六(完)

 朱天一座は羅城門の前にいる。

 二間と三間の広さで高さは人の背丈ほどもある巨大な荷車に、一座は乗る。

 一番前に歌をうたう星、その後ろに琵琶の朱天と笛の虎がならび、最後部に太鼓をならべて熊が立つ。

 荷車というより、もはや動く舞台と云っていい。

 それを引くのは、金であった。

 大人でも数人がかりでなくては動かせない巨大なこの舞台を、金は軽々と引く。

 そしてその前方四、五間先に、茨木が待機している。

 このまま、演奏をし、踊りながら大内裏まで行進する計画だった。


 ――これからケンカをふっかけるのは、正真正銘の権力だ。

 構想を伝えた時に、朱天は一座に云った。怖ければ、おりろ、誰も責めはしない、と。

 だが誰一人、おりる、と云いだすものはいなかった。そればかりか、みな高揚で顔を赤く染めた。

 ワクワクするぜ、ゾクゾクする、たまらねえ、みんな口々に興奮を言葉にした。

 ――まったく、大バカ野郎ばっかりだ。


「さあ、反逆の時間だッ!」

 朱天の号令とともに、演奏が始まった。

 朱雀大路――幅八十メートルの、ど真ん中。

 車輪が回りはじめる。

 茨木が軽快な足取りで歩を進める。

 鳴り響く琵琶の音色。

 幽玄に奏でられる笛。

 勇壮に轟く太鼓。

 曲に合わせて、快活にステップを踏みながら、茨木は見物人達にむけ、いざなうように手をふる。

 それにつられるように舞台に歩調をあわせて、観衆が歩きはじめる。

 前奏が終わり、星が歌いはじめる。

 歌とともに、茨木が踊りはじめる。

 もし千年あとに、舞踊という慣習が残っているなら、きっとこんな踊りを踊るのだろう、と朱天は思いを馳せた。

 星の歌も、そうだった。

 皆、今の時代に合わない、はみ出し者の集団だ。


 星の歌が熱をおびてきた。

 と――。

 誰も意図していなかったことが起きた。

 観衆の中の数人が、茨木と並び、いっしょに踊りはじめた。

 しかも、何日も練習をかさねたように、茨木の踊りに綺麗に同調シンクロする。

 一座が進めば進むほど、ともに踊る人数はふえていく。

 百人、二百人と増えていき、八条大路をすぎ七条を越え、六条に達するころには、千、二千……、もはや数えきれないほどの人々が、舞台を取り囲み、曲に合わせ、茨木と同じ踊りをおどっていた。

 茨木が足を踏み鳴らすと、数千人の足音が地響きとなって洛中を震わせる。

 茨木が回転ターンすると、数千人の回転が、凄まじい竜巻を起こす。

 茨木が手を打つと、数千人の拍手が迅雷となる。

 飯屋の親父もいた、朱天を折檻した大工の棟梁もいた。

 数千人が、一丸となっていた。

 数千人の心が、ひとつにつながっていた。


 群衆は、五条大路に到達する。

 そこには、渡辺綱が兵を率いて待ち構えていた。

 道幅いっぱいに弓を構えた兵が展開し、いつでも放てるよう、やじりを上方に向けている。

 綱が天空に向け手を挙げ、空を斬って振り下ろす。

 数百の弓から放たれた矢が、人々を襲った。

 だが、そのなかの一本たりとも、踊る人々にあたらない。

 なにか、不思議な力が盾となって、人々を守ってくれたようですらあった。

 兵たちは、たちまち恐慌をきたした。浮き足だち、一斉に四散する。

 ひとり、朱雀大路の真ん中に取り残された綱。

 群衆は彼の前に進む。

 茨木が、綱にむかってその場で踊る。皆が踊る。

 茨木が、くるりと回転し、綱と視線を合わせる。

 にらみあう、ふたり。いや、ひとりと数千人。

 侮蔑の笑みを浮かべていた綱の顔は、やがて余裕をなくしていき、しだいに苦渋の色で満たされていく。

 数瞬後――、


 綱ががくりと膝を折った。

 

 ふたたび、行進がはじまる。

 うなだれる綱は、その狂乱の渦に飲み込まれていった。


 虐げられてきた者たちが三条大路を通りすぎる。

 大内裏の正面玄関である朱雀門まであと少し。

 じょじょに、門のいらかが視界に入ってくる。

 しかし、そこにいたのは、源頼光に率いられた大軍。

 数列に並んだ弓兵、その後ろに居並ぶ薙刀を構えた歩兵、さらに最後列には、数百におよぶ騎兵の集団が待機していた。

 綱一党とは、まるで格が違う。

 朱天たちの前に、凄まじい威厳と威圧を持って、数千人の頼光軍が立ちふさがっていた。

 行進がとまった。

 だが、踊りはやまない。歌も音楽もやまない。

 やがて、星が、最後の歌をうたい終える。

 後奏とともに、踊りは最高潮を迎えた。

 演奏が終わる。

 踊りがとまる。

 熊の太鼓が轟く。

 ドン。

 皆の腕が天にのばされる。

 ドン。

 皆の腕がおろされる。

 ドン。

 皆が片膝をついた。

 だがそれは、屈服の姿勢ではない。

 それは、未来へ向けて疾走するための構え。

 ドドンッ!

 最後の一打で、数千人がいっせいに、蜘蛛の子を散らしたように走りだした。

 人々が、右に左に入り乱れる。

 土煙が朱雀大路を包み、太陽の光さえもさえぎる。


 しばらくして、風が砂塵を吹き払うと、そこにはもう誰もいなかった。

 さっきまでの騒乱が幻想であったかのごとく、静寂と虚無しかそこにはなかった。

 残された兵たちは呆然とした。

 源頼光はぽつりとつぶやいた。

「朱天……。覚えておこう」




(完)

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