猫を背負ったアンテナ売りちゃんはどこまでも進む

 アンテナを抱えて帰ってくると、館はぼうぼうに燃えて、シスターたちはみんな死んでいた。みんな、服が焦げていて、体からいっぱい血を流して、白目を剥いていた。咄嗟に目を閉じさせようとして、ふと、教えてくれた教祖様のことを思い出した。

「教祖様」

 シスターたちの死体と、燃え残った瓦礫をどけて、ようやく見つけた教祖様は——やっぱり、死体になっていた。みんな死んでいて、教祖様だけが生き残るなんて、そんな神話みたいなことなんて起こり得る訳がないと思っていたけど、教祖様が死んでいるのを見るのは、悲しかった。

 教祖様は、一番傷だらけだった。いつだったかは忘れたけど、先輩シスターが荒れた街で迫害されている人を見て、ああいう世の中の『悪』とされている悪い人にも、救いを与えるのが我々の使命なのですよ、と言っていたのを、少女は思い出していた。

「教祖様」

 少女には分からなかった。教祖様と慕っている男が、実は金に目の眩んだペテン師だということが。少女にはただ、ほんのりとした教祖様への想いと、生なかな知識だけがあった。

 なので——

「待っていてください、教祖様」

 少女はリュックから、魔術書と、眠る時も、食事の時も、アンテナを売っている時もずっとそばにおいている、猫のぬいぐるみを取り出した。教祖様は傷だらけだったので、体の部品が少しだけ足りなかったのだ。

 瓦礫と死体をどけて、大きめの石で描いた歪な魔法陣の上に、教祖様と猫のぬいぐるみを置いて、少女は祈った。どうかあの星座の神様が、わたしの祈りを聞き届けてくれますように、とそれはそれは心を込めて祈った。


 ——そして、奇跡は起こった。起こってしまった。


 少女のアンテナを売る声が聞こえて、意識が覚醒した。片目の視界だけでは、よく見えない。そして綿とフェルトで無理やりつながれた体は、思い通りに動くことすらできないのだった。

「アンテナ、アンテナですよお。かの大国の王様も使ってた、すごいものですよお!」

 果たして、少女の拙い呼び声に足を止めるものなどいない。当然だ。すごいものだからなんだ、という話である。濁った視界でぼんやり見ていると、ポケットから小さな本を取り出しパラパラとめくる。見覚えのある表紙だ、と思った。

「あ、アンテナです、アンテナですよお! 遠い宇宙の彼方、レチクル座の尊い光を素早くキャッチし、皆様に幸福と安寧をもたらしてくれる、素晴らしきものなのですよお! さあ、アンテナを屋根に立てて、……うあっ?!」

 通りかかった体格のいい男が、不意に少女の胸ぐらを掴んで持ち上げる。その表情は憎しみと怒りに満ちていた。通行人の何人かが慌てて男を諌めている。

「やめないか! こんな小さな子に!」

「うるさい! 俺はこいつらに妹を奪われたんだ!」

 男は周囲に構わず、少女を地面へと叩きつけた。衝撃で、少女が痛みと苦痛に喘ぐ声が聞こえる。蛮行を止める手を振り払い、全く動けない少女に覆い被さって、男は細い体を何度も殴った。

「こいつらがこんなものを売って歩かなきゃ……誰も死なずに……!!」

 怒りのまま、男の手は少女の傍にあったアンテナに伸びる。アンテナが少女の顔に叩きつけられそうになって、周囲から悲鳴が上がった。誰かが少女を抱えて、男から遠ざける。リュックが倒れて、寄りかかっていた体も一緒になって倒れる。

 誰の体だ?

 己の体だ。

 モコモコとした綿の感覚と、人の肉が無理矢理に繋がれる感覚。脳の芯から拒絶しているのに、現実はとても無慈悲に、己の手指だった肉球をあしらった前足と、ぬいぐるみだった爪先を見せつけている。

「ぅ……教祖、さ、ま……」

 少女の小さな手が、一生懸命こちらに伸ばされる。縋ってくるその手は、ずっとずっと、忌まわしいものでしか、なく——。


「……ぃちゃん! 教祖様!」

 また意識が沈んでいたようだ。子どもの体温を、ぐちゃぐちゃになった肌が受け止めている。何もできないまま、ただ、ただ、少女の肩越しに夜空を見つめている。遠くの方が赤く燃えている。火事か。きっと昼間いた街だろう、と根拠もなく思った。

「えへ……みぃちゃんと教祖様が一緒にいてくれるなんて、夢みたい」

 抱きしめるのをやめて、少女はこちらをじっと見つめて頬をぐにぐにと触る。その表情は、昼間の男につけられた痣と、頭部に巻かれた包帯でよく分からなかったが、バカみたいに笑っているのだろう、ということだけは理解できた。

「お父さんも、お母さんも、シスターたちも、みーんないなくなっちゃったけど、みぃちゃんだけはずっと一緒。って思ってたのに、教祖様も来てくれて、嬉しいんだ」

 訳の分からないことばかり言う。この少女はいつだってそうだ。流行病で生き残ったのを教団で拾ってやった時も、倒れそうなアンテナをたまたま支えてやった時も、祝福あれと祈る彼女を戯れに褒めてやった時も。いつだって、こいつは笑顔で、手を伸ばすことをやめない。

「みぃちゃん、教祖様、……ううん、教祖様、あのね」

 気持ちが、悪い。

「どうかレチクルの祝福が、あなたとずっと一緒にいさせてくれますように——」

 伸ばされた細い手が、綿とフェルトの自分の手を包む。祈るような口づけの僅かな体温は、ぬいぐるみの手ではほとんど感ぜられない。


 ——ああ。

 やっぱり愛だなんて口に上すような小娘を、引き入れるんじゃなかった。


 欠けた脳みそで、男はぼんやりと、早く死にたい、と考えた。

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大体一時間のやつ 綿貫 @H41_fumio

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