黒い獣

陰成子

黒い獣

 ふと目が覚める。夕日はとっくに沈んでおり、あたりは真っ暗な闇夜で、すでに日付は変わっているようだ。

 私はいつの間にか寝てしまっていた。しかし、いつねむってしまったのかはあまり覚えていない。

 昨晩は遅くまで深い森へ狩りに出掛けていたため、おそらく疲れが溜まっていたのだろう。

 あたりは部屋の中が暗くて何も見えやしない。火を灯さねば。

 近くに置いてあったマッチを手にとり、テーブルに転がっている蝋燭を立て、火をつける。

 蝋燭の火はゆらゆらと不安気に揺れはじめた。

 気づけばあたりは部屋中が泥だらけで、汗やら泥水の匂いで鼻がまがりそうだ。

 昨晩、森へ出掛けていた帰り道に突然の豪雨がふりはじめたのを思い出した。

 雨に濡れ、泥に汚れて、そのままねむってしまったのだろう。

 私はいてもたってもいられず、部屋の掃除を始める。

 部屋中の壁にかかっているランプにひたすら火を灯し、部屋全体を照らす。これであたりは見えるようになった。

 家の出入り口から寝室までの床が泥だらけで、足跡がついてしまっている。

 私はとにかく床の泥を濡れた布で拭き取り、一回外に出ると、近くには井戸があるので、そこから木のバケツに水を汲み、部屋に戻り床に水を流す。

 これをしばらく繰り返し、部屋はある程度綺麗にはなりつつあったが、匂いはどうしても消えず、部屋中を換気した。

 いったん一息つき、食料庫からパンを一切れむしり、頬張る。

 味はとくにしない。やはり肉や脂の乗った魚、鳥の手羽先なんかを食したい気分だ。

 さて、今日も狩りをするか。

 そういえば昨晩、豪雨の帰り道に愛用していた片手剣をどこかに落としてしまったのを思い出した。ハンターとして、商売道具を手放すなど私はどうにかしている。

 それにしても、昨晩の記憶がごっそり抜けているのが気になる。

 所々しか思い出せない。嵐のような豪雨だったのは覚えているのだが。

 まあ、深く考えるのはやめておこう。何故かそんな気分だ。

 新しい剣を買いに、家を出るとしよう。どうにも剣がふところにないと落ち着かない。

 知り合いのいいお店がある。まるでそこは隠れ家のような、とある森の洞窟にある集会所だ。ハンターは集会所に足を運び、アイテムや武器、モンスターの手配書を手に入れる。

 より高額な報奨金を手に入れたければ、より難易度の高いモンスター達を狙う。ここ最近はサボり気味だったせいか、私の金銭はそろそろ底をつきそうだ。

 今日はランクの高いモンスターを討伐するとしよう。

 私は軽く身支度を整え、集会所へ向かった。



 外を出てみれば、もう日は登っていた。明るい日差しが眩しい。

 ここはとある山奥で、あたりに人はいない。

 私はあまり人と触れ合うのが得意ではなく、わざわざこんな山奥で自給自足をしている。 

 一人で山籠りというわけだ。

 いつからだろう、一人街を出たのは――――。

 街で住んでいた頃の私はごく普通の一般人であったと思う。

 しかしある日、ふとこんなことを考えた。

 街にはほしいものがたくさん身近にあり、それを何気なく金銭を払い、いとも簡単に手に入れていた。果たして自分はそれで満足しているのか、と。

 猪の背ロースや野鳥の胸肉、川魚の白身。何気なく店に並ぶ食料品。

 これらはどういう過程で肉片となってしまい、どこで誰が見つけてきた獲物なのか。

 私には何故かそこにものすごく興味が芽生えたのだ。

 もし、これらの過程を自分のものだけにできるのなら、むしろそれだけで満足しそうなほどに、私の興味は膨れ上がった。


 “獲物を狩ってみたい”


 ただ単純にそう思い始めている自分がいた。

 ほしいものは自分で手に入れる―――そしてそれを手に入れるまでの過程を楽しむ。

 そうして私は街を出て、ハンターとなったのだ。

 今ではこの世に蔓延る異形なモンスターを狩る仕事をしている。

 モンスターの中には希少な素材を剥ぎ取れるものもいたり、ただ単純に害虫駆除のように討伐を依頼されたり、コレクターや研究のために生きたまま捕獲したり、など。様々な理由で集会所に手配書が張り出されている。

 我々はこれを生業にしてるというわけだ。

 もちろんそう簡単ではない。モンスターといえど、小さな小物のヤツもいれば、巨大で凶暴なヤツもいる。命がけだ。

 ランクが高いモンスターには必ずそれなりの理由がある。そのぶん、達成感と賞金は期待通りではあるが。

 今日は果たしてどんな獲物が待ち受けているのか。

 しばらく森を歩いた先に、洞窟が見える。そこが集会所だ。

 少し洞窟の先へ進み、さびれた鉄の扉の前で足を止める。

 私はその扉をゆっくりと開けた。


「おいおい、もう外は朝だ。夜まで店じまいだよ……ってあんたか」


 バーカウンターの奥に見慣れた男が立っていた。

 ここはまるで酒場のような場所で、昨晩も酒に溺れたやつがいたのか、店の中を掃除しながら見慣れた男がこちらに近づいてくる。


「いらっしゃい。悪いがもう店じまいでね。…まあ、あんたなら要件しだいじゃ相手するぜ」


 私は無言で金銭を男に渡し、“剣をくれ”と頼んだ。


「剣?……あぁ、それなら昨日入った上物があるよ」

 

 男はバーカウンターの裏へ足を運び、なにやら一メートル以上の長いものを持ってきた。


「こいつはかなりの業物だな。刀っていうらしいんだが、一振りでなんでも真っ二つだそうだ。まあ、こいつは使う人を選ぶって噂だ。まるで生きてるみたいに、使い方が雑な奴には武器として機能しなくなるらしい。みんな気味悪がって手をつけないがな」


 とっさに私はこれの名前を聞いてみた。


「鳴狐…。詳しいことはよく知らない。これを譲ってきたやつは何か妙なことを言っていたが、なんでも小人が作った最高傑作だ、とかなんとか言っていたなぁ。頭がイってるやつだったのかもしれないが…まあそんなことは気にしなくてもあんたなら使いこなせるんじゃないかと思って、とっておいたのさ」


 なきぎつね。何故かはわからないが、私はこの剣がかなり気に入った。剣先が長く、刃が細いのが気になるが、これはこれで動きやすいかもしれない。

 男からその剣を受け取ると、試しに構えてみることにした。

 片手でも振れることを確認し、軽くて案外使いやすそうだ。剣先が長い分当たる範囲も広がる。悪くない。


「さすがだね。ここ最近のハンターは銃を扱う連中が多い。トリガーひとつで終わらせることができるからな。だが、あんたは今だに手に感触が残っちまうナイフの方を選ぶ。そこは感心するよ」


 銃?猟銃、ボウガンのことか。確かに便利なものだが、私には必要ない。なぜなら私は狩りをする過程を楽しみたいからだ。

 トリガーひとつで終わらせることがどうにも私には勿体ないと思えてくる。

 狩りをするうえで、獲物との命の駆け引きができる唯一の時間を台無しにしているにすぎない。


「今日はそれだけか?たまにはここで飲んでったらどうだ。もう店は閉めなきゃだが、少しならかまわないぜ。そいつを買ってくれたお礼だ」


 男は鳴狐に指をさしながら言った。あとは少しばかりアイテムの購入と手配書の確認をすれば要は済むのだ。


「薬草?……あぁ、あれのことね。あんたも面白いな。あんまりやりすぎるなよ」


 私は薬草を受け取り、店の壁にずらりと貼ってある手配書を眺める。


「あんたもそういうの好きかい?興味があるならこの先の――――」


 場所はすぐに理解できた。この先のいつもの深い森。標的は……魔女、か。

 モンスターという種類の中では知性をもったやつらだ。案外手ごわいが、まあ悪くない賞金額だ。今日はこいつで決まりだ。さっそく鳴狐の試し切りといこうか。


「ほう、それに目をつけたか。気をつけろよ。いくらあんたでも奴らの誘惑には一苦労するだろうからな。男の欲望を利用して近づき、むしりとるだけむしる、なんてのは常套手段だ」


 私はその男に礼を言い、集会所を後にした。



 しばらく森の奥へ進むと、そこは深い森の中だ。そこに今日の獲物、魔女がいるらしい。

 魔女は人間の住むところに化けて現れるのが基本だが、住みかとしているのは森の奥深く。

 そろそろ日も落ち始めた。あたりは昏くなる。

 私は鳴狐を腰のあたりに装備し、静かに深い森の中を歩く。

 獣道をたよりに道を進んでいくが、中々魔女の住む家が見当たらない。

 まあ、勝手にあっちからこちらをおびき出そうとそのうちのこのこと現れるだろう。

 少し木の根に座り、様子を見ることとする。今日は起きてからパンを齧った程度で、腹は空腹であった。さっき集会所で手に入れた薬草でも腹に入れておこう。

 本来は体力や怪我の治癒用で購入したが、空腹のほうが勝り、仕方なく薬草を口へ持っていく。あまりいい味はしないが、これはこれで少しは腹の足しになる。


 ……………。


 気づけば時間は過ぎ、しばらく昏い夜が続いている。

 まるで昨晩を思い出すかのようだ。


 “黒い獣が目の前にいた”


 ようやく私はあの夜のことを思い出した。

 あれは獣だったのか、なんだったのかはよくわからない。その黒い獣は私を覆いつくすように、私の中へ入り込もうとした。

 私は初めて恐怖したのかもしれない。慌てて走り出し、今すぐに深い森から出ようと必死だった。

 途中嵐のような雨が降り始めたが、気にならないくらいに私は走り続けた。

 まだはっきりとは思い出せないが、何か歪で、どこか違和感を覚えるような、それは確かにそこに存在した。

 不気味に黄色く輝く丸い目が二つ、足は四本足で、口はだらしなく大きく、まるでその姿は犬を連想させる。

 何故かあの時、私には目の前の黒い獣が恐ろしく危険だと咄嗟に感じた。

 これが本能というべきか。

 その黒い獣は永遠私の方を睨みつけ、近づいてきたのだ。

 …しかし気づけば家のベッドで死人のように寝ていた。

 いったい何だったのだろう。それとも夢だろうか。

 いや、部屋の泥、むせるような汗の匂い、そしてこのリアルな記憶。あれは紛れもない現実だっただろう。

 ハンターにとって、獲物から背を向けるなど、あってはならないことだ。

 いや…あれを果たして獲物と呼べるのだろうか。そもそも獣かどうかもわからない。

 得体のしれないモンスターだったのかもしれない。

 ……深く考えるのはもうよそう。今は狩りに集中したい。

 しばらくあたりを様子見していたが、一向に魔女の気配がない。

 もう少し深い森を探索してみようと思う。

 私は鳴狐を持ち上げ、立ち上がる。

 すると、かすかに近くから物音が聞こえた。


 …………。


 何かいる。

 私はあたりを警戒しながら刀の鞘を抜いた。

 物音がする方へ進んでみると、かすかな明かりが見えた。

 よく目を凝らしてみると、あれは魔女の家だろうとすぐわかった。ようやく見つけた。

 やはり近くには女の影のようなものが蠢いている。

 不意討ちをとるか―――。

 いや、それでは楽しめない。

 一度脅かして、様子を見てみよう。私は少しづつ女の影の後ろについた。


 「だれ…!?」


 魔女がこちらに気付く。おろおろしながらあたりを見渡している。

 どうやらかなり若い魔女のようだ。

 しかしこれが本当の正体とは限らない。魔女は歳をとることを嫌うからな。本当の姿を隠しているに違いない。

 私は魔女の動揺している姿をみて少し興奮している。今すぐにでも狩りたいところだが、それでは私の気がすまない。


「……客なら歓迎するわ。リングヴィの酒場じゃ私は有名よ」


 こいつ。集会所を知っているのか。リングヴィの酒場とは先程剣などを購入したハンターの隠れ家、つまり集会所のことだ。

 リングヴィのマスターが言っていたことを思い出す。彼女らは誘惑が常套手段だと。


「マスターからの紹介?なら安くするわ。そう言われてここまできたのでしょう?……隠れてないで出てきてちょうだい」


 どうやら誘惑されているようだ。

 ……ふん、おもしろい。では試しにお前の誘惑に乗るとしよう。この私には女の誘惑など微塵も興味はない。興味があるのは―――――。


「あら、まあまあいい男じゃない。歓迎するわ。こっちよ」


 魔女の前に姿を見せる。私はすでに鳴狐を鞘に納め、背中に隠していた。少し歩きづらい。


「最近は物騒だからね。客足が少なくなってしまったんだけど。ご同業もかなり減ったわ。私はこのへんじゃあ結構有名でね。自分で言うのもなんだけど」


 魔女め。お前のことなどはどうでもいい。さあ、はやく本当の姿をみせろ――――。

 魔女は私を煉瓦造りの家へと誘い込む。中は薄暗く、なにやら異様な香りを漂わせながら、部屋の奥にある桃色の大型ベッドの前でいったん止まる。


「きて」


 そう言うと魔女はおもむろに着ていた衣類を脱ぎだす。

 これが誘惑というやつか。実に滑稽だ――――。

 私はこれ以上付き合ってられないと興が醒め、試しに目の前にある細くて脆そうな腕の一本を鳴狐で切り落とした。


「え――――――」


 魔女は予想外だったのか、突然の出来事に驚いている。

 あたりは真っ赤におびた血の海が広がり、私は少しだけ表情がニヤついてしまった。


「ううううううう………いたい……いたい………。あ…あなた……だったのね………」


 魔女はよくわからない言葉を発しながら、床に倒れ込む。

 こんな簡単に仕留められるとは思わなかったが、せっかくなので、もう片方の腕も切り落としてみた。


「ア――――――――」


 魔女はまるで蛆虫のように悶えている。今にも死んでしまいそうなほどの血液の噴水。

 まだだ。まだ終わらせる訳にはいかない。

 だって魔女は人間を誘惑し、食べてしまうモンスターなのだから。


 ……………。


 そこに置いてある肉の塊は動かなくなった。

 なぜだろう、まだ足は二本残っていたというのに。

 満足はできなかったが、今日の過程も無事楽しめたと少し安堵した。

 ふむ。魔女というモンスターも悪くない。ただ人間に形が似ているため、さすがの私も少し罪悪感があるが、肉片となってしまえばどうということはない。

 今日はこの肉で料理をするとしよう。

 私は鳴狐についた血を綺麗に布で拭き取り、鞘に納める。仕留めた肉片をサバイバルナイフで細かく切り、袋に詰めた。

 魔女の家の中にはとくにアイテムは落ちていなかった。薬草や珍しい素材が落ちていても不思議ではないと思うのだが。まあいい。

 私はことを終えると、すぐさまこの血の海と化した部屋を後にした。



 気付けばねむりに落ち、夢を見ていた――――。

 一匹の黒い犬が人間たちに追われている。

 私は第三者目線でその光景を目のあたりにしている。

 黒い犬は必死に人間たちから逃げているのだが、大勢で周りを囲まれており、逃げ出す場所がない。

 鋭い牙を向けて、全身全霊で相手を威嚇する。

 しかし人間が手にしているのは鉄の猟銃だ。

 結果は言うまでもない。一方的な乱射に黒い犬はなすすべもない。

 これが狩り。しかし本来狩りというのは肉食動物の習性だ。

 どちらかといえば狩りをするのは黒い犬側の方が自然なのだ。

 しかし、人間たちは悪知恵だけは働かせ、この世のルールというものをめちゃくちゃにしてきた。

 彼らはとうとう霊長の王と君臨し、神の国を作り、他の種族を奴隷のように扱ってきた。

 ―――――そして。

 理由もなしに殺された黒い犬のように、人間たちによって無残に殺戮された様々な種族の未練や悲しみ、憎しみといった負の感情が増え続け、それは大きな憎悪の化身と成り下がった。

 なぜ私はこんな夢をみているのか。

 あの黒い獣がそうさせているのだろうか。

 わからない。

 しかしこれだけはわかっていることがある。


 そう、わたしこそが―――――――



 ……………。


 ふと。目が覚める。

 昨晩は魔女狩りに成功し、気分がいい。

 大型のモンスターを狩るのもいいが、たまにはああいう手合も悪くないだろう。

 物足りなさはあるが。

 ハンターとしての感覚が鈍ってしまうのもよくないことだから、今日は大型のモンスターを狙うとしよう。

 そういえば、昨日狩った魔女の肉をマスターにあげよう。あまり需要はなさそうだが、モンスターの素材として何らかは役に立つだろう。

 今日も集会所へ向かう支度を始めた。

 その時。


 ――――トントン。


 突然、なにやら玄関の方からドアをノックする音が聞こえた。

 客でも来たのだろうか。

 こんな人気のない山奥に一体誰が。

 私は恐る恐る、玄関の方へ向かう。

 念の為、自然と片手には鳴狐を持っていた。もしかすると、昨晩狩った魔女の仲間が復讐しに来たのかもしれない。

 ゆっくりとドアノブを開けてみる。


 …………。


 だれも…いない?

 私はあたりを見渡すが、人影はない。

 …すると近くから声が聞こえた。


「こっちだ、こっち」


 私は声の聞こえた方へ視線を向ける。

 ……。驚いた。

 あまりに小さかったため、気付かなかったが、私の腰よりも低い位置に、そいつは立っていた。私はそいつを見下ろすような形で、その異様な姿に驚く。


「おぬし、わちが作った魔剣をなぜもっているのじゃ」


 魔剣?何のことだ。

 一瞬なんのことかわからなかったが、目の前にいる小さな小娘は私が持っている鳴狐を指差し言っている。この刀というやつのことを言っているのだろうか。


「……おぬし、一体何じゃ?まるで呪いが具現化しているようじゃ。…とにかく、わちの作った魔剣はおぬしのようなやつに作ったのではない。返せ。後、部屋。血の匂いがすごいぞ」


 こいつ…。まるで歳はまだ五つぐらいの幼女にしか見えないのに、まったく隙きがない。こっちがお前が何なのか聞きたいぐらいだ。

 魔剣とはなんだ?こいつは私がマスターから譲ってもらったものだ。

 お前のような小娘が扱えるものとは到底思えない。


「だまれ、小童が。わちはおぬしの何百倍もこの世を渡り歩いておる。…何百年もかけて、わちはこの世に五本の魔剣を創造した。それはそのひとつであるぞ」


 この小さな幼女が得意げに話し出す。少し満足そうに、えっへん、と言いながら仁王立ちしている姿はまさに子供にしか思えない。

 こいつはいったい…。


「やれやれ。……まあいずれわかるときが来る。その魔剣を返さないというのなら、それはそれでよかろう。だがな、昨晩のような使い方すれば、やがてそいつはすべてを飲み込む暴食と化すぞ。……いいな、忠告はした」


 幼女はことが済んだのか、この場を立ち去ろうとする。

 私は咄嗟に名前を聞いてみた。


「わちか?…わちの名はドヴェルグ。……愛らしい妖精とはわちらのことじゃ」


 そう言って謎の幼女は立ち去っていった。

 一体何だったのか。まるで嵐でも過ぎ去ったような気分で、私はポカンと口を開けたまましばらくぼーっとしていた。

 ここ最近は妙なことが多い。深く考えても仕方がないので、そのまま集会所へ足を運んだ。



 ―――集会所はなにやら騒がしい。

 私はいつものバーカウンターの定位置に座ると、隣の方からなにやら酒に溺れて泣いているやつが、マスターにぶつぶつと喋っている。


「…くそう…。なんで殺されちまったんだ。…おれ、すげぇ彼女に惹かれていたんだ。こんな寂れた街のマドンナだったのに。…いったい何者なんだ。“切り裂き狼”ってのはよう」

「…さあな。これで六人目か。なんでも遺体は見つかってないそうだ。…この街はハンターの街だからって、俺ら狩人が疑われるのは癪だぜ。ハンターは誇りを持って狩りをやってんだ。無関係な人間を狩るなんて…そんなことは絶対にしない」


 何やらかなり飲んだくれているようだ。

 マスターが私に気付き、こちらへ近づいてきた。


「いらっしゃい。いつものでいいか?」


 私は静かに頷く。


「あんたも聞いたか?また“切り裂き狼”が出たってよ。…なんとも酷い話だぜ…。この先の娼婦通りに決まって真夜中に現れる殺人鬼。今回はこのへんでも有名なマドンナが殺されちまった。うちにもビラ配りにちょくちょく顔出してたんだがね。この寂れた街のハンターにとっちゃあ、癒やしの女神でもあったのにな」


 そうなのか。私はまったくそういうのには興味がないから知らなかった。

 まあ、そんなつまらない話はいい。

 とりあえずマスターに昨晩狩った肉を渡す。


「おう、今日も大量だな。…ほら、報酬だ。いつも結構な大物を仕留めるもんだな。どうだい、新しいナイフの調子は。えーっと、刀だっけか?なかなかの切れ味だったろう」


 私はこの鳴狐の感想をマスターに伝えた。かなりの切れ味で、骨までも切り裂く、するどい刃。四肢をもぎ取るのにはかなり便利だ、と。


「うへえ。さすがはあんたの成せる技だねぇ。いつか仕事ぶりをこの目で見てみたいもんだ」


 マスターは相変わらず、私の話す狩りの内容を褒めてくれる。本当に数少ない私の理解者だ。そんな様子を横で、先に酔いつぶれていた男が話に割り込んできた。


「あんたさぁ、ここ最近になってこの街に来た新参ハンターだってきいたけどよ、実際のところ仲間内じゃあ、狩りしている姿を見たことがないって言ってるやつがほとんどなんだ。あんたいったい、どこで何を狩ってるんだ?まさかクマか?」


 なんだこいつは。突然話に入り込んできた、顔も服装も貧相な男。

 こいつのハンターランクを聞いてみよう。


「は?ハンターランク?…そんな格付けみてぇなことはこの街ではしねぇさ。誰もが誇りを持って自然の生き物の命をありがたく頂戴している。だれが多くやったか、なんかを比べる道理はねぇよ。みんな生きるために、必要なぶんだけ狩りをするんだ。…それ以上生き物を狩ったら、そいつは殺戮だ」


 虫唾が走る。こいつはハンターをまったく理解していない。

 殺戮だと?強いものが弱いものを壊して何が悪い?それは弱いものの運命であって、弱肉強食のルールだ。強いものが狩りをし、弱いものは狩りをされ続ける。これがこの世のルールなのだ。脆い命が悪い。殺され続けるやつらが悪い。もっと必死になって足掻き、強いものから身を守る手段を己で見つけ出せ。出せないのならそれはこの世のルールに従ってもらう。それだけだ。


「ま、まあまあ。あんたも落ち着けって。いつもの冗談だろ?あんた時々面白いこと言うしさ」


 冗談?それは何の冗談だ。

 マスター。お前もそっち側の人間なのか。お前だって喜んで私の狩った肉を受け取っていたじゃないか。いいか、お前が喜んで受け取っていたその肉片はな、この世に蔓延る異形なモンスターの―――――。


「お…おい。さ、流石に…いまのは…冗談、だよな?」


 だから。

 冗談など一言も言っていない。

 私はそろそろ限界を迎えそうだ。

 何故か酔っ払って割り込んできた男は酔が醒めたように、蒼白な顔でこちらを見ている。


「あ……そ、そういえば。あ、あんた…昨日…マドンナのチラシを見ていた…よな?」


 マドンナ?昨日見ていたのはモンスターの手配書だが。あぁ。魔女をマドンナと呼んでいるのか?

 マスターは何故かその場で腰を抜かしていた。


「う…うそだろ。い、い、今受け取ったこの肉は…も、もちろん、猪か野うさぎの肉…だよな…?」


 何を言っている。モンスターの素材だ。魔女の肉片に決まっているだろう。


「な―――――――」


 目の前の二人は唖然としていた。

 腰を抜かしながら、私の姿を見て、“切り裂き狼”という名で私を呼び始めた。

 二人が言うには、モンスターの手配書などどこにもないという。いや、そもそもモンスターや魔女などこの世には存在しないらしい。なんとも馬鹿げた話だ。

 私は我慢の限界だ。この二人をあっという間に肉片に変え、このリングヴィの酒場は地獄のように真っ赤な海となった。

 やれやれ――――。

 私はふと思い返してみると、確かにモンスターなど一度も狩ってはいなかった。

 あの夜だって、またあの夜だって。

 いつだって私はモンスターの手配書という娼婦のビラチラシを見ていた。

 まあそんなことはどうだっていい。はやくこの場を立ち去るか。

 遠くから久しぶりに聞くサイレンの音が聞こえる。

 私はそれが懐かしく感じて、外に出てみた。

 するとそこには洞窟も、深い森もあるはずのない、鉄と混凝土のジャングルだった。



「――――あぁ。そういえばここは…新帝都トウキョウじゃないか」



 サイレンの音は近づいている。私は真っ赤に染め上げた鳴狐を見て、ふとこう思った。



「狐じゃ生ぬるい。もっとこう、何もかも飲み込むような…。そうだなぁ、…いずれ月をも蝕す、月蝕牙と改名しよう」



 その右手に持っている刀は赤黒く染め上がった。

 私はこの世界をあざ笑うかのように、ケラケラと笑っていた。

 すると、白と黒の鉄の見慣れた箱はウーウーいいながら、私の前に何台か止まる。


「ただちに刃物を捨てなさい!」


 耳障りな言葉が響く。

 私は空を見上げた。まだ夜には時間ははやい。空は黒くない。


 ―――――月を見たいと思った。


 だってあの時、私を捕らえた男が、お前は何もかもを飲み込む狼だと、そう言ったからだ。

 彼は私に名前をくれた。“フェンリル”と。

 この世の終焉を共に見ようと彼は私を誘った。

 私は牢獄の中で、彼の野望を聞いた時、すべてはここからだと感じたんだ。


 ――――そう、この後の私の活躍はまた別の物語につながるのだろう。

 

 すべてはあの黒い獣からはじまったんだ――――。

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黒い獣 陰成子 @castiel

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