尾張名古屋の吉法師譚
五木史人
他化自在天
世は戦国時代。
場所は、尾張の三河国境地帯のとある食事処。
酔っぱらいの浪人が、可愛いお市に絡もうとした。
兄の吉法師は、浪人の前に立ちふさがり、浪人を睨み付けた。
刀こそ腰に付けているが、着物はお市と同じ着物を着て、一見美少女に見えなくもない少年だ。
「おい餓鬼、カッコつけてんじゃねーよ」
酔っぱらった浪人は、刀に手をかけた。
世は戦国、もちろん人を斬った事がある刀だろうし、殺すことに躊躇はしない類だ。
突然の事態に、十三歳の少年勝三郎は叫んだ。
「控え!控え!こちらにおわすお方をどなたと心得る!
織田家嫡男名古屋城主吉法師さまであらせられるぞ!
吉法師さまの御前である!頭が高い!ひかえおろう!」
なぜ勝三郎がこんな台詞を言ったのかは、勝三郎にも解らない。
久しぶりにあったお市の前で、カッコつけたかったのかも知れない。
食事処にいた浪人たちの視線が、一斉に勝三郎の背後の吉法師に注がれた。
勝三郎は、勝利の微笑を浮かべた。
元服前とは言え勝三郎は織田家嫡男吉法師の乳兄弟。
側近中の側近だ。
その誉れが十三歳の少年に微笑を浮かべさせたのだろう。
しかし、浪人たちも、少年と同じく微笑を浮かべた。
「えっ?」
その意外な微笑に、勝三郎は戸惑った。
「織田のうつけじゃねーか!」
浪人たちは一斉に刀を抜いた。
「勝!なにやってんだよ!」
背後で吉法師は叫んだ。
「うつけの方は殺すなよ!治部大輔(じぶだいふ)さまが、たんまり恩賞をくださるはずだ!」※治部大輔、今川義元の位
偶然出会った針売りの猿の様な少年と、三河の人質の竹千代が、防護柵代わりに椅子でお市を守るように陣形を素早く作った。
それを確認した後、吉法師は叫んだ
「生捕りなど腑抜けた事言ってんじゃねーよ!
武士なら俺の首を取りに来い!
お前らの十人や二十人刺し違えてくれるわ!」
十三歳とは言え、殺気立った吉法師の言葉は狂気を帯びていた。
食事処は、戦場(いくさば)の殺気が一瞬で満ち溢れた。
戦慣れした熱気と狂気が、武者たちの身体から溢れだした。
そこは死の恐怖を感じた者から、死神に引きずられて行く死線場。
武者たちは、死の恐怖を抑え込み、恩賞の歓喜で心を満たした。
勝三郎は、主・吉法師が何を考えているのかすぐに理解した。
乳兄弟の以心伝心は半端ない。
そう、吉法師さまは、殺気立ってはいるが、逃げる気だ。
勝三郎は、煮えたぎっている鍋を掴んだ。かなり熱いが言ってる場合ではない。
「おりゃ!」
煮えたぎった汁を、襲ってくる浪人にぶっかけた。
さらに腰に付けていた永楽銭を投げつけた。
なぜ突然銭を投げようと思ったのか、勝三郎にも解らない。
「熱!痛!って!銭だ!もったいない事してんじゃねーぞ餓鬼!」
大した額ではないが、突然の銭のばら撒きに、店内の浪人たちは歓喜した。
宵越しの銭は持たない浪人たちは、ほぼ貧しい。
「裏だ!」
吉法師の声を背後に聞きながら、勝三郎は殿を務めつつ食事処から脱出した。
そして五人の少年少女は、荒野を脱兎の如く駆け抜けた。
☆☆☆☆☆
敗走したにも関わらず、5人の少年少女が、爽快な気分だったのは、山頂で見聞きした情景のせいかもしれない。
ここに来る前、山頂で他化自在天を名乗る存在に、五人に関わる未来を見せられた。
最初は疑心暗鬼だったか、その迫力映像に、五人は目を見張った。
映像は、ほぼ血に染まった戦場だった。
弓矢を取る家に生まれた以上、その覚悟は出来ていた。
でも、あまりの情報量に未来がどんなものなのか、誰も理解できなかったと思う。
そして最後に、他化自在天が少年少女に言った言葉は、五人の少年少女の脳裏に焼き付いた。
「お前たちが、乱世を終わらせる」
勝三郎は、嬉しさに涙を流した。
みんなそれぞれに、微笑んでいた。
乱世は終わる。
それも俺たちの手で。
おしまい
尾張名古屋の吉法師譚 五木史人 @ituki-siso
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