どこにでもある、こんな平凡な街角で。

木立 花音@書籍発売中

どこにでもある、こんな平凡な街角で。

「で、お前はどうするんだよ? 同期会」


 大学卒業後から一人暮らしを始めた俺が契約しているアパートの一室。ホームセンターから買ってきた安物の丸い木製テーブルを挟んで座り、そんな事を口走ったのは、高校時代から交友が続いている親友の一人、マサトだった。

 ん~同期会ねえ、と俺は殆ど中身の残っていない缶ビールをぐいと飲み干す。空になったビールの缶が、テーブルの上にまたひとつ、並んだ。

 一週間にも及んだ出張で疲れ果てた俺がアパートに戻った時、それは郵便受けの中に紛れ込んでいた。先ほどマサトが言った、小学校時代の同期会の開催を知らせる往復はがきである。生徒数が極めて少ない小規模校だったので、同期会そのものも、参加人数を水増しする目的なのか三世代纏めて行うらしい。

 俺──早坂満はやさかみつるは、今年で、齢二十八になるしがない会社員。

 周りの同級生も、次々結婚をして子供を持ち始めているような年齢。両親や親戚一同からも、彼女はできたのか? 結婚はまだか? なんて質問を、正月やお盆に田舎に帰省するたびつらつらと言われる始末。もっとも俺自身、結婚なんてものがその人のステータスになるとはこれっぽちも思っていない。有り体に言って興味がない。だから他人の結婚話を聞かされても、『へえ、そうですか』と思うのが精々だった。


「だいたいさあ、どうして今ごろになって小学校時代の同期会なんだ。しかも、俺にまでお呼びが掛かるなんて」

 煙草に火を点けながら不満を述べると、「忘れられていないだけ光栄に思え」とマサトが皮肉で返してくる。新たな五百ミリリットル缶の栓を開封しながら。

 プシっという小気味いい音が、怠惰な生活ぶりを示すように散らかった八畳間に響きわたる。


 今回同期会の連絡が届いたのは、俺が小学五年生のころ半年間だけ住んでいた、鹿児島県種子島にある小学校のものだ。

 むしろ、半年しか在籍していなかった俺の現住所がよく分かったもんだ、と感心してしまいそうになるが、実行委員の中に『マサト』の名前があるのを見て腑に落ちた。なるほど、情報の出所はコイツなのかと。


「で、お前、結婚はいつすんの?」

 と脈絡なくマサトが言った。

「なんだよ、藪から棒に。結婚なんてそんなもん、今んところ考えてねーよ」

 と俺も缶ビールの栓を開ける。テーブル上に置かれているビールの残量は少なくなり、乾き物のつまみも残り僅かだ。

「相変わらずだな。で、彼女は?」

「だから……それは皮肉か? 恋人ができましたーなんて華々しい報告を俺が伝えたことあるか? それが答えよ」


 これ見よがしにマサトがため息をついた。


「もう二十八だろう。彼女の一人や二人。いい加減に作ったらどうだ」

「一人で十分です。つか、お前は俺の母親か?」


 まったくどいつもこいつも顔を合わせるたびに『結婚は』『彼女は』ときたもんだ。まったく……耳に胼胝たこができちまうっつーの。そんなものが、人間の価値にどれ程の影響を与えるというのか。


「女なんて──はあ……」


 まあ欲しいけどな、と普段言わない本音は、すんでのところで飲み干した。

 正直だな、と言わんばかりに笑った後、「ああ、そうだ」とまるで今思い出したようにマサトが言う。


「アイツの事、覚えてる? ヒカル」

「ああ、覚えてるよ。そりゃまあ」


 マサトの言葉に、横柄に頷いてみせる。


 ヒカル。種子島に住んでいた頃、近所に住んでいた短く刈りそろえた茶髪が印象的だった、背の高い男子のことだ。学年は確か、俺の一つ上。痩身で、運動神経がよくて、俺やマサトと三人でつるんでは、日が暮れるまで島中を駆けずり回って遊んだもんだ。

 アケビを取ったり、木に登ってカブトムシを探し求めたり、暑い夏の日には、小さな川に入って泳いだり。靴を片方だけ流されてしまった時は、家に帰ってから、おかんにこっぴどく叱られたっけなあ……。

 なんて、そんなどうでもいい過去を思い出す。

 常にヒカルが三人の中心で。平凡な容姿のためまったく目立たなかったものの、転校生である、という希少性からヒカルに目をつけられた俺と、彼の親友で毬栗頭のチビだったマサト──もっとも、今となっては中肉中背のイケメンなのだから本当に驚きだが──は、学校でも一目置かれるヤンチャな三人組だった。


「で。ヒカルがどうかしたのかよ?」

「いや……アイツも同期会くるらしいからさ。お前もどうかなって思っただけの話だよ」

「ヒカル、ねえ」


 ヒカルが今現在どうしているか気にならないのか、と問われるならば、正直気にはなっている。だが、親の都合により引っ越しが多かった俺の視点でみると、ヒカルも半年程度の付き合いで終わった交流浅めの友人の一人でしかない。転校後、何度か電話でやり取りしたのを最後に、社会人になった現在までずっと疎遠になっている彼と今さら会ったところで、いったい全体、どうやって盛り上がれというのか?

 中学卒業と同時に種子島を出て、俺が住んでる宮崎に引っ越してきた経緯から、現在でも交流のあるマサトであればいざ知らず。そもそも、同期会に行ったところで、この二人程度しか顔と名前が一致しないだろうから実に困りもの。

 結局、「考えておく。行けたらいくよ」と部屋の隅に転がったままのハガキに目を向け、半ば断りに近い返事をするに留めた。


* * *


 鹿児島県鹿児島市。県庁近くに最近できたホテルが、同期会の会場だった。悩んだ末に俺は、出席に丸をつけてハガキをポストに投函した。


 ──何をやっているんだろうな。


 一張羅のスーツを着て、会場に向かっている自分が酷く滑稽に思えた。

 料金を支払いタクシーを降りると、ホテルの入口を潜ってロビーに入る。エレベーターに乗って会場のある三階に到達すると、受付には二人の女が並んでいた。

 一人は黒髪ロングで、眼鏡をかけた真面目そうな女。もう一人は人懐っこそうな顔だちで、明るい黄色のスーツを着た茶髪ショートの女。

 なんだよ、受付はマサトじゃないのかよ、と溜め息を落としそうになる。当然ながら二人とも全然知らない顔だ。


 ──やれやれ。


 向かって左側、茶髪女の正面に立った。自分の名前を報告し会費を支払おうと財布を探すと、彼女は驚いた顔でこっちを見た。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。


「あ、満君?」


 目をまんまるに見開き、茶髪女が俺を見つめる。ぱちっとした大きめの瞳に薄いが形の良い唇。スーツの袖から覗いている二の腕は、日焼け跡がしっかり残る程の小麦色。なかなかの美人ではあるが、どうして俺の名前を知っている?


「ひさしぶり。元気だった?」

「いや、ゴメン。君の名前、まったく記憶にないんだけど」


 君、どころの話じゃない。当時の女子なんて誰一人覚えてない。

 すると茶髪女、とたんに不満そうな顔に変わり、分かり易く頬を膨らませた。


「ええ、なにそれ酷い。あんなに一緒に遊んだ仲じゃない」

「一緒に、遊んだ……?」


 君と、俺が? 困惑気味にそう返すと、茶髪女が俺の胸元を指で突っついた。


「本当に忘れてるんだ!? 酷い! あたしだよ! 水無月光みなづきひかる

「水無月光。え……ヒカル?」


 瞬時に思考が凍り付いた。嘘だろう? お前って、男じゃなかったの?


* * *


「ああ~そうか。マジで? お前性別からして間違えてたんだ? 酷い記憶力だな」


 俺のコップにビールを注ぐマサトの顔は上機嫌だ。同期会が始まると、俺を真ん中に挟んで右側にマサト。左手側にヒカルが席を取った。

 まあ、俺としても、知り合いの二人に挟まれたほうが居心地がいいのも確かだが。


「だってさ、お前、全然教えてくんなかったじゃん。先週会った時ですら」


 不満気に下唇を突き出してみせると、すまんすまん、と些かもすまなそうに見えない顔でマサトが後頭部をかいた。コイツ絶対に楽しんでるだろ。

 それにしても、と俺は思う。

 本当に、なんでこんな勘違いをしていたのか。ヒカルはお転婆だったから、先入観、って奴なんだろうか。流石に頭をかかえてしまう。


「とは言え、お前の記憶違いまで面倒見きれない」

 マサトが正論を言うと、ヒカルも口を挟んできた。

「でもさあ、ほんと酷くない? あたしって男の子だと思われてたんだ? 三十路近くなるこの歳まで? それはそれで色々複雑だわー」


 焼酎の麦茶割りを口に含みつつ、仏頂面でヒカルがそう吐き捨てる。彼女は──そう”彼女”は、あまり酒が強い方じゃないんだろうか? 頬のあたりはほんのりと桜色に染まっている。まだ、飲み始めてから三十分だぞお前。


「だってさあ」

「だって?」


 覗きこんできたヒカルの顔が意想外に近くて、並べようとした弁解の言葉がひっこんだ。


「いや、なんでもない」

「なにそれ! 途中で止めないでよ気になる!」


 両手を上げて抗議の意思を示すヒカルから顔を背けて思案する。

 いや、いえるわけがないだろう。

 だってお前、川で泳ぐとき普通に上半身裸で着替えてたじゃん、なんてさ。つまりあの時見たのはヒカルの……。そこまで妄想が膨らんだところで、慌てて頭を左右に振った。

 でも待てよ。今思うと少しだけ膨らんでいたような気もする。気のせい……気のせいなのか? まったく心臓に悪い、と当時とは似ても似つかないサイズに成長した彼女のバストに目を向け、また直ぐにそっぽを向いた。まるで不審者のようだが、流石に勘弁してほしい。幾らなんでも成長しすぎなんだよ。

 既に俺の記憶そのものが色々と怪しい気もするが、それでも覚えていることといえば、ヒカルは確かに自分の事を『ボク』と呼んでいたし、背丈だって俺より頭半分程高かった。それらが勘違いの元凶だと思う。

 それがどうだ、今となっては俺より頭一個分は背が低い。何時の間にか身長から何から逆転している現実に、妙な感覚が拭えない。


「それで、高校は何処行ったの? 部活動は?」

「宮崎の私立。部活動はバスケット」

「へえ、あの満がねえ」

「なんだよ。そんなに意外か?」

「うん、まあね」

 

 口元を覆って、ヒカルがくすくすと笑う。ふっくらとした赤い唇。小麦色の肌は当時と変わらないが、首回りはやけに細くなって、反面、胸とお尻は凄く成長したよな。

 って俺は何を考えているんだろう。かつての友人が性別を変えて現れたような今の状況に、脳の処理速度が先程から全く追いつかない。

 聞いたところによると、彼女は高校卒業まで種子島に住んでいて、その後鹿児島市に渡ったらしい。

 小学校時代の旧友三人が、酒を酌み交わしながら自分の半生を語り合う。ヒカルが女になっている? こともあって、なんとも不思議な感覚だ。


「あ、そうそう。あたしまだ独身だよ」

 軽くウインクしてみせるヒカルに、心臓が大袈裟なほどに飛び跳ねる。

「へ、へえ」

 俺も独身だよ、とは、なんだか惨めで言えなかった。というか、何時の間にかマサトは居なくなってるし。本当になんなんだ、アイツ。


* * *


 同期会は、二時間ほどで幕を下ろした。「満(みつる)~二次会いくか?」と声を掛けてきたマサトだったが、俺の様子を見て顔をしかめた。


「どうやら、無理っぽいな」


 お世辞にも酒に強くないことを失念していた俺は、すっかり酔い潰れてしまっていた。

 ホテルを出てからほんの僅か歩いた段階で、俺は路肩に蹲ってしまう。そんな惨めな俺の背中を、ヒカルが心配そうに撫でている。端的にいって、そんな状況だ。


「すまん、二次会はパス」

 擦れ声で、それだけを言うのが精一杯。

「そっか。まあ、ごゆっくり」


 なにやら意味深な台詞を残して、手をひらひらさせながらマサトが立ち去っていった。夜の帳が降りた薄暗い街の中に、彼の背中は直ぐに見えなくなってしまう。

 恐らくは、他の同級生らと合流したんだろう。


「ごめん。もう大丈夫だから。俺に構わずヒカルも二次会行ってもいいぞ」

 ぼんやりと顔を上げてそう告げると、

「そんな状態で、置いていけるわけないでしょ」

 とヒカルが豊満な胸を張る。

「いやあ、でも」

「だから、いいって」


 もう一度何かを言いかけた俺の腕を取ると、ヒカルは半ば強引に肩をくんでくる。


「お前、なにやって」

「懐かしく、ない? 昔さ、木登りしてて落っこちた満君をこうして支えて、君の家まで連れていったもんだったよね。覚えてる?」

「ああ、覚えてる」

「あの時さ、嬉しかったんだよ」

「え……聞こえない。今、なんか言った?」

「ううん、なんでもない」


 あの時は男同士だと勝手に誤解してたから無意識だったけど、流石に今は恥ずかしい。覚束ない足取りで歩きながら、ヒカルの身体からだの柔らかさを感じて身を捩った。あんまり密着するのは、ちょっと──。


「ねえ、まだ時間大丈夫でしょ。このままもう一軒だけ行こうか?」


 何処か恥ずかしそうに、顔を俯かせたままでヒカルが言う。


「行けるわけないだろ。歩くのだってやっとの状態なのに」


 するとヒカルはアハハと大きな声で笑った。


「飲み屋さんじゃないよ」


 あの頃となんら変わることのない、高いトーンの彼女の声。


「あたしのアパートさ。この近くなんだ」


 今度は声のトーンを落として、彼女がウフフと笑う。


「ねえ、くるでしょ?」


 今日も人々の想いが交錯する。夏の終わりも近づく、どこにでもある、こんな平凡な街角で。


 一拍遅れて、俺とヒカルの影がひとつになった。



 ~END~

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