第43話 終幕
鬱蒼と生い茂る森の中、蒼々と燃え盛る炎の柱が見えた。
美しい、炎だ。
山の頂、そこに佇む神殿から森を、山を見下ろし、私はほうっと溜息をつく。左手で焼け爛れた頬に触れる。失った右腕が虚しく疼いた。
リゼルダットが最後に見せた涙。
それはどの涙よりも透明で、美しかった。
真っ暗な空。一際明るい二つの星が瞬いて、雲に飲み込まれていった。
「なんか……懐かしいな」
ふと視線を戻すと、神殿を覗くエインの姿があった。貫かれたような傷はもうない。少し焦げたような灰が、彼の頬を汚していた。
「ガラにもない」
「うるせぇよ。俺だって、感慨深くなる時だってあるもんさ」
そう言って彼は神殿の大きな鉄扉を開く。
「……確かに、懐かしいな」
神殿は、私たちが囚われていた時となんら変わらない。中央のサンクチュアリーと、放射状の長椅子。色が薄れたバラッドの香気を吸い込んで、私は中央に立った。
「そう遠くない昔のはずなのにな」
隣で小さく笑ったエインに、私は頷く。
ここでエインと出会ってから今、過ごした時間は決して長くはない。だが、なぜだろう。なぜ、こんなにも先日が遠く感じるのか。なぜ、エインに対して、旧友のような安心感を覚えるのだろう。
「俺、最初の頃さ、お前のこと、いけ好かねぇ扱いづらそうな高尚野郎だと思ってた」
「それなら私も同じだ。とんだ胡散臭い悪魔に魅入られたものだとな」
「でもさ、俺、今は全然違う。……こんなこと言うの、すごい恥ずかしいんだけどさ。俺の復讐を手伝ってくれたのがエルでよかった。本当だぜ?」
はにかんでエインは、一歩前に出た。
私も、貴公でよかった。
そう告げる前に、エインは振り返って神殿を見上げた。
そして、一度も私を見ることなく、零すように呟いた。
「……これで、契約は本当に終了だな」
聞き逃してしまうほどの小さな呟きは、誰もいない神殿では、とても大きく聞こえた。
決してこちらを見ることがない。見上げる、まっすぐで、なんの色もないエインの瞳。熔鉄を被ったような彼の横顔が暗く見えたのは、夜のせいだけではあるまい。
「ここで始まって、ここで終わる。どうだ? 粋なことだと思わんかね」
その、儚い、すぐに消えてしまいそうな笑顔。
私はまっすぐに、彼の瞳を見つめた。エインを、その笑顔を捕らえるように。
それならば、と私は続ける。
「ここでまた始まるというのも、粋だとは思わないか」
「……へ?」
顔中に疑問符を張り付けて、エインはやっとこちらを向いた。いまいちピンと来ていないのは見て取れる。
私はしっかりとエインを見つめた。
「だから、貴公の体を戻す鍵を探す手伝いをしてやろうと言っているのだ」
エインからの返事は、すぐにはやってこなかった。
一拍、置いてのち。
「はぁぁぁあああ!?」
彼は、そう叫んだ。
鼓膜を破るほどの叫びは神殿一帯の空気を揺らす。彼は驚愕に慌てたように首を振った。
「鍵って……そ、そんなもの、ないって言ってただろ!?」
「ここにはなくとも、他の地にはあるかもしれんだろう」
「……ほ、ほらっ、無駄になるかもしれないし」
「悠久の時では、無駄をして過ごすほかないだろう」
「そんな……」
あくまで必死なエインに、私はため息をついた。
私はエインを良いように利用してきた。復讐のために、いや、自分を保守するためにも。だが、私は彼のためになにができた? ……なにも、できなかった。
彼の復讐だって、私が手伝ったのかと問われれば素直には頷けない。私は胡散臭い男に惑わされていただけだ。……彼の夢だって、結局は虚しく終わっただけ。
私は彼のために、なにも為せていない。
そればかりか、彼の足を引っ張ってばかりいる。
だから。私はエインに左手を差し出した。
「終わる世界が滅ぶのを見守るよりも、貴公の夢の鍵を見つけに行く方が、よっぽど有意義だと思うのだが?」
――今度は、貴公の夢を探す番だ。
エインが異論を唱えることはなかった。ただ唖然と、口を開けたままに私をじっと見る。
やがて、目を逸らすと、彼ははっと笑った。
「なんだそれ。悪魔の契約かなんかか?」
「なんとでも言え。私が聞きたいのは、貴公の意思だ」
いつか聞いた言葉に、どうする? と私は差し出した左手を軽く上げる。
エインは額を押さえると、小さく笑った。喉を鳴らして息を漏らしたような笑い声は、やがて神殿に響き渡るほどの笑い声となる。
そして、エインは頷いた。
「決まってんだろ?」
――幕を閉じた復讐物語。それは、やがて訪れる新たな物語を紡ぎだす。
まっすぐに見つめる真っ赤な瞳。腕の黒炎にも似た、静かな激情が宿る瞳で、エインは私の手を取った。
「――契約だ」
昏き蒼黒の復讐物語 湊川ユーリ @reavig
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