第6話ブラックアウトから

 普通の人も、悪い人も、全員始末した直後、私は激しく嘔吐した。深夜の施設には誰も居ない筈だが、足音が聞こえる。もしかして、あの人かしら、と曇った脳裏で考えたが、それは直感で否定した。来るわけがない、あの人は。血に塗られた私なんて、わざわざ見に来ないだろう。スッとした黒い影から現れたのは、リベルタだった。どうもどうも、という調子で死体をよけて歩く。やはりその動作も何故か優雅だ。

「大丈夫?」とリベルタは、やはり最初に会った時と同じように微笑んだ。私の手を握ろうとしたので、その手を瞬間的に振りほどく。「大丈夫って顔ではないよ」リベルタはやや不安げにこちらの顔を覗き込んだ。「あなたには関係ないわ、どいてよ」私は無理やり体をかき分けて先に進もうとした。しかし、私の体は鉛のように重く、だるく、どうも下腹部の調子がおかしい。怪我をしているわけでもないのに鈍痛がした。そしてまたもや強烈な吐き気がし、吐瀉物と共に意識が薄れた。薄れゆく脳裏には、もうあの人は居ない。目の前は真っ黒だ。絹のような感触だけが、私の痛覚を鈍らせてゆく。

 目が覚めたのはいつもの洋館ではなく、見たことがない部屋のベッドの中だった。のそりと起き上がろうとしても、下半身に力が入らない。サイドテーブルにあった水差しから水を飲んだ。水は冷たく、窓の様子を見る限り、朝汲まれたものだと感じた。ノックの音がし、静かに誰かが入室してきた。横を向くと、白衣を着た老婆が佇んでいる。「あの、こちらは?」「昨晩、血だらけのあなたを連れてリベルタ坊っちゃんはご帰宅なさいました」「私、怪我はしていないです。もうあの人のところに帰りますから」「鏡をご覧ください。顔が青白いですし、なによりあなたには月役がきております。月役は病気ではございませんが、内診させていただいたところ、あなたには初潮のようですね。思春期の女性は特に安静にしていていただきたいのです」聞きなれない単語が並び、私は困惑した。またノックの音がした。

「入ってもいいかい」私は黙るしかなかった。リベルタはたっぷり間を開けてゆっくり部屋に入ってきた。「私の刀はどこですか?あの人から貰った刀」リベルタは予め質問がわかっていたようで、刀を差しだした。鞘は綺麗なままだが、引き抜くと刀身がバッサリとなくなっている。根こそぎ、という表現が合っているほど、刀は、もう刀とは呼べない「何か」に変貌してしまった。あの人も刀ごといなくなったようだった。

 私は、初めて声を出して泣いた。身体が女性になってしまったのと同時に、生きる意味すら失った事実。あの人がここに来ない理由だって、理解できる。私は「棄てられた」のだ。害虫と同じく、煙草の吸殻と同じく。わたしは、本当に、「意味」を持たなくなった。「あの人が居ないと、生きる意味がないと思っていただろう?」リベルタは優しく、でもきっぱりと私に告げた。「文字通り、君には刀もなく、あの人ももう迎えには来ない。それで、どうする?君の生きる意味というのは、もうそれで終わりなの?」「きっと来るわ、あなたの言っている事は嘘よ、偽善者面して、私をあの人から遠ざけても無駄だわ」自分でも驚くくらい自分の口調は弱弱しい。「共依存、だ。それは正しい関係じゃない。君があの人に好意があったのは、僕にだって気が付いていた。あの人も、君を信頼していた。しかしそこにあるのは君と同じ好意ではないよ。君の強烈な力への依存だ。君の好意も、言うなれば依存に近かったと、僕は感じた」「やっぱり、本当に棄てられたのね」

絶望よりも深い、真っ黒な気持ち。失望とも違う。だって希望など、初めから私とあなたの間には存在してなかったから。「棄てられたと判断するか、自らを一度棄てて、自らの意志に目覚めるかは、君次第だ」リベルタは昔話になるけれど、と前置きして、リベルタの家族の事をコツコツと話始めた。退屈ではなかった。朝日がサイドテーブルの水差しを照らしている。

「君の望みはなんだい。僕でかまわないなら、出来る限りの事はするから、なんでも伝えて」


 自由は、不自由を知らなければ、決して味わえない事。生き続けなければ、本当の自由の意味を知る事も出来ないという言葉で締めくくられたリベルタの昔話。

 今の私には、罰も贖罪も、頭では理解していても実感が伴わない。せめてその実感が伴い、素直に生きる理由を見つけられたら。

 私のただひとつの、一縷の望みを打ち明けた。

彼は、もうずっと前からその回答を知っていたかのように、出会った時と同じように優しく微笑み、大きくうなずいた。

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ブラック・アウト 猫田 エス @nekotaes

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