赤翡翠の心臓

朽葉陽々

第1話

 いまはむかしか、昔は今か。

 いつしかその世界では、人々は石の心臓を持って生まれてくるようになった。

 石の種類は千差万別。人それぞれに違う石を持っている。

 そんな世界のとある国、その片隅の小さな町に、一人の少女が暮らしていた。

 名を、瀬川せがわ美夜みよという。



 瀬川美夜は逃げていた。

 幸いこの辺りは地元だから、迷子になることは無いけれど。家はまばらで、その間にいくつも田んぼがあるような場所だから、身を隠す場所がない。ずっと走っているから、いくらなんでも体力が尽きそうだ。山の中に入ってしまうのも、日が落ちてきたから少し不安だし。

 噂をすれば影、という言葉を思い出す。親友の星野ほしの舞花まいかが教えてくれた言葉だ。……でも、まさか、こんなことになるなんて。

 今美夜を追っているのは、『心臓交換師』と呼ばれる連中だ。

 人の寿命や健康状態と、心臓である石の強度はある程度比例している。強くかたい石を持っていれば、躰は頑健で長命になる。そして世の中には、もっと強い石が欲しいと思う者もいる。彼らに高額で依頼された心臓交換師は、クライアントが求める石を持つ者を攫い、閉じ込め、生きたまま腹を切り開き心臓を持って行ってしまうのだという。

 そんな存在が、この近辺にやってきたのだと。そういう噂があったのだ。美夜は面白がって、昨日の放課後、舞花にそれを教えた。

 でも、昨日の今日で。こんな風に追いかけられるなんて!

 美夜の頭の中には、恐怖と怒りがあった。捕まったらどうしよう。噂通りのことをされてしまうんだろうか。だいたいにして、そんな怖いのが何人もいるなんて聞いてない! 美夜を今追いかけているのは、三人の男だった。

 美夜の心臓は赤翡翠。割れにくく、傷も容易にはつけられないような石だ。この世界では、かなり丈夫な方の心臓。勿論、もっと丈夫な石だってあるけれど、そういうものを持っているものがそう多くはないことも、自分はその「そう多くはない」うちの一人だということも、美夜は理解していた。

(でも、でもさあ。まさか本当にそういう人たちがいるなんて思わないじゃんか!)

 だって、もしそういう人がいるんだとしたら。彼らがやっているのは誘拐、監禁、殺人だ。れっきとした犯罪だ。そんな人に高額で依頼するような人がいるということでもあって、その存在も、美夜には信じられない。平和な片田舎で、善良な家族に育てられた倫理観の持ち主には、心臓交換師というのは存在まるごと現実味のない、ただの噂話、ジョークの類と変わらなかったのだ。

 それなのに、現に美夜は追われている。いくら赤翡翠持ちの頑健な躰でも、ずっと休憩なしで走り続けていたら疲れてしまう。どこかで撒いて、家に帰らないと。

 美夜は神社の境内に逃げ込む。その前の石段で彼らと距離を取ったから、やっぱり山の中に入ってしまうことにする。この辺りの山はよく入っているから、奥まで行かなければ暗くてもどうにか歩けるはずだ。

 神社の建物の裏に回って、そこから山に入った。確かこの近くに、大きな洞のあいた木があったはずだ。そこに入って、入口を隠してしまえば見つからないだろう。

 洞の中にランドセルを投げ込んだ。近くから太めの木の枝や、なぜか転がっている大きな石なんかを持ってきて、入口前に積み上げる。隙間から洞に入って、入口がぴったり隠れるように石や枝を重ねた。

 ……僅かな光さえ入ってこなくなる。美夜は外の様子に耳を澄ませながら、懸命に息を殺した。

「……エイ、見つかったか?」

「いや、こっちにはいないらしいぜ、ビイ」

 エイとビイ……AとBか。残りの一人はどうした? そう考えていると、だんだん足音が遠ざかっていく。……いなくなった、のだろうか。

 もう少し経ったら家に帰ろうか。まだ近くにいるかもしれないから、時間をおかなくちゃいけないけど。洞の中で体育座りをして、じりじりと舞っている美夜の耳に、足音が飛び込んできた。しかも、だんだんこちらに近づいてくる。彼らが気付いたのだろうか。どうか、どうか見つかりませんように!

 その祈りも虚しく、足音はどんどん近づいてきて、洞の入口の前で止まった。

「――」

 不思議な異国の言葉のような呟きが聞こえて、積み上げていた石や枝が取り払われてしまった。

(もうだめだ、もう死んじゃうの……?)

 しかし、ぎゅうと目を瞑る美夜に語りかけたのは、彼らの声ではなかった。まだ声変りを迎えない少年の声。追いかけてきていた誰のものとも違う。美夜は恐る恐る目を開いて、顔を上げる。

「君は、一体」

 黒い髪、赤い目、白い肌の少年。美夜と同じくらいの年頃に見える。彼は洞の中に入って来ると、またあの不思議な言葉を唱える。すると石や枝がまた積み上がって、入口がぴったり塞がった。

「な、なんで入って来るの? ていうか、誰!?」

「しいーっ、静かに。……ここ、最近の僕の寝床なんだ。あ、名前は……、タルク」

 やっぱりまだ気恥ずかしいな。少年はそう呟いて、洞のさらに奥へと進んでいく。……ちょっと待て、どう考えてもこの木より洞の中の方が広くないか?

「え? ああ、うん。魔法で空間を広げてあるから、足を延ばして寝られるよ。……そういえば、君は誰だっけ? 物騒な連中に追いかけられていたみたいだけど」

「え、ええと、瀬川美夜。あいつらに追いかけられてて、それで、ここに洞があることを知ってたから、隠れていたの。……ごめんね、勝手に入って。あたし、そろそろ家に帰らないと」

「やめた方が良いと思うよ? お腹が空いたのなら、一応食べ物も少しならあるから。僕は滅多に食べないし、どうぞ」

「あ、ありがとう……。家に帰るのはやめた方が良いって、何で?」

 美夜は首を傾げる。魔法でどうこうって言ったし、美夜を追いかけていた連中に心当たりがありそうだし、一体何者かって警戒が抜けない。タルクは腕を軽く組んで悩んだあと、恐る恐るといった感じで口を開いた。

「うーん、上手く説明できているか分からないけど。君がそうだってわかってる程の連中が、君の家を知らないはずないから」

「ん、ええと?」

「ええと……探しているような心臓を誰が持っているか、どこに住んでいて、いつどこに通りがかるかってことを把握して、わざわざやってくるような連中が、君の家の住所を知らないとは思えない。君がいずれ帰ってくるかも知れないって見張っているかもしれない」

「ああ、そういうことかあ……。どうしようかな。帰りが遅かったら、きっと村中のみんなが心配して探し回るだろうし」

 この村は、いわゆる田舎だ。それも相当のド田舎。山近くで、田んぼと畑が広がっていて、家はまばらにしかなく、数少ない住人はみんな知り合い同士。大した事件も起きない平和な村だ。だから、子どもが一人帰ってこないとなったらかなりおおごとになる。もしかしたらもう、村人総出での捜索が始まっているかも知れなかった。

「……取り敢えず、今晩はここを出ない方が良いと思う。明るくなったら家に送ってく。流石にあいつらも、無関係のひとの前で子どもを攫ったりしないだろうし。ここにいれば誰にも見つからないから、安心して休んで」

「何で? 見つからないって……。それに、あたしを追いかけてたあいつらのこと、知ってるの?」

 美夜が尋ねると、タルクは軽く頷いた。

「隠形の魔法をかけてるから、僕がそれを解くまでは見つからないよ。それにあいつらのことも知ってる。心臓交換師でしょう?」

「う、うん」

 魔法。またそう言った。彼は本当に、そんなものが使えるんだろうか。美夜が眉を顰めているのを見て、タルクは微かに笑った。

「……取り敢えず、今日はお休み。『――』」

 またあの、不思議な言葉が聞こえて。美夜の意識は、不意に沈んでいく。美夜はそれに抗い切れず、瞼を閉じてしまった。




 一晩明けて。洞の入口に積んだ石や枝の僅かな隙間から、陽射しが入って来る。鳥の声が聞こえて、美夜はふと目を覚ました。

「あ、おはよう」

「え、あ、おはよう」

「朝ごはん、食べる? ビスケットみたいなものだったら少しあるよ」

「え、あ、ありがとう。いただきます」

「それ食べたら、ここを出よう。君を家まで送ってく」

「……何で、そこまでしてくれるの? ご飯くれるし、寝床も貸してくれるし、家まで送っていってくれるの?」

「……君は、舞花の友達でしょう? 一緒にいるところを見たよ」

 なぜ舞花の名前が? 訳が分からないながらも、美夜は頷く。

「だからだよ。友達の友達は、大事にしたいもの」

「そ、そっか……」

 戸惑いつつも、美夜はビスケット、のような保存食をかじる。タルクは何も食べない。食べないのかと訊いたら、たまに食べれば平気だからと、また訳が分からない返事をされてしまった。

 美夜が食べ終わると、タルクはまたあの不思議な言葉を呟く。入口を塞いでいた石や枝が全て取り払われ、タルクと美夜は洞から出た。

 そのまま神社の境内を抜け、石段を下りる。田畑の間の道を通って美夜の家に向かっていると、村人の一人が通りがかって、美夜に駆け寄ってくる。

「美夜ちゃん! よかった、大丈夫? 怪我とかない? 何があったの?」

「え、あ、はい。ご心配をおかけしました、おばさん」

 彼女は舞花の母親だ。夜通し探してくれていたのだろうか。

「さ、おうちに送っていくわ。舞花も心配していたのよ。……あら、きみは?」

 舞花の母がタルクの存在に気付いた。

「ゆうべ、彼女と一緒に居たんだ。……彼女の話を、ちゃんと聞いてあげてね」

「え、ええ……。じゃなくて、君、どこの子? ゆうべ何があったの? 顔色も良くないけど、ちゃんとご飯食べてる?」

「え、いや、あの……僕は別に食べなくても」

「――どうしたの、母さん。何かあったの?」

 傍にあった車のウィンドウが開いて、舞花が顔を出した。姿を消した美夜を心配して、母にわがままを言ってついてきたのだった。

「舞花!」

 三人が同時に叫ぶ。舞花の母がタルクを見るが、それにはお構いなしとばかりに、タルクは舞花の下へ駆け足で行く。美夜も続いた。

「あ、タルク。どうしたの?」

「きみの友達を送ってきたんだ。彼女、僕の寝床に逃げ込んでいたものだから」

「美夜に会ったの?」

「舞花! ごめんね、心配かけて」

「美夜! ……もう、心配したんだからね。本当、心臓が割れたらどうしようかと思ったじゃない」

「ごめん、本当にごめんね! あたしも大変だったんだよ、追われて隠れてたんだ。タルクくんに助けてもらったんだよ」

「……タルク」

 感極まって美夜と抱き合っていた舞花が、タルクを横目で睨みつけた。

「説明してくれる?」

「それはもちろん。……でもまず、彼女が家に帰って落ち着いてからにした方がいいと思うな」

「……そうだね」

 舞花と美夜が腕を話す。舞花の母は美夜とタルクにも車に乗るように言った。タルクは一瞬きょとんとして、それからはにかむように「はい」と言った。

 程なくして、一行は瀬川家に着いた。古い純和風の大邸宅だ。美夜が勢いよく引き戸を開けて、「ただいま!」と大きな声で言った。

「美夜! もう、あんたどこ行ってたの!? 心配したんだから……」

 奥から出てきたのは、美夜の姉だ。両親と祖父は、まだ捜索から戻ってきていないようだった。

「星野さんが見つけてくださったんですか? どうぞ上がってください、お茶を入れてきますね」

「ああいや、見つけてくれたのはこの子よ」

 そういって舞花の母は、タルクを手で指し示した。美夜の姉は屈んで、彼と目線を合わせた。

「きみが? この辺りじゃ見ない子だけど……ありがとう。きみも上がっていってね」

「え、あ、はい……」

 タルクは目を瞬かせて、舞花の後ろに隠れる。舞花は一瞬冷ややかな目を彼に向けたが、微かに笑って美夜の姉にお辞儀をした。

 一行は居間で向かい合った。それぞれの前に湯飲みが置かれる。

「……無事でよかった。美夜、何があったの?」

「……変な人に追いかけられてたの」

 美夜が俯く。舞花が目配せすると、タルクがおずおずと切り出した。

「……あの、彼女が言ってるのは本当です。昨日、不審な男三人に追いかけられていたようで、僕のところに逃げ込んできたんです」

「不審な男って?」

「……『お前の心臓を貰えないか』って言ってた」

 美夜の目に涙が滲む。タルクが続けた。

「多分、『心臓交換師』です。物騒な話ですけど……」

「えっ、あれって本当にいるの?」

 舞花が首を傾げた。タルクは頷くと、不思議そうな顔をしている舞花の母や美夜の姉に、『心臓交換師』のあらましを説明した。

「……そんな怖いものが、本当にいるの?」

「はい。今回は、三人。いわゆる兄分と言うか、ボスの役目の一人と、その手下の二人です」

「タルクくん、詳しいね? あたし、逃げるのに精いっぱいで、そんなこと確認してる余裕なかったよ」

 美夜の姉は慄き、舞花の母も青ざめる。タルクが頷くと、美夜は目を見開いた。……舞花が何かを言おうとするが、思い直して口を噤んだ。

「もしかしたら、今もこの家を見張っているかもしれません。しばらく、美夜は一人にならない方がいい。彼らが簡単にあきらめるとは思いませんから、追い払うか、いっそ遠くに逃げるかしてしまっても」

「……ねえ、美夜。彼らは、この辺りの人じゃないんだよね?」

 舞花が唐突に訊いた。美夜は頷く。

「うん。知らない人だよ。村の人なら、みんなすぐに余所の人だって気付くと思う」

「美夜を攫おうとした人たちがいるってしったら、みんな怒るんじゃないかな」

「そうね、村の子がそんな怖い目に遭ったって聞いたら、かんかんになりそうな人も多いわ。うちのおじいちゃんもそうだろうし」

 今度は美夜の姉も頷いた。舞花は母にも問う。

「……子どもを脅して追いかけまわし、家に帰れないようにしたら、何らかの罪には問われるよね?」

「んん……そうね。あまり詳しくはないけれど、略取、とかになるのかしら……って、もしかして、舞花」

 眉を顰める母に、舞花はにやりと笑った。

「逃げても、追い払っても、それだけじゃあ『あいつらがまた来る』って可能性を排除できない。だから、相手を捕まえて、警察に突き出してしまいたいな」

「舞花、あんなのにわざわざ関わる気なの!? だいたい、一回捕まえたって、別のやつが来るかも知れないじゃないか!」

「現実味の無い都市伝説としてしか存在を知られていないくらい、自分たちのことを隠蔽しているような連中が、同業者がお縄になったのにのこのこやってくるとは思えないな。少なくともしばらくは警戒するでしょうね」

 タルクが顔を顰めて詰め寄るが、舞花はどこ吹く風だ。二人の距離感の近さに美夜は首を傾げるも、そういえば舞花はそういう奴だったとしみじみ思っていた。

(会ったばかりのころは、もっとナイーブで落ち込みやすい子だったのに。いつの間にか、凄く肝が据わった性格になってたんだよなあ)

 美夜は、出会ったばかりの頃の舞花を思い出す。あの頃の舞花は、他の子どもが羨ましくて、一緒に遊べないことが悔しくて、いつもぐすぐす泣いているような子どもだった。臆病で怖がりで、少し大きい音が鳴った時とか、いつもと違うことが起こったときとか、すぐにびくびくしてしまうような子だった。そしてその度に、心臓に負担をかけてしまったとしょぼくれていた。

 それがいつの間にか、心臓に負担をかけないためには全てに驚かなくなればいいとばかりに肝が据わった、言ってみれば図太い性格になっていたのだ。何があったというわけでもないが、自分の体質に関して吹っ切れたのかも知れなかった。美夜は微笑ましげに見つめながら口を開く。

「あたしもそうしたいな。このままなんて悔しいもん!」

「ちょっと美夜!? 危ないでしょ!?」

「うん。一人じゃきっと無理。……だから姉さん、手伝って。舞花はやる気だし、おばさんにもお願いしたいです。それに、村のみんなにも!」

 姉が目を見開くが、美夜はにやりと笑ってそう返す。舞花の母は溜め息を吐いた。

「……取り敢えず、それについて具体的に話すのは後にしましょう。舞花も美夜ちゃんも、今は落ち着いた方が良いわ」

「僕も、そう思う。落ち着いて、一度考え直したほうがいい」

 タルクも頷く。舞花は憮然とした顔で、「……はあい」と頷いた。




 美夜から離れるのは不安だという舞花の言葉で、瀬川家に舞花とタルクは留まることになった。美夜の姉も、今日は部活を休んでくれるという。舞花の母は一度家に戻るが、また来てくれるという話になった。

「じゃあわたし、朝ごはんを用意してくるね。そうだ、母さんたちに電話もしなきゃ。みんな、待っててね」

 美夜の姉が台所に向かう。しばらく出てこないのを確認して、舞花はタルクに話しかけた。

「タルク、心臓交換師のことを知ってたんだね。もしかして、会ったことがあるの?」

「……うん。何度か追われたこともあるよ。最近は僕の情報が掴まれてないのか、しばらく関わってないけど……」

「ふうん。タルクのことだから、自分から話を持ち掛けたのかと思ったけど。自分の心臓を誰かに渡したいなら、ぴったりの相手じゃないの?」

 舞花はにやにやとタルクに詰め寄る。タルクは眉を下げて答えた。

「そんなことする訳ないよ。人を攫うのも殺すのも躊躇いなくやる連中だもの、怖くて近寄りたくない。それに、彼らに依頼できるような大金も持ってないしね」

「タルクだったらそう言うと思った。それに、心臓を渡す相手は自分で選びたかったんでしょ?」

「うん。……さすが舞花」

 困り顔のまま微笑むタルクに、今度は普通の笑顔を見せる舞花。その気安さに、美夜はもう一度首を傾げた。

「……二人って、いつ知り合ったの? ていうか、タルクくんって何者なの?」

 その問いに、二人は顔を見合わせて、ふっと笑った。そして互いを指さして、澄ました顔で言う。

「僕の誘いを蹴ったつれない子、かつ僕の恩人」

「不老不死の魔法使い、の割に普通の男の子」

 それからもう一度顔を見合わせて、くすくす笑う。美夜はむくれながら言った。

「い、言っておくけど、あたしの方が舞花との付き合いは長いんだからね……っていうか、それじゃあ全然分かんないよ。もう少し詳しく説明して」

 舞花はその言葉にもくすくす笑うと、「じゃあ、もう少しだけ」と説明を続けた。

「僕の心臓は、この世の誰よりも強くてかたいんだ。でもそのせいで、成長することも死ぬことも出来なくなってしまった」

「私の心臓……白雲母は、とても脆い石でしょう? タルクは強すぎる自分の心臓と、私の心臓を取り替えてほしかったんだって」

「でも舞花は、僕の誘いを断った。そして、僕がやるべきことを教えてくれたんだ」

「それが、昨日の話。……でもまさか、それからすぐこんなことになるなんてね」

 舞花が溜め息を吐く。タルクと美夜は苦笑する。

「それはあたしだって思ってなかったよう……。ていうか、どうするの? 本当に、あいつらを捕まえようと思ってるの?」

「うん。と言っても、私一人じゃ到底無理だけど」

「やめたほうが良いと思うけどなあ……。あいつら、本当に怖いんだよ。本当に殺そうとしてくるんだよ。もしあいつらを邪魔したら、村ごとみんな殺して逃げる可能性だって」

 詰め寄るタルクの目の前に、舞花は指を一本、ぴんと立てる。

「いくら美夜の躰が頑健で運動能力も高いって言ったって、それに追い付けないうえに、子どもが急いで隠れた場所も見つけられないような連中だよ? タルクが言った可能性って、『村の住人を全員逃がさず殺して、自分は誰にも捕まらずに逃げおおせる』ってことでしょう? そんなことができるようには、思えないけれど」

「か、隠れ場所には僕の隠形の魔法をかけていたんだから、見つからないのは当然だよ。それに、油断させるためにわざと手を抜いてるって可能性も」

「そんなことをする意味は? 最初に美夜を逃がしたから、それを知った私たちに警戒されてしまってるじゃない。彼らの仕事の妨げになるだけだよ」

 舞花に反論されて、タルクはたじたじになっている。やがてタルクは深く溜め息を吐いて、「ああもう分かったよ!」と叫んだ。

「しょうがないな……。舞花に無理させる訳にいかないし、僕も協力するよ」

「ふふふ、ありがとう、タルク」

 思わず美夜も微かに笑ってしまう。舞花とタルクがそのまま具体的な話を詰めようとしたところで、美夜の姉が扉を開けた。

「取り敢えず、ゆうべの残りのご飯盛って、ハムエッグと、あとブロッコリー茹でてきたよ」

 彼女は言いながら座卓に皿を並べていく。自分の分も置いて、四人で卓を囲んだ。タルクが何度か目を瞬かせてから、そっと箸を掴んだ。舞花がそれを見つけて、

「あ、タルク、箸使える?」

「うん。久しぶりだけど、案外覚えているものだね」

 タルクは真剣な目つきで箸を動かす。美夜の姉はその言葉に訝し気な顔をするも、特に指摘はしなかった。

 皆が食事を終える。美夜は慎重に、しかし勢いよく話を切り出した。

「姉さん、あたし、やっぱりあいつらを捕まえたい」

「私も、そうしたいです」

「……僕も協力します」

「え、ええ!? ……本気、なんだね?」

 美夜の姉は驚くも、三人の顔があんまり真剣なものだからそう問うた。三人が揃って頷くと、一度目を瞑って考えた後、目を開いて頷いた。

 それから彼女たちは、住人たちの協力を急いで取り付けた。

 村の住人たちはみんな顔見知りで、連帯感が強い。瀬川家は昔からこの土地に住んでいることもあって、美夜の家族を説得してからは特に早かった。三日と経たない内に、作戦を立てようと瀬川家で会合を催すこととなった。

 作戦立案中、タルクは思い切って立ち上がる。そして一礼して口を開いた。

「僕は、舞花と美夜の友人、タルクです。『心臓交換師』を捕まえるために、僕は魔法を以て、皆さんに協力します」

 そしてタルクは、作戦の草案を説明する。村人たちから疑問の声が上がるも、それにはタルク、舞花、美夜が答えた。

 作戦は、次の日の朝に決行されることとなった。

 ――そして、夜が明ける。





 美夜は学校に行くために、一人で家を出た。

 田畑の間の道を、ランドセルを背負って駆けていく。心臓交換師に追われてから、初の登校だ。足取りは軽い。

 ちょうど朝の農作業に一区切りついて、皆が家に戻って朝食を摂っている頃合いだ。周囲に人影は無く、車も走っていない。

 そんな彼女の後ろから、三人の男が歩いていく。一人を庇うように、二人が前に出る格好だ。この村では知られていない顔……そう、彼らが心臓交換師の一味だ。

「エイ、ビイ、今度は逃がすなよ」

 後ろの一人が微かな声で呼びかける。前の二人……エイとビイは同程度の声量で返事をして、突然速度を上げた。

 そのまま彼らはどんどん美夜に近づいていく。あと何メートルかというところで、美夜は後ろをちらりと見て、勢いよく駆けだした。

 エイとビイはスピードを上げようとしたが、……動けない。足を地面に縫い付けられているようだ。後ろにいた一人がそれを怪しんで追いつく。エイとビイをどやそうと口を開きかけたが、そのとき、彼も動けなくなった。

「『――』」

 唐突に声が聞こえる。少年のものだろうか。誰知らぬ異国の言葉のような、不思議な響きだ。そして、その瞬間。

 突然現れたいくつかの手によって、足が引かれる。思わず倒れ込む三人の上から、村の住人が何人かで抑え込んだ。そしていくらも経たないうちに、パトカーのサイレンが聞こえてきたのだった。

 ――作戦の軸となったのは、タルクの『隠形の魔法』だった。

 村人たちは、朝の農作業の後で、タルクにその魔法をかけてもらったのだ。そして姿を隠したまま、心臓交換師たちを捕らえた。それだけの、単純な話だったのだ。

 美夜はそのまま走って学校に行き、教室で待っていた舞花と合流した。舞花は実際に捕物に参加することは難しいからと、少し離れた家から警察に通報し、母の車で学校に向かっていたのだ。

 そして放課後になると、タルクも姿を現した。舞花が彼に話しかける。

「ありがとう、タルク。大活躍だったね」

「どういたしまして? ……さて、予想外にこのまちにいる時間がながびいちゃったし、そろそろ出発しないとね」

「えっ、出発って、どこに」

 美夜が眉を下げて問う。タルクは微笑んで言う。

「僕は旅の途中でこのまちに来たんだよ。そしてこれからも旅を続ける。だからそろそろ、ここを発とうと思うんだ」

「ええっ、何で、ここにいればいいのに」

「タルクの旅には、目的があるからね」

 舞花が笑う。タルクも頷いた。

「うん。そしてそれは、ここじゃできないことなんだ。……バイバイ、美夜、舞花」

「……また、会いに来てね」

「バイバイ、タルク。頑張れ」

 タルクは手を振って、呆気なく去っていく。

 舞花が手を振り返す隣で、美夜も泣きそうになりながら手を振った。

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赤翡翠の心臓 朽葉陽々 @Akiyo19Kuchiha31

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