レッドハウスの犬
ケン スペースウォカー
第1話
男三人が暗闇の中、庭で奇声を上げながら、自動小銃を空に向けて撃っていた。酔って、足元がふらついている。近くに三階建ての民家。この国の山岳地域にある建物としては、立派すぎる。人々の生き血を吸った報酬で、テロリストが築いたに違いない。
まず目の前の男たちを消音銃で次々と仕留めた。足音を立てないように建物に近づく。建物内からは騒ぎ声。数か月前、我々の国で起こしたテロの成功を祝っているのだろう。憎むべきテロリストたち。部下を三か所に配置し、一斉に手榴弾を建物内に投げ込んだ。
大きな爆発音。悲鳴。呻き声。その中に……。女の声? それも一人ではない。かなりの数だ。中を覗き込んだ。目に入ったのは、金の刺繍が入った華やかな衣装を纏った女たち、ターバンを巻いた男たち。みんな血だらけになって倒れている。テーブルから吹き飛ばされた料理が床に散乱していた。
出席者の服装を見れば、結婚式としか思えない。庭で銃を空に放っていた男たちは、新郎新婦の前途を祝っていたのではないか。
事前に寄せられた情報は、テロリストが上空を飛ぶヘリを狙って攻撃を繰り返している、というものだったのだが……。呆然としていると、ひときわ華やかな衣装の若い女性を抱きかかえた十数歳の少年が英語で叫んだ。
「デビル(悪魔)」
少年の傍らに弟であろうか、五歳ぐらいの男の子が恐怖で身を震わせていた。
クリストファーはそこで目が覚めた。冬だというのに、ベッドの上でびっしょり汗をかいていた。もう何度、同じ夢を見ただろう。二十六年前の出来事なのに、昨日のことのように思えてしまう。特に、あの少年の瞳は忘れようとしても忘れられない。クリストファーは事件がきっかけで、精神を一時病み、妻子ともうまくいかなくなり、別れた。
悪夢を洗い流そうとするかのように、熱いシャワーを浴びた。食事もせず、背広に着替え、車に乗った。気乗りしないが、今日は休みを返上してでも、やるべき仕事が待っている。エンジンのかかる音が、やけに耳障りに感じた。
202X年、イマルカ合衆国。街はクリスマスムードに包まれていた。いつになく国民が浮かれているように見えるのは、紛争続く中東マラウカスタンに派兵していた兵士約八千人が一昨日、帰国したからだろう。来年夏には残る六千人全てが撤退する。マラウカスタン紛争に介入して、もう三十年になる。イマルカの多くの若者が戦場で命を落とし、その数は一万人を超えていた。国内で厭戦気分が漂う中、歴代大統領はなかなか撤退に踏み切れなかった。超大国の面子と、国際貢献を求める各国の期待が重くのしかかっていたからだ。
午後三時過ぎ、クリストファーは大統領官邸、レッドハウスに到着した。庭には例年通り、高さ五メートルはあるクリスマスツリーが飾られていた。
レッドハウスには、イマルカ合衆国の苦難の歴史が秘められている。ちょうど三百年前、植民地だった頃、宗主国アギリスとの独立戦争で、市民約三千人が犠牲となった。その流した血を忘れまいと、大統領官邸が赤レンガで建設されたのだ。国民は官邸の赤色を見る度に、互いに団結を誓い合った。そして正義を守ろうと、拳を突き上げた。
クリストファーは二時間ほど、陸軍幹部と打ち合わせをした。「作戦」は順調に進んでいた。その後、大統領執務室へ。ドアを開けると、女性秘書が笑顔で挨拶し、
「補佐官、大統領がお待ちです」
と奥のドアを開けた。
ジョーカー大統領は座ったまま、満面の笑みでクリストファーを迎えた。机の下で、右足を貧乏ゆすりしながら。大統領が機嫌の良い時の癖だ。
「そろそろお時間です」
クリストファーは、大統領にそう告げ、隣の国家安全対策本部室に案内した。部屋では国防総省のシュルク長官が時計を気にしながら、立ったまま待っていた。本部室の壁面には、百インチの大型テレビが七台。そのうち三台にスイッチが入っていた。
大統領は中央に座ると、シュルク長官にも着席するよう目配せした。四年間の大統領在任中で、最高の夜になるはずだった。
「コーラとポップコーンはあるかな」
これから国家の命運を握る作戦が決行されるというのに、大統領はまるで映画館にいるかのようにはしゃいでいた。
「しばしお待ちください」
対策本部室を出たクリストファーはドアを閉めると、深い溜め息をついた。
「あの人では、この国はもたない」
大統領選でジョーカーの再選が決まった一カ月前の夜。クリストファーは祝賀会場の隅でギラコフ副大統領に呼び止められ、そう告げられた。
ともにマラウカスタンで軍人として戦ってきた仲間。ギラコフは少佐で、クリストファーは特殊部隊のリーダーだった。戦場で生死をともにしたからこそ、ギラコフは本音を漏らしたのだろう。
「確かに副大統領の言う通りだ」
大統領一期目の四年間を振り返ると、クリストファー自身も認めざるをえない。
二十世紀に世界一の国内総生産を誇ったイマルカ合衆国だったが、二十一世紀に入ってからは、労働賃金の安さで世界の工場となった新興国チュイナに迫られ、あと数年で追い越されることと言われている。
ジョーカー大統領は、偉大な祖国を取り戻すためと称し、チュイナを目の敵にし、関税を大幅に引き上げたり、同盟国に対しても工場をチュイナではなくイマルカ合衆国に移すよう強引に圧力をかけたりした。
最近は、同盟国に展開する自国の駐留軍の負担費用を大幅に引き上げるよう求め、認めない同盟国に対しては、露骨に軍の撤退をちらつかせた。
「イマルカ、ファースト」
記者会見やSNSで、大統領はこの台詞を何度も口にし、国民を熱狂させた。国際ルールを無視するその姿勢に、各国から冷たい視線が向けられているのにもかかわらず……。
今年一月からは、新型インフルエンザが世界で流行し始めた。ジョーカーは当初、記者会見で、普通の風邪と同じ、と断言した。経済優先とし、外出自粛などの対応策も取らず、国民にマスク着用も促さなかった。
十月に入って新型インフルはさらに猛威を振るうようになり、イマルカでは患者が二千万人を超え、死者は三十三万人に近づいている。チュイナはじめ、早めに対策に取り組んだ他国が抑え込みに成功しているのに。
失策続きの大統領。大半のメディア、有識者は誰もが再選は難しいと予想していた。ところが、事前の世論調査を覆し、岩盤と言える支持層はジョーカー大統領を再度、この国のリーダーに選んだ。
あと四年間、続けさせてはいけない。イマルカ合衆国を守るためにも。
「だから今日の計画がある」
とはいえ、先ずは大統領の関心事、コーラとポップコーン問題を解決しないといけない。クリストファーは秘書を呼んで大統領の要望を伝えた。いつものことなのだろう、秘書は嫌がる素振りも見せず快諾してくれた。
そして廊下の端に待機していた警護官のフォルサーを呼び、予定通り計画が始まることを伝えた。フォルサーは小さく頷いた。
フォルサーとの付き合いは、もう四年になる。年齢は三十八歳。父親はアラブ系、母親はアギリス人で、移民の父がアギリスで母と出会い、フォルサーが生まれた。十代後半、イマルカに移り住み、優秀な成績で有名大学を卒業した、と聞いている。その後、陸軍に入り、さらに政府警護官となった。真面目な勤務ぶりから、今では官邸の現場責任者の一人となっている。副大統領の信頼も厚い。
この春からは、八歳年下の弟サイーダも同じ職場に勤務するようになった。サイーダは監視システムに詳しく、レッドハウスの中央監視室で働いている。
弟のサイーダとは一度だけ、議論になったことがある。半年前のことだ。
ショットバーで、二人で飲んでいた。酒を飲めない兄フォルサーに内緒で。二人ともかなり酔った状態となり、なぜか二十八年前、合衆国で起きたテロ事件の話になった。
民間旅客機がハイジャックされてツインの高層ビルに激突し建物内にいた市民四千数百人が犠牲になった、あの事件だ。クリストファーの親友も命を奪われた。二十代半ばでマラウカスタン派兵に志願したのも、あの事件がきっかけだった。その後も特殊部隊メンバーとして内乱に苦しむ各国を転戦した。
わが国のおかげで、世界平和が保たれている。自慢げにそう話したクリストファー。ウイスキーの琥珀色が、辛い過去の出来事を心地良いものに染めていった。
ところが、サイーダは、イマルカの過信ではないのか、と主張した。正義の名の下に各国に介入し、軍事手段も辞さない。本当に各国の人々は、イマルカを手放しで喜んで受け入れているのだろうか。クリストファーは酩酊した頭で、反論しようと試みた。
「君はイマルカの孤独がわかっていない」
「孤独?」
「各国で混乱や紛争が生じれば、その解決を求められるのは決まってイマルカ。動かなければ罵られるし、動けば非難される。二百近く国があるのに、他の国は遠目で見ているばかり。イマルカの国民だけが血を流しているのに、感謝の言葉もない」
クリストファーは、露骨とも言える自国優先主義を唱える大統領の政策を全面的には賛成していない。だが、失策続きの大統領を再選させたエネルギーは、国民の孤独感の裏返しではなかったのか。
この話でサイーダも納得するだろうと、クリストファーは思っていた。
だが、サイーダはビールを一気に飲み干すと、
「イマルカの孤独はわかりますよ。でも、正義の名の下、罪もない民間人を殺しても許されると言うのですか。それは、あなたたちの傲慢ですよ」
と怒りを含んだ表情で見返した。
その言葉が、クリストファーに忌まわしい過去を思い起こさせた。
闇の中の爆発音、煙に霞んだ部屋の奥に血だらけの花嫁、憎悪の視線を向ける少年二人……。
額に冷や汗が浮かび、めまいに襲われて床に倒れ込んだ。
サイーダは、白目をむき、過呼吸に襲われたクリストファーのネクタイを緩め、その頭の下に近くにあったクッションをあてた。
「大丈夫ですか、補佐官」
初めて見るクリストファーの姿。何事も冷静に的確に物事に対処する男が、サイーダの発した一言でこれほどまで動揺するとは。
十分ほどしてやっと落ち着いた上司のために、サイーダはバーのマスターにグラス一杯の水をもらい、飲ました。
クリストファーは、サイーダの介抱に感謝しつつ、おぼつかない足取りで入り口に向かい、勘定を済ませた。
「車を店の前に呼んでおきました」
とだけ話したサイーダ。
タクシーに乗り込んだクリストファーだが、路上で見送るサイーダの笑みが何故か、寂しげに感じられた。気のせいだろうか。
午後七時前、対策本部室には、ギラコフ副大統領、シュルク長官ら閣僚十余人が集まっていた。中央には、コーラを手にしたジョーカー大統領。右足を貧乏ゆすりさせながらポップコーンを食べていた。
いよいよ作戦が始まった。中央のテレビ画面には、ヘリ一機が映し出された。もう一機が撮影している映像なのだろう。左の画面にはマラウカスタンを拡大した地図。二機のヘリの位置情報が表示され、「×」のマークがついた目標地点、山岳地帯に向かっていた。右の画面は、特殊部隊員の頭部に付けたカメラなのだろう、ヘリの中で緊張した表情の隊員十数人が写っていた。隊長の足下には、ドーベルマン一頭が控えていた。
「トビー」
ジョーカー大統領が突然、叫んだ。大統領が官邸で世話していた愛犬だった。大統領たっての願いで、今回の任務に抜擢された。
現地はまだ未明。やがて目標地点にヘリが到着した。トビーを先頭に、暗視ゴーグルをつけた隊員十数人がヘリから次々と降り、砂漠の中を走り出した。カメラがその様子を追う。写している隊員はおそらく、衛星通信を使う伝送装置を背負っているのだろう。
約二キロは駆けただろうか。三階建ての建物が見えたと思った瞬間、画面が砂嵐に覆われた。衛星通信の状態が悪くなったのだろう。音声だけは聞こえてくる。
「ヘリのカメラに切り替えて」
クリストファーの指示に、サイーダが応じて機械の別のスイッチを入れた。
再び飛び立ったヘリのカメラも、隊員たちを追っていたようだ。ただし赤外線撮影なのか、隊員もトビーも白い影に変わっていた。かなり離れた場所から高度で撮影しているらしく、ズームして隊員を映し出していた。
「これでぎりぎりです。映像のアップは」
クリストファーの説明に、大統領は大きく頷き、緊張で乾いた喉をコーラで潤した。
隊員は散開して建物を取り囲んだ。ドア、窓に爆弾を設置したのであろう、数か所で白煙が上がり、白い影が次々と室内に吸いこまれていった。建物内のあちこちで白光が点滅し、激しい銃撃音が対策本部室内に響いた。
静かになったのは、半時間ほど経った頃。隊員と見られる三つの白い影が戸外に現れ、抱きかかえた一人の影を放り出した。
「モファージャーとみられる男を殺害した。味方の死者、負傷者はゼロ」
隊長からの短い報告。ジョーカー大統領はじめ、対策本部室は歓喜に包まれた。
モファージャー。ハイジャックした旅客機を高層ビルに激突させ、市民多数を殺害したテロ事件の首謀者だ。懸賞金をかけて二十年余り追っかけ、やっと追い詰めたのだ。
「DNAの鑑定して、身元を確認します。結果は後ほど報告します」
と低い声で隊長。
「大成功だ。素晴らしい。よくやった」
大統領はポップコーンの油がついた手で、一人一人と握手して回った。みんな笑顔で応じていたが、大統領が背を向けると、苦笑しながらハンカチで手をぬぐっていた。
大統領はじめ、閣僚たちが去って静けさが戻ったレッドハウス。クリストファーは大統領補佐官の部屋で、フォルサー、サイーダ兄弟の労をねぎらった。
彼らには、大統領らが見せた高揚感はなかった。
それもそのはずで、実は、「モファージャー殺害」はギラコフ副大統領の指示で計画された作り話だった。確かにマラウカスタン国内で、実際にヘリも飛ばし、特殊部隊員も動かした。ドーベルマンのトビーも加わった。だが、テロリストのアジトは撮影のために現地で造ったものだし、特殊部隊員の攻撃も演習だった。途中、わざとヘリの赤外線カメラに切り替えたのも、大統領たちにそれを気づかせない演出だった。
参加した隊員には、テロリスト殺害シーンを見せることで国民を安心させ、政府への信頼も取り戻せるからと説得し、箝口令も敷いておいた。
モファージャーの行方はわかっていなかった。二十数年にわたるイマルカ軍の空爆で死んだのでは、とも推測されていた。でも、それでは国民は納得しない。ギラコフと軍トップは、テロリストの死を演出した。
対策本部室にいて、「架空」と知らされていたのは、シュルク国防総省長官ら軍トップだけ。ジョーカー大統領含め、ほとんどの閣僚が知らされなかった。
「テロリスト殺害の成功」は大晦日の夜、ジョーカー大統領がレッドハウスの執務室で国民に発表する手はずになっていた。今年最高のニュースとして。
その時、大統領の後ろには、国民の英雄として、マラウカスタンから帰った特殊部隊員と、愛犬トビーが整列することになっている。
しかし、クリストファーが副大統領に聞かされた計画は違った。彼とフォルサー兄弟の手で、大晦日、大統領をレッドハウス地下室に軟禁し、「テロリスト殺害の成功」はギラコフが発表する。そしてギラコフが実権を握ったことも国民に明らかにする。
「イマルカを再び偉大な国とするのは、ジョカーではない。それは私だ。力を貸してほしい」
涙をためてそう訴えるギラコフを、クリストファーは信じた。一方で、クーデターという手段で国民が納得するか不安はあったものの。
大晦日。ゴールデンタイムの発表に備え、ジョーカー大統領は昼過ぎから、レッドハウス執務室で女性秘書を前に座らせ、国民向けの発表文を何度も読み返していた。午後五時には、国家の英雄、特殊部隊員と、大統領お気に入りのトビーが到着する。
クリストファーとフォルサー兄弟が大統領執務室に入ったのは午後三時半すぎだった。秘書を退出させた後、クリストファーは、トビーが戻って来たことを告げた。
「えっ、今、どこにいる」
「官邸東端の部屋に」
「ご褒美をあげないと。実はトビーの大好きなドッグフードを買ってある」
笑みを浮かべたジョーカーは、クリストファーに促されて執務室を出た。後ろにはクリストファー兄弟。逃がさないように挟んで誘導されているのを、まったく警戒していなかった。
廊下の突きあたり、東端の部屋に、クリストファーに続き、ジョーカーが入った。フォルサー兄弟は静かにドアを閉めた。
「トビーはこちらです」
クリストファーは、さらに部屋の隅から入れる地下室へ大統領を案内した。
「なんで、トビーを地下室に」
自分の身の危険より、愛犬の待遇の方が気になるようだ。地下室に入ったものの、トビーはいない。大統領は、これから起きることにやっと気がついた。
「補佐官、これはどういうことだ」
怯えるような表情になった大統領に、クリストファーは強い口調でいった。
「大統領の職から降りてもらいます」
「なぜ、突然に」
「もう一期、四年、あなたにこのイマルカ合衆国を任せるわけにはいかない」
クリストファーは、ジョーカー一期目の失政を挙げていった。何よりも問題なのは新型インフルエンザ対策。有効な医療対策も取らず、多くの国民を死に追いやった、と。
「あなたのような無能な大統領を、国のリーダーに置いておくわけにはいかない」
大統領は唇を震わせながら叫んだ。
「反乱だ。誰か、補佐官の拘束を」
だが、地下室は防音が施されており、地上にはその声は届かない。
「誰も来ませんよ。大統領」
フォルサーは胸元からピストルを取り出し、銃口をジョーカーに向けた。黙らせるための脅しと思っていたら、いきなり銃弾が放たれた。こめかみを撃ち抜かれ、崩れ落ちる大統領。
「何をする」
銃を奪い取ろうとするクリストファーに、フォルサーは再び銃口を向けた。
「あなたも甘い。考えたら、誰でもわかる。副大統領がスムーズに大統領になるには、ジョーカーの死しかないでしょう。ギラコフから、そう命じられた」
「私は大統領を拘束せよ、としか聞いていない」
とクリストファー。
すると、フォルサーは苦笑いをしてみせた。上司のクリストファーに、いままで見せたこともない顔つきだった。
「ギラコフからは、全てを知る貴方も殺せ、と命じられている。大統領を殺害したのは貴方ということにせよ、と」
クリストファーは、信じていたもの全てが崩れ去っていくのを感じた。
「なぜ、このようなことを」
「まだ、わからないのか」
フォルサーは憤怒の表情を浮かべた。
その瞳を見て、すべて理解した。
二十六年前、マラウカスタンで起こした民間人の殺害事件。上司だったギラコフと相談し、公開されぬまま闇に葬った案件だったが、その時の少年が今、眼前にいる。
「あの日は、姉の結婚式だった。五十数人いた出席者は殺され、生き残ったのは私と弟だけ。復讐のためだけに生きてきた」
事件後、二人とも親戚に頼ってアギリスに行き、極貧の中で勉学に励み奨学金で学校に通い、イマルカの大学に留学した。合衆国の国籍を手に入れ、卒業後、あの事件に関わった人物が誰だったのか調べようと軍に入った。なんとか極秘文書を探し当て、姉たちを殺害した部隊の指揮をしていたのが、今は大統領補佐官のクリストファーだった事実を掴んだ。
「やっと皆の仇を討てる。ここまで辿り着くのに、どれほどの時間を費やしたか」
隣のサイーダは何度も目頭を拭った。
「クリストファー、我々を恨むのは筋違いだ。すべてはお前がしたことの報いなのだ」
フォルサーは引鉄に手を掛けた。地下室内に銃声が響いた。
その日の夜、レッドハウスから少し離れた安ホテルの一室。テレビ画面にギラコフが映っていた。レッドハウスの大統領執務室で演説する彼の後ろには、マラウカスタンで活躍した特殊部隊員三十人、大統領の愛犬トビーが並んでいた。
ギラコフは沈痛な面持ちで大統領の死を国民に告げた。その後、フォルサーとサイーダ兄弟の写真が画面に大きく映し出された。
「マラウカスタン出身のこの二人は、アギリス人と偽って入国。数年前から政府機関に入り込み、本日、大統領を殺害するというテロ事件を起こした。官邸内に一時立て籠もったが、銃撃戦の末、我々が殺害、排除した」
と胸を張った。
「現在、共犯のクリストファー大統領補佐官の行方を追っている」
そして、ギラコフは、国民にもう一つ話すべきことがある、と言葉を継ぎ、国際テロリスト、モファージャー殺害に成功したと告げた。後ほど、映像を公開するとも。
「我々は卑劣なテロリストに負けない。今日は偉業を成し遂げた英雄たちを招いた」
ギラコフが拍手しながら後ろを振り返ると、同席した閣僚から歓声が沸いた。
そのホテルの一室で、男がソファーに身を沈めて中継を見ていた。
「なんて茶番だ。みんな騙されている。権力欲だけの、こいつに」
男はクリストファーだった。
フォルサーに銃口を向けられたものの、発射寸前、弟のサイーダが兄の手を払い、間一髪、銃弾がそれて助かったのだった。
激怒するフォルサーに、サイーダは言った。
「俺も、クリストファーが憎い。だが、彼はあの事件がトラウマになり、心から詫びて生きている。極悪人はギラコフだ。事件の反省もしていないばかりか、かつての部下を大統領殺害の犯人にでっち上げて殺せ、と我々に命じた。おそらく我々二人も、最後は大統領と補佐官を殺害したテロリストに仕立てられ、始末されるんだ。兄貴もわかるだろう」
弟の話に、フォルサーにも思い当たることがある。軍に入ろうとした時、当時、面接官だったギラコフが、マラウカスタン人の血が流れていることに大いに興味を示していた。とても軍に採用されまいと思っていたら、すんなり決まった。サイーダを政府機関に雇うことも二つ返事で快諾してくれた。弟の言う通り、あれは、今日のような日が来るためだったのか。力なくピストルを下ろした。
サイーダはクリストファーに言った。
「我々が外出しようとすると怪しまれる。自由に動ける貴方が、逃げてください。大統領が殺害されたことを誰も気づかないうちに。そして、これから起きることに決着をつけてほしい」
サイーダはクリストファーに携帯電話を渡した。時が来れば起動させ、画面に表示された、ある印に触れるように頼んだ。
クリストファーは地下室から出ると、怪しまれることもなくレッドハウスを出て、タクシーで二十分ほどの安ホテルに入った。
ギラコフは今、部下を動かし、クリストファーを探しているはずだ。口封じのために。
まだギラコフの演説が続いている。もう大統領に就任したかのように。
立ち上がって五階の窓から下を覗くと、ホテル前に数台の軍用車が止まったのが見えた。兵士が次々と降り、ホテル内に駆け込んでいく。クリストファーは、自分に残された時間が少ないことを悟った。
サイーダの携帯電話を手にし、起動させた。画面には、レッドハウスのようにも見える、赤い建物が浮かび上がった。震える手で、その表示に触れようとした。
フォルサー兄弟は、この印に触れることが何を意味するかは言わなかった。だが、クリストファーは確信していた。兄弟が、密かにレッドハウスに仕掛けた、高性能小型爆弾を爆発させるボタンだと。
クリストファーの指が触れると、携帯に表示された赤い建物が小さな音を立てた。テレビで得意顔のギラコフが、特殊部隊員、そしてトビーが一瞬にして赤い炎に包まれたかと思うと、画面は砂嵐に覆われた。レッドハウスも粉々に吹き飛んでしまったのだろうか。
その直後、ホテルの部屋の扉を破壊する音がし、兵士が乱入してきた。そしてソファーのクリストファーに対し、容赦なく銃弾を浴びせた。
意識が遠のく中、クリストファーは思った。
「フォルサーもサイーダも、安住の地を得たのだろうか」
(了)
レッドハウスの犬 ケン スペースウォカー @masakinonakkann
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