23.血咬みの森




 湿った風が強く荒ぶ。鬱蒼と広葉樹の群れが騒めき、痩せた葉を揺らしている。暗い夜をさらに覆う森は元は植林されたようでナラの木かその近縁種が多く見える。だが、材木になるべく育てられる木々は枝打ちされている様子もなく、人の腰あたりから枝葉が突き出している。

 その闇に向け、レンカーサの蛾を解き放つ。強く吹く風に火の粉を散らして、必死に羽ばたく。


「風よ」


 矛の穂先、その飾り布へと静かに意識を向けた。自分の風が弱々しくしているのが、分かる。探知のために作り出した風は今にも消えそうだ。落ち着いて、息を整えると短い呪文を放った。今度は暴風になったりせず、カザリの風はゆったりと踊ってくれた。その流れへと、蛾が乗る。


「おー」


 その赤く光る蛾を楽しそうに見上げ、それを虚ろなはずの目で追う。蛾の方は落ち着かないのか、視線を避けるように必死に羽ばたく。それに、あー、おー、と楽しげな声を上げている。

 思わず、にへらと崩れそうな顔を引き締めるとカザリは矛を構えた。


「い、行こうか、ソルティーが待っている」

「ん」


 白い面を傾けて、クミリが頷き、ゆっくりと短剣を抜いた。カザリは、頷き返すと前を向いて、レンカーサの蛾へ続く。すっと先行してクミリが、伸びた枝を切り払った。


 そうしてクミリに続き、騒めく木々を抜けていく。木と木の間はだんだんと離れていき、獣道だったろう道に踏み込んだ。

 同時に獣臭ささが猛然と鼻と目に染み込んでくる。汗ばんで湿気った垢のような、すえた異臭にカザリは思わず吐きそうになる。それをぐっと抑えて、辺りを見渡す。


 倒木の影が、蛾の灯によって照らされる。すると、人影がうずくまって、何かを咀嚼しているのが見えてしまった。

 ぼろぼろの衣服、その上に狼の毛皮を被っている。剥き出しの肌は灰色で、硬そうな毛が薄く覆っている。その人影は、ゆったりと立ち上がった。顔の形こそ人間のものだが、毛がびっしりと生えた顔面、目はぎらついて輝き、剥きだしにした歯は血塗れで、千切られた臓物が噛み締められていた。その足元には、若い男が腹から食いちぎられ、こと切れている。


 この人食いは、亜人のように見えるが、オークであるキエンのように骨格が別というわけではない。これは人だ。あるいは、人であったものだ。

 人であった獣は、臓物を吐き出すと空へ向けて吠えた。同時に森に潜んでいた何かが、ガサガサと動きはじめていた。木々と闇の合間から見える、それらは皆、粗雑に加工された狼の毛皮を身に着けている。ふと、思い出す。カザリの故郷で、狼の毛皮というものは罪人の証だった。


「お、狼憑き」


 狼憑き。刑法に乗っ取って、人として存在を無くされたもの、村からの追放者を故郷ではそう呼ぶ。人にあらずと定義されたものだから、獣と同じ扱いを受け、狼として追い出されるからだ。

 だが、人でなしとされるだけで、こうして獣となるものではない。〝螺旋の夜〟のせいだろうか。それとも、人を食うものは、こういう獣となり果てるのだろうか。


「ほっ」


 思考は幼い声が響くとかき消された。球のように跳ねて、吠えている狼憑きの喉を素早く裂いた。声が出せなくなった狼憑きは、掠れた悲鳴を上げて、後ろへと跳ぼうとした。


 だが、カザリの体は本能のように、染みついた動きで狼憑きを追う。獣より早く石突で足を払い、転んだ狼憑きに矛を突き立てた。

 まっすぐ心臓を貫かれて、無言でパクパクと苦しむ。それでもなお、黄色く、濁った瞳を見開いて歯を剥く。自分からずぶずぶと刃に体を沈め、カザリに噛みつかんとする狼憑きを、矛を思いっきり捻じってとどめを刺し、引き抜く。さすがに、それで死んだのだろう。獣憑きの体がくたりと転がった。


「まだ、来る」

「わ、わかった」


 不快感と安堵を吐き出しそうになるを、クミリの警告で押しとどめる。穂先の首飾りに助けられてばかりではいけない。自分の意思で戦うのだと、矛を軽く振り構え直す。狼憑きの血がぴしゃりと飛び散った。


 それを合図にしたように狼憑きたちが、姿勢を低くして突っ込んでくる。人であったはずなのに、背をかがめ、獣のように走ってくる。腕の一つを前足のように使い、もう一つの腕には粗雑な棍棒を握っている。その動きを見定めて、カザリはぐっと踏み込んだ。


「シャッ!」


 飛び掛かろうとした、手前の狼憑きへ向けて矛を振り下ろす。相手の勢いを利用して、カザリは狼憑きの頭蓋を砕いた。血と脳が飛び散る硬い感覚に顔をしかめながらも、体勢を整える。


「ほっ、はっ」


 その横を軽い掛け声と共に、クミリがすり抜けた。

 彼の目の前には狼憑きが三人、いや三匹。味方に当たるのも関係なしに、猛然と棍棒とを振り回してクミリを砕こうとする。その行いは人の戦い方でも、獣の狩りでもない、無様で強引でなものだった。だが、殺しには十分な威力はあるだろう。


 白面の騎士は暴れるだけの狼憑きをすっと跳び超えて避ける。ふわっと体躯が狼憑きの頭上に取りつくと、軽やかさと無縁の無骨な一撃を首の根に刺し込む。そして短剣が頸椎を抉った。硬いはずの骨を容易く穿つ。血の泡を吹く狼憑きを足場にして、得物を抜きながら、また跳ぶ。そのまま、樹上へと勢いのまま降り立った。


「首の、付け根、攻撃する。簡単になる」

「やや、やってみる」


 カザリはぽつりぽつりとしたクミリの声を拾って頷いた。確かに心臓を刺した敵はあんなに暴れていたが、白面の騎士が頸椎を穿った獣憑きは、ただただ血を吹いて、地面に転がっているだけだ。狙うのは首、喉の肉では特に骨だろう。

 獣憑きたちは味方があっさり倒れたせいか、視線で白面の騎士を追ったままだ。今ならばと、飾り布へと集中し、意識、想起、それらを魔力で肉付けする。まっすぐな風を産んで、帆を張るように呪文を放った。


「涸れた虚ろ、夜の風よ、吹き荒べ」


 ごうっと夜の森を局所的な突風が吹く。ただの風、だが備えていないものなら転びそうな暴風だ。狼憑きへ向けられた、その風は彼らをすくませる。目と四肢を踏ん張り、思わず耐えようと動きを止めてしまったのだろう。所詮、彼らは飢えた人と痩せた狼、その合の子でしかない。

 カザリは馴染んできた動きで、振り下ろす。右手に居た狼憑きの首を穿ち、そのまま地面まで縫い留めた。そして左手に居た敵が動く前に、引き抜きながら石突を叩き込む。


 振り向くような形で敵の姿は見れていなかったが、先ほど吹かせた風のおかげで相手の位置はほんど変わっていない。石突は敵の頬骨を突いた。骨が砕けて、たたら踏む獣。カザリは体ごと、反転する勢いを使って、今度は穂先を突き上げた。

 低い姿勢にいたはずの狼憑きを、共に喉へと刺さる。まだ骨には達していない。バタバタと暴れる狼憑きにカザリはそのまま力を込めて、一歩踏み込んだ。硬い感触と共に狼憑きは動きを止める。

 それに、矛をゆっくりと引き抜くとカザリは長い長い息を吐いた。そしてゆっくりゆっくりと息を吸う。これを繰り返しても中々、緊張が取れないのは、人間に近い血肉を持った敵だったからだろうか。


「はふー」


 その緊張に間の抜けたクミリの声が響く。樹上にいたはずなのに、それはだいぶ離れた位置の地面から聞こえた。小さな足音と共に草むらから出てくる。ちょっと不機嫌そうに白面でこちらへ向けた。


「かぁーぜぇー、とーばーさーれーたー」


 白面の騎士は長く、恨めし気な声を吹き上げた。


「ごッ、ごめん、なさい」

「んんー、つぎ、しないで、ね」


 謝るカザリを、クミリは力を抜いて答えた。短剣を地面に刺してから、白面の騎士は外套に付いた草葉を振り払う。クミリの黒い腕は境目がぼんやりとしている。人間の形を模しているようだが、細部は雑なのか、指は見えない。

 一度くるりと回って、自分の外套を確認するクミリ。カザリが確認して葉や枝を取ってあげると、むふーっと息を吐く。なんだか、満足そうだ。


「ん。もう、だいじょぶ。いこう」


 白面の騎士はそう言って、短剣を引き抜く。カザリは頷いて、矛から血をさっと払った。そうして、赤々と輝く火の蛾を追って、二人は暗い夜の森を進んでいく。


 ガサガサと藪が揺れて、何かがこちらを見ているのを感じる。獣めいた何かが、怯えと飢えを視線でぶつけてくる。人とも獣とも付かない気配は先ほどと同じ、狼憑きだろう。倒せないほどの相手ではない。しかし、いちいち戦っていてはこちらが消耗するばかりだ。それでは目的を果たせない。


 二人は目線を合せた。白い面にぽっかり空いた虚ろな目、それを傾けてクミリは小さく頷いた。そのまま、臆病な藪の獣たちに隙を見せないようにしながら、奥へ奥へと踏み込んで行った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る