『太初の鯨』ver.SF

大塚

『太初の鯨』ver.SF

『太初の鯨』


 ここは何もかもが満ちあふれている。すべてが同じ一つの場所にあり、それらは互いに響き合い、重なりあい結びついている。どこからともなくやってきて揺れる。まるで踊るように、体を揺らし、その揺れは他の体を揺らし、透明な波動が伝播してゆく。光がさしこみ、融けてゆく。色になって広がってゆく。深いところでは、厳かな流れが、寡黙に横たわっている。

 どこからか、『鯨』の歌がきこえる。高く透き通る声で、遠いところからきこえてくる。


 アイリはその声を手掛かりに意識を、どこかここでない方向に向ける。集中するのでもなく、ぼんやりとするのでもない。覚めていると同時に、酔っていなくてはならない。

 息を吸って、息を吐く。波のリズムに合わせるように、体の奥で鼓動が同調し始める。目を閉じて、もう一度目を開けると、『太初の鯨』はそこにあった。


 アイリは『太初の鯨』から、次のような文字列を発見した。


 はじめに言葉があった。それは何かの教えや、例えで、それが文字通り本当にそうだと知られるのには時間がかかった。そして、その事実を人々が受け入れるのにはもっと時間がかかった。結局、それを受け入れたところで何かが変わったわけではない。むしろ新しいものは何もなく、私たちが今まで見てきたものの、本当の部分が明らかになっただけだろう。変わらない日常の中で、人々は別の世界をほんの少し思い描くようになり、それを口にしたり、文字に入力したりして、これが本当にあるのかと呟いてみる。

 今まで小説やフィクションの世界を創作し、享受してきたので人々にとっては、不思議なことではなかった。これまでだって人は、文字列に、ディスプレイの光の明滅に、空気の振動に感動してきた。そこから大いなる創造の世界と、豊かな感情を汲み取ってきた。


 空間言語学を、一般の人に説明するとき、私は「フィクションの世界の存在を確かめる学問です」と紹介する。あなた方が、あたかも別の世界のように思っているフィクションが、現実世界のあなたに働きかけるその仕組みを探求したいのです。

 というと、多くの人は「それは科学ではないのでは」という顔をする。

 そして、その疑問にあれこれ『太初の鯨』の話や情報理論の説明をしているうちに、本当に言いたいことを言えなくなってしまう。

 今私たちが暮らしているこの宇宙も、ある「言語」で記述されたフィクションなのです。小説の登場人物が言葉によって描かれ、物語の中で息づくように、私たちもその「言語」によって記述され、生きているのです。だから、この「言語」を読むものにとっては、私たちの宇宙の出来事を小説のように読んで、そして私たちがフィクションに感動するのと同じように感動しているのかもしれません。さらに言うなれば、私たちもその「言語」によって、彼らの感動する様子を読めるのです。


 空間言語の発端はある一つの観測機から始まる。その観測機には、単純に「文字列発見機」という名前が名付けられていた。それは一本のアンテナで、空気中に流れている電波を受け取り、なんとなくそれに合わせてランダムな文字列を出力する。そんな単純な機構だった。

 興味本位の試みで、その機械は何かを期待されたわけではないが、長い間真面目に動き続けた。製作者も期待せずにそれを見守った。

 十年ほど経ったあと、製作者はその機械が作り出した文字列を解析にかけてみた。毎秒毎秒、日々刻々と記録された十年分のデータは、膨大な量になった。それを、読める形に直して読んでみた。と言っても、無規則に作り出された文章は到底ひどいもので、読めたものではなかった。すべてを読む代わりに、読めるところを探すのが解析の趣旨だった。

 手伝いを雇って、データの探索を続けていると不思議なことが起こった。ある一連の文字列が所々で見つかったのだ。それは、


 アイリは『太初の鯨』から次のような文字列を発見した。


 という一文だった。

 製作者は、機械のくせによる規則的なパターンであることを疑った。しかし、機械は単に空気中に飛び散らかる電波を拾って、記録していたに過ぎない。アイリとは誰か。『太初の鯨』とは何か。その謎が、ぽっかりと残された。アイリとは宇宙人で、地球に交信を送っているのではないかという、憶測も出た。製作者は未知の可能性も含めて、論文にまとめた。題名は、「この宇宙のランダム性から見出される意味について」

 そこで製作者は、ランダムな文字列からパターンを見つけたことと、「アイリは『太初の鯨』から次のような文字列を発見した。」という文になぞらえて、不規則性や、偶然性の総体を『太初の鯨』と呼んだ。


 この宇宙にはあらゆる言葉、あらゆる言語で書かれた『太初の鯨』という書物があり、でたらめな文字列で構成されている。しかし、そのでたらめさの中には聖書も、これまでに書かれたどんな小説も、今日の新聞記事も見つけ出そうとすれば見つけ出すことができる。なぜなら、『太初の鯨』のでたらめさは無限のでたらめさであり、どこに何があるかわからないが、どこかには必ずある、と言えてしまうからだ。そうした見地に立って、人間んお書く行為を眺めていると、それは無から何かを生み出しているのではなく、『太初の鯨』という書物からの「発見」なのだ。創作とは無限を探索し、そこから意味を掴み取る能力であり、人間の脳にはそれが備わっている。


 当時は、『太初の鯨』を実在するかどうかわからない架空の存在として説明された。



 理論上、『太初の鯨』の中には文字列だけではなく、私たちが住む宇宙を記述したデータも存在する。私たちの宇宙の状態も、情報として置き換えることが可能だからだ。


 空間言語学は、『太初の鯨』のそうした情報を空間言語と呼ぶ。『太初の鯨』の中には、私たちの宇宙を含む、全ての事象が空間言語という同一の形態で収められている。その言語は、当然私たちが使う言語とはかけ離れているが、あらゆるものを記述し存在を成立させている。

 私たちの宇宙はそうした言語によって構成される空間の一つである。そうした空間を、「言語空間」と呼ぶ。

 空間言語の文法を理解し、解析することそして、この宇宙と『太初の鯨』の構造を理解すること。それが空間言語学の目的である。


 アイリは『太初の鯨』から以上の文字列を発見した。


 降りていく。『太初の鯨』に降りてゆく。言葉が本来そうあった場所に。この世界を記述する設計図に。この宇宙空間を構成する基底に。


 昇っていく。


「具体的レベルを下げてください。」

 警告。

 「私」の濃度を下げてください。「私」から肉体の情報を取り除いてください。「私」から行為の情報を取り除いてください。「私」から空間の位置情報を取り除いてください。「私」から時間の軸を取り除いてください。それでもなお残る。「私」から私を取り除いてください。

 そして、『太初の鯨』の最深部では、何もかもが「私」を失ってゆるやかにたゆたう。時間も、空間も名前も体も、何にも繋ぎ止められない存在が海のようにひとつたゆたっている。

 その海は、すべての存在を抱え、ひとつであった。具体的なものは何もない。そこでは語りうる視点も何もない。ただ在った。ただ、それが在った。

 その海の中からぽこりぽこりと底の方で小さな命が生まれる。それは宇宙のような透き通った泡になって、ときどき、海の表面にうかびあがってくる。


 アイリはそこからまた新しい体を得る。空間言語によって、存在を再構成する。降りていく。宇宙を、身体を、名前を、言葉を、意味を、その宇宙での存在条件を。そうして浮かびあがっては沈み、風が吹いては凪いでまた吹く。

 そうした現象のひとつひとつを、海は受け止めていた。


 アイリは『太初の鯨』から次のような文字列を発見した。


「この名前、見つけてくれるかしら。」

 カウンターに紙片がひとつ置かれる。わたしは、しばらく思考を停止してその紙片をじっと見る。それから顔をあげてカウンターの向こうの女性を見る。少し年齢の高い、上品な身なりをしたグレイヘアの女性だった。

 わたしが言葉を失ったのは、その女性の依頼に拍子抜けしたからだ。

「情報を見つけてくれるんでしょ。」

 女性は、わたしの注意をもう一度引き寄せるようにカウンターの上の紙片を手で示した。

「ああ、はい。」

 わたしは返事をしながら、考えていた。上司に相談するか、それとも今、この場で済ませてしまうか。その場合、料金はどのように設定するか。もういっそ、普通の料金を示してつっぱねてしまおうか。ここは誰でも検索クエリを打ち込めばやすやすと答えてくれるような共通空間ではないのである。

「お金なら、ありますよ。」

 女性は、カウンターに置かれている料金表を見て言った。わたしは一層混乱する。

「いいんですか。これは、一ヶ月分の調査料金ですが。」

 わたしは言う。

「ええ。」

 女性はすこし戸惑いながらうなずく。

「こちらの紙片にかかれたお名前を見つける作業は、おそらく数分で済んでしまうと思われますが。」

 といいながら、わたしはつい自分の口調がいつもの営業をするときのそれに戻りつつあることを自覚した。情報空間、そのた専門知識を持ちあわせていない人に対して、『太初の鯨』を説明しなくてはならない時の口調だ。

「お客様。こちらの紙片にかかれているような文字列をお探しになられるのですか? 」

 文字列、と言うと女性はまた眉をひそめて首をかしげた。

「あの、こちらの、コウ・ゴンドウというお名前のことです。」

 紙片はたしかに人の名前のようなものが、書かれていた。

「……ええ、この人を探してもらいたいのです。」

 この人、という言葉をわたしはさっそく訂正しにかかる。

「では、文字列ではなくて、人物をお探しになりたいのですね。」

 わたしは事態を理解しつつあった。しかし、女性はその違いをまだよくわかっていないようだ。

「あなたは、コウ・ゴンドウさんという人物をご存知で、その方を探したいのですか。」

「ええ……はい。」

 女性はうなずく。それを確認してわたしは手元の検索機を起動する。キーで『コウ・ゴンドウ』と入力して、検索範囲を設定する。単純な文字列だから、そこまで広くなくていいだろう。とりあえず、この宇宙一つぐらいで。

 ディスプレイに結果が表示された。わたしはそれを女性に提示する。その文字の羅列に、目を細める。


 検索対象 : コウ・ゴンドウ

 属性   : なし

 検索範囲 : 1UB


 結果を表示します。


 コウ・ゴンドウ は、2XXX年に、出生記録が300件あります。

 同文字列は、……

 同文字列は、……

 同文字列は、2020年8月に文字列として出力されました。

 同文字列は、情報空間に、平均的な密度で存在しています。

 同文字列は、任意の検索範囲で安全に取り出せるようです。結果は同様だと予想されます。


 ごくごく普通の文字列であると検索機は結論づけた。女性はあっけに取られてディスプレイの表示をただ見つめている。わたしは、一行一行説明するように、ディスプレイをハイライトする。

「このコウ・ゴンドウという文字列を単純に検索にかけた結果です。もちろん、お客様のお求めになっていることは、こうした情報ではなく人物の情報でございます。しかし、まずはただの文字列と人物情報の違いをご理解いただくために、説明させていただきます。」

 女性はこくりとうなずいて、ディスプレイにもう一度注目した。

「単純に、検索すると『コウ・ゴンドウ』という文字列が、この宇宙のどこに存在するのかという話になってしまうんです。出生記録だとか、小説の中に書かれたようなものが結果として現れます。

 しかし、お客様がお探しになられているのは、コウ・ゴンドウさんという具体的人物ですよね。」

「……ええ、はい。」

 女性は戸惑いつつもうなずく。

「わたしたちは、人を呼ぶときにその人の名前で呼びますが、実は名前とその人そのものは別の存在です。」

 わたしは、一旦ここで切って、女性の顔色をうかがった。まだ理解し切っていない。もう少し説明が必要そうだった。

「実は、人物とはその人を構成する素粒子のなんです。名前ではなくて、その人がいる座標、時間軸、その人の肉体を構成する素粒子の状態の組み合わせのことなんです。」

 もう一度女性の顔色をうかがう。人物検索の依頼の説明をするとき、このような説明に対して怒る人もいるからだ。わたしの大切な人はそんなものではない、と。単なる情報ではあり得ない、と。そういう気持ちはよくわかる。

 実際、心や精神など、見えないものがたくさんあるではないか。そう反論される。物理的データでそれをどう表すのか。『太初の鯨』の下層部、いわゆる現象界ではあらゆる事物は物理的データで書き表される。わたしたちの、心や精神についてのある種の解釈は、その下層部の書物を読んだ「感想」として『太初の鯨』の中に存在しているというものだ。物理的世界が、テキストの本文だとするならば、それを読んで現れ出るものが心や、精神だ。それらは、文章の中には存在しないが、文章から生成されるものと言える。わたしたちの心はそうした文章から浮かび上がるひとつの像。もちろん、事象からそれ自体では還元できない心のようなものが成り立つということも、『太初の鯨』の中にさらにメタ的な言語で記述されているという。しかし、そうした領域はわたしたちの仕事の範囲ではない。言語学者が研究するものだ。

「ですから、お客様がお探しになられているコウ・ゴンドウさんの具体的情報をいただけたらよいのですが。」

 わたしは問いかける。

 女性は何も言わなかった。

 不思議な沈黙が受付のカウンターに降りてくる。女性は首をかしげ、記憶をさぐるように目を細めたまま動かない。

「どうされました。」

「……いや、すみません。」

 女性は首を振りながらうつむく。

「コウ・ゴンドウさんは、お知り合いの方ですよね。最後に会われたのはいつですか。」

 わたしは事情を察して、女性の様子を見守る。探そうとする人には、その人なりの思いがそれぞれある。

 女性は何もいわずに、うつむいたままだ。わたしは急かすことなくそれを見守る。その沈黙に気がついたカウンターの裏の上司が女性に飲み物を差し出した。女性は小さくお礼を言って、またしばらく黙っていた。

「大丈夫ですか。焦らなくてもお話できることがあれば、それを手掛かりにお探しします。すこしずつでもよろしいですよ。」

「いや、それが……。」

 女性は、コップの温度にすがりつくように、手でその表面をなでた。

「思い出せないのです……。」

 女性は白状するようにそっと言った。予想外の答えにわたしは言葉を失う。

「ここに来たら思い出せると思ったのですけど……無理でした。よくわかりませんが、友人に相談したらクジラの中には何でもある、と教えてくれて……。本人が知らないことも探してくれると聞いたので……。」

 女性は息をつぎながらゆっくり話した。

「ええ、確かに、『太初の鯨』の中にはどんな情報でもございます。しかし、それを私たちが受け取るためには手がかりが必要なのです。どんな情報が欲しいのか、どんなときに何をしていた方なのか、それがわかれば検索することができるのですが。」

「そのようですね。まず私がこの方のことを言わなくてはいけないのですね。順番が逆なのですね。すみません。」

 女性は申し訳なさそうに、頭を下げる。もう一度こちらを向いた目にはすこし涙が浮かんでいた。

「あの、本当にささいなことでもいいんです。少しでも覚えていらっしゃることはありませんか。」

 わたしは迫りすぎないように声をかけた。すると急に女性は息を呑んで、顔をおおうように、目頭を指先でおさえた。

「は……八時。」

 女性は声を絞り出すように言った。わたしはすかさず、検索機にその単語を打ち込む。

「2138年8月6日午前8時15分」

 それだけ言うと、女性は祈るように口をひき結んで目を閉じた。

 わたしはあまりに漠然としたデータを入力する。

 2138年8月6日午前8時15分……コウ・ゴンドウ……。

 検索機はしばらく応答しなかった。データの検索に時間がかかっているのだと思った。しかし、しばらくたってもディスプレイには何も表示されなかった。そして、ついにメッセージが返ってきた。

 

 検索範囲に、2138年8月6日午前8時15分は存在しません。


 アイリ、あなたは誰なの。

 どこからか声がきこえる。

 アイリ、わたしはアイリ。

 やめてアイリ、もうその名前は必要ないはずよ。

 どうして。

 どうしてって、ここは「くじら」のなかだもの。

 アイリはかんがえる。そしてやがてそのかんがえも、そこらじゅうにうごめくなにかにまきこまれてきえてゆく。かんがえるための、よどみをつくることができない。

 そう、アイリ、かんがえるには、わたしがいるわ。

 そうね。あなたはだれなの。

 

 こたえはかえってこなかった。


 だれなの。アイリがもう一度問いかけたとき、アイリはその答えを受け取る。なみがゆれていることによって、ゆられていることによって。ひかりがきらきらとかがやくことによって。だれなの。その声はアイリ自身の体をとおって、すぐにきえていった。

 「くじら」には、あなたはそこにいないし、わたしもそこにいない。それでいいの。


 『太初の鯨』にそのようなことばがあった。


 アイリという『鯨』の中で散見される名前、それは軋みである。世界の中にわたしたちがあるためにはまず、わたしでなくてはならない。しかし、世界そのものである『鯨』にはそれを外側から見る視点がない。

 しかし、『鯨』は読まれなくてはならない。言語として、ことばとして。ものがたりとして。そこで『鯨』はアイリを必要とした。この『鯨』を読む誰かを。仮想的な存在、アイリは『鯨』の中をあたかも文字列の検索者のようにふるまう。その視点が『太初の鯨』には必要なのだ。全てを全てのまま、有限の文字列として取り出すことは不可能である。そうした問題の解決法として、アイリは形式的に生み出された。アイリという限界のある存在の、限界のある文字列によって、『鯨』は観測される。

 すべて、文字列のあるところにアイリは切れ込みとして存在する。あるいは、観測が行われた証拠として存在する。しかし『太初の鯨』の中には「わたし」という具体的言語もないし、アイリという人物もいない。ただ、ことばがあるのみである。しいて言うのならば、わたしたちはアイリであり、わたしたちは皆、「わたし」という言葉の中に包まれ、『鯨』の海の泡として消えてゆく。そして、べつの場所で別の「わたし」として、また生まれる。


 『太初の鯨』にそのようなことばがあった。

 

 アイリは『太初の鯨』から次のような文字列を発見した。

 消えるってなんだろう。消えて見えなくなったものは、どこに行ってしまったんだろう。消えるということは、単に見えなくなっただけで、視覚でとらえられる以外のもの、たとえば聴覚とかてざわりとかは消えずに残っているのではないだろうか。

 そのことについて、先生に確認してみたけど答えは納得いかなかった。あの日起こったことは、ひとつの町がまるまるこの世界からなくなってしまったことで、見えなくなったこととは、違う。根元から、消えてしまったんだ。

 それで、わたしはもっとわからなくなって、このレポートをどう書いたものか途方に暮れている。かれこれ、一時間もディスプレイの前に座って、文字を打っては消している。先生はわからなくてもいいから、とにかく書け、と言う。仕方がないから、わからないまま書き進めようと思う。

 

 こんな風に、「夏レポート」が書けなくなるのは、初めてだ。よくわからないけど、この国に生まれた人は皆、夏になるといままでの浮ついた顔を急にひきしめて、しゅくしゅくと過去にあったとされる「あの出来事」について考えはじめる。大人も子供も。テレビでは特番が組まれ、学校では「夏レポート」といわれる宿題が出される。まあ、よくある調べ学習みたいなもので、「情報戦争の経緯について調べよ」とか、「『太初の鯨』は、人類にとって必要か否か」とかのテーマが与えられて、私たちはネットで調べてそれについて書く。

 今年のテーマは、2138年8月6日午前8時15分に起こったとされる出来事を調べよ」だった。

 知ってる。多くの人が「消えた」んでしょ。とわたしは思った。さらに言うなら、消された。人だけじゃなくて、町も、空間も、時間も消されたんでしょ。バックスペースで消されるディスプレイの上の文字みたいに。

 大人たちが、毎年毎年、顔をゆがませながら「あの出来事」と言うから、聞かされるわたしたちは、黙ってそれをなんとなく了解していた。教室に「関係者」の人が入ってきて、語りをはじめると変な空気が漂いはじめる。「関係者」の人の言っていることは、「居るはずの人がいなくなった」とか、「歴史は消されてしまったけれど、わたしたちが語ることで作ってゆける」とか、つかみどころのないことだ。先生もいつもはもっともらしいことを言うのだが、「関係者」の前では、口をつぐんで教室の隅で立ち尽くしているだけだ。

 そして、語りの途中で、「関係者」の方は必ず半分になった何かを取り出して、わたしたちに見せる。半分になったお皿、半分になった服、半分になった椅子、机、本、ペン、ぬいぐるみ……などなど。それらは全て見事なほどにきれいに半分に切断されていて、ほう片方の方は誰も持っていなかった。消えてしまったのだという。レーザーカッターでも使ったのだろうか、と思うほどまっすぐな断面をしていた。

 それらは「関係者」の方にとって、大変、大切なものらしく、誰も触らせてもらえなかった。そして、それを、わたしたちの前に掲げ、「これが証拠です」と言う。

「このまっすぐな線の向こう側にいた人のことを想像して下さい。このまっすぐな線の向こうに町があったんです。それが、一瞬にして奪われました。」

 まっすぐな線。まっすぐに切れたお皿やぬいぐるみ。わたしたちがそれらに触ってはいけないのは、そのまっすぐさを崩したらだめだからだろう。半分にされた何かは、たいてい、透明な保護カバーにおおわれていた。

 それを見つめて、わたしたちは、想像のしようのないことを想像させられる。教壇に立つ「関係者」の人の前で、たっぷりと、黙っていなければならない。

「だから、空間兵器は二度と使われてはなりません。」

 沈黙はいつもその言葉でしめくくられる。


 「空間兵器」、それは教科書にはない言葉だ。

 大人たちは、その言葉を避けて、「あの出来事」とか、「2138年8月6日午前8時15分の出来事」などと言う。そして、多くの人が消えた、と言うことだけは確かなのだと言う。消えた人たちは語ることはできない。そして、出来事というにはあまりにも一瞬で消えてしまった。消された町もこの世界には残っていないらしい。どうやら地図の上から消えて

その町を囲んでいた他の町が、その空白を埋めるようにつなぎ合わされてしまったそうだ。だから、それが起こった跡というものもない。だから、当事者といえる人はいなく、関係者と言える人しかいない。

 私は彼らの語りをきいても、「消えた」という以上のことがわからなかった。彼らの、その町屋、消えたものに対する記憶もなくなってしまっているようだった。だから、なおさらこれについて書けと言われても困るのだ。


 『太初の鯨』に次のようなことばがあった。

 ねえアイリ、人はどうして書くの。

 アイリは、たずねられて驚いた。驚きとは、この場所では肉体の反応ではなくて、言葉に対して言葉で返したくなるというような状態だった。

 たぶん、忘れたくないから。

 アイリは言ってみた。この場所でも、言うとは、肉体を持った存在がするように、声帯を震わせたりすることではなく、言葉が自然にそこにあるという感じだった。

 忘れたくない? どうして忘れるの。忘れるって何?

 たぶん、体から言葉が抜けていくこと。

 からだ?

 そう。

 わたしは体を持っていないから知らないわ。アイリはからだを持っていたの。

 うん、持っていたこともある。そしてこれから持つこともある。

 どうやって、からだをもらうの。

 うん、えーとね。くじらの中を浮いたり、沈んだり。それって、あったりなかったりするってこと。

 うーんそうかな。うんたぶんそうよ。

 あるときにはわたしはからだを持って、ないときにはない。

 それでいいの。

 うん、それでいい。

 あるときにはわたしはからだじゃないあり方であるときもある。そうそう。

 ない時にはくじらのどこかにある。

 うん、まあそうね。


 ねえ、じゃあどうして忘れるの。全部、ぜんぶ、くじらの中にあるのにどうして忘れるの。

 それはたぶん。

 アイリは考える。この場合も考えるとは、肉体の中で神経がぐるぐると電気をはじけさせることではなくて、くじらのの中の風のようなものがアイリのところでそっと吹いたようなものだった。

 かぎりがあるということが、わたしには必要なんだよ。

 そう言って、アイリは誰と話していたのか忘れていしまった。いや、わからなくなってしまった。いや、分かれて分かれて、溶けてしまった。くじらの中で。

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