第23話
寝室にて瞑想をする。
自分にとって大きな出来事があったからか、雑念が止まない。
かつて、天狗に学んだときもそうだった。
弟子の中には、これで剣から雑念が晴れるものが多かったので、指導に採用したが。
私個人と瞑想という方法は、相性が悪いようだ。
思えば、あれから長く経った。
数多の戦場を越えた。
多くの強者と試合った。
けれども、自身が天狗に勝つ想像が出来ない。
叶わぬ事は分かっている。
ただの我が儘に過ぎぬと。
けれど、己の死期を意識するにつれて、ある一つの思いが湧いてくるのだ。
「天狗ともう一度、剣を交えたい」
それが、言葉となって溢れ出した。
頬を、冷たい液体が伝っていく感触がある。
涙など、とうに枯れ果てたとばかり思っていたが。
案外、こういう情緒は年老いても消えぬらしい。
「おい、入るぞ 」
深夜だというのに、そのような言葉が耳に聞こえてきた。
この声は、まさか……!
都合のいい想像を振り払うように、頭を振る。
けれども、心臓は早鐘を打つのを止めなかった。
「返事が無かったが、俺とお前の仲だ。
それくらいは良かろう 」
戸を開けて入ってきたのは、天狗の面を被った少年。
忘れる筈もない我が師、天狗の姿であった。
「生きていたのか……?
天狗よ 」
私は、何度も眼を擦りながら、天狗を見つめ直す。
その姿も声もハッキリしている。
幻の類いという訳では、無いらしい。
「当然だ。
あれ以上共にいると、かえってお前の成長の妨げになるから、敢えて姿を眩ましたのだ」
「そうか。
今の私と、同じだったのだな」
それ以上は、声にならなかった。
「感極まってるのは分かるが、落ち着け。 こういうところは、歳経ても変わらぬのか。
三つ子の魂百まで、とはよく言うたものよ」
深呼吸をしてから、再び話しかける。
「お前こそ、その口振りも、姿も、あの頃から何一つ変わっていないな。
私はこのように、四肢は枯れ枝のようだ。
すっかり老い衰えてしまった」
「俺にとっては、お前達定命の者の在り方の方が羨ましいよ。
鍛えた身体が衰えて、漸く辿り着ける境地とやら。
俺には、どう足掻いても至れぬ物であるらしいからな」
「まるで、本物の天狗であるかのような……
いや、そうだったのか 」
私は、天狗の顔をよく観る。
正確には、そう思い込んでいた物を。
「私がそんなものはあり得ない、と思い込んでいたから面と見えていたのであって。
お前は、真に妖怪変化の類いたる天狗なのだな?」
「そうだ、気付くのが遅すぎるぞ。
お前が何度言っても信じぬから、このような苦労を…… 」
まるで、上から描かれた別の絵を、小刀で削ったように。
面と思っていたものが私の視界の中で壊れ、真に生き物の相貌としか思えぬ、天狗の顔が現れた。
「自らの思い込みで、目の前にあった本質から遠ざかっていたのだ。
それでは、剣で叶わなかったのも当然という物だろうな 」
「そうだ、これにて漸く、俺に一太刀届きうる可能性が生まれたぞ
……さて、やるか? 」
「望むところよ。
道場を開ける、そこで立ち会おうか 」
あの頃と、何ら変わらぬ気軽さで。
我々は、最後の立ち会いに向かう。
「木刀という道具が産まれたときも、感心したものだが。
これもまた、面白い工夫だな」
天狗は、防具を着けて、袋竹刀を興味深そうに振っている。
「安全に打ち合い、隙を突く、突かれるといった感覚を養うことが出来る。
ただし、これのみに特化してしまうと危ういな。
真剣ではあり得ぬ扱い方、この道具では使用できぬ技術などが失われてしまうやも」
「それもまた、時代の流れならば構わぬよ。
私達に出来ることは、未来にそのような技法が求められたとき復元しやすいように、書物に記しておくくらいのこと 」
「それが今世の人の選択か!
ならば俺は、未来の盆栽弄りに備えて、この身で技法を保存しておこうか」
審判もいない。
試合開始の合図もない。
けれども、安全のため防具を着用し。
真剣や木刀ではなく、袋竹刀を用いる。
真剣勝負と、試合稽古の中間にあるような、不思議な心持ちのまま。
私と天狗は、どちらともなく構えた。
天狗が選択したのは、攻めの上段。
私が選択したのは、守りの下段。
かつて、私が攻め、天狗が守っていたのとは、真逆の光景であった。
「火生土、悪いわけではないが。
水剋火の中段が、定石ではないか? 」
「あいにくと、老いたせいか動き回るのは辛いのだ。
あまりこちらから攻めないだろうが、許してくれ 」
天狗が、圧をかけるように、ズズイと迫ってくる。
摺り足の音が、真夜中の道場に浸かるように広がっていく。
私は、一切動かない。
焦れたのか、天狗が間合いに入ってきた。
即座に私は、足捌きにて前に進む。
見えぬ剣風が、私の右側面を撫でる。
私は、ガラ空きとなった天狗の下段を打った、と思ったのだが……
「少しは上達したようだな」
凄まじい剣風を感じたにも関わらず、今の振り下ろしは誘いであったようで。
即座に軌道を変えた剣に割り込まれ、受け止められた。
「いつになく、素直な褒め言葉だな。
嬉しいぞ! 」
私は、敢えて押し込ませて受け流し、刀を返して面を狙う。
これも読まれていたらしく、自ら前方に転がるようにして、かわされる。
「どうした?
この程度か 」
「なんの、まだまだ! 」
それから、何十合打ち合っただろうか?
気づけば、夜が白みかけていた。
流石の天狗も攻め疲れたようで、構えが僅かに崩れる。
その隙を逃さず、私は初めて自ら攻めに出た。
八相の保持する左手、その小手の辺りを狙い打つ。
だが、僅かに下がってかわされる。
そして私の首元に、静かに天狗の袋竹刀が添えられた。
「勝ちを確信した瞬間こそ、最大の隙。
教えたはずだぞ 」
「疲れたと見えたは、擬態か。
口惜しいな、天狗へ勝利したいという欲が、我が心の自由を奪い目を曇らせたらしい」
「だがその欲なくば、剣を振る理由はなし。
難しいものよ。
……とはいえ紙一重だったぞ、次に立ち会えばお前が勝つだろうな」
完全に、夜が明けて日が照り始めた。
「生死にこだわらぬ自由の剣、老いてなお進化し続ける人間の底力。
確かに見せてもらったぞ。
手をかけて育てた甲斐があったというもの」
「私を育ててくれてありがとう、天狗よ。
私は、あなたから教わった多くの教えがなければ、ここまで辿り着けなかった 」
天狗に、しっかりと頭を下げる。
「いやいや
実のところ俺も、多くの事をお前に学んだのだ。
素晴らしき日々を、ありがとう 」
「いつ彼岸へのお迎えが来るか分からぬが、是非また会おう。
だから、名を教えてはくれぬか?
私の名は、
「ああ、そういえば名乗っておらなんだか
ではな、俊矩 」
そういうと、背中からカラスのような羽を生やして、飛び去っていった。
私はいつまでも、その背を見つめ続けていた。(完)
とある剣術家の一分 牛☆大権現 @gyustar1997
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