第21話 別離
「ロード!」
カレリアの声に、ロードは笑みで応える。それから、目前の肥満体に向き直った。
銃口は、リカルドの額を狙っている。肘掛椅子に腰かけたままのリカルドは、驚愕と恐怖を同時に顔に浮かべて、大きく見開いた目をロードに向けていた。
「な…何をする気だ。私を殺したところで、何にもならんぞ。私がピーターを殺したという証拠はないんだ。お前が警察に捕まるだけだ」
「そんなこと、わかってるさ」
ロードはそう言って、銃口をさらに近づけた。リカルドは思わず身を引く。
「あなたを殺すつもりはないよ。ただ、自首してもらいたいだけさ。そこの電話で、警察に掛けるんだ。そして、私がピーターさんを殺しましたと、自白するんだ」
「何だと!」
怒りもあらわに立ち上がりかけたリカルドは、銃口に脅されて慌てて腰を下ろした。
「さあ、早く掛けるんだ。もしどうしてもできないっていうなら、仕方がない。警察に捕まっても構わないから、僕はあなたを殺す」
少年の目は、本気に見えた。リカルドは、ちらと黒服の男を見る。だが男はリカルドを人質に取られた形でいるので、どうすることもできず、無表情にその場に立ち尽くしているだけだった。しかも、カレリアが常に男の動きに気を配っているので、何か妙な行動を起こしたら、たちまちロードに知られてしまう。
何か打つ手はないか。リカルドは、必死に思案を巡らせた。
「早く!」
ロードが急かす。と、リカルドは突然、ふうと息を吐いて、肩を落とした。
「…わかった。私の負けだ。確かに、ピーターを殺したのは私だ」
突然の告白に、ロードは戸惑う。だがすぐに、隙を見せまいと気を取り直す。
「金が返ってくる見込みがないとわかると、隙を見つけて債務者を殺し、すみやかに担保を手に入れる。私は今まで、こうやってこの店を大きくしてきたのだよ。ピーターの一件も、そのうちの一つだ。すまないと思っている…」
「じゃあ、あなたは今までにこんなことを何度も…!」
「ああ。許しを請うても、許されるものではない。今になって、ずいぶん罪なことをしたものだと、身に染みているよ…」
「い、今さら…あなたは…!」
「君が怒るのもわかる。私は大罪人だ。汚い、卑怯者だ。だから、当然この世に生きるべきではない。だから…殺してくれ」
「えっ…?」
唐突な言葉に、ロードは驚いた。この狡猾そうな男の口から、こんな台詞が出てくるとは思いもしなかったのである。最後の最後まで悪あがきをする。そう考えていたのだが。
「私は、卑怯な男だ。警察の姿を見れば、また心変わりをしないとも限らん。どうせ死刑になるんだ。覚悟ができている今のうちに、私を殺してくれ」
「そ…そんな…」
ロードは躊躇した。リカルドを殺すと言ったのは、あくまで脅しのつもりだった。リカルドに自首させることが目的であって、殺すつもりはなかったのである。
確かにリカルドは、義父の言う、他人の命を踏み台にする命だ。許しておけない存在である。だが、できれば殺したくはないと、ロードは未だに思っているのだ。
「さあ、少年。私を撃て! 私に、罪の償いをさせてくれ!」
ロードは躊躇った。拳銃を握る手が震える。
──殺したくない。この男は許せないけど、やっぱり殺したくない!
ロードは、心の中でそう叫んでいた。そんなだから、ロードはリカルドがそっと机の引き出しを開け、その中に手を滑らせたことにも気づかなかった。
「さあ、撃ってくれ。ためらうことはない。私は罪人なのだから」
そう言ったリカルドの瞳に、勝ち誇ったような光がきらめいた。それにいち早く気付いたのは、カレリアだった。
リカルドが、引き出しから拳銃を抜き出す。指はすでに引き金に掛かっている。
驚愕するロード。そこへ、カレリアが駆け込んできた──。
銃声。ロードを突き飛ばしたカレリアは、胸から鮮血を噴き出して倒れた。
「カレリア!」
血にまみれた少女の姿を目にした途端、ロードの心に激しい殺意が湧き上がった。
正気を失ったかと思えるほどの叫びを上げて、拳銃を乱射する。二発目を撃とうとしていたリカルドは、額を、喉を、胸を撃ち抜かれ、声を上げる間もなく絶命した。
弾が尽きると、ロードはようやく我に返って、側に倒れていたカレリアを抱き起す。カレリアは左胸を撃たれていて、生温かい血がとめどなく溢れていた。クリーム色のシャツが、鮮やかな赤に染まってゆく。
その瞳は、閉じたまま。
「カレリア! カレリア!」
ロードは声の続く限り、カレリアの名を呼び続けた。
心なしか、カレリアの身体から熱が引いていくような気がする。ロードは慌てて首を左右に振って、不吉な考えを打ち消した。
──冗談じゃない! カレリアが、死ぬもんか!
「ロー…ド…」
掠れた声。カレリアの瞳が、薄く開いた。
「カレリア! しっかり!」
「ロード…怪我は…?」
「何言ってるんだ! 怪我をしてるのは、君のほうじゃないか! 待ってて、すぐに病院に連れて行くから! 死なせやしないから!」
ロードがカレリアを抱き上げようとする。だが、それをカレリア自身が止めた。
「いいの…あたし、もう…助からないわ」
その言葉に、ロードは双眸を見開いた。カレリアは、力なく微笑む。
「わかるの、自分のことだから。あたし…お父さんのところに行くんだわ。ほら、お父さんが呼んでる…おいで、カレリア、って…」
「な…何を言ってるんだよ! 君が死ぬのを、ピーターさんが望んでるわけがないじゃないか! 死んじゃだめだ、カレリア!」
そう言いながらも、ロードは感情とは別の部分で、少女の死が近いことを悟っていた。
リカルドの撃ち込んだ弾丸は、カレリアの左胸、心臓の近くを貫いている。出血は手のつけようがないほどひどく、今から病院に連れて行っても間に合わないだろうことは明らかだった。
だが、ロードは認めたくなかった。カレリアが死ぬ。そんな事実を、絶対に認めたくなかったのである。
「死なせて…ロード。お父さんが死んで、あたしは、独りぼっちよ。生きていても、寂しいだけ…」
「そんなことない! 僕が一緒にいるよ! 僕が、君に寂しい思いなんてさせやしない! ずっと君と一緒にいてあげるから!」
真剣なロードの眼差しに、カレリアは寂しげに微笑んだ。
「だめよ…ロードは、トレジャー・ハンターになりたいんでしょ? あたしと一緒にいたら、そんなこと、できやしないわ。あたし、ロードを縛りたくない…」
「そ、そんなこと…!」
ロードは、言葉に詰まった。
「寂しいのは嫌…だから、行かせて。お父さんや…お母さんのところへ」
カレリアは、それから目を閉じて、静かに息を吐いた。
「だけど…」
ロードの瞳から、涙が零れる。
「だけど…こんなのって…こんなのって、ないじゃないか! 何のためにウェックスフォルト城まで行ったんだよ! 今日から、幸せが始まるはずだったのに…すべてが無駄に終わってしまうなんて、そんなの、そんなの…悲しすぎるよ!」
悲痛に叫ぶロード。
扉の外では、電子ロックを解除しようと悪戦苦闘している店員たちの声がする。銃声を聞きつけて、慌てて駆けつけて来たのだろう。だが、今のロードの耳には、そんな雑音は届いていなかった。
「すべてが、無駄だったわけじゃ…ないわ…」
カレリアはまた目を開けて、震える手をロードの頬に当てた。
「だって…あたしたちがあの城に行ったから、アウランさんとルナールさんは幸せになれたんだし…それに、何より、ロードと素敵な冒険ができたんだもの…」
「カレリア…」
「だから…悲しまないで。あたし、ロードのために死ねて、よかった」
その言葉を聞いて、ロードは愕然とした。
そうだ。カレリアは、ロードを庇って撃たれたのだ。あの時、ロードがリカルドを撃つことを躊躇い、隙を見せたから──。
ロードの胸の内に、激しい後悔の波が押し寄せてきた。
「ごめんよ…カレリア。僕のせいで…ごめんよ…!」
「そんな…そんな意味で言ったんじゃないの…だから、謝る必要なんてないわ。あたしは…ロードが好きだったの」
息を呑んで、ロードはカレリアを見つめる。
そこにあったのは微笑。とても綺麗で、透明な笑顔だった。
ロードの胸に、熱いものが込み上げる。
「カレリア…僕だって、君を…!」
「ロード…キスして」
カレリアは、瞳を閉じた。
ロードは無言で、カレリアの唇と自分のそれとを重ね合わせた。
そして、唇を離す。その時、カレリアの呼吸は止まっていた。
安らかな死に顔。澄んだ瞳は、もう開かない。
ロードは絶叫した。
涙を散らせて。
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