無声堂に水すまし

竹尾 錬二

第1話 無声堂に水すまし

 畳の上に、大きな肉の塊を打擲する音が響いた。

 玄関口を跨ぐ横看板に曰く、『堂聲無むせいどう』。

 ここは、柔で大日本帝国学生柔道の最高峰に至らんとする若者達を篩にかける、虎の門。

 全日本学生柔道選手権、七連覇の誉も高き、金沢が旧制第四高等学校の柔道部である。

 目線を下に落とそう。そこには畳の上で寝技の特訓に励む男達の姿がある。

 肢体を絡ませ、分厚い肉体を天地に入れ替えながら稽古するその姿は、さながら大蛸の乱闘である。

 

 寝技。

 

 それこそが四高柔道部の命脈であり、矜持であった。

 柔道校長と名高き溝渕校長の薫陶を受け、四高柔道部が練り上げたドクトリンこそが、寝技柔道である。


『練習量が全てを決定する柔道を、僕たちは造ろうとしている。それは寝技』

『同じ練習量なら、立ち技の腰を持っている奴の技がいい。立ち技のできる奴に、立ち技の信仰を失くさせ、練習量がすべてを決定する寝技の柔道に切り替えさせたら、そりゃすばらしい。恐ろしい選手になる』


 そんな、当時の意気込みの言葉が残されている。

 この一種異様な、アンチテクニカリズムとも言える寝技への狂信は、四高が1914年京都で開始された第一回国民高等学校柔道大会で初優勝を遂げ、怒涛の七連覇を成したことによって、ついに熟した実を結んだ。

 寝技こそが誇り。寝技こそが我らが柔道。

 そんな矜持を胸に、四高柔道部は先輩の打ち立てた偉大な記録に追いつくべく、試合での勝利を至上価値観とする猛練習が日夜行われていたのだ。

 後にナンバースクールと呼ばれた旧制高校の部活動は自治を重んじた。

 四高の柔道部でもまた、部内でのピラミッド型のヒエラルキーが形成され、下級生は上級生に絶対服従の下、畳を上をこちのように這いずる日々が慣例である。

 そんな中、己が柔道に迷いを捨てきれぬ男がいた。

 長湯陽三郎。一年生。

 旧制中学校時代は、部内に敵なしと言われた才の持ち主だったが、四高に入学し、己が如何に井の中蛙か思い知らされた一人だった。

 別段、珍しい事ではない。四高柔道部に入部したものは、誰しもが多かれ少なかれ天狗の鼻を圧し折られる。

 その上で、改めて四高の寝技柔道のメソッドを叩きこまれるのだ。

 今日もまた、上級生の一人が陽三郎の首を乱暴に締め上げた。

 頸動脈の圧迫で、視界がチカチカと瞬く。


「参り、参りました……」


 と蚊の鳴くような告げると、


「この程度で根を上げるとは、根性が足らん!」


 節くれ立った拳が、陽三郎の頬を打擲した。軟弱なる後輩に対する、当然の指導である。

 

「はは、またヨウザブが先輩に殴られてら」


 背中から、同級生の嘲笑が聞こえた。

 今日の感覚からするなら、眉を顰めるような武道家らしからぬ言動だろう。

 しかし、まだスポーツマンシップという概念が根付いていない時分。

 人間形成などいう知に働いた徳目が、武道の金科玉条の如く奉られるのは戦後の話である。

 弱い者は嘲られて当然。それが嫌なら、強くなれと言われるのが当然の風潮であった。 

 だが、いくら時が変われど、嘲けられた者の胸中ばかりはそう変わるものではない。

 己の不甲斐なさと、嗤われたことの悔しさ恥ずかしさが陽三郎の胸を満たす。

 そして、どうしようもなく納得のいかぬ理不尽さも。

 寝技の勝負には、己が今まで精進してきた柔善く剛を制す、滑らかな美しさが微塵も感じられない。

 剛善く柔を絶つ四高の寝技柔道は、力に任せて相手を面子メンコ遊びのように裏返し、手足の関節をがんばかりに極めるのみなのだ。

 こんなものは、己が身を捧げてきた柔道ではない。

 そんな思いを胸に抱けど、もし口にしようものなら轟々の批難と制裁が下されるのは必定。

 陽三郎は貝の如く口を噤むしかなかった。


 じっ、と荒れた畳に落としていた視線を上げると、汗の臭気に満ちた無声堂には似合わぬ、整った美形が眼前にあった。

 思わず、陽三郎は声を上げそうになる。

 この猛稽古で汗一つ流さぬ、その涼し気な目元。

 四高の柔道部員は耳鼻が潰れて捩れるまで畳を這って寝技の稽古をするのが伝統だが、すらりと通った鼻梁と赤い唇は、いかにもこの場には似つかわしくない。

 猪首寸胴の男たちの中、天から吊ったようなような長身と、野生動物のようなしなやかな五体は目を惹いた。

 つるりと、卵型に丸く刈り揃えられた坊主頭が左に傾ぐ。


「ふむん。……君の名前は確か……」

「一年、長湯陽三郎であります!」


 陽三郎は猫背を伸ばし、直立不動で返答した。

 柔弱さを何より嫌う四高柔道部にとって、文弱の輩を想起させるこの男のような相貌はそれだけで批難の対象だ。

 女々しい顔立ちが気に食わん、と二、三発、良い面構えになったじゃないか、と笑われるのが常だろう。

 しかし、この優男を誰が批難できよう。

 陽三郎の眼前に立つこの男こそが、今期の四高柔道部主将、由布院敬之助なのだ。

 その寝技の実力は四高随一。長い手足を毒蛇の勢いで絡ませ締め上げる様は、何度陽三郎の背筋を寒からしめただろう。

 ふむん、と由布院主将はもう一度首を傾げ。


「長湯君。君の柔道はつまらん。

 道場の端で、エビと脇締めでもしまっししていなさい


 短くそれだけ告げて、寝技の鬼は踵を返した。

 陽三郎は深々と頭を下げて、無声堂の畳の端へと向かう。

 エビとは、体幹を鍛え上げ、相手の技に即応するための寝技の基礎練習である。

 仰向けになった状態から、左右に体を倒しながら足と手を近づけて、畳の上をずりずりと進むのだ。

 その様、文字通りの小蝦が如く。

 エビばかりを繰り返し、地虫のように這い進みながら、陽三郎は先ほどの由布院の言葉を幾度も思い返していた。

 ――君の柔道はつまらん。

 思わず、悔し涙が荒れ畳に零れた。


 年号が大正を駆け抜け、昭和の曙を迎えたばかりの時分。

 後に七帝柔道と呼ばれる寝技中心柔道の先駆けとなった旧制第四高校柔道部。

 これは、その片隅に埋もれた小さな愛の物語である。


 

  ◆


 陽三郎の稽古は一変した。

 ただ只管に、エビや脇締め、足回しといった寝技の基本を繰り返すばかりの日々。

 主将の由布院直々の命令である。異を唱える者は居よう筈もない。稽古相手にもならぬ一年坊主が回り稽古から抜けた所で、四高の猛練習の歯車は何一つ変わりはしない。

 同級生から侮りの視線を向けられることも無くなった。

 元より、彼らも同じ一年坊主。多少の技倆の差など、上級生から見れば目糞鼻糞程度の差でしかない。

 己の稽古に打ち込んでいく仲間達の視界から、次第に長湯陽三郎という存在は霞んでいった。

 エビや脇締めは、基本稽古といっても決して楽なものではない。百回千回と繰り返せば、腹筋と背筋が痛みで引き攣るように軋む。

 己の存在が、部内で次第に希薄になっていくのを、陽三郎は強く感じていた。

 畳の上を這い進みながら、どうしようもない孤独に包まれる。

 殴られてもいい。嘲けられてもいい。稽古の輪の中に戻りたかった。

 だが、その為には、エビを命じた由布院からの許しが必要なのは言うまでもない。


 横目で、由布院の稽古を盗み見ることが増えた。

 見れば見る程に、陽三郎は己と由布院の間にある隔絶を強く意識させられざるを得なかった。

 畳という同じ一枚の平面にありながら、その動きは自分とは雲泥万理の差があるのだ。


 子供の時分、水を張られたばかりの水田で、ミズスマシがくるくると回っていたのを思いだす。


 ――ああ、由布院主将は、アレに似ている。


 陽三郎は脇締めで畳を這う己を思う。湯布院主将がミズスマシなら、己は泥の底を這う田螺だ。

 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。

 少しでも、あの高みに近づきたかった。


 冷たい畳に耳を当てる。肚の底から揺らすような猛稽古の振動が伝わってくる。

 その内の一つは、由布院のものだ。

 誰の目からも隔絶されたこの道場の端。

 ――けれども、この無声堂の畳で、己と由布院主将は繋がっているんだ――そんな細い縁を握り締め、陽三郎は今日もエビを続ける。



 ◆

 


 自主的に、居残り稽古をする日々も増えた。

 居残っても、やるのは相も変わらずエビばかり。

 時節は、師走も半ば。金沢は豪雪で知られる土地柄である。無声堂は雪に包まれ、畳は氷張りのようであった。

 日も落ちた無声堂。その名の通り、音すら凍りそうな夜半。


「まだ続けているのか。精がでるな」


 掛けられた言葉に、陽三郎は飛び上がった。


「由布院主将! 失礼致しました!」


 反射的に深々と頭を下げる。

 この時代の学生にとって、上下関係は絶対である。

 上級生が廊下を通る時には一歩退いて道を譲り、挨拶と共に頭を下げて通り過ぎるまで微動だにしないのは、誰しもが当然に弁えている礼儀であり、道を譲られた上級生は、バンカラ風味の学生服に身を包み、胸で風を切って歩くのだ。

 脇締めの尻を突き出した姿勢で主将を道場に迎えるなど、とんでもない話であった。

 由布院は、ふむん、と一言呟くと細い顎を指で擦った。


「一年の、長湯君だったね。エビにはもう飽きた頃合いか?」


 陽三郎は、返答に困った。


「ま、まだまだ己の稽古の足りぬことを日々痛感しております!」


 苦し紛れにそう返答した。己の稽古の足りぬことを痛感しているのは本当だが、それは尊敬する由布院に対する返答としては余りに中身を欠いている。

 由布院は、また「ふむん」と呟いた。


「君は稽古が足らぬというが、稽古とはどのような意味か知っているかね?」


 陽三郎は、再び返答に窮した。

 由布院は続ける。


いにしえかんがえる、と書いてケイコと読む。

 君は、そのエビを考えながらやっているのか?」


 陽三郎は、三度返答に窮した。由布院の問いに対する答えが己の中になかったから、のみではない。

 由布院の問いは、四高柔道部のスタンスに対する、ある種冒涜的なニュアンスを含んでいたからである。


 四高柔道部は、部員たちに柔道に対するストイシズムを求める。


『学問をやりに来たと思うなよ、柔道をやりに来たと思え』

『いっさいものは考えるな』

『ともかく高校の3年間は、勉強もせず、思索もせず、女にも振り向かず、酒も煙草ものまず、一途に柔道の練習にはげまねばならぬ。目標はただ高専大会で優勝することである。そのため三年間は、生活の一切を犠牲にして悔いない。

 それだけの価値が、柔道練習に果たしてあるのか。だが、そういうことは考えない。考えることがまずタブーである』


 これらの教えは、「粗野質実鈍重にして悠々たる、時に放縦に流れ安き」と評された当時の四高生の気質を、よく戒め、導いたものだろう。

 後世に超然主義とさえ呼ばれた、スポーツマンというより求道者のような徹底した反知性的な風潮が当時は存在したのだ。

 書を読めば文弱の輩のような真似をするなと罵られ、ものを考えている暇があれば一本でも多くの稽古をせよと叱られる。

 それが、四高柔道部員の日常であった。

 だのに、この主将は、平然と「どう考えてやっている」などと問いを投げかけてくる。


「馬鹿になって稽古をするのはいいことだ。だが、馬鹿のままで稽古をするのは良いことではない」


 禅問答のような言葉を由布院は口にした。


「長湯君。君は少し勘が鈍いようだ。私が少し稽古をつけてやろう」


 その言葉が、陽三郎の背筋を電流のように駆け上がった。

 

「宜しくお願い致します」


 凍りついた硝子が震えるような声を出して頭を下げた。

 陽三郎は全神経を集中させて由布院の動きを見ようとする。

 が、するりと伸びた由布院の腕に後襟を取られたと思った瞬間。

 強靭な二本の足が紅蟹の鋏が如く、がっきと陽三郎の両足を挟みこみ、天地が傾いだ時には袈裟に固められていた。


「も、もう一本お願い致します」


 何度繰り返そうと、結果は同じ。

 陽三郎は子供の面子めんこ遊びのように裏に表に返され、その度に固められ、腕を極められた。

 襟を掴んで引けど抑えど、由布院の動きは陽三郎にはまるで留めることが出来ない。

 その差は、以前に殴られた上級生のような、腕力によるものではない。

 もっと不可解で、決定的な断絶が自分と由布院の間にあることを陽三郎は身を以て知った。


 ――凄い。この方は本当に凄い。


 そんな陽三郎の感動をよそに、


「長湯君、君は本当に下手くそだなあ」


 由布院は首を傾げながらそう言った。だが、その口調には今まで幾度なくぶつけられてきた、嘲りや侮りの色は混じっていなかったことに、少しだけ陽三郎は安堵する。

 ――本当に下手くそだ。

 その言葉は、悪意も蔑意も混じらぬ、組んで思ったままの、率直な由布院の感想であった。


「君は胴着を引いてばかりだ。それでは人は動かないよ。

 人を動かすということは、肉を動かすということだ」


 よく理解できない由布院の言葉に、首を傾げる暇もあればこそ。

 由布院は、歴戦で色の掠れた黒帯を解くと、ばさりと柔道着を脱ぎ捨てた。

 師走の金沢の寒気の下、越中褌一丁となった、由布院の裸身が眼前に晒された。

 虎の如く引き締まった肉体。玄冬の寒気の下、照明を絞った無声堂の中で、由布院の全身から湯気が立ち昇るのが明瞭はっきりと見えた。

 毎日のように稽古で全身をいじめ抜いているのに、その体には痣一つ無いのだ。

 美しさに息を飲み、見てはいけないものを見ているのではないかという羞恥で、かあっと陽三郎の頬が朱に染まった。


「何をしている。君も早く脱ぎたまえ」

 

 由布院の言葉にせかされて、陽三郎もおろおろと帯を解いた。

 自分の貧弱な肉体が由布院に見られていることを意識し、陽三郎は再び赤面した。


「さあ、このままもう一本だ」


 不可解なことばかりの由布院の言動だったが、陽三郎にはこの稽古の意図がさっぱり分からなかった。

 柔道出身の選手が総合格闘技に多数参入した今日、相手が胴着を着ていないという想定はノーギと呼ばれ、技術研究が進んでいる。

 だがしかし、陽三郎にノーギの心得などある筈がなかった。


 由布院と対峙して、この美しい肉体に触れていいものかと、陽三郎の心が揺れる。

 一瞬の虚をついて、由布院は陽三郎の肩口を掴んで寝技に持ち込んだ。

 その動きは、胴着を着ている時とまるで遜色ない。

 掴んで抵抗しようにも、襟がない。帯がない。まさか、褌を掴むわけにもいくまい。

 胴着を脱ぎ捨てた由布院の動きは尚加速していき、一瞬で縦四方固めに持ち込んだ。

 陽三郎の顔面を、逞しい由布院の腿が挾みこんでいる。頬に伝わるはだえの熱さに、ぞくりとした。

 腰の奥深くで熱の球のように沸いた一瞬の邪念を、努めて振り払う。

 聖邪を問わず、全ての精力を由布院との稽古に注ぎこむ。

 

 声もなく、肉と肉と擦れ合い、ぶつかり合う時間ばかりが過ぎる。

 

 ――由布院の動きを、まさに田の水すましが如し。

 柔道場の畳は、今日のようなビニールマットではない。

 連日の猛稽古で、荒れてささくれ立った藺草の畳である。

 陽三郎の肉体は藺草の破片で草叢に入った犬のような有様なのに、由布院の肉体には汚れ一つない。

 動きが違う。速さが違う。体重のかけ方も滑らかさも、何もかもが違いすぎる。

 だが、この美しい水すましに、田螺の意気地の一かけらでも認めて欲しくて。


 遮二無二しがみついた瞬間、由布院の平手が陽三郎のしりを叩いた。


「あっ!」


 パチン、という音と共に、尻っぺたに紅葉が一葉。


「何をやっている! 腰が入ってないぞ! 繰り返してきたエビを思い出せ」


 由布院の叱咤に、陽三郎の中に薄ぼんやりした、それでいて確信的な「何か」が浮かんだ。

 それは、幾度目の挑戦になるだろう。

 陽三郎が二本の足を蛸の脚のように纏わりつかせた瞬間、ふっと由布院の身体から力が抜けた。

 脳裡に浮かんだ「何か」は、言葉で名づける暇もなく、かたちを結んだ。

 繰り返し――幾度も繰り返してきた、エビの要領で、由布院の重心と己の重心を合わせて体を振った瞬間、陽三郎が想像だにしなかった軽やかな感触で、くるりと体が入れ替わった。


 陽三郎は、続けて技をかけることすら忘れて、自分が組み敷いた由布院の顔をじっと見つめていた。

 由布院は、破顔一笑した。


「それが、理というものだよ」


 陽三郎の中にあった、言葉にならぬ何かに由布院は名を与えた。

 組み敷かれたまま、由布院は続けて問うた。


「長湯君、柔道は好きか?」

「――好きです」


 答えるのに、一拍の間があった。


「私も好きだ。柔道には理がある。理があるものには美がある。

 私は――それを、愛している。

 君も、そうであってくれるなら嬉しい」


 陽三郎は、耳まで赤くなって、慌てて組み敷いていた由布院から飛びのいた。

 一本には遠く及ばない、体の入れ替え方を知っただけの、小さな上達。

 それが、堪らなく嬉しい。

 己の中を通り過ぎた力の流れ。それこそが、理の片鱗なのだ、美の片鱗なのだ。 

 そう思うと、空に向かって吼え猛りたくなる。


 由布院は、はっはと笑うと、冷えてきたな、と呟いた。

 それは、小さな稽古の終わりを告げる言葉だった。

 バンカラ風の角帽を被った由布院の背中を、陽三郎は無声堂の表まで見送った。


「ご指導、ありがとうございましたっ!」


 陽三郎は、誠心誠意を籠めて、頭を下げた。


 ――啻に血を盛る瓶ならば  五尺の男児要なきも

 ――高打つ心臓の陣太鼓   霊の響きを伝へつつ

 ――不滅の真理戦闘に    進めと鳴るを如何にせん


 返答のように、去り行く由布院が歌う「南下軍の唄」が聞こえて来る。


 ――理を愛せ、美を愛せ、と仰るなら。

 ――貴方こそが、貴方こそが。


 看板通りの静けさを取り戻した無声堂に、嗚咽が一つ。

 積もり始めた雪に、熱い涙の一滴が小さな孔を穿ったが、やがて強くなりゆく牡丹雪に覆い隠されて消えていった。



 了 


参考文献


戸松信康「高専柔道資料考」 『旧制高等学校史研究』第8号 1976年

山本謙吉『北の海・解説』 1980年

湯本修治「高専柔道の歴史的意義」 『旧制高等学校史研究』第11号 1981年


※この物語はフィクションです。登場人物は全て架空の存在です。

 歴史的事実と異なる描写も多々ございますが、創作と割り切ってお楽しみください。

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無声堂に水すまし 竹尾 錬二 @orange-kinoko

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