恋人の日記

@HighTaka

本編

 恋した幼なじみが儚くも世を去ったとき、少年は自分も死のうと決めた。

 死ぬと決めればあまり怖いものは無い。恐怖心が好奇心に勝り、入れば魔物に食い殺されると脅されてきた裏山の洞窟へと降りていった。手には燭台、背中には食べ物と薪、それにたいまつを数本。最後に懐に彼女の日記を忍ばせて。

 少年は字が読めない。だから少女がなにをかいたのかは知らない。知りようもない。

 だが、いまわの床で型見分けにともらったそれは最後まで身につけていたかった。

 洞窟は、自然のものではなかった。最初こそごつごつとした岩肌の自然洞穴に見えたが、一つ曲がるとやはり苔むしてなんだかわからない虫が這ってはいたが、方形の通路となって階段がさらなる奥へと誘っていた。

 さすがに少し怖くなったが、引き返す気にはなれなかった。少年は意を決してたいまつに灯りをうつし、奥をめざした。決心した理由には奥より風がふいてくることから、どこかに通じていると確信できたからである。じめじめしていた通路は奥にいくにしたがってかわいたものになってきた。それにともなって暗闇の生き物の姿もすっかり潜んでしまった。

 通路は一枚の扉で終わっていた。扉はスライド式で両開き。そして石でできていた。細い隙間があいていて、どうやら施錠などされていない様子。

 このむこうに何かいるのか、そんなことはわからなかったが、ここまでくればままよと少年は扉をひっぱった。

 軽い音がしてあっさり開いたむこうには、書庫があった。壁を埋め尽くす書架、そして真ん中には大理石と思われる机、そこにも一冊だけ古色じみた革装丁の本。

 ここから先はないようであった。風は天井にあいたすきまから吹き込んでくるようである。そこを崩せばむこうにまだいけるかも知れないが、そんな道具はもってきていなかった。

 はーっと大きなため息一つついて少年は座り込み、手をあけるために燭台に火をうつしてたいまつを外に放り出した。古く乾ききった本に引火してもいいことはないからだ。

 これからどうするにしても、腹ごしらえをしよう。そう思って荷物から一食分と水筒を出し読めもしない本をぱらぱらめくっていたときに、「師匠」が現れた。


 村はずれにはお化けが出るという噂の遺跡がある。半壊しているが大きなもので、村人の昔話では恐ろしい鬼の宮殿であったというし、村の記録では古い王宮で今の王統の三つくらい前のものだという。四十戸ほどの村に読み書きができる者は五人程度しかおらぬため、ほとんどの者は鬼の宮殿であったと信じていた。

 そんな鬼の謂れのある立ち入り禁止の場所はいくつもあり、数年前に少年が潜り込んだ洞穴もその一つだった。

 都人には酔狂な者がときどきいて、そんな鬼の宮殿を調べ、村の文献を読み、村人には理解できないようなことを納得して帰って行く。

 ご隠居もそんな一人だった。何を隠居した人かはわからないが、おつきは屈強な傷痍軍人で左手首がないがそんなものは関係なく村のどの男でも打ち負かしそうな屈強の男である。

 裕福な都人はいろいろなものをもたらしてくれる。にこにこと愛想のよいご隠居は特に歓迎された。話を聞きたがりにことあるごとに村人がむらがった。

 ご隠居は遺跡にもいくし、村の文献も読む、ぶらぶらと村の様子を見て回り、時に村人に質問もした。どの村人も喜んで答え、ご隠居はまたにこにこするのである。

「おや、あの若者は? 」

 そんなご隠居に関心を示さず、やつれた面持ちで通り過ぎる青年にご隠居は目を止めた。

「村はずれの赤屋根家のせがれですよ。今日はばあさんの塗り薬でも取りにきたんでしょう」

「いつもああなのかね? 」

「いろいろ一人で切り盛りしてますからね。道具とかずいぶん工夫してんとかしのいでいますが」

「ほう、本でもよんだのかな?」

「まさか」

 優越感の混じった鼻笑い。

「あいつは字なんかよめませんよ」

「ふうん」

 ご隠居はその場はそれで関心をなくしたようであったが、翌朝には赤屋根家の庭先を訪れていた。

「やあ、おはようさん」

「おはようございます」

 青年は庭先仕事の手を休めることもなくこの老人をいぶかしげに眺めた。

「いろいろ工夫しとると聞いてきたのだが、見てもよいかね? 」

「こわしたり邪魔しないならいいですよ」

「ありがとう」

 ご隠居は庭に入ると、青年の邪魔にならないよう距離をおいて手押し車や、鶏小屋、農具に加えた工夫を興味津々に眺めた。ときおり「ほお」とため息が混じる。

「そんなもののどこが面白いのです? 」

 あんまり感心するものだから青年のほうが尋ねた。

「君はこれらの工夫を誰かから教わったかね? 」

「半分くらいは死んだじいさんから、残りはお隣の先生から」

「お隣の先生? 」

「何年も前に親娘ともども流行病で死んでしまったけど、畑仕事の研究をしている変わった人がすんでいたんですよ」

「わしのように、都から来た人かね? 」

「ええ、家族同然によくしてもらっていろいろと教わりました」

「字もならったかね? 」

「いいえ、それは都の人と村の顔役にしか許されていませんし」

「そうか」

 ご隠居は顔を曇らせた。

「住んでいたのはあの家かね? 」

 屋根も抜け、窓も敗れてはいるが骨組みだけはがっしり残った家だ。一番近い。

「そうです」

「ありがとう、邪魔したね」


 夜がきた。疲れ果ててはいたが、青年はそっと家を抜け出した。他の家族はとうに寝ている。

 足を運ぶのはあの洞窟。村の者は誰も近づかないし、自然の洞窟に見えるのでご隠居のような都人もすぐに関心を失う。前には気づかなかったが、はいってすぐのあたりにいつのものか野営の炉の跡があり、物好きな都人もこれで早合点するようだ、

 注意を払うのは痕跡を残さない事。そして慎重な彼は奥の扉に鍵をつけておいた。

 部屋の中央で、師匠がまっていた。

 最初にあったときと同じく、師匠は静かに彼が口を開くのを待っている。

「今日、こんなことがあった」

 話をきいた師匠は書架の一カ所を指出した。

「その本をもってきなさい」

 指定された本を渡すと、師匠はぱらぱらとめくって「ああ、ここだ」という。

 本のなかからずるっとまた一人別の人物があらわれた。まだ幼さも少しとどめた若い男性で、どこかであったような気もする。

「私に何か御用かな」

 非常に頭のきれる若者特有の傲慢さとそれを裏付ける有能さを感じさせる人物であった。青年は苦手を感じたが、師匠に以前に教わった通りにまずはたずねた。

「ご芳名と、ご年齢、執筆年を」

 四十年前のあのご隠居であることが知れた。

「あなたに会いました。年月を重ねたあなたに」

「なるほど、老いた私か。あってみたいが、それはかなうまいな」

「なぜです? 」

「そなたは、今なしていることが禁じられたものとしっているかね」

「あなたとお話していることがですか」

 若いころのご隠居は返事をしようとしてちょっと考え込んだ、おそらく「そうだ」と答えようとしていたのだろう。

「そなたは今は文字が読めるな」

 質問を変えてきた。

「はい、師匠のおかげです」

「他の者がどうやって文字を覚えるか知っているか? 」

「いえ、知りません」

「村の記録係の仕事を見た事があるだろう」

「ペンでせっせとかいてますね」

「教えられた字をあのようにして何度も書き写して覚えていくのだ。言葉も同じだ」

「師匠と話をしているうちに自然に覚えました」

「それは不自然な覚え方なのだ。だが、問題はそこではない」

 うがつような視線が青年の目に向けられている。年齢は彼と同じか、少し若いくらいであるのに威圧される思いになる。

「そなた、なぜ結婚せぬ? 話がなかったわけではあるまい。なぜか? 」

「それが何か関係が? 」

「あるとも。そなたは恋人の日記に、そこから呼び出せる恋人の幻影にとらわれておる。まるで生ける人のように話せるが、それはそなたの子を生む事もなければ共に老いることもない過去の幻影にすぎぬ。いまそなたと話をしている私と同じだ。その行く末は希望なき終わりしかない。そなたのなすべきことは、ここにあるものすべてを焼いてでも未来に向けて踏み出すことだ。力づくでもそうさせる。残念だが、この私にはもうできないことだ」

 青年は本をぱたんと閉じた。ご隠居の過去の姿は消えた。

「師匠」

「そのころと今の間に何十年という時間がある。考えはかわったかも知れないが、十分に注意せよ」

 それだけが答えだった。


 ご隠居の護衛兼介添えの傷痍軍人が隣家の家捜しをやっているのを見かけたのは翌日のことである。ご隠居は自分で描いたのか見取り図をもって指示を出している、傷痍軍人は失った左手首につけた肘からささえる丈夫な義手を器用に使って壁をはがし、床をめくり、しっくいの壁を叩いて音をたしかめている。何か隠し場所でも探しているようだ。

「何をしとるんでしょうか」

 今度は青年が話しかける番だった。

「やあ、きのうはどうも」

 相変わらずにこにこと愛想がよい。昨晩、言葉をかわしたあの気鋭の学究と同一人物とは思えなかった。

「家捜しですか? 形見分けでほとんど何もないはず。子供たちもいろいろ持ち出しているようですし」

「ああ、いや、何もでなくてよいのだ」

「どういうことでしょう? あばらやとはいえ、お世話になった人のお住まい。心穏やかではありません」

「書の魔のことは聞いたことがないであろう? 」

「書物に縁がありませんから」

「文字を学ぶものはすべて警告を受けるのだが、書物には時に魔物が宿り、それは文字の読めるものをまぁ、いわゆる誘惑して堕落させるのじゃよ。わしは長い事その堕落したものの取り締まりと更生に従事しておった」

「まさか、先生が? 」

「疑わしいところは多い。なので魔書を隠しておらんか確かめておる。悪く思うてくれてもかまわんぞ」

 きのうのやりとりだ。青年は唇を噛んだ。その様子をちらっと見てご隠居は思わず小さく笑みを吹き出した。

「おぬし、賢いのう」

「はぁ。ありがとうございます」

 不意の事でとまどった青年は自分でもまぬけに思えて気落ちするような反応しか出せなかった。

「どうじゃ、わしと都にこぬか? 読み書きを教えてやろう。そなたはいっぱしの学者となれよう。そなたの先生の跡を継いで農学をやるのもよいかも知れぬ」

「え、ここを離れろと? 」

 あの書庫から離れる気はない。それにご隠居の洞察力は老いたりとはいえ若い頃に劣らぬ鋭さを保っているいるようだ。警戒心が動いた。

「気がすすまぬならよい。そうじゃ、それなら嫁をもらえ。そなたのことを聞いたら、想いをよせている娘がおったわ。すみにおけんのう」

「え、」

 心当たりはあった。気づいていないふりをしているだけであった。昨晩の若い日のご隠居の言葉が蘇ってきた。

「どちらでもよい。わしから村の長老がたに話をしよう」

 にこにことご隠居はせまる。

「さあ、どっちがよい? 」 

 この人は、どこまで察して言っているんだ? 青年の首筋に汗がふきだしてきた。

 どちらも嫌だ、彼はそう叫びたかった。しかしご隠居はその反応こそを待っている。そんな気もするのだ。

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