悪役令嬢、機馬を駆る!

aza/あざ(筒示明日香)

悪役令嬢、機馬を駆る!

 



「イルザ! 今日でお前との婚約は破棄する!」

 ざわ付く周囲に反して、イルザは凛と静かに佇んでいた。

「……」

 ほっそりとした肢体に纏うは、タイトな真紅のマーメイドドレス。前はハイネックのアメリカンアームホールで肩から背中までざっくり空いており、後ろはベアバックになっていた。普段は纏めている金の豊かな巻き髪も褐色の肌上に流し、藍色の眼を眇めているイルザの姿はとても、うつくしい。

 だが久方振りに王家主催のパーティへ来てみれば、婚約者だった王子の隣で、季節外れに皇立第三学園へやって来た編入生が肩を抱かれている。


 イルザとは違う、如何にもか弱そうで守ってあげたくなるような、色白で白髪はくはつ金眼の美少女編入生。さらりと流れる直毛の長髪を揺らし、王子の母にどこか似通った彼女は、銀髪翠眼の王子とお似合いだった。王子とその取り巻きたちは、なぜか厳しい表情でこちらを睨んでいる。茶髪を項で括った従者だけが、目を伏せがちにして、眼鏡をくいっと中指で押し上げた。イルザは、ふぅ、と息を吐く。その胸中は悲しみより、致し方無い、と言ったものだった。


 致し方無い。そう、致し方無いのだ。

 我らが女皇、アナスタシア十二世女皇陛下の元、本人の意志に関係無く組まれた婚約だった。とは言え、イルザなりに精進し、日々王子の婚約者と言う立場に恥じないよう、励んでいたつもりだったが……その忙しさにかまけ、確かに“王子の”婚約者としては、不十分だったのだろう。


 あきらめ切ったイルザが、畏まりました、と承諾を口にしようとした。

「かしこ、」

 ときだった。


 ────ビーィィィイイイイッッッ!────

「────……!」


 警報が、イルザの返答を裂くように、城内はおろか城下、あるいは国全体に鳴り響いた。


「───繰り返します、敵影確認、直ちに総員、厳戒態勢に入ってください」

 アナウンスが会場にも流れ、パーティの参加者がどよめく。王子ですら驚きに目を瞠る中、我先に動いたのは。

「ジェーン! 準備は出来てるか!」

 イルザだった。

 耳元を押さえ、耳飾り型のイヤフォンマイクへ叫ぶイルザ。すると返って来たのは「いったー! 何です? 急にマイクに叫ばないでもらえますっ?」若い女の声だ。


「だったら音量をそっちで調整しろ! で、準備は?」

「はぁ? 私を誰だと思ってんです? このジェーン様、いつだって万全ですよ!」

「ふ、そうか、なら良し!」

 ジェーンの返事にイルザは満足げに笑い、踵を返す。この際に、ウェストをふんわり包むリボンへ手を掛けた。


 バサァッ。

 一気にスカートを外してしまった。スカートが外され、イルザの足が露になるが、その足は薄くドレスと同じ生地がぴったりと貼り付き、爪先に至るまでは硬いブーツのようになっていた。

 イルザのマーメイドドレスは一遍に真紅のパイロットスーツへ変容したのだ。


 イルザは己が従える淡い白金髪の従者に、パージしたスカート部位を押し付けると、自身の巻き髪を結い上げ颯爽と出入り口へ走り出す。かつかつかつ、硬質な足音が軽快に床を鳴らした。

「イルザっ!」

 呼ばれ、背にしていた王子を思い出し、振り返る。

「……殿下、申し訳ございません。お話の続きはまた後日! ……生きて帰って来られたら」

 イルザは王子へ言い捨て、パーティ会場から風を切るみたいに走り去って行った。




 現在イルザが住むのは、大アナスタシア皇星国、第三領土星アダルベルト。

 婚約者の……いや、婚約者だった第三王子が治める、自然が多く資源が豊富に採れ、豊かな星だ。

「……」

 エルーシア銀河に人類が住み着いてから幾星霜。テラフォーミングにより未開の土地を開拓した人類は、結局争いを棄てられなかった。


「───来たか」

 このアダルベルトは、以前ベネディクト公国の首都星だった。ベネディクト大公が治める主な領地で在り、大アナスタシア皇星国とは協和関係に在った。

 しかしその関係を一方的に皇星国が破棄、公国に攻め込みベネディクト十世大公を討ち取って奪取した。

「待っていたぞ、イルザ嬢」

 今イルザの目の前で空中に立つ、白い搭乗型機械式巨大鎧────『機馬』に乗り立ち塞がる男の父親を、イルザが討って。

「……ああ」

 大公は一命を取り留めたが、二度と一人で動けぬ体となった。


「セオドア公子!」

「俺は大丈夫だ。皆は他の戦闘員を撃破せよ!」

「はっ!」

 傍受する通信から聞こえるのは、先のイルザの名を呼んだものと同質の、通りの良い声質が出す短い指示と、それを受ける兵の声。現在、イルザと向かい合う公子の周りでは量産型の機馬が空を駆け回り、アナスタシア皇星軍と公子の革命軍とで激戦が繰り広げられている。


 アナスタシア皇星軍、五千。対して、革命軍は二千を超えるか否か程度。戦力は明らかなのに、戦況は押されてさえいた。

 歴戦の手練れや凄腕の傭兵、アナスタシア皇星国へ反旗を翻した若き将などが、革命軍にはいる。公子に組みし、志を共にしたのだ。

 元公国民の中にも、公子を慕う人間は多いと聞く。奴隷扱いはしていないものの、移民で在るはずの皇星国民に比べ階級が低い。調子に乗った皇星国民が差別して虐げることも在った。

 何より他の領土にされた星の元施政者が集っていると言う。


 現状を打破したい、支配から逃れたいと願う人間たちにとって、公子は英雄で、希望だった。


「────憂いてるじゃないですかぁー? イルザさぁん」

「莫迦を言え。私には、そんな資格も権利も無い! 莫迦なこと言ってないで、備えろ!」

「はいはい、承知ですよー」

 愛馬の中で、イルザはジェーンを叱り付ける。皇星国製、イルザの特別専用機馬、『アレッサ』の操縦席で一人操縦桿を握っていた。

 そう一人で。

「第一、お前は変なほうにリソースを割き過ぎだ。サポートAIが、お喋りに気を取られて反応が遅れるなんて、聞いて呆れるぞ」

 操作サポートAI『ジェーン・ドゥ』。コレが、ジェーンの正体だった。


 大アナスタシア皇星国が他の星を征服し始め、数十年。名誉騎士で、男爵位を賜った父と並ぶ戦績を収めたイルザは、男爵令嬢としても一兵卒としても有り得ない好待遇を受けていた。

 内一つが、女皇陛下御自らの、専用機馬の下賜だ。


 イルザの家色たる赤に染められた機馬。細く、他の量産型や改良型のややずんぐりとしている形状と、明らかに異なったフォルム。

 機馬は皆『人馬型兵器』の名前の通り半人半馬の形をしているが、基本が愛嬌の在る木工玩具みたいな風体だとすると、イルザの愛馬であるアレッサは名立たる彫刻家が掘った美術品のようだった。


 また。

「……公子」

 公子の白い、機馬も。

 公子が革命軍の英雄などでなく、ベネディクト公国公子時代に女皇陛下より友好の証として下賜された、公子の愛馬『リアム』。


 がっしりとしたラインで雄々しく、アレッサの華奢で優美な機体とは違うものの、操作サポートAI『ジョン・ドゥ』が搭載されたシステムや通常の機馬みたいに人と馬の境である腰上部でなく、人の下腹部辺りに操縦席が在るなど、間違いなくアレッサとは姉弟機だ。

 カラーの基調が白なのは、相手からも自分でも“穢すようなことが無いように”と言う、優秀な公子への嫌味みたいなものだった。

 今やこの白い嫌味のシンボルカラーが、彼にとって最大の武器で革命軍の象徴となったのは、何と皮肉なことだろう。


「イルザ嬢。いい加減、皇星国……アナスタシア十二世など見切りを付け、こちら側に来ないか。貴殿程の者なら、皇星国のやり方が如何に非道かわかるだろう! ……イルザ、俺と来い!」

 光速通信を通して、公子がイルザに叫ぶ。公子の感情に呼応してか、リアムの手振り身振りも連動したように動いた。

「ふふふ、とても熱烈な勧誘ですねぇ。まぁ、毎度のことですが」

 ジェーンが、無言を貫くイルザの耳元で揶揄い口調で囁いた。そう、毎度のことだった。


 リアムを駆る公子に対抗出来るのは、現時点では同系機の専用機馬を持つ王族、アナスタシア女皇陛下の近衛騎士や将官位の軍人と、イルザだけだ。

 自然と、このアダルベルトを取り戻したい公子とは、ぶつかることになる。

 父が女皇陛下の警備としてベネディクト公国へ遣わされていた男爵令嬢のイルザと、公子セオドアは既知だった。

 それこそ、幼少期は切磋琢磨した仲だ。


 イルザは「……ほざけ」操縦桿を握り直す。両手の操縦桿を右脇の腰でカチンと合わせゆっくり引き離すと、愛馬アレッサも同じ行動を取る。そうして、手を腰にやるとアレッサの下肢である馬部分に生えていた尻尾が前へ回った。アレッサの手が掴むと、尻尾の中から内部へ格納されていた刃が引き抜かれ、現れる。

 尻尾から外れた剣は、金属の擦れる音に刃が一枚刃でなく幾重にも連なった蛇骨剣だとわかる。

 公子のリアムも、右手に剣を構えた。片刃の大剣を。


「父を見い出し、私にもご慈悲をくださる女皇陛下の、私は忠実なる臣下だ! 私は女皇陛下の命に従い、女皇陛下の刃として戦うまで。その誓いはこの命が果てようとも不変!」

「イルザ……ならば、力尽くで連れるまでだ!」

「この遣り取りも毎度のことですねぇ。よく飽きないなぁ。……どうせ、また引き分けでしょう?」

 心底呆れた風にジェーンが嘲る。イルザは、唇を噛んだ。


 幼少期はいつも、イルザが勝っていた。……きっと手加減されていた。

 今みたいに。

 イルザが操縦桿を繰る。アレッサの蛇骨剣がまさに蛇の如く唸る。アダルベルトの重力は今、無い。戦闘の被害軽減のための処置だ。家々は緊急事態に地下へ引っ込み、在るのは植栽された木々と整備された水、地面擦れ擦れに張られたシールドだけだ。


 だとしても、公子は傷付けたくないのだろう。アレッサの蛇骨剣をリアムの大剣は受け留め、上空へ逸らす。ガギィィィィィインッと金属を削り軋んだ音が鳴り、大剣を撓らせ蛇骨剣の切っ先が旋回して上空へ舞った。

 傷付けたくないのは、当然だ。公子の故郷なのだから。


 公国時代より豪奢で、無駄に華美な家屋が立ち並び、公国民の大半が痛んだ家に住もうとも。

 士気は、はるかに革命軍のほうが高い。戦闘中でも、明確に見える程。

「……」

 公子は、イルザも傷付けない。あの黒髪で紅い瞳の少年は、今では希望の英雄である青年は、きっとまだ、やさしいのだ。

 イルザが死ねば、王子が泣くとでも思っているのだろう。彼の中で王子は、幼い泣き虫のままだろうから。今では立派に指揮を執れる、総統だと言うのに。


 腹が立つ。でも、致し方無い。

 そう、致し方無かった。


 真の英雄とはこう言うもの、なのだ。

 罪を憎んで、人をゆるす。他者の悲しみを増やすことは、しない。

 だからこそ、万人に愛され讃えられ、支えられる。

 この理論で行けば、人を支配することで、人に恨まれてでも非難の集中砲火を受けようとも、恒久的な和平を実現したい女皇陛下は、皇星国は『悪』だ。


 そして、その臣下で刃として英雄たちを屠るイルザは、紛うこと無く、『悪役令嬢』だった。


「公子、」

「……っ、何だ!」

 伸縮自在で予測不能に動く蛇骨剣を避け、大剣を真っ直ぐ突き出す公子のリアム。イルザのアレッサも、背を反らし同様に紙一重で回避した。

 この間の会話だった。死闘を繰り広げていると言うのに、とても呑気なものだ。返す互いの一撃一撃は、途轍も無く重いと言うのに。

「貴様に、良い報せと悪い報せが在る」

「何だっ?」


「今日、私は王子から婚約破棄を言い渡された!」

「……。っ、はぁっ?」

 公子から素っ頓狂な一声が発せられた。映像通信では無いので目にした訳では無いが、そうとう仰天していることだろう。証拠に、迎撃も、アレッサの攻撃を弾いてから止んでしまった。

 ジェーンが「えぇっ、それ今のタイミングで言っちゃいます?」と突っ込んだ。イルザは黙殺したけれど。


「だから、私を討ち倒しても、泣いて貴様を恨む人間は、減った。良かったな」

 ふん、とイルザの高揚を感じてか、なぜか愛馬のアレッサも胸を張る。公子はリアム共々沈黙してしまった。数十秒、フリーズしたみたいにリアムは動かなかったが、イルザは悪役であろうと、腐っても騎士道を重んじる者なので不意打ちなどしない。公子からの反応を待っていた。

「……悪い報せとは……?」

 ようやくこれだけ吐き出せた、と言うようにセオドア公子が問う。ジェーンは公子の心中を慮ったが、感付かないイルザは更に堂々と言い切った。


「私には、もう何の未練も無いと言うことだ。王子の婚約者であるなら、どうしても先を見据えねばならないからな! それがもう必要無い。つまり、私も捨て身で行けると言うことだ! だから、お前も本気で来い!」

 びしぃっと、イルザの宣言に合わせて、アレッサが人差し指を突き付ける。公子は。

「……」

 操縦席で、額を押さえていた。無声なのに、自己のサポートAIジョンが同情の眼差しを送っている気がして、公子はならない。


 公子が復活したのは、一分経つか経たないかだった。

「……要するに貴殿には、……お前には、お前を縛り構うものが一つ減ったってことだな?」

「む? そうだな、心配事は減ったな。だが、私は女皇陛下の臣下だ。死を恐れぬとも、無様な死に方はしない!」

 そう言う意味では、貴様は相手にとって不足無しだ! 声高に断言するイルザに、公子は、ふっと笑いが洩れた。

「成程。わかった────俄然、やる気が出て来た」

「そうか。ならば日和って生け捕りなど生ぬるいことを言わず、掛かって来い!」




「イルザぁー……」

 戦闘中、混線は在れどチャンネルさえ合わせれば、通信は、駄々洩れである。

 イルザと公子の談話も、城内の管制室で司令官席に座る、王子にも筒抜けだった。

「アイツ! いつもいっつも好いところで邪魔するんだ……! 狙ったみたいに、やっと出来た僕とイルザの時間に毎回警報鳴らしてくれてっ……」

「だからぁ、言ったでしょう? イルザ様が婚約解消くらいで動揺して、戦闘を放棄なんかするはず無いって」


 席の横では操作盤へボタンを避けて肘を突き、呆れ果てた編入生が、両手で面を覆って情けなく俯く王子を覗き込んでいる。

「て言うか、逆効果だったよねぇ。どうすんの。お嬢も公子も、やる気満々じゃない」

 攻撃キレッキレよ、キレッキレ。茶髪の従者が操作盤を物凄い速さで、けれど的確に操作しつつ詰った。共感するみたいに、各々席で管制する取り巻きが嘆息した。こんな取り巻きたちの空気に「だって、仕方ないだろう!」王子は喚いた。

「本当にねぇ。敵に餌与えてどうすんのよ、……“お兄ちゃん”」

 編入生が言った。


 編入生の名前はエルマ・フィデル。またの名を、エルマ・エマ・“アナスタシア”・フィデル。

 アナスタシア女皇の側近末席フィデルを父に持つ、アナスタシア十二世女皇陛下の末娘で。

 将来は大アナスタシア皇星国の十三代女皇、アナスタシア十三世となる正統な後継者。

 正真正銘、第三王子と血の繋がった妹だった。


「だって、だって、」

「だって、じゃないでしょ! だいたい諸々から秘匿にされていた妹を、新しい恋人役に据えるとか莫迦じゃないの、気持ち悪い」

「だって、それなら最悪もしイルザが離れても、お前が妹だってわかったから結婚出来なかった、ツラいって言えばイルザが戻って来てくれるじゃないかぁあぁぁあああっ!」

「ああああああ! 泣かないで、鬱陶しい! そんなんだからお母様に怒られるんでしょ! しっかりしてよ! 普段は策士のくせに、何で恋愛だとポンコツなの! 情けない!」


 管制室で我関せずを貫く取り巻きたちの後方、兄妹の仁義無き喧嘩が勃発する。深い深い溜め息のハーモニーから察するに、取り巻きたちこと国の管制を司る爵位持ちの貴族子息たちが睨んでいたのは、イルザではなく、茶番を仕組んだ王子本人に苦虫を潰していただけだったらしい。


 顛末を知らない悪役令嬢は解き放たれたかの如く生き生きと乱舞していた。

 受ける公子も、これまでに無い気迫で猛攻を繰り出している。


 公子セオドアの本懐も、王子の思惑も、編入生エルマの真実も、悪役令嬢イルザは知らない。

 ただ、敬愛する女皇陛下のために。


 彼女は、愛馬アレッサを駆って、戦うのだった。




   【 了 】

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