紫煙の向こう(彼氏の場合)

 二年がかりのプロジェクトが、とりあえず一区切り着いて、ようやくマトモな昼休憩がとれるようになった。早めに昼飯から戻って、缶コーヒーを片手に、喫煙ルームに足を運ぶ。


 師走の某日、12時40分過ぎ。

 デスクから離れて、飯屋で定食にありついたのも、正味半年ぶりとなれば、何だかどっと肩の力が抜けた。珍しく先客のいないルーム内で、落ち着いて一服できる感慨に耽る。

「はあ……」

 イライラしながら吸う八ミリとは、味が違うもんだな、なんて漠然と思う。

 大学三年頃から何となく吸い始めたマイルドセブンとは、学生時代の腐れ縁同様、長い付き合いだが、メビウスに名称変更してからも、何だかんだと吸い続けている。

 スマホと一緒にポケットに入れるブルーのパッケージは、もはや日常の光景だ。


 頭の先から惚けて、紫煙をくゆらせながら、ぼーっと窓の外を眺めていると、ふと声を掛けられた。

「よ、お疲れ」

「あ、ども」

 入ってきた先輩に、軽く会釈する。


 昨今、分煙はマナーとかで、喫煙者は肩身の狭い思いをしながら、こんな空間に押し込められて休憩しなければならない風潮を、少しだけ恨みたい。

「隣、いい?」

「どうぞ」


 子供が出来てからは、自宅で煙草が吸えなくなったとかで、やっぱり肩身の狭い思いをしながら、先輩もここへ来るというわけだ。いつも、「そろそろ禁煙しようかなあ」なんて呟きながら、今のところ止める気配はない。


「この間の定例報告会、どうだった?」

「えー、もう散々ですよ。ぼろっかすにき下ろされました」


 苦々しくそっぽを向いて煙を吐くと、先輩はカラカラと笑いながら隣で火をつける。それにしたって、話が回るの早すぎるんじゃないか。こちらはまだ、痛手から立ち直っていないというのに。


「それだけ、期待されてるってことだ。良い事じゃないか」


「どうやったら、そんだけポジティブに受け取れるんすか」


 思わず言い返してしまったが、先輩はいっそう楽しそうに笑うだけで、答えてくれない。もっとも、それは自分で考えろということなのだろうけれど、キャリアアップと引き換えに、突然会社を辞めた前任者の後釜なんて、俺のスキルでは荷が勝ちすぎた。

 むしろ、持て余す規模の企画を任されてしまったその日から、連日、胃が痛くて死ぬ思いだ。何度、会社を辞めたくなったことか。

 横目でちらりと隣を盗み見れば、こちらの気も知らずに、先輩はゴソゴソとポケットからスマホを取り出して弄り始め、程なく、完全に家庭的な表情に様変わりする。

 あーあ、目元が一気に老け込んだ。

「どうした?」


「いや別に」

 正直に言えば、当然怒られるだろうから言わない。

 暫く無言で煙をぷかぷかさせていると、スマホを弄り倒していた先輩が、ほれほれと画面を見せつけてくる。なるべく放っておいてほしいのだが、この先輩はお構い無しに、画面いっぱいの愛娘の成長記録を次々とスライドさせていく。


「もうすぐ誕生日なんだよ」

「へー、いくつになるんですか?」

「一歳。みんなで祝おうって話してるけど、俺らより親の方が気合いすげーわ」


「それは、おめでとうございます」

 あくまでも、付き合いの上での挨拶みたいなつもりで言ったのだが、先輩は心底嬉しそうだ。

 独身だった頃は、連日ビルを閉め出されるギリギリまで仕事をしていたような残業の鬼が、結婚した途端に、この変わりよう。子供が出来てからは、週の半分は定時上がりするまでになった。

 まあ、元々出来る人だって評判の先輩だから、周囲もそんな変化に「良いことじゃないか」と暖かい。すっかり緩みきった表情で、愛娘ライブラリを延々と見ていた先輩が、唐突に尋ねてくる。


「そういや、お前の方はどうなんだ?」

 言葉が紫煙とともに、周囲をたゆたう。


「どうって、何がです?」

「何がって……あれ、お前フリーだったのか?」


 予想に反して、反応が薄いと思われたのか、先輩は一瞬口ごもって慌てている。こちらも、飲み会の席で以外、あまりプライベートの話題を突っ込まれることがないから、返答に窮したものの、束の間考えて、一応答える。

「あー、一応、いますけど……」

 言いながら、語尾が淀んでしまった。


 そういえば、前に会ったのいつだっけか。

 ここ半年、残業続きで家に帰れば、飲んで寝るだけの生活が続いていたから、すっかり忘れていた。連絡すら、まともにとっていないことに気付いて、さすがにマズいかと思い直した程だ。


「何だ、うまくいってないのか?」


「いや、元々こんな感じなんで」

 すぱーっと、吐き出した煙が、目の前でモヤモヤと解れていくのを眺めながら、改めて、自分たちがどういう付き合いなのか表現に困った。


 学生時代のサークル仲間から始まって、二人でも時々会うようになって、卒業しても何だかんだずるずる続いて、時間が合えば食事したり出かけたり、世間一般のとおり一通りのことはするけど、特別イベント的なことは、……あれ?


「お前……それ、世間一般に薄情って言わないか?」

 呆れたように呟いた先輩の言葉が、妙に重たい含みを持って向けられる。

 まあ、三年経って、娘が生まれた今でも新婚さながらと、周りから冷やかされて上機嫌になってしまう先輩からしたら、温度差がありすぎるんだろうけど。正直、それどころじゃなかったし。


 久しぶりに、連絡してみるか。

 そう思ってスマホを取り出したものの、何て入れるべきか。元々、学生の頃から連絡をとる時も、必要最小限の入力しかしていない。改めて、何て打とうか一瞬迷ったが、結局いつもの如く「時間できたから、今日会うか?」とだけ入れて送った。その文章を、どうやら横から覗かれていたらしい。


「お前、いつもそんな調子なの……?」

「はい?」

 気の毒そうに呟かれた言葉と共に、頼りない紫煙が先輩の周囲を弱々しく漂って消えた。

「いや、それ、良くないよ。まじで。もうちょっと、何かあるでしょ」


「はあ……」

 何で、こんな哀れむような視線を向けられなきゃならん、と思いながら、灰皿にぎゅっと吸い殻を押し付けた。

「じゃ、お先です」


 缶コーヒーを飲み干してゴミ箱に放り込み、喫煙ルームを出たところで着信があった。見れば一言「いいよ、19時に駅前で」とだけ返ってきた。


 可愛げの無い、淡々とした文面からは、女子力の欠片も見当たらないが、下手に長々と返信されるより、余程こちらの心境は楽だ。


 どこ行こうか。

 元々、仲間内でも酒豪だったあいつの事だ。

 アルコールの種類は、多いに越したことはないだろうと、ぼんやり考えながら、唐突に思い出したのが、学生時代の喧嘩ごしのワイン談義だった。だいたい、ワイン通ぶる奴らの面倒くさいこだわりには辟易するが、近場で打ってつけの店があったな。


 スマホをしまい込んで、首の後ろをこきりと鳴らして、腕を伸ばす。凝り固まった肩を数度回しながら、午後はピッチを上げて仕事をこなすべく、気持ちを切り替えて持ち場に戻る。


 学生の頃から変わらないマイペースなスタイルが、周囲にはどんな風に見えているのか、考えたこともなかったし、正直、どう思われているのかも、たいして気にしたことはなかった。

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青い世界 〜たとえば、こんな二人の場合〜 古博かん @Planet-Eyes_03623

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