異世界エルフ都内コンビニ出稼ぎ記

英 慈尊

そのエルフ――コンビニ勤務!

 空が白むのが早いか……。


 ――あるいは、奴らが姿を現すのが早いか。


 まるで地獄にまで通じていそうな地の底から、見るも恐ろしき鋼鉄の蛇に吐き出されるその数は、百や二百では到底きかぬ。

 まるで喪服のような装束に身を包んだ彼らを一見すれば、いずこからか動員されてきた軍勢のようにも思えるだろう。

 だが、栄誉ある戦いに挑まんとする戦士らと彼らとの間では決定的な違いが一つ存在した。

 ……生気である。


 その瞳は果たして、現世を見据えているのか、どうか……。

 明らかに水気の足りぬそれは眼前の光景ではなくどこか遠くを捉えているかのようであり、まっとうな生命を謳歌おうかする者ならば当然宿るはずのきらめきもなく、ただただこの世を呪うかのような暗き光が宿るばかりである。

 本来なら動かぬはずの体を強引に動かしているかのごとく、その足取りは重くはつらつさとは程遠い。

 ある者などは手元に目線を向けながら歩いており、他の者とぶつかるような有様であった。


 かような様相を見やれば、リ・ナートに生くる者が彼らを見て下す結論はただ一つだ。


 ――屍鬼グール


 地獄の底から呼び起こされた亡者達が、おののくべき大群となりて地上を目指しているのである。

 それが夜ではなく、今まさに太陽が昇らんとする時に行われているのだから、この世界の神は死に、予言された終末の時が訪れたのかと予感させる。


 ある者は階段を登り……。

 またある者は、いかなる悪魔の働きかけによってか彼らを自動的に運搬する階段や箱を駆使する……。


 そしてついに……彼らは地上へ到達した。

 到達したと言っても、まだ日が差す世界へその身を晒したわけではない。

 彼らが到達した地上部には、巨大な尖塔が建てられていた。

 あるいは、地の底に眠る彼らを鎮魂するために建設されたものなのか、どうか……。

 もしそうならば、祈りも願いも届かなかったことになる。

 深き眠りについてしかるべきはずだった彼らは、尖塔のそこかしこに設置された出口目指してその歩みを進めているのだから……。


 だが、太陽に祝福されし世界で跳梁ちょうりょうすべく足を動かす屍鬼グールらの中にあって、違う動きを見せる者達がいた。

 彼らが目指すのは出口ではない。

 尖塔の一階に設けられた、奇妙な施設である。

 まだ日は昇り切っていないのに関わらず施設内は真昼のような明るさで照らされており、のみならず、漂う空気も温度といい湿気といい天上界を思わせる心地の良さであった。


 今まさに、施設内へ足を踏み入れた屍鬼グールの一群を迎えたのは……エルフである。

 長命の種族ゆえにその正確な年齢は推し量るべくもないが、見た目は十代半ばの少女に思えた。

 亜麻色の髪を後頭部で一括りにしたその姿は小柄であり、華奢であり、とてもではないが地獄から蘇った不死者達を相手取れるようには見えないだろう。

 だが、エルフという種族はその身に宿した膨大な魔力によって、余人には想像もつかぬ卓越した能力を示すものなのである。


 では、屍鬼グールらを前にしたエルフ少女が見せるのはいかなる技の冴えか?


 目にも止まらぬ速度で振るわれる細剣の技か――否!

 ならば精霊に働きかけて摩訶不思議な現象を引き起こす魔術か――否!

 しからば神々の祝福をもって邪悪を滅する奇跡の祈りか――断じて否である!


 エルフ少女が用いるのはただ一つ――笑顔スマイル


「いらっしゃいませー!」


 ……というわけで、異世界リ・ナートからはるばる日本まで出稼ぎにやって来たコンビニ店員リン・ワークナーは、今日もにこやかに通勤途中のサラリーマン達を出迎えたのだった。




--




 ――怒り。


 ――焦り。


 ――倦怠けんたい


 ――絶望。


 この時間、地下鉄出口を階下に収めた商業ビルのコンビニエンスストアに漂う想念はと言えば、世に存在するあらゆる負のそれを煮詰めかき混ぜたかのごときものである。


 誰もが、疲れ切っていた……。

 誰もが、乾き切っていた……。

 誰もが、明日を見据えられなかった……。


 それでもなお、人は生きるために働くしかない。

 そして各々の職場という戦場へ赴く彼らがこの店で求めるものは、恐ろしく多岐に渡るのである。


 最新の英知を求め雑誌や新聞を手に取る者……。

 腹が減っては戦が出来ぬというこの国の格言に従い、パンやおにぎりなど即座に食べられる食品を手に取る者……。

 中には、切らしていたのだろう文房具を購入する者もいた。

 だが、これらの客は可愛いものだ。


 異世界から渡り来てこの店で働くリンにとって、最も恐るべき相手はそう……。


 ――タバコを買い求める客なのである。


 そもそもが、何故こうも多種多様な種類のタバコが存在するのか。

 郷里におけるタバコの売買というものは店主が葉を刻み、客がそれを買い求めるという形態だ。

 それがこの世界では、そのものが美術品として通用しそうな意匠を施された小箱に詰められ、何十種類も並べられているのである。

 しかも、ただ品目が多いだけではない。

 これを求める客というのが、実に厄介なのだ。


「マ〇セン一つ」


「セ〇タ下さい」


 ……などと、世界の常識だろ? と言いたげな顔で謎の略称を口に出す者たちがいる。

 当然、そんなものは常識でも何でもない。

 それが常識だとしたならば、複数の精霊力を融合させた混沌魔術の術理ですらも世界の常識となるだろう。

 今でこそ覚えはしたものの、最初の頃は覚えたての日本語で認識した商品名と全く違ったので混乱し、不興を買ったものだ。


 だが、欲しいものを名指ししようとする意志があるだけまだ彼らはマシかもしれない……。

 真に厄介なのは、口に出すことすらせずレジ前できょどきょどとする者達なのだ。

 別に彼らは、挙動不審者の真似事に興じているわけではない。

 愛飲しているタバコの銘柄に付けられた番号を探し出すべく、レジ裏のタバコ棚を眺めやっているのである。


(もう、商品名を言って! そしたらすぐ取ってあげるから!)


 などと、口に出すわけにはいかない。

 リンに許された武装はただ一つ、笑顔スマイルのみなのだ。

 ただにこにこと微笑みながら、愚鈍ぐどんな客が目当ての品を見つけ出すまで待つ他に術はないのである。

 当然、通勤ラッシュ時の忙しい時間にそんな事をされれば他の客達は列を成し待たされるのみだ。


 果たして、噂に聞く和の心とやらはどこへ置き去ってしまったのか……。

 レジ待ちを強いられた客というものは人間ではない別の生き物かのようであり、何ならばゴブリンやオークといった敵対種の亜人らよりもよほど凶暴である。

 舌打ち、睨みつけ……。

 中には、


「おせえんだよっ!」


 などと怒鳴りちらす者までいた。

 そのような態度を取られてもこちらに非がない事は一目瞭然なのだから、まったくもって理不尽な八つ当たりであるという他にないだろう。


 思わず風の精霊に呼びかけようとしてしまう己をいさめ、ひたすらに平身低頭の限りを尽くす……。

 これがいかなる儀式魔術より、心身を削る。

 誇り高きエルフの末裔であるリンにとって、己が自尊心を売り渡すというのは何物にも代えがたき恥辱ちじょくなのだ。


 今日もまた、自分の心を壊死えしさせる時間が過ぎていく……。




--




「はぁ~、疲れた」


 家賃月々六万円、この世界における居城たるワンルームアパートへと帰宅したリンは、手にしたビニール袋を床に置きながら深々と溜息を吐いた。


「あ~ったく、面倒な客ばかりで嫌になっちゃうよね」


 故郷の森に住む者らが聞いたら卒倒しそうな口汚さでぶつぶつと呟きながら、ビニール袋の中身を冷蔵庫へとしまう。

 ユニットバスで汗を流した先は自由と安らぎの時間かといえば、そうではない。

 むしろこれからこそが――本業なのだ。

 三十分ほどかけてを終えたリンは、ようやく本日初の自由な時間を得た。

 そうなればやるべき事はただ一つで、冷蔵庫にしまった二十四時間営業スーパーにおける戦果を引っ張り出す。

 手にしたるは二割引きの豚小間肉と……もやし!


「むふ~!」


 この時間帯で入手できたのは僥倖ぎょうこうとしか言いようのない宝物を眺めながら、約束された幸福に鼻を鳴らした。

 これを流しに持って行き、フライパンで炒める。

 火力としているのは当然、備え付けの電気コンロ……ではなく自前の魔術で生み出した火球だ。

 これのみならず、シャワーや照明に至るまでリンは魔術を駆使していた。

 電気、ガス、水道……それら生きていくのに必要なインフラは、千円台にまで切り詰める事ができる。そう、魔術ならね。


 出来上がった料理を皿に盛り付ければ、宴の始まりだ。


 ――割引き豚小間肉ともやしの焼肉のタレ炒め。


 宴であるからには酒も必須であるのだが、ここで取り出したるは発泡酒……ではなく2.7Lの特大ペットボトルに入ったウィスキーである。

 リンは自分と同じ名前のこの酒を、いたく気に入っていた。

 水割りにすれば発泡酒よりもはるかに安く、かといって甲類焼酎のように素っ気がない味でもない。

 しかも料理に対する汎用性が高いこの酒は、宴におけるベストパートナーなのだ。


 すっかり扱いの上手くなった箸を使い、もやしを一つまみ持ち上げた。

 これを口に入れれば……たまらない!

 果実やハチミツを始めとして、種々様々な香辛料の香味が爆発的に口の中へと広がり始める。

 それによって猛然と食欲が湧き上がったところで歯を楽しませてくれるのが、しゃきりとしたもやしの食感だ。

 内に秘められた栄養素を壊さぬよう絶妙な火加減で炒められたそれは、噛むほどに奥底から滲み出す野菜本来のピュアな旨味で舌を魅了する。

 たかが豆芽が、焼肉のタレという最上のドレスを身にまとうとここまで蠱惑こわく的な味わいに変容する……。

 これこそが、はるばる渡り来たこの世界における最上の美味であると言って間違いないだろう。

 好みの濃度で水割りにしたウィスキーを流し込めば口内に残された味の残り香がふわりと膨らみ、カッと体が火照って更に食欲が湧き上がってきた。


「んっふっふ~」


 さすがにこの程度で酔いが回ったというわけでもないが、ともかく上機嫌なままスマホを取り出す。

 中古で保証もないこの小さな機械こそは、宴を盛り上げる最良の役者である。

 慣れた手つきでアプリを立ち上げると、超大手通販企業が誇る動画サービスにアクセスした。


 本日、宴を盛り上げるのは日本でも最大の人気を誇る特撮番組……そのニ十周年を記念して製作された映画である。

 かつて冒険者として本作に登場するような怪物とも戦闘した経験のあるリンであるが、その彼女をもってして見事と言うしかない四十五分間の芸術に身を浸す。


 そうしながら美味い料理、美味い酒を楽しんでいると……あっという間に至福の時は終わりを告げた。

 否――まだ終わりではない。

 宴の締めにして、本日最大の仕事がまだ残っていた。


 程良い酩酊感に包まれながらスマホを操作し、そのアプリを起動する。

 これこそが、彼女の本業デュンヌ

 そして今から挑むのは、この生業を営む者としての責務であり日課なのだ。


「んん……! んんんん……っ!」


 魔術を行使する時ですら込めたことがない裂ぱくの気合を――あるいは祈りを込め、そのボタンに指を向ける。


「納税っ!」


 そして、ボタンを押した。

 ……だが。


「だぁ~っ! 白封筒かあ!」


 落胆と共に、だらしなく脱力する。


「明日こそSSR引けますように……」


 緑色の神に祈りながら、歯を磨くべく立ち上がるのだった。




--




 リン・ワークナー百二十歳。

 故郷の森を買い戻すべく出稼ぎに来た日本は何かとせわしなくて、心が傷つくことも多いけど……。

 美味しい料理とお酒、楽しい動画やソシャゲに溢れているので、ひとまず幸せである。

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