猫とタバコ
寿 丸
猫とタバコ
なんとなく調べたのだが、猫にはタバコの匂いはご法度なのだそうだ。
それはそうだろうな、と私はぼんやりと考えた。柑橘系は駄目だという話はどこかで聞いたことがあるし、他にもチョコなど人間が普段食べているものを与えてはいけないらしい。これは犬の話だったろうか。
ともかく私は動物に詳しくない。動物を飼ったことは一度もないからだ。別に嫌いというわけではないが、飼いたいと思うほど好きというわけでもない。大体、動物を飼うとなると費用が馬鹿にならない。動物を一年間飼った時の費用を頭に思い浮かべてみれば、すぐに憂鬱になる。
ではなぜ、私がいきなり猫の話をし出したのか。
今の住居に引っ越してから数か月。家から十歩にも満たない距離に猫が佇んでいるのを発見した。ぴったりと前足をくっつけて、じぃっとこちらを見つめてきている。
私は別段、どうとも思わなかった。せいぜい、猫がいるなぐらいだ。
それから仕事に出かける度、帰路につく度に何度かその猫を見かけるようになった。どうやらその猫は最近になって現れたというわけではないらしく、私たちが引っ越してくる前からいたのだそうだ。妻に猫がいることを話すと、「あなたそんなことにも気づいていなかったの?」と呆れられてしまった。娘に至っては、「お父さんは自分以外のことに興味がないからねぇ」と切り捨てられた。何たる言い草である。
しかし、娘の言うことを一概に否定はできなかった。引っ越してから数か月経ってようやく近場に猫がいるということに気づいていなかったのだから。慣れない環境に必死に適応しようとしていたつもりだったが、そのせいで視野狭窄になっていたのは否めないだろう。だからといって人に興味がないなどと言われる筋合いはないが。
猫の話に戻そう。
その猫は多少離れた位置にいてもわかるほど、立派な毛並みをしていた。太っているわけでも痩せているわけでもない。それでいて事あるごとに鳴いたりしない。すらっとした足つきで散歩をしては、自由気ままに地べたに転がる。背伸びをしている姿が愛らしいと見えて、通行人がその猫を撫でているのを見たことがある。
万人が思い描く「理想の猫」というものがあるとしたら、こういう猫のことをいうのだろう。
不意に私は、柄にもなく猫というものも悪くないなと思った。ああいう風な猫ならば、一度でいいから飼ってみたい。だが、万人が描くような「理想の猫」がそう簡単に見つかるとは思えないし、飼う勇気もない。それに、ペットショップで動物を飼うというのは嫌だ。ゲージに閉じ込められた動物の姿を見るだけで気の毒になってくる。
もちろん多くのペットショップはきちんと動物の管理(世話といった方がいいのだろうが、私にはこの呼び方の方がしっくりくる)をしているだろうが、そうではないところもある。テレビで動物虐待をしているペットショップのニュースを見る度、胸がざわざわする。それほど動物に愛着があるわけでもないに関わらず、である。
では、野良猫はどうだろうか。病気を持っているリスクを考えると、ひょいと拾うわけにもいかないだろう。ならば近所から生まれたばかりの子猫を預かればいいかといえば、残念ながらそういう話はない。
私には猫を飼うという話に縁がないらしい。
仕事帰り、私はいつもの喫煙所でタバコを吸っていた。二本ほど吸い、煙を吐き出しながら吸殻をもみ消す。さぁ帰ろうかという段になって、家の前にあの猫がいた。二本の前足をぴったりとつけ、尻尾を小さく振り、こちらを興味深そうに眺めている。こう書くと人間っぽいが、私はその猫にどことなく知性を感じていた。
実はその猫以外にも、近所には三匹ほどの野良猫がいる。
一匹はオレンジの斑点のついた白猫で、臆病者だ。私がちらと視線を差し向けただけでさっと逃げ出してしまう。もう一匹は灰色と黒の中間の色をした猫で、こいつは少々生意気なところがある。すぐに逃げ出しはしないが、こちらを数秒見つめてからどこかの方に走り去ってしまう。最後の猫はふてぶてしい。のしのしと歩いて、公園を横切ったところを見たことがある。公園だと子供のいい遊び道具になるのではないかと一瞬危惧したが、その猫はどうやら子供がいないタイミングを見計らって散歩をしているらしい。無駄に知性がある。
さて、毛並みの立派な猫はどうかというと。
一言でいえば、静かな猫だった。ただこちらを見ているだけ。くぁとあくびをして、逃げ出そうともしない。人間が怖くないのか、あるいは慣れているのか――後者であると判断できたのは、その猫に首輪がついていたためである。青い、小ぶりのシュシュのような首輪。飼い猫だったのか、と私は今さらながら気づいた。娘の言葉をますます否定できなくなる。
私は試しに、その猫に近寄ってみた。
一歩、そして一歩。猫は逃げる気配もない。また一歩。まだ逃げない。距離が一メートル未満になってようやく、猫は面を上げた。私は屈んで、できるだけ猫の目線の高さに合わせるようにした。子供と接する時も、目線の高さを合わせるのがコツだからだ。人に興味がない私でも、娘を育てた経験ぐらいは覚えている。
透き通った猫の目には、私の姿が映っていた。どこかで似たような目を見たことがある。あれは、娘が生まれた時のことだ。初めて娘をこの腕に抱いた時に、私を見ていたあの無垢な瞳だ。
ふぅむ、と私は知らず知らずのうちに感心していた。猫と人間の赤ん坊の目が似ていることなど、今まで知りもしなかった。
だが、あくまでも似ているというだけだ。まったくの同一というわけではない。
とにもかくにも私はその猫に初めて興味を持った。その猫も鼻をひくつかせ、私の手を見ている。なぜ手を? と一瞬考え、次になるほど、と納得した。この猫はタバコの匂いに反応しているのだ。
私はタバコにつけていない手を、なんとなく前に出してみた。撫でてみたいという欲求があったわけではないのだが、そうすればさすがに逃げるだろうという予測はあった。
果たしてその予想は的中したが、同時に裏切りもした。
私の手をすり抜け、猫は私の懐に入り込んだ。股をくぐり、それからタバコを吸った方の手に鼻を近づけさせているではないか。この時点では猫にタバコの匂いは禁物であるということは知らなかったが、少なくとも動物にタバコの匂いは良くないだろうという認識ぐらいは持っていた。
「臭くないのか?」私はつい、尋ねた。
もちろん、猫が返事をするわけではない。だが、鳴き声も出さなかった。こつこつと私の手に鼻をつけ、それから満足したように歩き去る。
変わった猫だ、と私は思った。
私はその猫を勝手に、ネコスケと名づけるようにした。妻からあの猫の本名については聞いてあった(妻はどうやら、その猫の飼い主と仲良くなったらしい)が、私はネコスケというあだ名にこだわった。特に深い理由があったわけでもない。本名があるのなら、それで呼ぶのもやぶさかではないのだが、どうしてもネコスケというあだ名がしっくりくるように思えてならなかったのだ。
それから私はネコスケの動向を観察してみた。遭遇できる機会は朝と夜だが、決まった時間に現れるとは限らない。私は道端をじろじろと、ネコスケがいないかどうかを気にするようになった。そして運よく出会えた時には、前にやったように慎重に近づいて、そうっと手を伸ばしてみるのだ。ネコスケが鼻を鳴らして近づいてくれれば、機嫌がいい時。何もせずに足早に去るのはどうでもいい時。私の手をすり抜けて膝に頭突きしてくる時はどういう気分なのだろうと思ったが、猫のことなので考えるのを止めた。
猫とは不思議なものだ。見ているだけでも飽きない。
例えばネコスケが普通に背伸びをしていたとしよう。前足をぐっと地面に押しつけて、尻尾を天に向け、背中をぐっと反らすあれだ。目はきつく閉じられていて、心なしか人間のように眉間にしわが寄っている気がする(気がする、というのはそこまで観察できているわけではないからである)。背伸びはほんの数秒で終わり、すぐ元の姿勢に戻る。私はこの背伸びという光景を、人間からすればレアな光景なのだろうと見た。実際、娘にそれを話したところ、たいそう悔しがられた。なんで写真を撮ってこないの、ともなじられた。そうはいってもスマホを構えている余裕などなかったのだから仕方ない。
娘は私よりも、ネコスケに夢中のようだった。無理もないだろう。娘はまだ十代の半ばだから好奇心旺盛だ。箸が転がっても面白い年頃とまでは言わないが、猫が背伸びをしたというのは娘にとってはそれだけで重大な事件に値する。私と同じように道端にネコスケがいないかどうかを気にしているらしく、見つけられた日は上機嫌に鼻歌を、見つからなかった日は不満げにスマホをいじっている。はぁ、とため息をついている時はネコスケにフラれた日だと勝手に思っている。
私と娘とをこんなに狂わせているのだから、猫というものは恐ろしい。
さて、妻はどうかというと。割と私よりも現実的で、猫の可愛さは認めていても、実際に飼うとなると出費の覚悟がいるわね、とぼやいていた。飼いたい気持ちはあるようだ。
ある日、妻が何やら大きな袋を提げて帰ってきた。買い物でもしたのかと尋ねると、ううんと首を振られた。袋の中に入っていたのは、猫のぬいぐるみだった。そして私は頭を引いて袋を見ると、ゲームセンターのものであることがわかった。どうやら妻はゲームセンターで大量に猫のぬいぐるみを獲得してきたらしい。
「ぬいぐるみなら、別にいいわよね。世話の手間もないし」
いくら使ったのか、ということについては聞かなかった。昔妻とデートした時、ゲームセンターにはよく行った。そこでの妻のクレーンゲームの腕前は、お世辞にも上手いとは言えなかった。しかも頭に血が上りやすい性格で、のめり込むと周りが見えなくなる。放っておくと何千、いや何万と使うかわからない。私が止めないといつまでも妻はコインを投入し続けることになるだろう。私は妻が大量の猫のぬいぐるみを獲得してきた日、どうして一緒についていなかかったのかを激しく後悔した。
もちろん、そんなことはネコスケはつゆほどにも知らない。というよりも、知るつもりはないだろう。猫だから。
一匹の猫からネコスケとして認識してから数か月が経ってくると、ネコスケも私のことを認識してくれるようになった。私が何もせずにぼんやりとネコスケを見下ろしていると、ネコスケもまたその場から動かない。不意に手を伸ばそうとすれば、逃げられてしまう。最近はどうも、フラれることが多くなった。調子に乗るな、ということだろう。
さて、冒頭の話に戻るが――私はこの頃になってようやく、猫のことについて調べ始めた。そこでタバコの匂いがご法度ということを知ったのである。
だが、私はさほど驚かなかった。まぁ、そうだろうなという程度だ。むしろタバコの匂いが好きな動物など思い当たらない。人間ぐらいのものだろう。
そうであれば、ネコスケが鼻をひくつかせて私の手を突いたことが疑問になる。ネコスケはタバコの匂いが平気だったのだろうか。そうは思わない。おそらくネコスケは、私の匂いをイコールタバコの匂いと認識していたのだろう。ここら一帯でタバコを吸い、かつ猫に興味のあるような人間は私ぐらいのものだから、ネコスケはおそらくオンリーワンの存在として私を認識していたと思われる。
嬉しいのかどうか、なんともいえなかった。
ちなみにネコスケの飼い主とは未だ話す機会を持てていない。これからも持つつもりはない。御宅の猫さんにお世話になっております、などと言い出せば近所の笑い者か、変人確定として扱われることだろう。そうなれば妻も黙っていられない。先述の通り妻は熱くなりやすいから、冷ますのにひと苦労することになる。
ネコスケとの距離感は今のままでいいのだろう、と判断するのにそう時間はかからなかった。猫を飼いたい気持ちが芽生えても、私にその勇気と覚悟がない以上安易に行動に走るわけにはいかない。それは飼う予定の猫に失礼だし、ネコスケにも失礼というものだろう。そもそも賃貸だから、飼えるはずもない。
娘からは猫飼いたいなぁとよくぼやかれる。妻からは世話できないでしょ、それにうちは賃貸なのよとたしなめられる。私からはせいぜい、猫の生育に関する年間費用のことぐらいだ。その費用を一部負担してくれるなら考えてもいいと言うと、娘はすっかり黙り込んでしまう。かわいそうに思えるが、しょうがない。
かわいいと思っただけで飼えるほど、動物は甘くない。そもそも人間自体が一番金も労力もかかる動物なのだから。
猫とタバコ 寿 丸 @kotobuki222
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます