ミスター・ヘイ、絶唱して
naka-motoo
三分弱の歌であるけれど誠さ
ららら手を動かし砂のようなサラリとした雪をスコップで除けよう!
パウダーじゃないけど低温過ぎてシャーベットアイスのような軽さなのさ!
河へ、溶かそう!
大いなる河へ!
そして僕らは、ヘイ!、って叫ぶのさ!
「ストップ!全然ダメだ!」
「すみません、一音ズレました」
「キッド!そういう問題じゃないんだ。もっとホンキでミュージカルにのめり込めよ!」
僕は役作りを一年掛けてやってきたんだ。
キッド、っていうのがこのミュージカルの主人公で、アメリカのワーキング・クラスの20歳の男が、高速道路の補修工事をやりながらやっぱりミュージカル俳優を目指すっていうサクセスストーリーさ。
そうさ僕は役作りを一年掛けてやってきたんだ。
「キッド、ティッシュ、要る?」
「ううん。いいよ」
「木戸・・・じゃなかった、キッド」
「気をつけてよ。一年間の苦労が台無しになってしまう」
「ごめんなさい・・・・・でも、あなたみたいなタイプの俳優はもう稀なんじゃないの?ミュージカルだけじゃなく映画や舞台やドラマでも」
「そうかな?でも、ホンキでその役を演じるっていうのはそういうことなんじゃないのかい?数十kgの増減量をして役作りしたりっていうのは伝説じゃなくって、現実にそれをやった俳優がいるわけだから。ねえ、シンディ?」
「・・・・・ねえ、わたしはいつまで『シンディ』でいればいいの?」
「全公演が終了するまで。というか、そういう質問をすること自体がホンキじゃ無くなってしまうよ」
「ごめんなさい」
おお僕らは偉大なる労働の対価として金銭だけでなく資格を得るのさ!
大人っていう資格をさあ!
「キッド・・・・残念だがまた公演延期だ・・・・」
「監督。今度は何です?緊急事態宣言はもう慣れっこでしょう?」
「感染者が出た」
「・・・・・・・ほんとですか?・・・・誰?」
「カイデッドだ」
「え!・・・・・・症状は?」
「実は、重症だ」
「カイデッドに万一のことがあれば・・・・・・キッドの存在は成り立たない」
「わかっているさ・・・・・だが・・・・」
「今更代役は立てられないですよ。僕は一年かけて、彼と『そういう関係』になって、それを彼女との『そういう関係』と並行して続けてきたんですから」
「ああ・・・・・・本来バイセクシャルでない君がそこまで踏み込んでこのミュージカルに賭けて来てくれたことは本当に感謝している。だが、感染爆発、一度目の緊急事態宣言、エンターテイメント規制法、二度目、三度目の緊急事態宣言で公演の延期が繰り返されて・・・・その間、ひとつの役にとことん集中する君の、その生活そのものを拘束してしまっていることは・・・・本当に申し訳ない」
「カイデッドに遭うことは?」
「無理だ。重度の肺炎でICUにそのまま搬送された。人工呼吸器を装着している」
カイデッドは、死んだ。
ICUに入って3時間後に・・・・・
そして僕ら全員が濃厚接触者となり、出演者・スタッフ・それぞれの俳優の所属事務所のマネージャーまでが行動を拘束された。
『キッド』
「監督・・・・・・」
僕はリモートで監督と最期の打ち合わせをした。
『公演は中止が決定した』
「僕は、キッドのままだ」
『木戸に戻れ・・・・・』
「無理です。僕が一旦役を受けたら『終わる』まで抜けられない。もし中止して二度と公演の見込みがないならば、僕は一生、キッドとして生きていきます」
『どうしてそこまでして君自身のルールを貫かなきゃならないんだ』
「僕が俳優になれたのは、『悪魔』に魂を売ったからです」
『えっ』
「僕が監督のミュージカルに初主演した時、僕は悪魔に魂を売った」
『それほどの覚悟だった、っていうことか?』
違うんだ。
僕は、僕の、40歳で交通事故死した叔父から『儀式』の方法を教わっていたんだ。叔父もその儀式をやって司法試験に合格してこの弁護士が有り余っている東京で自分の法律事務所を立ち上げて独立していた。
悪魔との契約は、『一生カフェインを摂取しないこと』
事務所で飲んだカフェインレス・コーヒーに微量ながらカフェインが含まれていたことによるメーカーの自主回収のニュースが流れたのは三日後だったが、彼がそれを飲んだ当日に彼は首都高の橋脚にBMWで減速なく時速120kmで激突して即死した。
だから僕は、叔父が悪魔と契約を交わすに当たって行った、『スズメバチ』を生贄とした儀式の効力が絶対だと思い、それを実行し、ミュージカル俳優となった。
だから、タブーも絶対だと知っている。僕のタブーは、役作りの間、自分の履歴・人格を決して思い出さないこと。役の人間として生きること。
「信じますか、監督」
『・・・・・信じるよ。君はそういうタイプの人間・・・・・・いや、俳優だ』
監督はその後嬉しくもこう続けてくれた。
『ホンモノの、ホンキの、俳優だ』
つまり、狂っているほどにホンキだと言ってくれた。
いや、狂ってる、って言ったんだろうな。
「監督。だから、僕は俳優業を廃業します。このまま、キッドとして一生を生きていきます」
『・・・・・・・俺は君を評価している』
「はは。僕は才能じゃなく、悪魔のおかげで俳優になっただけですよ」
『そのホンキが、才能なんだ』
さあさあさあさあ!
見ろよ僕のこのステップを!
ターンを!
キッドは齢20のイカレたミュージカル・スターさ!
ミュージカルしか能が無い!
だから、この、三分弱の、クライマックスのこの歌を。
キッドが歌う最大全速全力の無人のホールの最後列まで響く歌を、聴けよ!
ヘイ!
ヘイ!
ヘ・ヘ・ヘ・ヘ・ヘ・ヘ・ヘイ!
「キッドの一人舞台・・・・・・大成功だな」
無観客で配信されたミュージカル公演は、僕の『キッド』を終わらせるために一人芝居に再編成し直してくれた監督のお陰で話題性もあり、大成功の内に最終公演を終えようとしていた。
しかも感染症が蔓延するこの時代の無観客公演配信の新しい取り組みとして配信画面の右隅に、公演を観てくださっているWEBの向こうの観客のチャット機能を取り入れて。
カーテンコールで無数の観客からのチャットが流れ、僕が舞台上でそれに応じる画像もリアルタイムで配信される。
『キッド、最高!』
「ありがとう」
『キッド!3オクターブを駆け上がる最後の曲、涙が出ました!』
「ありがとう。僕はミュージカル・スター、キッドさ!ものの数じゃないさ!」
絶賛のチャットが繰り返される。
ああ、最高だ。
『木戸さん!』
お。
『木戸さん!わたし、あなたのデビューの時からのファンです!』
「おいおい。僕は『キッド』さ。キミとはこの舞台で初めて遭ったのさ」
『木戸さん・・・・・・わたし、感染してるんです』
・・・・うっ・・・・
・・・・感染・・・・
『わたし、トリアージでもう治療が無駄だと判断されて・・・・自宅で、最期のひとときを木戸さんの配信を観ていたんです。木戸さん・・・・お願いです・・・・・わたしがずっと追いかけてきたミュジカル・スターの木戸さんご本人として、どうか言葉を・・・・・言葉を・・・・・かけていただけませんか?』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・観てくださってありがとう・・・・・・・・僕は、木戸です。僕が初主演のショボい芝居をしていた頃からあなたが観てくださっていた、木戸です・・・」
『木戸さん・・・・・・』
「観てくれて、ほんとうにありがとう。あなたと一緒に僕はこれからも素晴らしいミュージカルを・・・・今度は別の役で創り続けていきます」
『・・・・・ありがとうございます・・・・・・これでわたしもこのまま・・・・』
ああ。
ありがとう。
僕なんかを応援してくれて・・・・
「おい、キッド」
?・・・え?
「だ、誰だ!?」
「お前、誰がキッドを辞めていいって言った」
「あ、アンタは!」
「契約破棄だな」
僕の最後の公演は、視聴回数が1億回を超えた。
当然、正規のチケットを買った人がそんなに居る訳ない。
ステージライトの鉄骨が、真下の僕に落ちてきて。
僕が仰向けで喉仏を潰されて即死する動画を、観客の誰かが違法アップロードしたんだ。
ミスター・ヘイ、絶唱して naka-motoo @naka-motoo
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