1-1 少年は今日も。

ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ──。


嫌がらせのように機械的なアラームの音によって、深い眠りから覚める。

寝ぼけ眼で時計板を睨むと、針は6時30分を指していた。


「……さて、朝飯作るか」

両頬を手で軽くたたき、粘土のように重たい脳に喝を入れる。

こうして、普段以上に普段通りな朝が始まるのだった。


階段を降りてリビングに入ると、少女がソファの上で寝息を立てていた。

無垢な寝顔を惜しげもなく晒すこの少女は、俺の妹である明日香だ。

「ほら、こんな格好じゃ風邪ひくぞ」

暑さにうなされてたのだろう。壮絶な戦いを物語るかのごとくぐちゃぐちゃになったタオルケットをきれいに整えてやると、明日香の頬が心なしかゆるんだ。


トン、トン、トンと規則的なリズムでじゃがいもを刻んでいく。

包丁の音も規則的なはずなのに、アラームのそれと比べるとこんなに心地よいのはなぜなのだろうか。

温かい響きに夢中になっていると、あっという間に食材を切り終えてしまった。

切り終えた具材と出汁と水を鍋に入れ、火にかける。

その間に、卵焼きも作ってしまおう。


卵焼き器を火にかけてよく溶かした卵液を注ぐと、いかにもおいしそうな音と匂いがあたりに充満しする。

それが目覚ましとなったのか、ぽけっとした顔の明日香が起き上がってきた。


「んー……。ヒロ、おはよう」

「おはよう、明日香。もう少ししたらできるぞ」

「わーい…。じゃあできたら起こして……」

「お前はおはようと言った5秒前の自分を裏切るのか?」

明日香は少しでも時間ができると、すぐに眠ろうとするから困ったものだ。

……まあ、俺も言えた義理ではないか。


いまにも転びそうな明日香を横目に、ささっと卵焼きを作り終える。

鍋に味噌を溶けば、豚汁も出来上がりだ。


二人ぶんの朝食をよそり、食卓へと運ぶ。

白米と豚汁の湯気が、鼻奥を通り満腹中枢を刺激した。


「そろそろ食べるぞー」

ソファーでうとうとしながらテレビを見ている明日香に声をかける。

「あーい」

という間の抜けた返事をした明日香が、のそのそと机にやってきた。


「いただきます」

手を合わせ、卵焼きを口に運ぶ。

──うん。今まででいちばんの出来かもしれない。

今日はとてもいい日だ。


明日香と他愛もない話をしながらの食事。

ごくありふれた日常だが、俺にとっては最大限の喜びだ。

この幸せだけでいいから、この幸せだけは奪わないでくれ。

そうやって白米の甘さを噛み締めながら、信じてもいない神様に祈ってみたりした。


テレビから、朝にしては深刻そうなアナウンサーの声が聞こえてくる。

「高月市で多発している、原因不明の意識不明者数は、累計で20名を超えました。専門家は、集団的ヒステリックによる短期精神病性障害であるとの見解を示しています」

なんだ、結局原因はわからないんじゃないか。

高月市だけで20人というのは、どう考えても普通じゃない。

だけど明日香はずっと家にいるし、俺はこんな生活を送っているから、きっと問題はないだろう。

残ったご飯と豚汁を掻き込んで、学校に行く支度をするのだった。


「今朝の豚汁と、昨日の夕飯の焼き魚が残ってるから。火傷するなよ」

「ぷぷっ、『火傷するなよ』だって!なんかドラマに出てくるキザなセリフみたいでおもしろい!もっかい言ってよ!」

「ぶっとばすぞこのやろう」

「ぷぷっー!顔赤くしてる!」

いつも通りのくだらない会話に首をすくめて、玄関を出る。

──今日の晩ご飯は、あいつの好きなハンバーグにしよう。

明日香の無邪気な笑い顔を思い出し、小さな決意を固めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


俺の通う公立朝陽川高校は、家から歩いて30分くらいのところにある。

自転車で登校してもいいが、事故に遭うのが怖くて毎日徒歩で通っているのだった。

いつ「ああ」なるかわからないので、リスクを避けるに越したことはない。

流れ出る汗を拭きながら歩いていると、ようやく目的地に着いた。


教室に入った瞬間、溌剌とした笑顔の男が朝とは思えぬハイテンションで話しかけてくる。

「よっ、大夢!今日も相変わらずこの世の終わりみたいな顔してるね!」

「そういうお前は……いつもより輝いてるんじゃないか?直視できないぞ」

「えっ……もしかして褒められてる?ずっと厳しかった大夢きゅんが飴とムチを身につけたワケ??」

「いや、キツすぎて視界に入れたくないだけだった」

「やっぱりいつものムチとムチ!」

「というか……お前誰だっけ?」

「実に見事なムチさばき!!」


この鬱陶しさを擬人化したような男は、クラスメイトの岡本裕太。

俺にとって唯一の友人と呼べる存在だ。

高身長でサッカー部エースのイケメンが、なぜスクールカースト最下層の俺に話しかけてくれるのかはわからない。

だが、彼のおかげで退屈な学園生活が少しはマシになっていることは事実だ。

……そんなこと言ったら調子に乗るだろうから、絶対口には出さないが。


「そういえば、朝のニュース観た?例の連続意識不明事件、本格的にヤバそうだよね」

「ああ。まあ、俺には関係のない話だ」

「そんなことないんですって!確かな筋からの情報によると、被害者は全員眠っている間に意識を失ったらしいんだ。しかも窓は完全に閉まっていたから、何者かによる犯行でもないらしい。ねえ怖くない?怖すぎてお兄さん眠れなくなっちゃう!」

「たしかに妙だな……ところでその『確かな筋』ってなんだ?」

「『ア○コにおまかせ!』」

テレビかよ。『ア○コにおまかせ!』に全幅の信頼を置く高校生、こいつ以外いないだろ……。


そんなこんなで、岡本のせいで騒々しい学校での時間は瞬く間にすぎていく。

「怖くて眠れない!」とか言っていたくせに、幸せそうな顔で居眠りする岡本を横目に授業を受けていたら、あっという間に放課後だ。

クラスメイトたちは部活なり委員会なり、各々のコミュニティへと楽しげに向かっていく。

岡本も、これからサッカー部の練習があるようだ。

「あーあ、練習なんて本当はしたくないんだよ。でもさ、チームのみんなが俺を必要としてるからね?ボールは友達だけど、チームのためならボールくんに渾身の蹴りをお見舞いしちゃうからね?エースはツラいぜ……」

「本音は?」

「はやく女子マネージャーとお近づきになって、マイボールを蹴ってもらいたいです!」

「そしてそのまま死ね」

「ちょっと大夢くん、ツッコミが冷たすぎるよ……。冷房いらずだよ!このエコ野郎が!」

「いいからはやく準備しろ、俺は帰る」

「氷河期到来!!!!」

いくらイケメンでも、中身がこんなだからまったく女子が寄り付かない。哀れなやつだ。


「じゃあ大夢、また明日な!ちゃんと学校来いよ!」

「おう、またな」

こうして俺は、学生の主戦場であるはずの放課後を満喫することなく、学校を後にするのだった。


帰り道には、晩飯と朝飯の食材を買いにスーパーへ寄るのが日課だ。

できるだけ安くて質のいい食材を探して、何軒もスーパーをはしごする。

俺の身に何が起こるかわからないから、明日香のために貯金しなくてはいけない。

お目当ての特売品をゲットすると、そのまま自宅へと直行するのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ドアを開けると、玄関に明日香が横たわっていた。

「……!おい、明日香?」

嫌な予感が遮る。

何事かと慌てて駆け寄り、明日香を抱きかかえると、ムニャムニャ寝言を呟いていた。

……なんだ、寝てるだけか。

馬鹿みたいに焦る俺を尻目に、幸福そうな寝息を立てる明日香。

安堵したら急にムカついたので、鼻をつまんでやる。

「……っっっはぁ!」

命の危機を感じたのか、明日香は目を見開いた。

「おはよう、何か言うことは?」

「んー……?ドッキリ大成功……?」

「何も成功してない」

「そっかー、残念ー」

まだ夢の中にいるらしい明日香の頬を軽くつねり、キッチンへ向かうのだった。


あとは、ほとんど朝と同じ。

俺の作ったハンバーグを明日香が頬張り、俺は幸せそうな顔でそれを眺める。

今日観たテレビの話だったり、俺の学校の話だったり。

話題は少ないが、会話が止まったことは今まで一度もない。

心の底から楽しくて仕方がないからだ。


食事と片付けを終え、風呂に入ると、時計の針は18時を指していた。

俺は慌てて布団に入り、瞼を閉じる。

明日の夜は何を作ろうかな。

そんなことを考えていると、いつの間にか意識が混濁してきた。

──おやすみなさい。


これが俺・一宮大夢にとっての全て。

俺はこんな毎日を、かれこれ3年くらい続けている。

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消える世界の夢物語。 かたはば @katahaba_52

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