第5話


第五話



 ざわめきが、聞こえる。


 寄せては返す波の音が、鼓動に重なり一つになる。エルジオンやアクトゥールでは感じることのない潮の香りを、ほんの少し離れていただけで、どうしてか懐かしく感じていた。


 この町を出て、ここまで駆け抜けて来た旅のにぎやかさが嘘のように、今のオレ達はかすかな緊張と共に沈黙を保っていた。隣を歩くリジーに視線を落とせば、彼女は懐かしいはずの景色に目を向けることもなく、ただ痛々しいくらいに胸元に抱き締めた花束を見つめ、2万年の時を越えたその足で黙々と歩を進めていた。


 失うものは何もないと言い切った彼女の気丈さも、ナレクとの再会が目前に迫る今は、ともすれば折れてしまいそうな程の心細さに揺れているに違いなかった。


「ぁ……」


 聞き逃してしまいそうな、か細い声が、静寂を破って震える。


 こぼれそうな程に目を見開く彼女の視線を辿れば、そこには海の向こうをのぞんで独り立つナレクの姿があった。その横顔を見詰め、ただ立ち尽くすリジーに、オレは頷いてその背中を押した。


(大丈夫。その花にこめた想いは、必ず伝わる……)


 それは、言葉にこそならなかったけれど、彼女は大事に抱えたゾルサフランの花束に今一度視線を落とした。




 ふわり、と。


 きれいな……本当に、幸せそうな笑みを浮かべたリジーは、ただオレ達に深々と一礼をすると、振り返ることなく駆けて行った。ただ、ひたむきな恋心のままに、時を越えた愛の花束を胸に。


「ナレク……っ!」

「っ……まさか、リジー……?」


 振り返ったナレクは彼女の姿を捉えると、信じられないような顔で何度か瞬き、次の瞬間には泣きそうな表情で駆け寄り、声もなくリジーをその腕に抱き留めた。


「リジー……リジー……っ」

「ごめん、なさい……ずっと、会いに来れなくてっ……約束、守れ、なかったっ」

「いいんだ、分かってる……ずっと、遠くから来たんだろう。大変だったな……きっと、俺の想像もつかないくらいに」

「ナレ、ク……私ね、あなたのことずっと」


 抱き締めた花束を差し出すリジーに、ナレクが首を横に振って彼女を押し止めた。表情を絶望に染める彼女に、ナレクは安心させるようにその髪を撫でて告げた。





「いや、そこから先は……どうか、俺に言わせてくれないか」


 その場でひざまずくナレクに、どこかキョトンとした表情でリジーが立ち尽くす。


「長い間、一人にして悪かった……ずっと、後悔してた。あの日、君の手さえ離さなければと。でも、あの時の俺にそんな力はなかった。今だって、俺はどうしようもないくらいに弱い。海を超えて届いた君の想いに、何もかもを投げ出して駆けつけることも出来なかった。君は、こうして駆けてきてくれたのに」

「そんな……」

「怖かったんだ。ただ、どうしようもなく……君に拒絶されるのが怖かった。こんな臆病な俺だけど、それでも君が愛してくれると言うなら、君に見合うような強さを持ちたい。もう二度と、この手を離さないで済むように」


 ナレクが、大事そうに何かを首元から取り出し、そっとリジーの手の平にのせる。それは、彼女の胸元に輝く指輪と同じ、かつて誓いを交わした玩具の指輪だった。


「どうか俺と、同じ時を歩んで欲しい……永遠とわに」




 ポツリ、と。


 ナレクがそっと口付けた彼女の指先に、宝石よりもずっと美しくきらめく雫がこぼれた。


「は、い……はいっ……」


 抱き締め合う二人の姿を目に焼き付けて、振り返れば仲間達が万感をこめた瞳で深く頷きを返した。オレ達は沈黙を保ったまま、時を越えた愛の欠片かけらをめいめいの胸に抱いて、その場から立ち去った。


(同じ時を、か……)


 二人の姿に何を想っているのか、思い思いの表情で前を見据える仲間の姿に、胸の底から熱い何かが込み上げるような気がした。過去、現在、未来……時を超えて今ここに四人が在ることに、いったいどんな意味があるんだろう。いや、意味なんてなかったとしても……


(花で想いを伝える、か……俺の村にも、そんな話があったな)


 心に浮かんだ想いのままに、衝き動かされるようにしてオレは口を開いた。




「なあ……バルオキーに寄って行っても、いいかな」


 てっきり、このまま未来へ向かうと思っていたのか、みんなは驚いた表情を浮かべた後にふっと柔らかい笑顔を咲かせた。


「もちろんよ。私も、アルドの故郷をちゃんと見てみたいと思ってたし」

拙者せっしゃも構わんでござるよ。少しばかり寄り道が増えたところで、誰もとがめまい」

「このメモリチップに賭けテ、ドコマデもお供しマス……!」


 この時間を名残惜しむような声が、オレの背中を押してバルオキーを指す。本当は、こんな風に悠長にしている余裕なんて、なかったのかもしれない。それでも、今この胸に湧き上がる想いを、どうしても大事にしたかった。


 それからオレ達は、この現代の世界をいつになくゆったりと歩いた。これまでの旅の話や、これからの旅の話を、賑やかに語り合いながら。そうして帰り着いたバルオキーで、皆に丘の上にある馴染みの池……この村でもっとも見晴らしの良い場所で待っていてくれと告げて、オレは一人で自宅に帰って来ていた。




「爺ちゃん、ただいま」

「おぉ……帰ったのじゃな、アルド。また一回り、たくましくなったわい」


 杖をつきながらも、あまり年齢を感じさせない動きで振り返った爺ちゃんが、表情の見えにくい髭まみれの顔にくしゃくしゃの笑顔を浮かべた。


「はは、だと良いんだけど……仲間を連れて来てるんだ。後で家に上げてもいいかな」

「もちろんじゃ。何を水臭いことを……何度でも言うがの、この家がお前の家であり」

「バルオキー村がオレの故郷、だろ。分かってる。ありがとうな、爺ちゃん」


 オレの言葉に爺ちゃんは頷くと、コツコツと杖で床を小さく叩いた。


「分かったら、はよう連れて来るのじゃ。お客人を、あまり待たせるでない」

「ああ、そうするよ。あと、家に咲いている花を何本か貰っていくけど」


 ここに帰って来た一番の目的を告げれば、爺ちゃんはふるふると髭を揺らして言った。


「それこそ好きにせい……そもそも、お前とフィーネが育てていた花じゃろうに。今は近所の者達が世話をしてくれておるが」

「そっか……村の人達にも、後で礼を言っておかないとな。それじゃ、行ってくるよ。また後で」


 ひらりと手を振って、家の前の庭に出る。爺ちゃんの言葉通り、村人達が世話をしてくれていたお陰か、我が家の花達はオレがこの村から旅立った時のまま……きっと、それよりも美しく咲き誇っていた。


「そうそう、この花だよな……」




 月影のスターチス。


 この村から程近い月影の森の端で摘んだ数輪から、こうして庭一面に咲き乱れるまで育った花達には、感謝の気持ちを意味する花言葉があるのだと、かつてフィーネが言っていた。


「赤は、あなただけを愛する……それは、さすがにないな。確か、黄色が「頼りにしてる」で、ピンクが「かけがえのない友情」それから……オレンジが「側にいてくれ」だったか」


 侍女長さんの言っていた言葉を思い返しながら、そっと一輪ずつ色とりどりの花を摘んで行く。最後に迷った末にもう一輪だけ折り取ると、オレは出来上がった小さな花束を抱き締めて、丘の上で待つ皆の元へと駆け出した。


「あっ、来た……!もう、どこに行って……って、その花」


 言いかけた言葉を呑み込んで、エイミの目がオレの腕の中の花束に釘付けになった。


「あはは、似合わないよな。でも、これを取りに行ってたんだ」

「別に、そんなことはないけど……どうして」


 見たことのない花が珍しいのか、どこか興味津々な表情を浮かべるエイミに笑いかけ、まずはリィカにピンク色のスターチスを抜き取って渡す。




「これを、リィカに。リィカがいなかったら、あの時……過去に飛ばされた時、オレは多分独りでどうしたらいいか分からずに、立ち尽くす羽目はめになってた。ずっとオレを支えてくれて、ありがとな」


 ピンク色の花が持つ意味は『かけがえのない友情』……その意味を、間違いなく高性能なメモリチップに記憶してるだろうリィカは、その機械の瞳を複雑な色に光らせて頷いた。


「このリィカ、最新のプリザーブド技術デ永久凍結ヲしてデモ保全ヲ!」

「しなくて良いから!そんな大層なもんじゃないから、枯れたら土に還してくれ。普通に」


 慌てるオレに、エイミとサイラスが腹を抱えて笑う。オレはごほん、と咳払いをしてから、どこまでも格好のつかないまま、ずいとサイラスに黄色い花を差し出した。


「おぉ、拙者にもでござるか?」

「当然だろ。サイラスがいなかったら、切り抜けられない局面は今までも沢山あった。いつだってサイラスがどっしり構えててくれるから、オレは安心して無茶が出来る。出来ることなら対等でありたいと、いつも思ってるよ。オレもサイラスから頼られるくらい強くなるからさ、期待しててくれ。これからも『頼りにしてる』」


 サイラスは、大きな瞳をうるませて何度でも頷いてくれた。




 最後に……少しだけ緊張に汗が滲むのを感じながら、エイミに花を。


「っ、これ……」


 差し出したのは、オレンジ色の花。頬を赤く染めて戸惑いに揺れる夕焼けの瞳が、オレの表情を見上げた瞬間、どこか真剣な色を秘めて頷いた。


「……いつも、ありがとう。どうかこの未来の行末を、見届けて欲しい」


 君がいないと、意味がない。どうかオレと共に、どうかもう二度と消えてしまわないで、どこにも行かないで『側にいてくれ』――




 何一つ言葉に出来ずに、それでもその手は花を受け取ると、大事そうに胸へと抱き締めた。


「ありがとう、アルド」


 そう、告げて。優しい瞳が、オレの手元に残った花を認めて、静かに頷き微笑ほほえんだ。


 この手にあるのは、白い花……オレの覚悟と決意。


(いつか、必ず渡しに行く……その、時まで。フィーネ……)


 この時空の果てで、きっとオレを待っている妹を想い、そしてその心をそっとしまった。


「それじゃ、オレの家に案内するよ。ゆっくりして行ってくれ」




 それから、また歩き出そう。オレ達を待つ、この世界の真実を求めて。


 そして、まだ見ぬ未来へ――









     さあ それでは……

 今一度 時空を超えて 冒険の旅に出よう

 この世界の果て 真実の扉に手を伸ばして

      時の闇の降る前に……









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想いの花束 雪白楽 @yukishiroraku

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