは密着距離のアーロンの脇を抜け、その加速に柄と鍔に指を絡めて速度を作って背後から剣先を奔らせる。
防具に守られていない頸動脈を切り裂くのに力は要らない。ただ正しく剣先に速度を作って目的の地点を小指の半節ほども通してやればいい。
「女性不振に陥ったあなたは商売女を買うことも出来ず、こういった機会に女を凌辱するしかなくなってしまった」
一拍遅れて噴き出す鮮血をぼろぼろになった外套で凌ぎ、崩れ落ちた彼の前に膝をつく。
「可哀想なひと、他人を害する生き方なんて辛いだけだったでしょうに」
失血によって一瞬で意識を失った彼の瞼を閉じてやる。もう十も数える頃には事切れるだろう。
見栄っ張りで浮気性の彼女を恋人に選び、浮気に激昂したとはいえ殺してしまい、裁かれることを恐れて逃げ出し、ひとりでは生きていけず行商を襲っていた彼らに声を掛けて仲間になった。けれどもその気性から仲間内での立場はいつまでも弱く、またトラウマから女を信じることも出来なくなってしまった。
悲しい生き様だ。全て自分で選んだことだけれども、こんな生き方をしたかったわけじゃないことは、知ってさえいれば誰の目にも明らかだ。
「おやすみなさい、良い夢を」
囁いて立ち上がると、残りの四人は恐ろしいものを見る目で私を見ていた。
「そいつは…アーロンなんて名前じゃない…」
槍を持って後ろに控えている、リーダーの男が言った。
「彼の名前はアーロンよ。あなたたちにはアランと名乗っていたけれどね。エグムント?」
私が事実を槍の男、エグムントに教えると、彼はびくりと震えた。
「エグムント・タールベルク。帝国軍の脱そ…」
「おいっ!一斉にかかれっ!!」
エグムントの悲鳴のような号令に三人が動いた。一番前に構えている素手の男が懐に飛び込んでくる。剣に対して距離を詰めて対応するのは本来なら正しい。私には意味がないけれど。
私は顔面を狙ってきた拳を避けながら左手を横から抱き寄せるように振るい、柄の端を指にかけて折りたたむように背後から剣先で男の左膝の腱を斬って離れる。一瞬だ。
何が起きたかわからない顔で足を止めた後ろふたりに大きく一歩間合いを詰め、剣を持っている男の右手の小指と薬指の間の腱を突き裂いて即座に体ごと剣を引く。
私の剣に握るための柄はなく、受けるための鍔もない。これは指先で加速と変化を操るためのものだ。敵を殺すのに力は必要ない。鍛えようのない部位をただ傷付けてさえいればひとはいずれ死に至るのだから。
「ベンジャミンとセドリック。王国軍国境警備隊の敗残兵」
痛みで動きの止まったふたりを見下ろすように告げる。
「五年前の小競り合いで部隊が壊滅して帝国領から戻れなくなったのね。当時の国境警備隊長が欲を出して威力偵察なんてしなければ…欲に駆られて見つけた村で略奪なんてしなければ、今頃こんなところにはいなかったでしょうに。そして…」
私はエグムントを見る。ふたりの素性を聞いて、最初に素性を隠そうとした彼が一番混乱していた。
「そしてあの略奪が無ければ、故郷を奪われたエグムントがパニックを起こして暴走し、脱走兵として扱われることも無かった」
三人ともが顔面を蒼白にして地面を見つめていた。
「あなたたちが出会ったのはそれから二ヶ月もあとのことだから、お互い元兵士になんて見えなかったでしょうね」
ひとりの人間の欲望が多くの人の運命を狂わせ、この皮肉のような組み合わせを生んだ。
「可哀想に」
心からの言葉だ。運命に翻弄され、荒んだ生活にいつしか自分の不遇を悲しむことすら忘れてしまったひとたち。
私の頬を涙が伝う。自分たちのために泣けない悲しい彼らのために。
「うるせぇ!!」
叫んだのはひとり蚊帳の外だった斧を持った男。
「誰がどうだったなんて関係ねぇだろ!俺たちには今しかねぇんだよ!」
五人の中でも頭ひとつ大きな体格とそれに相応しい、とはいっても伐採用だが、斧を手に私の前に塞がるように立った。
「どうせクソッタレの山賊稼業だ。俺たちに明日なんかねぇし、だから昨日のことなんざ知らねぇんだよこのクソアマが!」
彼の心を裂くような悲痛な怒鳴り声を、その背中を、後ろの三人が意外そうな顔で見ていた。私は少し微笑む。
「そう、優しいのねダグ」
名前を呼ぶと、ダグは不快そうに顔を歪めた。
「またかよ。てめぇなんで俺たちの名前や素性を知ってやがる」
「私はなにも知らないわ。知っているのはあなたたち自身」
そう、私はなにも知らない。知らなかった。
「わけのわかんねぇこと言ってんじゃねぇこのクソアマがっ!!」
怒鳴りながら斧を横薙ぎに振るう。当たれば私など一撃で肉塊、剣で受けたところで小枝のように圧し折られてしまうだろう。
だから受けない。
一歩下がって斧の刃先を逃れながら同じ方向へ剣を一閃しダグの右手首の腱を切断する。
斧は握力を失った手をすっぽ抜けて私の後ろへ飛んでいった。
「親の顔も知らない、幼い頃から盗みと狩りでどうにか生きて来たあなたにとって、仲間は家族のようなものなのね」
腕を押さえて背を丸めたダグの耳から剣先をそっと挿し入れ、引き抜く。意識の喪失は一瞬、絶命は間もなく。
「だから仲間たちの過去が暴かれて不和の原因になることに耐えられなかった」
誰からも愛されない幼少期を過ごしたダグにとって、この山賊団は幸せな自分の居場所だったに違いない。けれども、その幸せは他人からの略奪の上に成り立っているものだ。だから、いつかこうして奪われる日がやってくる。
「悲しいわね」
崩れて動かなくなったダグの瞼を閉じてやり、膝裏を斬られてうずくまっているベンジャミンへ視線を向ける。私の前に利き手を裂かれたセドリックが立ち塞がった。健気に左手で剣を構えている。
「ベンは殺らせねぇ」
その表情には鬼気迫るものがあった。相打ってでも私を止めるくらいの覚悟を感じる。
「そうね、ベンジャミンは最後の戦場で死にかけたあなたを何度も救ってくれたから、いつか彼のために命を張ろうと決めていた」
私は左手の剣を大きく振りかぶり、振り下ろす。けれども咄嗟に受けようとした彼の剣と打ち合わせることはしない。刹那に指で剣の向きを垂直に立てて空振らせ、同時に右手の剣で無防備になったセドリックの左腕内側の動脈を切断、振り下ろしていた左手の剣を突き上げて顎の裏から脳まで刺し、頭蓋に触れることなく引き抜く。
「だから私も、出来たらあなたから殺そうと思っていたわ」
意識を破壊されたセドリックが崩れ落ちる。
「あなたもそう願っていたのよね、ベンジャミン?」
足を破壊された素手の男はただ私を見上げるだけだ。
「だってあなたは、国境警備隊長の威力偵察を聞いたとき一番に賛同したのだから」
表情をこわばらせる彼とほどほどの距離を保って瞬きをすると、また頬に涙が流れる。
「でもその前の大戦で家族を殺されたあなたに、帝国を傷付ける機会を見逃せというのは酷な話よね」
ベンジャミンもまた戦争の被害者だ。彼が天涯孤独となり兵士としての道を選んだ理由は帝国なのだから。けれども自分の憎悪が仲間の死の一端を担っているなどという現実を誰が受け入れられるだろう、あまつさえそれを仲間に知られるなど。
「大丈夫よ、ここにはもうあなたしかいないのだから」
優しく囁く。アーロン、ダグ、セドリックは死に至り、エグムントは…。
「彼は逃げたわ」
いるべきそこに、いるべき男はいない。
「エグムントはとてもストレスに弱いの。考えようでは優しいのかも知れないのだけれど」
私は涙を流したまま、困ったように笑う。
「だから誰の前にも立つことなく、槍みたいな野盗山賊には不似合いな武器を持って、いつだってあなたたちの後ろに立っていたのよ」
彼はリーダーの資質があったのではなく、いや、ないわけではないが、それ以上に自らが鉄火場に立つことを嫌った。熱狂も恐怖も怒りも痛みも、何もかもが彼の判断を狂わせることを、エグムント本人が一番理解しているのだから。
「だから」
ベンジャミンは地に伏して丸まっていた。
強い痛みをこらえる時、それが体であれ、心であれ、ひとは何故か相手に首を差し出すように、天に背を向けて丸くなる。
「あなたが死より恐れた秘密を知るのは私だけ。私はあなたの名誉を傷付けたりしないわ。だから、もうお休みなさい」
私は剥き出しになったベンジャミンの延髄へ素早く剣先を挿し入れ、抜き取る。
瞬時に意識を断ち切られたベンジャミンの瞼をそっと閉じて立ち上がると、私もまたその双眸を閉じる。
「さあエグムント。あとはあなただけよ」
気が付くとそこはアジトのそばだった。自分でも何がなんだかわからなかった。俺はどうしてこんなところに?
いや、そうだ、アレンとダグがやられたんだった。ベンとセディも手負いだ、助けを呼ばないと。いくら相手が化け物じみてるといっても所詮は女ひとり。こっちにはボスもいるし数で押せばどうってことはないはずだ。
山の斜面にみつけた洞穴を拡張したアジトにはまだ十人の仲間がいる。あんな女のひとりやふたり…どうってことは…。
熱くなりがちな思考を妨げるように錆臭い香りが鼻をついた。
嗅ぎ慣れた匂い、ただそれはいつだって自分の手元ではなく、一歩離れたところに充満しているものだった。
血の匂い、それも大量の…閉鎖空間にどれだけの血を流せばこれだけの死の気配が満たされるのか。
それ以上足が進まなかった。もう、見るまでもないだろう。
そもそも、俺たちがあの女を見つけたんじゃなく、俺たちがあの女に見つかったんじゃないのか?あの女はどこからやってきたんだ?麓の村からか?それとも…。
俺は洞穴を飛び出していた。それからどこをどう走ったのか覚えていない。ただ途中で足を滑らせて渓流へ落ちて流されたのは確かだ。何度も溺れそうになりながら流され流され、どうにか岸壁にしがみ付いて、わけもわからないまま、また何日も逃げた。はずなのに。
力尽きたように木の洞に隠れて眠り、どれだけの時間が過ぎたのだろう。目を覚ました時最初に目に入ったのはあの女だった。
「おはよう、エグムント」
逃げ場は無い。武器も無い。どうして、どうして、どうして…。
「なん、で…ここがどこかなんて、俺だって知らないのに!どうしてお前がっ!!」
覗き込んでいた女が口元に手を当てて困ったように笑った。
「そうね、あなたは逃げるのに必死で、生きるのに必死で、ここがどこだか知りもしない。けれど、見て来たでしょう?」
意味がわからなかった。けれどもその俺の反応も承知だといわんばかりに女は続ける。
「あなたはまったく意識できなかったのだけれど、あなたの目は走ってきた光景を、足を滑らせて川へ落ちる瞬間を、流されて必死にしがみ付いた岩を、這いあがった岸を、ふらつきながらかき分けた茂みを、全部見ていたのよ」
「なにを、いって…」
「私の眼はね、特別なの。私が見たひとの過去を全て見通す
だから俺たちの名前も過去も何もかもを知っていた。いや、俺たちの過去を読み取ったのか。女はいつの間にか俺に覆いかぶさるように迫り、涙を流す。
「そして一度見たひとの過去は少し意識すればいつでも見直せる。つまりね…」
手足に、首に、ちくりと僅かな痛みがあった。嗅ぎ慣れた錆のような匂いが広がっていく。
意識が…
遠のいて…
「私はあなたの新しい過去をいつでも見られるの。だから、無理にここでなくともいつか追い付いていたのよ」
化け物め…クソ、ついてない…でも、そうか…。
「あなたもこれで終われるでしょう?おやすみなさい、辛い生き様は、もうしなくても良いのよ」
ああ…これで…。
頬に落ちる冷たい感触が、俺の意識の最後だった。
ここはとある田舎町の、とある場末の酒場。六つのテーブルの一番奥、ひとつだけ置かれた白い円卓に敢えて座ろうとする常連客は居ない。ここは決められた者だけの席だと誰もが知っているからだ。
「じゃ、山賊団十五人分の報酬よ。ご苦労様」
差し出された革袋を中身も確認せずに受け取る。
「ありがとうママ」
向かいに座る銀髪の女は楽しそうに笑った。彼女は私の実の母ではないけれど、色々あってママと呼ばせてくれる。
「ふふ、いいのよ。貴女が働いた正当な取り分だもの」
軽く笑った彼女はそのまま続ける。
「でも、貴女も好きね。野盗の類いなんていくら斬っても腕が上がるわけでもないでしょうに」
彼女の周りにいるのは、彼女も含めて誰も彼もが強くなるために生きていると言っても過言ではない面々だ。まあ、かくいう私もそのひとりだと言える。けれども。
「わかっています。でも、これが私の【生き様】なので」
「あら、そうなの?」
「そうですよ」
世の中に生まれついての悪なんてそうそう居ない。少なくとも私は今までひとりだって見たことがない。
悪人と呼ばれる大抵の人々は、元を正せば他人より恵まれなかったか、己の裁量では捌き切れないほどの悲劇の果てにその生き様を選ばなくてはならなかった悲しいひとたちなのだ。
けれどもそれを誰かが知ることはなく、ほとんどの場合自覚すらしていない。それを知ってあげられるのは私だけだ。
「ならいいんだけど、じゃあ良かったら次の仕事も受けて貰えないかしら?この手の仕事って他の子は誰も引き受けてくれないのよねえ」
やんなっちゃうわ、と、ママがぼやく。
「みんな喧嘩のほうが好きなひとたちばっかりですからね。詳細を伺いますよ」
そこに悲しい生き方をしているひとがいるのであれば、それを知り、終わらせ、涙のひとつも流してあげることが私の使命だろう。だから行こう。機会があるなら、可能な限り。
「楽しそうね」
「そうですか?」
「にっこにこじゃないの」
鏡をみたわけではないけれど、きっとそうなのだろう。だって…。
「それはまあ、良いことをすれば楽しいものじゃないですか」
私はきっと、満面の笑みでそう答えた。
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