第6小節 奴隷の牙
作戦会議をしてから大体二週間後。
二日後には文化祭がとうとう始まる。
今日までの練習は問題ない。毎回必ず、最高の出来で部活を終えられてる。
だから、演奏と歌にはそんなに不安は持ってない。
……そう、演奏と歌には。
ーー作戦、大丈夫かなぁ。
暗い部屋、ベッドの中であの日轟さんに聞いた作戦の詳細を思い出す。
ーーその時は確かに『いける!』とは思ったけど……
改めて思い直せば、やっぱり全体的に無理がある。
計画とも呼べない計画。失敗する光景が目に浮かぶ作戦。
成功する確率は五割ーーと言いたいところだけど。
ーー多分、三~四割くらいだよね……
正直、望みは薄い。
でも、これが成功しないと私達の叛逆は始まらない。
だったら、[出来る出来ない]じゃなくて、やるしかない。
成功させるしか、道は無い。
ーー……大丈夫。
少しだけ布団を目深に被って目を瞑る。
不安は確かにある。でも、そんなのは今更言ったって仕方ない。
轟さんは、明後日の為に出来るだけの下準備をしてくれてるんだ。だったら、私はそれを信じて当日を待つしかない。
ーー寝よ。
出来る事を出来るだけ。それが今の私に出来る事。
これでもし、私がステージで失敗なんかしたらそれこそお話にならない。
明日も、練習頑張ろう。
_____________________________________
二日後。
雫達がーー轟、鷲山、球磨本達四人が、待ちに待った文化祭がやって来た。
客入りは上々。
彼女達が通う丹戸那(にとな)女子高文化祭のメインとも言える、吹奏楽部の野外ステージ開始時刻まで後十五分。
余興として行われていた一部の部活動の出し物や、若干売れ始めている芸人の舞台などを終えてからの小休止。その間に行われる、吹奏楽部が使用する楽器の運搬及び準備。
前年度に比べ五分ほど多めに取られた小休止のお陰か、吹奏楽部員達の目に焦りはなく、滞りなく場が整えられていく。
……その陰で。
「(な、なぁ、本当に出来ちまったよ、準備)」
「(……正直、無理だと思ってた)」
聞こえるのは二つの衝撃の声と。
「(ま、アタシの意地ってところかな)」
一つの意気揚々とした声。
そして。
「(本当に凄いよ、轟さん……)」
安堵にも似た喜びの声。
「(さ、こっからはアタシ達の時間だ。バッチリ準備決めるよ)」
「「「(おーー)」」」
大衆の目からは遮断された場所で、四人は密かに用意を始めた。
公衆の面前でーー否、公衆の面前に釘付けにする用意を。
ーーーー
陽射しは心地よく、風が吹けば僅かに肌寒い秋空の下。
約三十分にも及ぶ吹奏楽部の演奏を締めくくるシンバル隊の音が響く。
プログラムで言えば計五曲。
著名な四曲は名は知らずとも皆一度は聞き及んだ名曲。もう一曲は大衆に知られる事こそおよそあり得ないだろうが彼女達が通う高校の校歌をアレンジしたもの。
演奏に不備が無い限り、誰の文句も出るはずもなく。
つつがなく、吹奏楽部のステージは終了した。
「丹戸那女子吹奏楽部の演奏でした」
何処からともなく響くアナウンスに合わせて、惜しみない拍手が楽器を片付ける生徒達に贈られる。
あくまで予定通りに進む演目。
「次の演目は教師陣による演技です。それまでもうしばらくお待ちください」
少々長めに取られた合間の休憩はニ十分。
待つには長く、巡るには少しばかり短いこの時間に観客達がにわかに騒がしくなる。
彼ら彼女らが決めあぐねる事十分。
舞台の上はすっかり綺麗になり、見えるのは、背面が吹き抜けのステージを隠す為に張られた一枚の大きな布だけ。
[丹戸那女子高文化祭]と、大きく書かれている深紅の布だけが。
誰もがその文字を見て【居ても仕方が無い】と思った瞬間だった。
突如、その布が開演の幕のように晴れる。
時折吹く秋風は強い。だから恐らくは事故だろうと、皆勝手に納得した。
教師ですら諦めに似た心地で見ていた。
だが、違う。
ドンッ
ドンッシャンドッパララララ
教師・生徒・来客を含めおよそ百人の耳元にドラムの音が轟く。
幾ら彼らの心がステージから離れていようと関係ない。
ドゥドゥン
ドゥドゥドゥンドゥルルルドューールルル
まるで心臓を鷲掴まれるかのような歪んだギター。
「な、なんだ!?」
「吹部?」
あまりに突然の出来事に騒然となる会場。
けれど、そんな事は彼女達には関係ない。
バボボン
ババッボ
トゥルルルーールル
腹の底に響き、耳をつんざく衝音。
音の発信源は紛れもない。
「みんなぁぁーーーー!!!!初めましてぇぇぇぇ!!!!」
舞台の上。
先程まで吹奏楽部が演奏していた、ステージの、上。
「なんだなんだ?」
「演目にあったか?」
「先生達……じゃないよね」
「若すぎるし、違うでしょ」
鼓膜に残る音の余韻に小首を傾げながらも来客達は来場時に配られた表とステージを交互に確認する。
しかし、載っているはずがない。
「アタシ達、今から少しだけステージに乱入しまーーす!」
ドラムベースに座る轟の言葉により、再び観客席がどよめく。
「ってぇ事で。頼んだぞ、しずく!」
「分かった!!」
ステージ正面、四人の真ん中、ひし形の頂点に位置するしずくへ放られるマイク。
それを受け取り、スタンドにセットし、マイクを握る。 カッ
甲高く、乾いた音が鼓膜を叩く。 カッ
小さく、細く、形を整えられた木と木の音。 カッ
人間の手によって生を奪われた木片の音。 カッ
だが。
「貸してみて!なんにも持ってないって嘘(い)う、その手を!!」
雫の言葉を皮切りに、死んでいたーー殺されたはずの木が、命を吹き返す。
刹那、観客達は全身に幻を浴びた。
何か。強大な[何か]が、漠然としたイメージでしかない何かが、彼らの全身を駆け巡った。
轟き渡るドラム。弾奏されるベース。嘶くギター。
それぞれはまるで中身の違うはずの音であり、だが興味を抱いていなかったはずの聴衆の耳を掴んで離さない。
濁流と紛(まご)う濃度で辺りを沈めていく演奏ーー否、前奏。
辺り一帯に広がる道、木々、建物。
その全てに溢れんばかりの振動が伝って行く。
まるで触れられるかのようなーーいいや、殴りつけられたかのような、濃密な音の衝撃が響き渡る。
天を舞い、天上を地に堕とすジャガーと言う名のギターの号砲。ーー雫の胸の内、その一端。
聞く人々に訪れる驚愕は満遍なく、彼らの耳に、彼女の吐息が澄み渡った。
吐いた嘘が跳ね返り 槍となり突き刺さる
歌の周りを取り囲む地響きのような音、音、音。
それら全てとまるっきり違うはずの音が、一つの違和感もなくオーディエンスの聴覚を刺激していく。
その腹いせに意地張った 嘘が 無数の槍となる
彼女が……いいや、彼女達が謳うのは怠惰でくだらない、何も無い日々を生きる彼ら彼女ら。
そこに本音の在り処など無く、惰性で息を繋ぐだけの死人と変わらぬ日々しかない。
絶望ぶった四面楚歌 そりゃどうも本当なのかい
隠し、掻き消し、目を背け続けることで満たした気になっていた。
多少の孤独 振りかざし 説明すりゃそうなるが
到底忘れられるはずもない己にとっての全て。
どうやら理由を必要とする 存在とは異なるようだ
見えるはずもない、人の心。何かを想い、何かを感じ、何かを言葉にして誰かに届ける役割を担っていたはずのアンプ。
今は、嘘と虚構でがんじがらめにされたただのガラクタ。
だが永劫に自分に嘘など突いていられるはずがない。
皆、そんな事は分かっていた。
ーーそれでももし。もし踏み出せないってんなら。
球磨本のベースが一層歪を帯びる。
何も持っていないという その手を貸しておくれ
それに導かれているのか演奏の音は小さく、けれど訴えかけるようにリズムを刻んでいく。
ーーアタシが
ーー私が
ーー……私が
【私達がーー】
挑戦して傷ついて それは負けじゃない
ーー雨空の下で嘆いても始まらない。
戦った事 誇っていい その証を得ただけ
ーー傷だらけになったからってなんだ。そんな程度で終わっていいのか?
どうやら理由を必要とする 存在じゃないらしい
ーー笑いたいなら笑えばいい。見下したいなら好きにすればいい。それでももし。
何にも持ってないという その手を貸しておくれよ
ーーもし知りたいなら、手を貸して。どこにだって、いつだって、握ってあげる。
安寧の地に生まれた鳥は 飛び方を忘れてしまった
ーーそれがどうした。忘れたってんなら思い出させてやる。
現状維持を安息とし 闘う意味も失ってないか
ーー目を背けるのは楽。痛くもないし傷もつかない。で、その代償に何を忘れたの?
抗うことわするるなかれ 多分幸せなんだけど
ーーそう、多分幸せなんだ。出来ない事、望み薄な事から逃げるのは幸せだ。けど、だからこそ、なんだ。
なぜかどうしてかさっぱりさ 満たされてはいないんだ
ーーあんな毎日はもう嫌だ。
どうやら説明だとか理論だとか そんなんじゃないみたいだ
ーー知恵が付いちまったせいで忘れちまったんだよな。
虎視眈々と機会を得ずとも 奴らの喉元に噛みついてやれ
ーー生えてる牙を忘れてるだけ。
挑戦して傷ついて それは負けじゃない
ーー挑んでいた日々に、その気持ちに、諦める理由を見ようとしただけで。
戦ったこと 誇っていい その証を得ただけ
ーー理屈じゃない。夢見がちな心だっていい。
どうやら理由を必要とする 存在じゃないらしい
ーーだからその手を
ーー何にも持ってねぇとか嘘う、その手を
ーーアタシ達に教えてみなよ
ーー全部全部まとめて救い出してあげる。
【だから】
何にも持ってないという その手を貸しておくれよ
片時も
忘れ難い
その憧憬
大事に愛でて
綺麗に飾って
それで
満足かい
【そんなわけないだろ?】
【この世界は■を見るほど残酷になるんだから】
【諦め切れるわけないんだよ】
【[ここ]に、あなたの本当が残り続けているんだから】
誰もが聞き入っていた。
止めに入ろうとしていた教師も、片付けの途中だった吹奏楽部員も、ただ煽っていただけの観客もそれを嗜めていた観客も。
それまでの猛り・怒り・苛立ちを抑え込むような音とは違う、明日を得るために生きその結果何かを失った誰かのような平穏なリズム。
ギターのかき鳴らす音は無害な日々の中で喉元まで込み上げる[何か]を思い出させ。
ベースの響かせる低く歪んだ音は[何か]をやり過ごすために知った苛立ちを過らせ。
ドラムの叩く音は諦めていたこれまでをこれ見よがしに飾るように。
幾度も。
幾度も。
幾度も幾度も鳴らされ。
その度に聞く人々を逡巡させる。
いつからか失った、胸の奥に押し込めた、やり過ごそうとした[何か]を。
忘れようとしていた[何か]を。
絶望ぶった四面楚歌 そりゃどうも本当なのかい
この歌の、曲の中に。
その牙や爪は 意思や本能を突き通すため
或いは彼女達が奏で、音に乗せた心の中に。
挑戦して傷ついて それは負けじゃない
……否。自分の中に。
戦ったこと 誇っていい その証を得ただけ
見出した。思い出した。
どうやら理由を必要とする 存在じゃないらしい
押し込め、墓場まで持っていくはずだった[何か]をーー真に自分の望んでいた事を。
何にも持っていないという その手を貸しておくれよ
[夢]と呼んでいた望みを、彼らは思い出した。
ーー『今更思い出してどうする』
僅かに呼び覚まされた願いを尚も捨てた気になろうと己の独房を閉じる聴衆。
…………けれど。
どうやら理由を
彼女の歌声は
必要としていないみたいだ
容易に鉄格子を開き
何にも持っていないという その手を
あろう事かその手を
貸しておくれよ
握って、微笑みかけた。
ーー私たちは。
ーーアタシたちは。
ーー私達は。
ーー……私達は。
【私達が】
【『連れて行く』】
瞬間、決壊したダムのように彼ら彼女らの記憶が溢れ出す。
何物にも代えがたいと信じ切っていた日々の記憶。
[夢]を、心の全てだと実感していたあの日の記憶。
幻想を思わせる演奏で、共に駆けるヴィジョンを瞳に。
聞き手の魂に深く刻み込んだ。
彼女達の爪(えんそう)で、彼女達の心の牙(うた)で。
二度と忘れられない刹那として。
彼女達の叫びは、止んだ。
「ーーーえ、えぇと」
恐る恐る鳴り響く放送が余韻を上書きしていく。
「こちらは我が校の部活動の一つである、えぇと……」
詰まり詰まり言葉を繋ぎ、何とか事態の収拾をつかせようとする放送部員。
しかし、そもそもの台本に無いのだから次のセリフが出るはずもなく。
「あーー、えぇっと、バンド部の[スレイブ・ファング]でしたー。ありがとねーー?」
結局、どうにか呼吸を整えた轟が放送の言葉を繋ぎ、乱入ライブが終わりを迎えた。
_____________________________________
文化祭が終わってから一週間。
やっと停学処分が終わって、今日からまた学校に通う日々が始まる。
一切の外出が制限されていた自宅学習のせいで轟さん達との感想も何も言い合えなかったけど、あの日の結果は毎日課題を持ってくる先生達の目の色でよく分かった。
絶対口に出して褒めてはくれなかったけど、プリントを貰うたびに、今まで一度だってしてくれなかった期待の目が向けられたから。
……ううん。多分、[他人に向けて]ただけじゃないと思う。
自分に向けてもいたんだ。
思い描いていた[夢]。或いは[理想]。
仕事にして、現実を知ったせいで忘れていた気持ちを、思い出したんだと思う。
ーーだから。
「お。おはようしずく」
「あ、轟さん。おはよう」
校門の前で轟さんと合流し、凄く懐かしい気持で挨拶を交わす。
「ん、おはよう。ライネ、しずく」
「……おはよ」
「おー、くまもんにレイレイ!おはよー」
「おはよう、二人とも」
おなじく校門前で鷲山さんと球磨本さんに出会う。
……その球磨本さんはまだ登校時間だというのに、小袋のポテトチップを抱えて食べてる。
朝からあんなの食べて気持ち悪くならないのかな……
「あはは、気が抜けたねくまもん。やっとお菓子食べ始めた」
「流石にあの時期にはちょっとな」
「これで二袋目」
「えぇ……?」
まるで何もないかのように話を進めていく轟さんと鷲山さん。
どうやら球磨本さんは以前からこうらしく、最近食べていなかったのは文化祭に向けて気を張っていたかららしい。
これから毎日ーー少なくとも、次のライブが決まるまでは毎朝この姿を見なきゃいけないんだと思うと胃の辺りがちょっとだけ持ち上がってきた。
「んじゃ、そろそろ行こっか」
轟さんの言葉を合図に校門を潜り、校舎へと向かう私達。
その道中……
「(なんか、見られてない?)」
「(やっぱりそうだよね?)」
「(まぁ、あんだけ派手にやりゃあな)」
「(無視もしてられない)」
異様なほど視線が集まってることに気が付いた。
今までとは全く逆の状況。
確かにそれなりの事をやった自覚はあるけど、でももう一週間も経ってるんだから、下火になっててもおかしく無いハズ。
なのに、どこからかひそひそ話まで聞こえてくる。
「(……良く分かんないけど、邪魔されないんだったらいいんじゃない?)」
「(だな)」
球磨本さんに続いて鷲山さんと頷き校舎の中に入る。
そうやってそれぞれが自分の靴箱の前に行くと……
「え」
中があからさまにパンパンになってた。
ーーな、なにこれ……
別の場所からも同じような声がいくつか聞こえた事からも、きっと他のみんなも同じような状況なんだと思う。
……って、だとしたらこれって。
僅かに過る嫌な予感。
ーー靴箱の中一杯の悪口が書かれた紙……とか、ドラマかアニメで見た事あるけど、まさかね……
拭いきれない不安を胸にゆっくりと開ける靴箱の扉。
そして、予想通りにあふれ出てきた物は……
「……手紙?」
悪口の掛かれた紙とかじゃなくて、綺麗に彩られた沢山の手紙だった。
「呪いの手紙……とかだったらどうしよう」
落ちてしまった手紙を拾い上げ、そのうちの一つを広げて読んでみると、書かれていたのは呪いの言葉でも、悪口の類でも何でもなくて。
「「「「「ラ、ラブレター!?」」」」
何でか、どの手紙にも全部。
『かっこよかった、好きです』
みたいなことが書かれてた。
そしてそれは私たち全員がそうだったみたいで。
「「「「どういう事ーーーー!?!?」」」」
何処からともなく聞こえる黄色い声を他所に、新しい学校生活の幕が上がってしまった。
ここ、女子高なのに……。
end..........?
雫の轟音革命計画 カピバラ番長 @kapibaraBantyou
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