第4篇④ 変異
高層マンションの上層という場所柄からか、ふらふらと彷徨うゾンビ達が女の部屋の前まで来たことは1度も無かった。ゾンビの行動パターンなんて知らないが、常に気まぐれで進む道を選んでいるのならずっと上へ進む階段を選ぶなんてことは無いはず。
だから、部屋のチャイムが鳴った時は食料配達人が来たのだとすぐに分かった。
ベッドの中で孤独と戦っていた女は、結局考えても仕方がないんだ。愛が無くても富があるのでそうやって生きていけばいい。そう考え事を締めくくって立ち上がる。
こういう馬鹿な男がたくさんいるのだから利用すれば、生きてはいける。満ち足りた生活だ。それでいいじゃないか。
一応その馬鹿がどんな男なのか拝んでやろうと玄関を移すモニターを見た。SNSのプロフィール写真を見たところ気弱そうなヒョロガリ男だったが、何か良からぬことを企んでいるかもしれない……。
次の瞬間、女は息を止めた。
モニターを埋めるように大きく映った男が口から血を流していた。赤子のよだれのように、唇の両端から。
そして、顔の一部は腐り落ちて筋肉が丸見えになっていた。
状況を読み取るのよりもまず先に、女は反射で自分を消そうとした。どんな些細な物音でも出してはいけない。本能がそうさせた。
空腹に任せてすぐにドアを開けなくて良かった。息を止めてから数秒後、遅れて左胸にある心臓が暴れだす。
どうやら今、家の玄関の目の前にいるのはゾンビ。女にとってここまで近くまで接近されたのは初めての事だった。
廊下の先を除けばそこにある玄関のドア、その向こうにいると分かるだけで女は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。今までは遠くからしか見たことが無かったので知らなったが、こんなに恐ろしいのか。女はそう思った。
そして、チャイムは繰り返された。
「こんにちはー。約束通り食料持ってきましたよー」
呼ぶような声も付け足された。予想外に化け物の男には人間の意識があるらしかった。そしてそれは待っていた言葉だった。
声がした玄関のほうに注意を引かれた女は再びモニターを見る。確かに男の顔はゾンビと形容して間違いなかった。
一体どういうことなのか。注意して見たモニターからは端のほうに食料が入っているらしいビニール袋も見つけることができた。
つまりこれはあれか。感染してゾンビになる途中の状態とでも言うのか。
その答えは続けて玄関のドアの向こうで話しかけてくる男から告げられた。
「今ドアの向こうにいますか?……いるという前提で話します。あなたに言われた通りたくさん食料持ってきたんですけど、来る途中にうっかりゾンビに噛まれちゃったんですよね。あははは。やっちゃった」
男は軽い口調で話した。その様子をモニター越しで見ていると異常性に耐えられなくてすぐに女は目を逸らしてしゃがみこんだ。
「だから、もしかしたら僕の寿命はあんまり長くないのかも。めちゃくちゃ体が熱いや。でも食料持ってきたからやらせてくれますよね。セックス。死ぬ前に一度やってみたかったんだ。いや、僕は正常です。食料を渡したらすぐに帰るので開けてください」
女は男の声を聞きながら持っていたスマホを操作した。こんな時でも……全く考え無しに無意識で動かす指でも。女は自分の預金残高を画面に表示させていた。
「メッセージでは直接言ってなかったけど、食料の代わりにやらせてくれるってそういう話でしたよね。そうですよね。いやあ、昔からあなたのファンだったから。こんな世界で1人だなんて大変でしたね。可哀そうに。これからは僕が守ってあげます。……だから、開けてください」
心の表と裏を混ぜながらデタラメな言葉を並べる。脳がどうかしてしまっているのだ。にもかかわらず、息継ぎをしていないかの如く饒舌。
その話はしばらく続いた。どんどん話は変な方向に転がって、男の生い立ちまでも話ていた。そして、しばらくすると急に静かになった。
なぜか耳も塞げずにその話を座り込んで聞いていた女はまた、モニターで玄関の様子を見た。
男は座り込んでいた。ぐったりと。ちゃんとした死体のように壁に背を預ける形で。
女はすぐに玄関のドアを開けて男が持ってきていた食料を回収した。完全にゾンビとなるまでのさなぎの期間か何かか。何にせよチャンスだ。意を決してドアを開けて食料だけを中に入れ、すぐにドアを閉めた。
落ち着いていた女の鼓動はそれだけで再び跳ねた。
そして、残った問題と向き合う。この男はどうしようか。
男が時間が経てばゾンビとして動き出すのであれば、どうにかして処理しなければならない。いや、何もしなくてもどこか遠くへ行ってくれるだろうか。
でも、ずっと部屋の近くをうろつかれたら落ち着けない。気が気じゃなくて夜も眠れないだろう。一応、私が関わって亡くなった命だ。上ってくるゾンビがいないのなら下りることも無いかもしれない。
女は別の男に処理させるだとかも考えた。そういえばゾンビハンターの男もいた。そんな奴に任せれば私は何もしなくていい。それがいい。だけどだけど……。
今なら、私でも殺せる。
全く動かないヒョロガリゾンビならできるはず。きっと簡単だ。そうすれば何をやらかすか分からないパワー系とは関わらなくて済む。
女は短い時間だが深く濃く悩んだ。そして出した答えは手を打つことだった。動かないうちにゾンビを殺す。方法は刺殺にした。ゾンビの殺し方は分からないけど、頭や首を包丁で刺しておく。
女はそうと決めるとすぐに行動した。その結果……女は突然動き出した男のゾンビに腕を噛まれた。
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