第42話
自分の体から煙が立ち上るのが見えた。すっかり壊れてしまった肢体。グロテスクなまでに変形した腕は、指一本がかろうじて動く程度。霞む白黒の視界に映っていたのは、私を見下ろす二つの影だった。顔はもうぐちゃぐちゃに映って、誰が誰かは判別なんてできない。しかし、彼らは確かに、私を冷ややかに見下ろしていたのだ。
「……なんで……なんで、じゃまをするの……? わたしは、ただ……っ!」
ただ、愛した人と暮らしたかった。研究なんてどうでもいい。ただ、幸せに暮らせれば、それで満足だった。人のためなんて、私を抱きしめるためなんて、どうだって良かったのに。
「アンタの気持ちも、理解できねぇってわけじゃねえぜ」
「愛する者を求める。人として、普通の感情だ」
どうせ思ってもいない言葉を投げかける。薄っぺらい、ただ浪費するだけの同情に反吐が出そうになった。
だが、反して、それに縋りたくもなったのだ。
「なら、ならどうして……じゃまを……っ」
「簡単なことだ」
鈍い音を聞いた。伴って水を流したような音が耳につく。
「俺らもアンタと同じさ」
影のひとつが私に近づいてくる。ひたりと、生暖かく、ぬめりとしたなにかが肌を撫でていった。耳に流れ込んだのだろう。ぐわりと音が歪んだ。視界にただひとつ、鮮明に映るは、毒々しくも艶やかな赤。
二つの影が手をかざし、そして同時に答えた。
「貴様が邪魔だっただけだ」
「アンタが邪魔だっただけだよ」
「 Di Gvar」
紺青に染まる視界。まるで静かに立ちこめるようで――そう、真冬の宵の色。
影が歌った神詞は、なによりも平易で、それでいて美しかった。
「いやぁぁああああああああ――――――――!!」
痛覚自体はもうとっくに失っていたに等しかった。だが、痛い。辛い。なにが私をこんなにも苦しめるの? 答えは明確だ。
――私は、死にたくない。
待っているのだ。ラフェールが。この世でまた会おうと。そう言ってくれたのだ。死にたくない。死ぬわけにはいかない。生きたいの、生きて彼を、また彼の腕の中で――。
炎の中、芋虫のように這いつくばって喘ぐ。苦しい、助けてよ。醜悪な臭いが鼻をつく。それでも救いを求め、脆く歪んだ手を伸ばす。
その手を、冷たい指が掴んだ。
まるで、陶器のような白い肌。生の面影すらなく、ただ――愛おしかった。
「あぁ……らふぇ……っ」
幻などではない。確かにそこには、彼がいた。ただ一人、愛した者の姿だけが、くっきりと鮮明に映った。
彼は生前となんら変わらない姿で、膝をついて私の手を掴んでいた。痩せて骨ばった白く冷たい手が私の頬を撫でる。私の顎をもち上げて、彼は眼鏡の奥の瞳を細めた。
もう いいんだよ
あぁ、と私は理解した。
なぜ私を見る彼の顔がこんなにも優しくて、悲しい顔をしているのかを。
――私は、もう休んでいいのだ。
涙が零れた。なぜだかわからないが、私は涙を流し続けた。どうしても、とまらない。その根底には、安堵ややすらぎに似たなにかがある気がした。なにに対する安堵かはわからない。ただ、彼の憐れむような申し訳ないような……そんな表情が印象に残っていた。
涙を指先でそっと拭われる。背を抱かれ、持ち上げられた顎に、だんだん彼の顔が近づいてくる。私は、そんな彼を受け入れるように瞳を閉じた。
唇に触れた冷たい感覚は、これまでに味わったことのないほど濃密で、悲しくて。
そして、一番優しく溶けこんでいった。
紺瑠璃を呑み込んでいく闇は、やがて訪れる夜を招く。
愛する人に抱かれる夜なら、私は――。
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