最終回
外を出て待っていた2人は、温かく迎える街灯などない、孤独を積らせる夜風が吹き残るばかりであった。
彼女は、寒くはないだろうか。僕は心配して、隣に歩いてるメイドを見るが、逆に僕を心配する視線を見せていた。
「あの……本当に、いいのですか?」
「……じゃあ、送り迎えする前に、お願いを聞いてくれるかな?」
「あの、できる範囲であれば喜んで!!」
彼女が元気よく、僕のために尽くしてくれる。それだけなのに、寒さが残る夜の静けさは紛れていく。
「一緒にナイトシアターに行ってみないか?ちょうど近くにあるんだ」
「映画ですか……私、あんまり詳しくはないですよ」
「男性に慣れる手段だと思えばいいさ」
いやらしい気持ちはあるが、ここは抑える。でも、せめて可憐なメイドと2人で歩いてるのは、誰よりもない極上の経験だ。
ああ、昔に戻って無口だと馬鹿にされていた同級生に自慢してやりたい。……その考える時間が無駄だと思い、すぐに我にかえる。
「手を、繋いでくれないか」
人見知りな彼女にとって、僕にとってはハードルが高い事案だが、これも僕たちの成長のためだ。
僕を信じてくれ、という表情を整えて彼女を見やる。
そして、彼女の柔らかくて冷たい手が、今宵の夜空と共に雨上がりを照らす、1つの光となった。
「大人2枚、ください」
手を繋いだまま、小さい劇場に辿り着いた僕等は、今夜の時間帯に上映されてるタイトルを選ぼうとしたが、流石に深夜の時間帯なので上映されてるのは1本しかなかった。
しかも、もう上映は始まっている。
途中から見る内容に、彼女は追いついてこれるかと心配して様子を見ると、顔中が真っ赤に染まっていた。
「大丈夫かい?」
「す、すみません。男の人と手を繋ぐのは、初めてで……」
「僕もだよ、いますごく緊張しているよ」
彼女は、安心したのか笑った。
僕も、笑った。
社会からは底辺の価値観しかない僕と、望まれずに最良の価値観を持たされた彼女。
問題ないじゃないか。美しいじゃないか。
それを僕は胸を張って言える。
「君のような女性と、僕は映画を見たかったんだ」
彼女は、どう答えていいかわからず、焦る。流石に言いすぎた僕も訂正しようとした時、メイドは本物の給仕らしく覚悟を決めた微笑みを返してくれた。
そうして僕たちは、映画の世界に入って行った。
映画の内容は、中盤に差し掛かる頃の時間だが、僕は画面の状況を見て、大体はわかった。
月面探査で1人で仕事している主人公は、月から取れるエネルギー物資の採掘をしている途中に事故に遭う。
診療室に目覚めたら、そこにはもう1人の自分、つまりクローンがいることを知る。これは探査を派遣された会社からは聞いておらず、地球から通信しても会社が意図的に電波を遮断していたのだ。
さて、ここで問題点となるのは、2人のクローンがどう行動するのか。
上映時間も残り少なく、クライマックスの部分とされる残り15分。観客が僕ら2人しかいない空間の中で、手を繋いだまま見守っていた。
映画を楽しんでいるかメイドの方へ確認すると、彼女は画面に釘付けになっていた。
『現実はフィクションとは異なる』
ありきたりな言葉だが、僕たちの関係性は僅か数時間でしかない。しかも送り迎えして、映画まで見ている。
でも人間は、架空の物語を求める。それは僕たちが見てる映画に夢中になって、自分と重ね合わせているのだからね。
そこで僕は、彼女と映画を通じて人生とは何かを悟った。
「とても良かったです、ありがとうございます、ご主人様」
彼女の満面の栄華な顔を見て、僕も笑顔になる。一緒に映画を見て、正解だった。
さて、ここからが僕がメイドにできる最後の役目だ。
「もう場所は近いのだろ、ならここでお別れだ」
「あっ……そ、そうですね」
別れの時間が、朝陽が昇る光と共に報せる。黒のコントラストと、赤い色が徐々に滲ませてくる見えない地平線が、物凄く寂しい。
繋いだ手を離し、羽織っていた厚手のコートを返してもらう。もう、僕だけが取り残すべき世界に戻る時間だ。
「今夜は、ありがとうございました。ご主人様」
「もう仕事は終わったんだ。ご主人様の呼び名はしなくていいよ。君は自由だ」
「そうはいきません。最後まで、仕事をさせてください」
彼女の顔が近づいてくる。
ああ、これはまずい。今ここで、彼女の唇を奪ってしまったら、僕は自殺できなくなってしまう。
近づいてきた唇を、僕はそっと人差し指で止めさせる。
「言ったろ、初めては好きな人として、幸せにならなきゃ。君がこれから時間をかけて、探すんだ」
僕たちの関係は、数時間でしかない。
それでも僕は疾しい気持ちはある。彼女との間に、『金の卵』という証を作りたいのは本当だが、ダメなのだ。それを僕の意志が許さない。
「さあ、行って。今夜は楽しかったよ」
メイドは、呆然とした。少し涙目になりながらも、最後は最初と同じ一礼を持って深く賛辞した。
「ご利用、ありがとうございました。ご主人様」
朝焼けの太陽に向かって、彼女は溶けながら帰っていく。これで僕たちはもう、違う世界の住人になったのだ。
そして、その感情は急激に強まった。
胸の奥に封じ込めていた、彼女への愛おしい気持ちが体内から血が噴き出るように襲ってきたのだ。
僕はここで、死んだのだ。
今夜、僕は自殺した。幼馴染に片想いしていた時の自分を、殺したのだ。
これから先、また違う自殺をする方法をするために、彼女のような素晴らしい女性を探さなければならない。
映画のラスト、1人のクローンは3年間の短い生涯を、もう1人の生まれたてのクローンに命を託し、月面基地から脱出して地球へと向かった。
偽物の記憶でも『愛する人』。それだけのために、地球へと帰って行った。
主人公が地球から帰る光景が、僕はそれと同じ景色を見ているような気がした。
アンヘドニア〜自殺したい男とメイド女 龍鳥 @RyuChou
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