第4篇終 共喰い
まるで擬態して獲物を待つ虫や爬虫類のようだった。
ゾンビになりかけて倒れていた男が動き出したのは突然で……その瞬発力は反応が出来ないほどだった。
頭を数か所、最後に首を刺した女はこれで終わりだと思って一瞬安心した。その一瞬でゾンビは女の手首を噛んだ。
ただの偶然だろうけど、狙っていたかのようなタイミングだった。女の手首を歯形から血が出るほどの力で噛んだ男はすぐに完全に力が抜けてしまった。最後の力を振り絞って同族を増やしたかったのか。いやそれもおそらくただの偶然。
ゾンビに噛まれた部分から何か熱いものが体中を巡る感じがする。噛まれた直後のことだ。何かが心臓まで達して、そこから全身に送られた。心臓が燃やされているような不快感と痛み、体温はものの十数秒で5度は高くなったんじゃないかと思う。
女は焦った。ここからどうにか助かる方法はないか。腕を切り落とすか。そんなゾンビ映画のようなことも脳裏をよぎった。けれど、その熱い感覚の事を考えると諦めるほかなかった。
女は止血もせずにベッドに戻った。布団もかけずに寝転んだ。
先程まで空いていた腹にも全く感覚が無くなった。食欲を全く感じない。何かを食べている場合じゃない。人間死ぬと分かるとこういうことになるのかと思う。
女は諦めるとやけに落ち着いていた。落ち着いたというのも違うのかもしれない。ただ、何もわからなくなっていた。突然の出来事に何が何だか。もう笑うしかないのだけど、逆に高揚する元気もない。
時間と共に体温も下がってきた。混乱していた頭も死ぬ前にやってみたいことや、自分のこれまでの人生についてなんてことを考える。それは嫌に冴えていた。情報がいくらでも脳から湧いてくる。
さっきの男の状態はこれだったのかということも理解できた。
脳もどうにでもなれと使い果たそうとしているのか。目まぐるしく思考を働かせている。女はそんな状態でも結局孤独に悩まされた。ベッドに寝転んでいるといつもそうだ。そればかりが頭を支配する。どうして私は孤独だったのか。私はやっぱり孤独のまま死んでいくのか。分かっていたことだけど……悲しい。
静かにしていると、離れた場所から微かに聞こえてくるゾンビの声すら賑やかに聞こえた。無音よりはどんな化け物でも他者から発せられる音があるほうが落ち着ける。
最後に誰かに抱きしめられたい……できることなら……誰でもいいから……強く抱きしめて欲しい。
女はSNSで募集した。また自撮りを撮って。
ゾンビに噛まれたことも正直に書いた。抱きしめてほしいから。ありのままのことを発信した。
恥が無くなり、欲望が止められない。女は服を脱いで全てをさらけ出していた。
けれど、今回の投稿では誰も女に飛びつくことは無かった。女はもう死に向かう異常者だった。容姿も意味を持たない。
女は何度も投稿を繰り返した。コピー&ペースト、更新の連打。指を動かせども動かせども、誰からもメッセージは届かない。
次第に体の力が抜けて来た。眠気も襲ってくる。
今度目を覚ましたらきっと、自分もゾンビだろう。何もかも忘れて楽かもしれない……。ゾンビになっても、この誰も来ない部屋でずっと一人きり。それでも何もかも忘れているなら……。
そんな心持ちで女が目を閉じようとした時だった。女の部屋のチャイムが鳴った。
言うことを聞かなくなってきた体、朦朧とする意識で女は玄関を映すモニターを見に行った。足を引きずって歩いて、最後の景色を見に行った。
そして、それを見ると女は痛みを忘れて玄関まで走り出した。父がいた。自分を家から追い出した父がいた。
「おと……う……さん」
昔見た時よりも髪が薄くなっていたけどすぐに分かった。一度決めたことは覆さない頑固な父がゾンビも寄り付かないこんなところまで来てくれた。
「ごめんなさい」
そういいながら開いたドアの先にはゾンビなった女の父がいた。ぼやけた視界とモニター越しでは分からなかった。
ゾンビと半ゾンビは目を合わせると、お互いの体に噛みついた。
半ゾンビの方は泣きながら……欲望のまま肉を喰らった。
“世界で1番面白いホラー短編集” 木岡(もくおか) @mokuoka
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