間話 狂気のだいほんPart1〜前編〜
どうしてこうなってしまったのか。
僕の頭の中はその気持ちで一杯だった。
いや、原因は分かっている。もちろんその発端となった件も、こうなることを決定づけてしまった自分の発言も覚えている。
しかし、だからといって誰がこんな展開になるなんて予想できただろうか?
『奏、何かやって欲しいことはあるか?』
『考えて来て良いですか』
先週の金曜。その放課後に交わした会話がリフレインする。
わかってる。自分が言ったことだ、きちんと責任は果たさないと僕の気が済まない。
一つ小さく息を吐いて、目の前に座る少女を眺める。
ご丁寧に冊子状にした『だいほん(仮)』と書かれたルーズリーフを手に持ち、無言で僕を見つめる少女−−八色奏。
両者ともに何も発さない放課後の教室で、彼女の期待に満ちた目が、真っ直ぐに僕を射抜いていた。
本当に、どうしてこうなった……。
※
高校入学後初となる中間テストを終えた翌日、いつもの様に放課後の教室で僕は勉強(宿題も無かったので、予習)をしていた。
テストも終わり、今日からまた通常の授業内容に戻ると同時、中断されていた部活動も再開している。テストで溜まった鬱憤を晴らすかの様に、一際大きく聞こえてくる運動部諸君の活気に満ちた声を聞いていると、教室のドアが小さくノックされた。
「こ、こんにちは……」
返事を待たずして入って来た奏は、僕と目が合うと小さく微笑んでから勉強の準備を始めた。
「お疲れ奏。今日返って来たテストはあったかな?」
「お疲れ様です。えと、今日は……現国が返ってきたかな」
そう言って鞄からテストの答案用紙を取り、差し出してくる。
「えっと……どう、でしょうか?」
おずおずと節目がちに聞いてくる彼女に、明るい声を心がけて告げる。
「72点。凄いじゃないか、よく頑張ったね」
「あ、ハイ……うぇへへ」
「正直言うと、今回は60点に届けば良いかと思ってたんだ。お世辞でもなく、本当に頑張ったね」
僕の基準から言えば決して高い点数という訳ではないけれど、出会った当初の奏の学力から考えると、しっかりと勉強の成果が現れている。
彼女がきちんと努力して来た道のりを考えると、自分のことの様に嬉しかった。
「うぇへへへ。で、でも……悠くんのおかげ、だよ?」
「それもあるにはあるかもしれないけど、でも最終的に奏が頑張らないとこの点数は取れなかったよ。もっと自分を褒めて良い」
「ハイっ! でも、ありがとね……悠くん」
「うん、どういたしまして。この調子で期末も成績を上げて行こう。もちろん、焦る必要はないから」
「う、うんっ。が、頑張るっ!」
大袈裟に胸の前でガッツポーズ?を決める奏。随分と古典的なやる気の見せ方ではあるが、それが妙に彼女に似合っていて微笑ましくなる。
「そしたら今日は間違っていた部分を解き直してみようか。ぱっと見ただけでも漢字の覚え違いが目立つから、この辺りの問題で点数を落とすのは避けたいね」
「ハイ……どうも、変な覚え方をしちゃってるみたいでして……見直してみるね」
答案用紙を返し、勉強へと戻る。
一度だけ時計と教室の扉を確認したが、水原が来る気配は無かった。
※
ぐう。と恒例の音が鳴って、集中していた頭が切り替わるのを感じて目線を上げた。それなりに時間は経過していたらしい。
「わかってる」
「っ! ま、まだ何も言ってない、よ?」
語るに落ちるとはこのことだった。
「それは何か言おうと思ってたことの証明になるから、言い訳をするなら気をつけた方がいい」
「い、言い訳じゃないもん……」
「うん、わかってるよ」
「わ、わかってないですっ」
恨めしそうに僕を見てくる奏。このやりとりを続ければ続けるだけダメージを負うとわかっていないのだろうか。
……まあいい、なら乗ってやるだけだ。
「へえ、何がわかってないのかな?」
「え、えっと……それは」
「それは?」
余裕たっぷりに答える。
ここ最近訳のわからない力押しを喰らっていたからな、その借りは返させてもらう。
「……よ、良くないと思います」
「……うん?」
「そ、そういうのは、だめだと思います……」
「えっと、ごめん奏。何のことかよくわからないんだけど」
「そっ、そういうところも、よくありません」
「……はい?」
嫌な予感がする。
目をぐるぐると回し始めている奏を目にし、直感にも似た確信を覚えた。
「お母さんが言ってました」
「え?」
「お、男の人は……都合が悪くなると、言い訳ばかりって」
「ちょっと待て、さっきからなん」
「それもです」
「ええっ……待て待て、僕は何も言い訳なん」
「悠くん」
有無を言わさぬ圧を感じて、押し黙る。
なんだ、何が起きようとしてる……。
「悠くん」
「……何?」
「い、今なら……何も無かったことにしてもいいんです、よ?」
「実際何も無かっただろう」
「いいえ、悠くんはわたしをはめようとしました」
「は?」
「悠くんはわたしをはめようとしました」
「違う、なんて言った? の『は?』じゃない」
「でも、はめようとしましたよね?」
「何を勘違いしてるのかわからないけど、そんなことはしてないよ」
少しでも落ち着かせる為に、ゆっくりと言う。
効果は……
「しましたよね?」
無かった。
「……してないよ」
「しました」
「して」
「しました」
「……わかった、ごめん。僕が悪かった」
「本当にそう思ってます?」
可愛らしく首をこてんと傾けて聞いてくる奏。
しかし目も口も、何一つ笑ってはいなかった。
……何が起きてる。
彼女がパワープレイを強行してくることは過去の経験からも知っていた。苦汁を舐めさせられた事にちょっとした対抗心なんてものを抱いたばかりに、どうやらまたこのパターンへとはめられたらしい。
……はめられたらしいって、じゃあ僕がはめられてるんじゃないか。
もはや何が発端でそうなったのかも思い出せないまま、謝罪の覚悟を決めた。
嫌な覚悟だった。
「うん、ちょっと理解しきってないところがあるんだけど、でもきっと僕が悪かったんだと思う」
「……わかりました」
「え? 許してくれるのか」
「ハイっ。そもそもわたし、怒ってない……ですよ?」
……じゃああの圧はなんだったんだよ。
「わ、わかった。ありがとう」
「ハイっ。でも、あんまりいじめちゃ……だめ、ですよ?」
可愛らしく人差し指を振る。仕草だけは可愛らしいのだが、相変わらず表情は能面の様であった。ホラーじゃないか。
「いや、どちらかと言えば僕がいじ」
「だめですよ?」
「うん、わかった。わかったから休憩にしよう」
誰かに教えて欲しかった。
僕はどこで間違えたのか。
「あ、ハイ……えっと、それでなんですけど」
「ん? どうした?」
纏う雰囲気も、ぐるぐるしていた目も元どおりになった奏は、鞄からファイルを取り出した。
「えっと、そのう……先週、言ってたやつなんだけ、ど」
「先週? 何かあったっけ」
「ハイ……えっと、金曜に悠くんが」
そこまで言われて思い出した。
先週の金曜。奏に肩揉み(実際は肩揉みでは無かったと思う)をしてもらった僕が、自分ばかり何かしてもらうのは嫌だからと、彼女に「何かして欲しいことはあるか?」と聞いたのだった。
そして、その時にすぐ返答は来なくて、保留となった事も。
「あー、思い出したよ。決まったの?」
「ハイ……えっと、本当は水原さんが来てからやりたかったんですけど……」
そう言って扉の方を見つめる奏。
何をやるつもりかはわからないけれど、それでも水原に居て欲しいという気持ちは、その声からも伝わって来た。
テスト前に水原と交わした会話を思い出す。水原がまたここに顔を出してくれるかはまだ僕にはなんとも言えない。テストの結果がまだ出ていない内は来ないのではないかという思いもあるし、結果が出たら出たで、僕の想定した通りに行ったとしてもまた彼女がここに来てくれるか、その確証は無かった。
……でも、安心させないとな。
「うん。まあでも、水原もそのうち顔を出すんじゃないかな。今は待っててあげよう」
「……そう、ですよね」
「それに、まだ僕等は水原にお礼を言えてないんだ。ずっと来ない様であれば、その時はなんとかしよう。ね?」
「ハイっ! ですね」
奏の顔に笑顔が戻ったことに色々な意味で安堵する。
彼女のためにも、僕のためにも、なるべく水原が戻ってこれる選択をできる様にしよう。
それに、まだ来ないって決まった訳ではないのだから。
そうやって自分を納得させてから、会話に戻る。
「それで? 僕にやってほしいことって?」
「あ、ハイっ。それなんですけど……まだ水原さんが居なくて、良かったかもしれません」
「ん? さっきと言ってることが逆だけど」
「ハイ……よく考えたら、まだプロトタイプだったので……水原さんが一緒の時には、ちゃんと完成品にしておきたいなって」
ぽわぽわとした笑顔を浮かべてそう話す奏。嬉しそうなのは大変結構なのだが、如何せんなんの話なのか先が読めない。
「うーん、奏。結局僕に何をさせたいんだ?」
「あ、ハイ。えっと……これ、です」
そう言って胸に抱いていたファイルからホチキス留めされたルーズリーフを取り出して来た。
「えっと……だいほん?」
表紙?に当たる部分には『だいほん(仮)』と書かれていた。
内容も気になるのだけど、なぜ平仮名なんだ。
「ハイ、作って……みたの」
ものすごく恥ずかしそうにもじもじとする様子を見て、背筋がぞわりとした。僕の勘なんてものはあてにならないと思っているけれど、これだけは当たっていると確信できる。
これは、良くないものだ。間違いない。
「あ、あーええっと……喉、乾かないか? なんか買ってこようか?」
「大丈夫です。見てください」
「……家に帰ってからじっくりとみ」
「見てください」
「……い」
「見て?」
くっそ!
掌に汗が滲むのがわかる。
たかだか数ページのルーズリーフがとてもつもなく重く感じる。
僕が台本を開くのを今か今かと待ち望む様にじっと見てくる奏から逃げる様に視線を動かすも、視線が彼女から逸れるたびに、『ぱちん』と小さく拍手を打たれる。
圧迫面接に来た就活生の気分はきっとこんな感じなのかもしれない。
どれくらい時間が経ったのか、時たま小さく鳴る拍手の音以外何も聞こえない教室。
どうしてこうなった……。
そんな考えが幾度も過った後、僕は覚悟を決めた。
奏と休憩をすると覚悟ばかりしている気がするが、気のせいだと思いたい。
「……わかった」
「ハイっ。じゃあ読み終わるのを待ってますね」
いつもより少しばかり音程の高い声音。僕がこれを読むのがそんなに嬉しいのか。
こんなことを友達に思いたくはない。けれど、眼鏡の奥からじいっとこっちを見てくる瞳に、この時僕は確かに狂気を感じた。
しかしもう遅いのだ。狂気の扉は確かに開いた。
逃げることは出来ないと、震える手が物語っている。
深く、深く深呼吸をする。
そうして僕は、台本を開いた。
彼女の目に宿る狂気は、尚もその輝きを失ってはいない。
もう一度言っておこう。
はめられたのは僕じゃないか。
手放した恋の拾いかた おくらねこ @okuraneko
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