エピローグ
雲のたなびく青空のもと、ロードは一人、立っていた。
マドゥーイの郊外。草原の真ん中に、墓地がある。白い墓石が、整然と並んでいた。
涼しい風が、栗色の髪をなびかせる。
頬には、涙の跡。ロードは正面の真新しい墓石を見つめていた。
墓石に彫り込まれた名は、カレリア。そして隣にはその父、ピーター。反対側の墓石は、カレリアの母だろう。牧場の親子は、この下で安らかに眠っている。
リカルドを撃ち殺したロードは、一時警察に拘束されたが、数日して釈放された。正当防衛が認められたのである。リカルドと一緒にいた無表情の男が、すべてを自供したのだった。
今、オレンブルク金融は警察の手入れを受けている。いずれ闇のドラッグマーケットとの繋がりや、ピーターを始めとした債務者たちを殺害した事実も、明らかになるだろう。
だが、それが一体何だというのだろう。ロードは胸の内で呟いた。
リカルドの悪事が暴かれたところで、カレリアが帰って来るわけでもない。今さら、どうなるというのか。
ロードの頬を、一筋の涙が伝う。
「あの時、僕がためらわなければ…」
後悔。ロードは、悔やんでも悔やみきれない気持ちだった。
あの時、リカルドを撃つことを躊躇わなければ、カレリアが自分を庇って命を落とすこともなかったはずだ。自分の甘さが、カレリアを殺してしまったのだ。
ロードの脳裏に、胸を撃ち抜かれて倒れ伏すカレリアの姿が甦った。
人殺しをしたくない。たとえ相手が、どんな悪人であったとしても。今まで、ロードはその考えが間違っているとは思わなかった。どんな人間にも生きる権利はある。そう信じて疑わなかった。
だが、今、ロードはその考えに疑問を持ち始めていた。
世の中には、性根まで腐りきった人間もいる。あのリカルドのように。そんな人間に遠慮することが、果たして本当に正しいことなのだろうか。
──他人の命を踏み台にする命。そういう命は生かしておくと、他の多くの命を奪う。
義父、バイ・ザーンの言葉。
義父は、正しかったのだろうか。リカルドのような人間を生かしておいたばかりに、ロードは一番大切な人を失ったのだ。
「父さん…」
ロードは、呟いた。
背後に、人の気配がある。振り向かなくてもわかる。ロードの身元引受人としてマドゥーイにやって来た、義父バイ・ザーンだ。
「僕には、わからなくなったよ。父さんが間違っているのか…それとも、本当は正しかったのか…」
義父は答えない。ただ黙って、養子の言葉に耳を傾けている。
「人殺しは嫌だよ。今でも嫌だ。でも、僕は…」
ロードは、握った拳に力を込めた。爪が皮膚に食い込むほどに、強く、強く。
「僕は…大事な人を、護れる男になりたい」
そうか、と義父は答えた。それから、ぽん、と軽くロードの肩を叩く。
悪人を殺すことが罪なのかどうか、今のロードにはわからない。でもロードはもう、同じ過ちを繰り返したくなかった。大事なものを、もう二度と失いたくなかった。
ロードは涙を拭った。
それから、墓石の前に膝をついて、胸の前で十字を切る。これは、どの宗派の風習だったろう。咄嗟にロードは思い出せなかったが、死者を悼む動作であることは確かだ。
「じゃ…僕、行くよ、カレリア」
ロードは立ち上がって、白い墓石に背を向けた。
もう、振り返らない。振り返ると、また涙が溢れそうな気がしたから。
「いいのか?」
「…うん」
──さよなら、カレリア。
心の中で、別れを告げる。
しばしの沈黙の後、こう付け加えて。
「僕も、好きだった。君のことを…」
それはカレリアの死の間際で、最後まで言うことのできなかった台詞だった。
草原を風が吹き抜ける。
ロードと、義父バイ・ザーン。大小二つの人影が遠ざかってゆく。
その後姿を、白い墓石は静かに見送っていた。
──完
檻の中の魔女 KEEN @SORA-KEN
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