文字を紡ぐ。

佐藤令都

文字を紡ぐ。

 心臓がぱくぱくしている。

 制服のスカートを握りしめる手のひらが汗ばみ、微かに震え始めた。

 生唾をこくりと飲み込む。口の中は変わらずカラカラに乾燥したままだった。


「話があるの」


 そう一言伝えて母の前に正座するまでは、これほどに緊張するとは思っていなかった。

 小さい頃の、イタズラが見つかった時以上に何を言われるのだろうと……単純に怖い。

 悪い話では無いのだけれど……こわい。

 玄関の戸を開けるギリギリまで考えていたセリフは一字一句脳内からサヨナラしてしまった。


「えっと……ね、報告しなきゃいけないことがあってね、いい事なんだけど……」


 電車内でのニヤニヤは何処に行ったのだろう。小さくガッツポーズしていた数日前の自分と同一人物なのだろうか。


 ブレザーの内ポケットからスマートフォンを取り出し、メールボックスを手早く開く。


「これ見てほしいの」


 画面を突き出すと母は怪訝な顔で凝視した。


「なぁに? これ」


 一通のメール。

 簡素な文章だけれども、私に夢を与えてくれたメール。

 差出人はカクヨム公式。夏に開催されていたカクヨム甲子園についての報告だった。

 内容の説明は別に何も難しいことは無かった。だが、私は小説を書いていたことも、コンテストに応募していたことも話していなかった。

 半年越しの事後報告。正直この上なくキツい。


「ちょっと長くなるんだけどね……」


 私はぽつりぽつりと話し始めた。



 私が物語を書き始めたのは小学校に上がるか上がらないかの時分だった。

 最初は絵本みたいな、字よりも絵の方が多いような「おはなし」を書いていた。


 書き始めたきっかけは歳後の妹だった。


 気付いた時には空想の世界でスケッチブックが埋まっているような素敵な想像力を持っている子供だった。


 いつの頃からか私と妹は交換小説のようなものを書き始めた。相変わらず絵は多いし、話の内容も短い上にどこかで見たことのあるようなものばかり。それでも登場人物の姿を二人で作り上げるのがノートの中の隠し事のようでわくわくした。

 学年が上がるにつれて更新頻度は落ち、二冊目になった交換小説はホコリを被って、完結を夢見て眠ってしまった。

 その頃から、私も妹もひとりで創作を始めるようになっていた。

 キャラデザは書くけれど、枠線の狭くなったノートには活字の海が広がっている。

 お互いの小説は机の引き出しの中にあって、勉強する振りをして書き綴り、読了後には日付と時間と感想を付箋やメモ帳に書いて挟めておく。

「漢字読めない」「話がつまらない」「初期とキャラブレしている」「設定がもう中二臭い」

 辛辣な感想を書かれれば(書いてもだが)、「どういうこと?」と問いただし、後に口喧嘩に発展する。


 妹はカクヨムにあげた私の小説を読んではくれないが、「私」の一番の読者であると今でも思ってる。


 時々、ほんとうに気紛れに彼女の完結しきらない小説のページをはぐることがある。

 高校生の私と数年前の妹。

 年齢差は広がるばかりなのに読む度に才能の差を感じてしまう。

 一生かかってもいい。文才オバケの彼女より「自分の方がおもしろい」と思えるような作品を書いてみたい。

 想像力も感受性も、妹より優れていると感じた同年代には今のところ会えていない。これは贔屓目なのかもしれないが、心の底から続きが読みたくなるような、荒削りでも光るものがわかるような……そんな小説家は私の中では、いつの間にか筆を折った彼女だけなのだ。

 高校の友達の何気ない一言から再び筆を取った私だが、「すごくおもしろかった!」と言われても、「高校生が書いたなんて信じられない」と言われても心の奥では終わらない妹の物語と比べている。


 コロナで学校が一斉休校となり、たくさんの時間が持てるようになった。


 それに加えて妹が自分の落ちた高校に合格するという、十六年の私の人生で最も残酷な出来事が重なった。

 精神を保つためにも私は溺れるように小説の世界に身を投じた。

 フィクションの世界はずっと自由だった。

 何をするにも自分を縛るものは無かった。

 感じたことを、考えたことをありのままに画面上にタイプすれば、私はひとつ別世界の創造者になれる。

 小説の書き方が下手だとか、間違っているとかの指摘はありがたいが、それは正しい世界の基軸である。活字の世界はそれだけが全てでは無いのだ。

 誰にも読まれなくても自分の書いた物語は胸を張って「文学」なのだ。

 ふとした瞬間溢れそうになる涙も、息苦しい現状も、全て文字で綴れば「文学」だ。

 周りの意見が全てじゃない。大衆受けは小説でご飯を食べる人だけが考えればいいことじゃないか。

 自分を基準に「楽しい」か「つまらない」の二択の世界線で私は物語を紡げばいい。


 カクヨムに投稿したのは、最初はちょっとした好奇心だった。

 自分の文才がどこまで通用するのだろうと腕試しのような気持ちだけで始めてみた。

 新しい世界を見てみたい、知りたいと思った。

 ボタンひとつでネットの海に作品を放り投げた。

 感情をただひたすらに書き殴ったような、声にならない悲鳴が聴こえるような作品だった。気分が良くなかったから削除してしまった。


 純粋に創作がしたくて、中学時代の思い出を元にキラキラした物語を書いた。たくさんの人から感想が届いた。

 嬉しかったのでコンテストにも応募してみた。

 でも、一番に読んでもらいたかったのはやっぱり隣にいる彼女だった。

「ネットで書いているんだ」とは伝えたが、友人に貰ったペンネームは教えなかった。

 彼女は知る由もないだろう。佐藤大翔私の名前を。


 なんだかんだ課題に追われているうちに自粛期間は終わり、学校が再開された。


 後に両親には小説は「暇だったから書いてみた」と伝えることとなる。

 確かに「暇つぶし」であったことは間違いではない。

 ゲームやマンガも数日で飽きてしまったことは事実なのだから。

 だからといってゴールデンウィーク中、毎晩布団の中で深夜二時を過ぎるまで文字を紡ぎ、早朝五時に続きを書き、八時に何食わぬ顔をして、さも「今起きました」風に毎日を過ごしたのは「暇つぶし」の域から遠く外れた所業だろう。


 定期テスト後に小説を狂ったように書く生活は、やっぱり今日も続けている。


 テスト勉強をしながら考えたメモを基軸として世界を広げる。スマホ一台、ルーズリーフ一枚であっても感情を、衝動を書き殴る。快楽のままに書き殴る。


 夏が過ぎて秋になった。


 カクヨム甲子園は気が付けば選考中になっていた。


 カクヨム夏物語で全く振るわなかったので、大して期待もせず、短編、長編どれか当たれば御の字と四作品を応募していた。

 学期末考査の勉強に精を出し、傍らで次作の構想を練っていたら(正直な話)存在を忘れてしまっていた。

 そんな時に一通のメールが届いた。



「お母さん、自粛中に小説を書いてコンテストに応募してたんだけど……最終選考まで残ったみたい」


 母は豆鉄砲をくらった鳩のように目を見開き、疑問符だけを顔全体に貼り付けてた。


「あんたそんなこと四月にやってたの?」


「うん。スマホでずっと書いてた」


「ネット?」


「……だけどちゃんとしたとこ。角川文庫のサイトだから」


 ネットを敬遠する母は少しの安堵をしたようだった。

 同時に興味も持ってくれたようで語調が緩やかになった。


「なんのお話書いたの?」


「中学生の女の子が陸上するお話書いたの」


 母はへぇ、と微笑んだ。


「どのくらい書いたの? 答え聞いてもお母さんどの程度なのかわかんないと思うけど」


「四千字弱で、原稿用紙十枚分くらいかなぁ。短編の方が面白かったみたいなんだよね」


 だんだんと自分のことなんだと実感が持てるようになった。どこか遠い場所のお話じゃないんだ、これだけは胸を張って言えるんだと思えた。


 信じていいんだ、これは私の実力だ。


 妹との交換小説も、ひと月で六十七冊読んだ夏休みも、居場所欲しさに逃げ込んだ図書室も、全部、全部私のモノだ。私のモノなんだ。


 いつかの嘆きも、葛藤も、喜びも。

 全て私を作っていた。


 興奮……よりも歓喜。


 父が帰ったら伝えよう。妹にも伝えなければ。

 父はゲラゲラ笑うだろう。

「何やってるの」とあの子は鼻で笑うかもしれない。

 いや、「ふーん」と興味すら示してくれないかもしれない。

 それでもいいのだ。伝えることに意味がある。

 賞が貰えても、貰えなくても、きっと私は「あなた」には届かない。


 それでいいのだ。


「私に物語を教えてくれてありがとう」は本を出した時、あとがきで書こう。

 その時まではあなたを目標にさせてください。

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