24.処刑者の影
木々の合間は、奥へ進めば進むほど広くなった。倒木も藪も少ないが、荒れた石畳や崩れた石の壁が目立つようになってきた。元々街だったのだろう。半端に露出した建築物が、草木に覆われており、純粋な森より歩きづらい。
苦戦するカザリに、火の蛾と白面の騎士は歩調を合せてくれた。時折、心配するようにクミリが白い面と虚ような目をこちらに向けてくる
「だ、だいじょうぶ」
「ん、焦らない、で。転ぶ、から」
その言葉に頷くと、カザリは足を止めた。そして、長く息を吐いていると、自分の手が赤々と照られされている。夜にしては、異常に明るいのに気が付いた。森が薄くなったとしてもおかしい。レンカーサの作った火の蛾、その光が霞んでしまうほどだ。カザリは光源を探して、空を見上げる。
中天に真っ赤な月が浮かんでいる。普通、月が赤く見えるのは、大地に近い時だ。だが、赤い月は高く高く登っていた。
その月の光が、唐突に縦に裂けて黒く染まった。
それは瞳孔に違いなかった。蛇やトカゲのような瞳がぎょろぎょろと動く。その視線が留まり、カザリの方へ、じっと動きを止めた。裂け目はゆっくりと広がり、また縮まった。ぐにゃりと視界が歪み、体が痺れて動かない。目がチリチリと痛む。そこから炙られているような感覚が表皮に走った。
「見ないで」
呆然としていたカザリを、クミリがぐいっと引いた。ほとんど動かないカザリの体を、木の影まで、引っ張っていく。そうすると視線は切れた。瞳の裂け目は赤い月光に飲まれて、ゆっくりと消えた。
頷くと手のひらを握って開いて、具合を確かめる。あれほど強く感じていた痺れと痛みは消えていた。カザリはようやく、ふっと息を吐く。
「な、なに、あれ」
「わからない、知らない。見てるだけ。でも、きっと、悪いもの」
気遣うように、白面の騎士は先に月光の下に立った。あの瞳が再び開くことはないようだ。むふーっと息を吐いてから、クミリは黒い手でカザリを呼んだ。
「もう、いなくなった、と思う」
「わ、わかった。行こう」
カザリは赤い月と、目を合せないようにしながら足を進める。どんどん森は薄くなり、石の柱や石畳が増えていく。その癖、狼憑きの悲鳴とも吠え声ともつかないものが、時折耳朶を叩く。、
それを無視して火の蛾に従い、奥へ行く。広場のような場所にたどり着いた。ぼろぼろになって倒れ崩れた建物の跡。真ん中には、噴水の残骸が残っている。
ぬめった風が吹き、流れてきた鉄錆の臭いが、鼻を突いてくる。
「血、だ……」
そちらへ頭を向けると、石畳を擦る濡れた音が、噴水の先の道から聞こえてくる。近づいてくる人影があった。建物の影から、ぬるりと現れた。そのれは、血に濡れたズタ袋を引きずっている。ズタ袋をぼとんと落とすと、その口からゴロゴロと人間や獣憑きの頭がこぼれてきた。
赤い月光を背にして、真っ黒な衣服の大男が立っていた。膝丈まである長い外套を羽織り、革の衣服でぎっちりと体を固めている。長い唾の雨除け帽子を目深に被って、黒い布で口元を覆っている。大男は低く、千切れたような声を絞り出してきた。
「産まれ、ざるもの」
クミリに向けて、低い殺気が走った。外套に隠れていた重い刃が姿を現した。造りは大剣ようだが、先端に切っ先はなく板のように分厚くなっている。処刑人の剣とも言われる、断頭のために作られた剣に似ている。しかし、実際の戦いで用いることは、ないはずだ。別物なのかもしれない。
その強い殺気に思わず、庇うようにカザリは前に出た。すると目を向けてくる。血走った眼球を輝かせていた。焦点はこちらに向いているのに、彼はこちらを見ていないように見えた。
「おお、月が浮かぶ」
すでに正気ではないらしい。言葉とも呻きともつかないことを、ぶつぶつと呟いている。雨除け帽子の奥にあった目が、ぼんやりと輝きはじめた。月と同じ、赤い光だ。その光を隠すように、切っ先の無い大剣を高く、構えた。
「この人、は」
「血咬みの、狩人」
戸惑うカザリの影から重い声が漏れた。じりっとした脚の動きで、白面の騎士はカザリの横に立つ。クミリは刃を赤い月に輝かせながら、下段に構えた。それに合せて、カザリは矛先をずいっと前に出す。矛の先に付いた布が、風で静かに踊る。
流れてきた生臭い血が鼻をついた。
「カッハッ」
吐血でもするような奇妙な掛け声、同時に相手の刃が放たれた。
黒い風となった人影が、瞬く間に踏み込む。次に感じたのは、チリっと頬に焼けるような痛みだった。血咬みの狩人が振るった白刃が掠めたのだ。咄嗟に体を動かしていなければ、顎から上がなくなっていただろう。すっと、後ろへ跳ねて、牽制がてらカザリは矛で薙いだ。
「カッヒィ」
血咬みの狩人は無造作に、踏み込んできた。血走った眼球を剥き出しにして、肉薄してくる。カザリが振るった矛の刃は届かず、柄で叩くような形になる。それでも、お互いの勢いがぶつかり合った重い一撃のはずだった。
「ヒィィアアアッ!」
まったく意に介さない。気合と共にカザリに体ごとぶち当たってきた。カザリが体勢を崩した所にまた横薙ぎに刃を振るう。これでは、間合いが近すぎる。咄嗟に下がったが、間に合わない。
「ほっ、ふっ」
軽い声が、そこに割り込んだ。小さな、白い影が体ごと、脚に短剣を突き立てた。狩人の剣がぶれた。それでも、カザリは吹き飛ばされた。鎧とクミリのおかげで、衝撃はすべて乗らなかったが、打撃となって体を抜く。
ごろごろと転がる体、痛みが遅くなって伝わってくる。息を整えようとすると、痛みと吐き気が込み上げてくる。革鎧は傷つき、あばら骨が、体の中で突き刺さっていた。追撃が来る前に、体を跳ねて位置を変える。
「ヒィッ、オアアアッ!」
「おっ」
奇声を上げて、クミリを振り払う。短い気合と共に、白面の騎士は跳ねて避ける。体格差から見れば、間合いを近くに取るべきなのに、離れた。こちらに虚ろな目を一瞬向けたが、すぐに狩人へと視線を向けた。
「骨、棘、刺す」
黒い手をついっと向けて、クミリが呪いを放った。ぞるっと、重い油の中を走るような妙な音ともに、白い投げ矢が放たれた。骨で編まれた、それは狩人の腹へと突き刺さった。血が流れることはないが、楔のように深く撃ち込まれている。
「ヒィアッ!」
怒りの声、なのだろうか。敵意が白面へと向かう。奇声と共に、血走った目が爛々と輝いた。振るわれる処刑人の剣は、顔に写る気迫と違って、不気味なほど正確な動きでクミリへと迫る。
「ほっ、はっ、おっ」
その分厚い刃を受け流す。その様は羽毛が舞っているようにも見える。短い手足と剣であっても、クミリには十分な守りであり、牙であるようだ。刃を流すだけではない。血咬
みの狩人、その指や手の甲を浅くだが、傷つけている。そのたびに怒りの声が短く、鋭く響いた。
クミリがそうして、引き付けてくれている間に、革鎧の隠しを開く。しまっていた小袋から薬を取り出し、かみ砕く。舌に広がる苦み、それを誤魔化すための強烈な甘味が無茶苦茶になって、口を支配した。
取り出しづらい。次から、もっと簡単に出せるようにしなきゃ、そんな思考が浮かぶ。そんなものを打ち消すように、体が、じわじわと熱くなり、あばら骨や細かい傷が強い痛みと共に繋がっていく。
うごめく痛みと暴れる味覚を食いしばって、耐えるとゆっくりと立ち上がる。鼻息を荒くしながら、肺を動かす。胸の痛みはだんだんと痒みに変わってきた。
戦うのには問題はない。そもそも折れていた程度なら、どうとでもなっただろう。自分の中にいる誰かが言う。確かに味方がいるから、頼りすぎたかもしれない。なら、その分、戦えばいいことだ。穂先の首飾りを、ぎっと握り、そうした思考も捨てていく。これはカザリの戦いだ。
「クミリ、風ッ!」
「ん!」
短い言葉でも、白面の騎士はカザリに頷いた。
影のように、滑らかにクミリは処刑人の剣をかわすと、先ほどとは違い大きく踏み込んだ。そのまま、すれ違うように走り、右脚を切り裂いた。鮮血が吹き上げて、周囲を濡らした。
「オアアアッ!」
悲鳴とも、呪詛ともつかない叫びを狩人は上げた。深い傷のはずだった。それでも、足は止まらず、クミリへと処刑人の剣をふりあげてくる。狩人は筋肉を締めて流血を抑え込んでいる。あと一押しだと、誰かがささやいた。
カザリは穂先を狩人へ向けると、静かにゆっくりと呪いを解き放った。
「涸れた虚ろ、夜の風よ、吹き荒べ」
呻くような太い音とともに、風が暴れる。傷ついた脚では耐えられるものでもなく、滑るように倒れた。クミリも巻き込まれてはいるが、今回は四肢と短剣でぐっと体を押さえて、耐えている。
カザリは踏み込んで、倒れている狩人の喉へめがけて、矛を突き下ろした。突き刺さると同時にめきめきと音が鳴る。確実に太い血管を絶ち、首の骨、頸椎を破壊した。血が吹き上がり、クミリの顔を濡らすほどだ。致命傷であるはずだ。
「ゴバッ!」
それでもなお、狩人は動く。無造作にカザリを蹴飛ばして、間合いを離し、立ち上がる。繋がり始めたはずのあばら骨が軋んで、また、ひび割れていくのが分かる。
歯をギリギリと鳴らしながら、カザリは痛みを押し込んで、体勢を整える。また治りつつある、あばら骨に負担をかけないのように、息を短く浅く、吐いて吸った。
狩人は文字通り、血を咬むように歯を食いしばり、こちら睨む。歪み傾いた首を片手で支えて、乱れた歩調で進んでくる。足の負傷からも、踏み込みの度に血を吹いている。
「ほっ、はっ」
後ろから、クミリが足を素早く切りつけているが、それでも歩みを止めることもない。
こちらはあばら骨が折れたままで力が入らない。飲んだ薬がまだ残っているおかげで、じわりじわりと繋がっていく感覚はあるが、治りきらない。力を入れるには、まだ足りない。
下がって逃げるべきか、と弱気が這い寄った所に、火で出来た蛾が穂先に停まった。まだ動けなくても、できることがあるだろうと、ちらちらと火の粉を舞わせる。
ぐっと力を込めて、風に集中する。体が動かないなら、クミリのように、呪いを込めて打ち出せばいい。ソルティーの雷管のように、腹から思い切り、叫ぶように、破裂するような呪いを編んでいく。
「集い嘆くは、夜の風、虚ろのままに、泣き叫べ」
まっすぐと狩人へ向けて槍を突き出し、呪いを撃ちだした。小さく潰された風が狩人の体へと潜り込んだ。同時に、風が爆ぜて散る。悲鳴すら起こらない。衝撃が崩れかけていた肉体を破裂させた。飛び散った狩人の頭と胴の肉は、風の呪いにあてられて、瞬く間に塵と変わった。その残り、ぽっかりと穴が空いて、四肢だけにった狩人の体もぐずぐすと風に溶けて消え行く。
ふはっと気の抜けた声を出して、カザリは腰をすとんと落とした。クミリが近づいてくるまで、ただただ目の前を呆然と眺めていた。
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