オリジナルのきみとコピーのぼく

スズムシ

オリジナルのぼくとコピーのきみ


 オリジナルとコピーの価値の違いがぼくにはわからない。


 たとえば、ぼくの書いた物語が名作のコピーだったとする。ぼくは盗んだのかもしれないし、引用したのかもしれないし、考えに考えてひねり出した答えがたまたま一致したのかもしれない。


 物語にかぎらず、音楽でも絵画でもアイドルでもいい。なんでもいい。ぼくの考えたオリジナルがオリジナルではなかったとき、ぼくの偽物ってやつは何の価値もないのかな。


 きみは二番目に価値がないっていうかもしれない。でも芸術は何かを証明したりしない。きみに認めてもらうものでもない。だってきみが芸術を理解できてるとは思わないからね。


 そもそも正解がないのだから。


 ぼくにしたって理解できないよ。


 正解がないってことはさ、自由でもいいし、自由でなくたっていい。ぼくらの思い込んでるものは正解で間違ってる。


 ならオリジナルもコピーも盗作もオマージュも実は変わらないんじゃないかって思うんだ。


 考えるほどそうなんだ。ぼくの大好きなものがきみの大好きなものであっても、きみの伝えたいことがぼくの伝えたいことであってもいい。


 子どもが口ずさんだ名曲のメロディー。プロの奏でる旋律。本人の演奏。どれも同じ楽譜をもとにしているのだから、その価値は同じはずだ。



 ぼくは小説家だから、物語だけに絞ろう。


 ぼくが書いたきみの物語のコピーと、きみが書いたぼくの物語のコピーのあいだに何か差は生まれるのかな。他のひとが書くと無価値になってしまうのなら、そんなのぜんぜん名作じゃないや。


 名作は誰が書いてもその価値は変わらないはずだから。


 それなのに。


 この物語はぼくのものだ、あいつのものだって叫んでるひとを見ると、どういうわけかもやもやする。


 その答えを、だれか教えてくれないかな。



 もしも物語――つまり言葉というものが一番目にしか価値がないのだとしたら。


 ぼくらの「愛してる」はもう何の価値も有していないことになるね。






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