万乗の國

ロックバンド、『スター・チャイルド』が歌った<About a Sun>の歌詞に次のようなフレーズがある。

「――石のように生きるならば、石のように死ぬべきだ。/風のように生きるならば、風のように死ぬべきだ」。

‘96年発売の米ローリング・ストーン誌には次のようなインタビューが飾られている。「歌詞に深い意味はないよ、ただ、あえて云うならば、当時のおれの感情、楽観主義者らへの警鐘みたいなものかな」。

 いずれにせよ僕はこの歌を聴くたび、他害的な衝動にかられる。他人の頭蓋の内側を覗き、そのグチャリとした体液を浴びて、自己完結的な思想に耽る。そんなイメージ。

 ……あー、厭だわ。親父が自害しちまったもんだからよう、組潰れてよう。おれさ、将来はベンチャー企業っつーの? 一種の賭けで人生豊かにする計画立ててたんさ、野に咲く花? 雑草? 草も食えねえのに草食う人種、一歩手前っつー! 

永瀬さんがいつの間にか僕の隣に腰かけて、ハイライトを燻らせている。どうしたもんか、と悪態を吐きつつ、僕の髪をわしゃわしゃと掻きむしる。

……おめえ、なんの曲、聴いてるん? あ、おめえ、バンドやってたもんなあ。あれだろ。むつかしいアメリカとかイギリスとか、そっちの音楽聴いてるんだろ。俺も好きな曲あってよう。前に『イージー・ライダー』て映画見たとき、そこでかかってた音楽。名前? 忘れた。

 ……なあ、おめえ、死にたくねえ? 死にたくないか? 永瀬さんが執拗に僕を小突いて、気分わりぃ、と云った。僕は何も云わなかった。


 子どもの頃読んだ漫画に、偶然『力』を手にしてしまった主人公が次から次へと襲い来る刺客を倒し、ヒロインである少女を守る、という内容のものがあった。絵が鮮烈だっただけに、当時漫画家を志していた僕にはその絵のタッチが特に好きで、よく真似して描いていた覚えがある。主人公は『力』をヒロインの少女から与えられるのだが、そのヒロインを悪側である組織が追う構図だったと記憶している。

……その『力』は特定の条件下でしか発動しないのよ。

 僕は、力は一個の観念的なものだと考えている。自動的であろうが他動的であろうが、力とは物質的なものではなく、ひどく観念的なものだ。一個の精神を欲動させるものが力。僕はそう信じている。ふと思い出した。ミネラル・ウォーターを飲んでいるとき、何かの拍子にペットボトルのキャップが転がり始めた。キャップはころころと転がり、一周して僕の足元の手前で静止した。これも力だ。何気なく過行く日常の些細な部分に力は転がっている。

「――シンボルさ」と、永瀬さんが云った。「シンボル。うん、いい響きだね」

「どうしたんです?」

「これだよ」

 永瀬さんは躊躇なく懐から一丁のトカレフを取り出した。僕は少しぎょっとした。が、次いで興奮みたいなものが内側に広がっていくのを感じた。

「親父を殺した銃さ。こいつでさ」永瀬さんはトカレフを僕に握らせ、銃口を自らの額に誘導させた。「撃ってくんねえかなあ。おめえじゃ、撃てねえだろうなあ」

 永瀬さんは酔っている。

 何に?

「こいつで一発、パンッとさ、解放の喜びを味わいたいねえ」

「この世界に解放はありませんよ」

「馬鹿いうなよ。自殺したいんじゃあねえ。殺してくれ、って云ってんだ」

「殺す? ですか?」

「おうよ。オレをヤッて、解放してくれよ、上宮」

「僕が?」

「一発、ヤリてえだろ?」

 長々と僕のこころの内側で『スター・チャイルド』の<About a Sun>が流れている。

「――石のように生きるならば、石のように死ぬべきだ。/風のように生きるならば、風のように死ぬべきだ」。

絶望とは、死に至る病だ、と云った思想家がいる。僕は、常に外への志向性を帯びた絶望が欲しい。モラリストには、到底なれないらしい。

 永瀬さんの両脚を引きずって、眼前に広がる大洋に蹴り捨てた。永瀬さんから譲り受けたトカレフと茶封筒を掴んで、僕は下手くそな口笛を吹いた。

「――石のように生きるならば、石のように死ぬべきだ。/風のように生きるならば、風のように死ぬべきだ」。

『スター・チャイルド』のフロントマンであるルーシーは、同誌で更にこう語った。

「仮言命法的に生きる奴らへの警鐘、いわば復讐さ」。

 茶封筒のなかには鍵が入っていた。どこかの部屋の鍵らしかった。僕は、この鍵に見覚えがあった。


 『……神仏を信じません。他者も信じません。認めているのは、信じているのは、ここです。(自らのこめかみに指を当て)……パンパンパン! てな訳で死にたがりやです。神なんて絶対的な存在をあたしは信じない。この世は相対的で抽象的なんです。視点をちょっと外すだけで世界は曖昧になるし、視座を変えるだけで、暗い気分だって晴れ晴れします。

 貴方は神を見たことがありますか? 仏を見たことがありますか? 神仏は、人が集団を、自己を、他人を、規定するために創り出した観念に過ぎません。一人の聖人がそれを神の法と定めて規範を作る。よくある話です。大昔、人が自然という脅威から逃れるために作った規範。すべて逃げなんです。逃避から観念が生じます。絶対者を配置することで、それに責任を擦り付けられる。楽なもんです。要は逃避の言い訳を作ったのです。現実逃避。現実逃避に観念は利用されました。いや、観念そのものが、逃避のためにあるのかもしれません。だから唯一信じ、認めているものは、

キルヲ伝/セルフライナーノーツ/夢子むこの日記より抜粋。


 二〇〇一年の或る夏の日、上宮和之うえみやかずゆきは初めて人を殺した。一丁のトカレフは大洋に投げ捨てた。

 漁港からスクーターに乗り、自宅へ直行すると、彼はまず丹念に手を洗った。幾度もハンドソープをプッシュし、指と指の隙間を洗い、爪を擦り、汚れを落とすと、蛇口から零れ出る水でそれらを落とした。まるで罪悪の澱を祓うかのように、彼はその行為を続けた。

「何しとんよ」

 不可解に思った上宮の義父、昭雄あきおが戸口に立ってこちらを見ていた。薄ら笑いにも似た表情を浮かべ、「急ぎの用事でもあるんか」と云った。

……別に、何も。

そう応え、和之はタオルで早々と両手を拭うと、自室への階段をあがろうとした。

「壊れたんか?」

 唐突に昭雄がすれ違いざまに云った。質問の意図が判然とせず、和之は無言で義父を見た。瞬間、頬に衝撃が走り、和之はキッチン脇の冷蔵庫に叩き付けられた。激痛は数秒遅れてやってきた。

「壊れたんか、と聞いとんや」

 義父の容赦のない、その体躯から漲る暴力性に和之は慄いた。抵抗する気力もあった。が、和之自身、既に人を一人殺していた。罪悪感と心の内側から沸き立つ暴力衝動をふるいにかけつつ、和之は無意識のうちに義父の昭雄を睨んでいた。

 義父の蹴りがふたたび腹部を打って、和之は呻きながら床面に倒れこんだ。そのまま仰向けに天井を見やったとき、「もう終いじゃ」という昭雄の声とともに顔面に拳が降ってきた。

 昭雄は、ぜえぜえ、と息を吐きながら、和之を後目に自宅から足早に出ていった。


 宵が迫る中、雨滴が点々と地に染みはじめた。夏だというのに心なしか肌寒く感じられて、和之はワイシャツのうえから腕を摩った。ヘルメットを被り、スクーターを走らせて、彼は病院へと向かった。妹の結衣ゆいに会う為だった。受付で面会の旨を伝え、エレベーターから病棟に上がり、結衣の部屋を目指した。

「嫌いよ、あれ」

 病室に入った途端、結衣が云った。

「何?」

「海」

 妹が指さした先には、窓ガラスを隔てて渺茫たる大洋が見渡せた。灰色に染まりゆく雲に押しつぶされそうになっている海の一面は、最早黒々とした巨大な穴でしかなかった。時折、穴の縁を水鳥が踊った。先程まで乾いたようにみえていた眺望も次第に乱雑に打ち付ける雨滴によって湿っていった。

「広すぎて、異形みたい」

 そう云う妹の横顔はどこか儚げだった。妹の輪郭が滲んで見えるのは、窓を叩く雨のせいだと和之は思った。

「兄さん、手、見せて」と、結衣が催促して、和之は妹のベッドへと腰かけ、手のひらを見せた。暫し、結衣は和之の、実兄の指に触れ、逞しい腕を見つめていた。

「ピアノ、辞めたの?」

「やめたよ」

「どうして?」

「俺には、向いてない」

「悪い癖」

 結衣は実兄の飽き性を見抜き、次いで「あれ、歌って」と和之を見た。

「あれ?」

「兄さんの歌」

「俺に歌はないよ」

「なんでもいいのよ、なんでも」

 結衣には他人の考えを見抜くかのような、少し近寄りがたい雰囲気が昔からあった。結衣が中学生の頃、彼女が自らの手首をカッターで切り付け、自殺未遂を起こしたことがある。兄である和之はやはり心配にはなったが、それよりも彼女が手首を切り、そこから滴る血液を恍惚そうな表情で眺めているその横顔を視認したとき、彼にはまず戦慄があった。これが自分の実妹なのかと不安になった。だが、その不安も一抹のものでしかなかった。結衣はすると和之自身に似てきたのではなかろうか、という喜びめいた確信に変わりつつあったからだ。結衣を見る和之の奇異な目は、しかし和之自身を納得させるある種の安心感に変貌していた。

「一個の時間なんだよ」

 と、よく結衣に言い聞かせていた自分を思い出し、和之は失笑気味に口許を歪めた。

「どういう意味?」

 結衣は、放心気味に自らの肉体から滴る血を見ながら問うて、次いで兄の和之を見、再びあの救いを求めるような敬虔な眼差しを見せるのだった。

「ヒトは一個の時間だ。いくら兄妹といえども、そこには限られた領域があって、領域の内側で一個の時間を所有している。その時間を継承するも、消去するも、結衣次第、という意味なんだ」

「死にたくはないわ」

。極簡単なことだよ。たとえ、自分の精神が分裂しようとも、君を生きているのは君さ。それは一個の時間というベクトルで表せる。時間を意識しながら生きるのさ」

 そう説得しながら、やはり、と和之は思った。いつしか自分は説教臭い、理屈っぽいところが多々見受けられるとは思ってはいたが、なにやらそれらは自分という自我とは異なる部分に帰属しているらしかった。この異なる自我が時折、和之の眼前に表出しては、言葉を連ねていくのだった。なにか人格というものが浮きあがる感覚がそこにはあった。

 和之はひとつ嘘をついていた。彼は、今でもピアノを時折弾く。殊にこのような雨天の最中には自室に籠り、調律の狂ったピアノを弾くのだった。学校の音楽室でもピアノを借りて弾くときはあったが、何か気恥ずかしさを感じ、結局、自室に舞い戻る。クラシックの才覚は彼には無かったが、音の正確なイメージを脳内で描くことができる和之にとっては、調律など関係なかった。要は、脳内から鍵盤に到達するうえでの視点だと、和之は考えている。

 しかし、と和之は更に思惟する。

 過去、人を一人、殺したはずなのに、自分は何故こうも冷静でいられるのか? と。現実感がないのではない。時間が長大な尺度で引き延ばされている。人を殺した、という事実を忘却させようと時間が暗躍しているのだ。時間はコントロールできる、といったのは誰だったか。すべての過去がまるで可能性の一幕だったかのように感じる。過去へ連なる時間という糸の延長の先には、確かな事実として存在した事物も、いってみれば木の根のように張り巡らされた可能態の一形態に過ぎない。

 しかし、


   了(二〇二二年七月二七日)。

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