紙巻タバコと加熱式タバコ
寿 丸
紙巻タバコと加熱式タバコ
私はヘビースモーカーである。それも、二刀流。
ここで言う二刀流とは、従来の紙巻タバコと加熱式タバコを併用していることだ。なぜ紙巻タバコか加熱式タバコのどちらかに絞らないかといえば、状況によって使い分けることができるからだ。
先に、加熱式タバコについて説明しよう。専用の機器にこれまた専用のスティックを挿し込み、スイッチを入れて温める。約数十秒で紙巻タバコとはまた違う独特の風味を堪能できる。おまけに煙と匂いが少ない。人前に出る時、大事な商談の前に吸うにはもってこいなのである。
紙巻タバコはどうか。当然のことながら、匂いがきつい。副流煙の量も尋常じゃないだろう。タバコを吸わない人間からは文字通り煙たがられるし、加熱式タバコとは違っていちいち吸殻を捨てるのもやや面倒くさい。だが、それを有り余る魅力がある。加熱式タバコよりもはるかに奥深い味わいがあるということだ。これは古来からの歴史の積み重ねから為せる味だと言ってもいい。人に会った後、仕事終わりの後に紙巻タバコを吸うと、深い充足感と煙が体中に染み渡る。
そういうわけで私は二種類のタバコを使い分けている。二刀流と称しているのは、そのためだ。
加熱式タバコを吸い始めた当初は、紙巻タバコと違って物足りなさばかりが目立った。スカスカしているというか、煙の量も少ないというか、とにかくタバコを吸っている感じがしないのだ。
しかし、近年状況が変わってきた。機器もスティックもモデルチェンジして、より紙巻タバコに近い味わいをもたらすようになってきたのだ。さらにスティックを温める時間も短縮された。四十秒かかるところを二十秒にまで短縮できるようになった、といえば進化の程がわかるかと思われる。
その代わり、匂いが強くなってしまった。
モデルチェンジする前の加熱式タバコは二本三本吸っていても家族にバレることはなかった。しかし、モデルチェンジしたものを吸い始めるとあっさりバレた。「口をゆすいできなさい」という小言が日に三度ぐらいは増えたと思う。モデルチェンジする前は換気扇の下で吸っていても許されていたのが、新しいものだと許されなくなってしまった。
性能が高くなった分、紙巻タバコと吸っている時と同じように肩身が狭くなってしまったのはなんとも皮肉としか言いようがない。
しかし、私は今の加熱式タバコは気に入っている。デザインもスリムになったし、色のバリエーションも豊富だ。さらには特別なケースも販売されているので、自分なりのカスタマイズを楽しむことができる。色とりどりのフレーバーもある……のだが、私は一種類しか吸わない。他のフレーバーを試してみたことはあったが、私には合わなかった。
ここまで書くと、まるで私が加熱式タバコの回し者だと思う人もいるだろう。
もちろん、紙巻タバコにも紙巻タバコにしかない魅力がある。
例えば指先、口元に残る匂い。経験のある人ならわかるだろうが、吸った後も指や口の周りに匂いが残る。不意に鼻をこすろうとした際、匂いがしみついていることがわかるだろう。吸っている時とはまた異なる独特の匂いに、どことなく満足したものを覚える。ただ、人によってはこの残り香(というと格好良すぎるが)が嫌だという人もいる。吸った後にすぐに口をゆすぐ人もいるそうなので、人によりけりなのだろう。
紙巻タバコの魅力はそれだけではない。吸殻だ。
吸殻は一見すれば、ただのゴミだ。いちいち灰皿に捨てる必要のあるものだ。だが、私はこの吸殻がどちらかといえば好きだ。吸殻そのものというよりは、タバコに火が点いて吸殻と化すその過程が好きなのである。火によってじりじりと燃え尽きていくのを見る様は、夏の線香花火をじっと見つめている感覚に近い。火の玉がぽつりと落ちるのを見てなんとも切なくなる様は、タバコを吸い終えた後に近い。だが、これも人によって捉え方は様々だろう。私自身がそう思うだけであって、タバコ吸いに共通するものではないことを、お断りしておきたい。
こんな話があった。
同窓会で、旧友と一緒に吸う機会があった。適当にお喋りを楽しんで、「ちょっと一服付き合わないか?」と旧友の方から誘われた。
私は内心で驚いた。大学時代、彼はタバコを吸う習慣はなかったはずだ。そのことを聞いてみると、「ストレスでなぁ。吸わないとやってられなくなったんだよ」と苦笑しながら言った。
私と旧友は外の喫煙所にて互いにタバコを取り出した。私は紙巻タバコを、旧友は加熱式タバコを吸っていた。
「紙巻派なのか?」と旧友は尋ねた。
「いいや、加熱式も吸う。二刀流だ」
「二刀流か。格好いいな」
「お前は加熱式だけなのか?」
「まぁな。なんせ匂いが残りづらい。妻子に嫌がられたりすることもないし、健康にもよさそうじゃないか」
タバコを吸っている時点で健康もクソもないと思うのだが、私は口に出さなかった。
旧友は周囲を見回した。私たちと同じように、喫煙者の姿が目立つ。
「おい、あれを見ろよ」
旧友が指さした先は、今いる喫煙所とは別に設けられた喫煙スペースだった。そこは加熱式タバコ専用の空間だという。
「あんな場所もできていたんだな」
「知らなかったのか?」
「いや、噂では知っていた。けど、あまりお目にかかる機会がなくってな。そうか、こういう街ならあるんだな」
旧友は感心したようにうなずいた。そういえばこの男は地方の出身だったな、と私は益体のないことを思い出していた。
私たち二人は煙を吐き出しながら、それとなくお互いの腹を見た。
「太ったな」
「お互いにな」
「運動不足か?」
「それもあるな。食生活もやや不安定気味だ。昼はコンビニ弁当だし。妻がうるさいんだが、積極的に食事のコントロールをしてくれているわけでもない」
「妻のせいにするなよ」
「もっともだ」と彼は笑った。
ややあってから、彼は私の顔を窺った。
「なぁ、やっぱりタバコは止めた方がいいか?」
「健康のためなら、それが一番だろう」
「そうだよな。わかっているんだが……」
「わかっているが、止められない。タバコ吸いの常套句だろう」
「お前、吸ってからどのぐらいだ?」
「二十歳の頃からだから……かれこれ十五年以上にはなるな」
「一日にどれだけ吸っているんだ?」
「軽く十本は吸っているだろうな。真面目に数えてみた時期もあったが、面倒くさくなって途中で止めた」
「十本か。今頃、肺が真っ黒になっているんじゃないのか」
「だろうな。医者に嫌味を言われているよ。肥満の原因にもなるってな」
「肥満か。三十を過ぎた辺りから気になるようになってきたよ」
「そうだな。タバコを吸えばなおさらだ」
私たちはそこで会話を切り上げた。取るに足りない話ではあったが、タバコを吸うのに罪悪感を抱いているような旧友の顔つきが気になった。
私からすれば、罪悪感を抱くぐらいならタバコなぞ止めてしまった方がいい。月並みではあるが、健康にも財布にも妻子にも優しい。長生きするならばそれが一番だ。加熱式タバコを吸っていようが、しょせんタバコはタバコ。副流煙をまき散らし、体内に有害物質を溜め込んでいることに変わりはないのだ。
そもそも加熱式タバコはタバコを吸っていることへの免罪符にならない。
私は一歩遅れて、旧友の背中を見ていた。昔見た時よりも背中が丸く、小さくなっている。どこかで哀れみを覚えつつも、私にそう思う資格はないだろうなとぼんやり考えた。私とて妻子から文句を言われている立場だし、旧友のことをとやかく言える立場にない。
その後、旧友としばらく会う機会はなかった。
再開したのは同窓会から半年後のことだ。
旧友は見違えるほど若返っていた。背筋は伸び、目は輝き、肌にも張りがある。一体どうしたことかと尋ねてみると、タバコを止めたんだと彼ははっきり言い放った。
「禁煙直後は辛かったけどね。カウンセリングを受けたりして、なんとか立ち直ったよ」
まるで麻薬中毒者が立ち直ったような言い草である。体重も落ちただの、きついスーツが着られるようになっただのと、新興宗教に入ったばかりの信者がもたらす文句を次々と垂れ流す。
そして、次にはこの文句が出てきた。
「なぁ、お前も禁煙しないか?」
余計なお世話である。私は吸いたいから吸っている。人から言われて止められるようならば苦労はしない。義務感で吸っていると感じる時があっても、ひと苦労終えた後の一服は何物にも代えがたい。
「考えとくよ」と私は言った。
「そうしておけよ。階段を上がる時にも息切れしなくなったし、おすすめだぜ」
今にも親指を立てんばかりの旧友の誘いに、私は内心辟易した。
とはいえ、禁煙に成功したならばそれは良いことだ。繰り返すが、健康にも妻子にも財布にも、ついでに地球環境にも優しいからである。タバコは百害あって一利なし。自分にも周りにも有害物質をもたらすだけ。
誰もがそれをわかっている。わかっていながら平然と販売しているところがある。法律で取り締まったりもしない。せいぜい、税金を高くすることぐらいだ。タバコは必要悪なのである……これはただの言い訳だが。
更に半年後、旧友と出会った。今度は背中が丸くなり、目も落ちくぼんでいる。禁煙に失敗したのだということは明白だった。
「妻と離婚したんだよ」
紙巻タバコを吸い、彼は言った。
「浮気がバレた。タバコを止めてつい気分が良くなって、ついやっちまったんだ。子供も連れ帰るし……」
そこから先は聞くに値しない愚痴のオンパレードだった。
私も紙巻タバコを吸い、彼の背を叩いた。特に励ましの言葉を投げかけたりはしなかった。
せめて今吸っているタバコが彼の救いになることを、ほんの少し祈った。
紙巻タバコと加熱式タバコ 寿 丸 @kotobuki222
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