第20章 代償としての罪悪感

1 その代償として、内面化した価値観により、私たちは自分で自分を裁き責め苛んでしまいます。つまり、私たちは存在していることへの責め、疚しさである罪悪感を抱くのです。

2 私たちはこの罪悪感によって、ありのままであることを恥ずかしく思い(羞恥心)、人より優れていると思えば誇り(虚栄心)、劣っていると思えば責め裁くのです(罪悪感)。

3 時には、ありのままを受け入れられず、無いものを有るように、少ないものを多く見せ、自らを偽り、人を欺いて、虚偽の悪循環から脱げだせなくなることもあるでしょう。

4 それだけではありません。罪悪感によって、私たちは他者の言動に対して過剰に反応してしまいます。なぜならば、罪悪感は自己を否定するものを正当化するからです。

5 自らに対する攻撃や怒りを「私にはそうされるだけの理由がある」と罪悪感が受け入れるため、私たちはそれに抗うべく怒り、また、抗えずに悲しむのです。

6 これらすべての問題の根源は、世界からの分離であり、それゆえの世界への恐れです。

7 その恐れを逃れるために価値観や制度に依存し、つまり、存在の根拠を求め、その代償として罪悪感に苛まれることになるのです。

8 つまり、自分が自分であることを受け入れられないことにあります。

9 自分が自分であることを受け容れることなくして、つまり、罪悪感から解放されることなくして、私たちは真の自由を得ることは出来ません。

10 自由とは自分であることだからです。そして、自分になることだからです。つまり、自らの個性を表現することだからです。

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復活への道 丸山善哉 @maryam_joshua

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