第7話
その夜、わたしは田口さんの下宿に泊まった。
前彼と旅行に行ったことは数回あるが、ツインの部屋だったりしてキスしかしたことがなかった。心の準備など何もない、けれど、田口さんは嫌なら何もしないと言いながらわたしを抱きしめて離さなかった。強い力で抱きしめられるとわたしは舞い上がってしまい、訳が分からなくなってしまった。
あとのことは、あまり覚えていない。ただ、こうなる前に、わたしは友人の亜香里(あかり)ちゃんの就職祝いでお泊まりすると電話を母に入れた。それを聞いていた田口さんはわたしがOKだと思ったのだと思う。
いつだって帰る、帰れる。だけど、今日の田口さんはいつもとどこか違っていた。わたしを見る目がいつもと違うってことに気がついていた。
満月の夜にわたしの周期が重なり、こういう流れになってしまった。しばらく男との肌の触れあいがなかったのでとても興奮した。
田口さんは荒々しくもなく、かといって由隆のようにおどおどすることもなかった。女性に慣れているとはこういうことを指すのだろうか。わたしの嫌がることはしない、なのに、最後まできちんと終わってしまった。
「初めて、だったの。わたし」
「ウン……。そうだろう、そうかもしれないと思って十分注意したつもり」
男性と同じ布団の上にいる自分がとても不思議だった。あれほどまでに由隆を拒んだ同じ自分が、なぜ付き合ってもいない田口さんとなら、最後まで。とても変な感覚。
だが、この夜から田口さんとわたしは付き合いはじめて周りもなんとなく、そうなんでしょうという感じで見ていたが、教授からも周りの友達や先輩からも、冷やかされるなどと言うことはなかった。
春が来ると田口さんは卒業してわたしは大学院の二年目を迎えた。交際は順調で、誠実で優しい田口さんを愛していた。休日しか会えないのでバイトも辞めた。就活を理由にして長い塾講師のバイトともお別れだったが、由隆が大学を休学していると、風の噂で耳にした。遂に壊れてしまったのかと思っていた矢先に、教授から由隆くんが自殺を図り意識不明の重体だと実験の途中で聞かされた。
わたしは驚き、どうしていいのか分からないという顔をしたのだと思う。教授は田口さんとわたしが交際しているのを知っている。
「病院は田紳病院だそうだ……」
「悪いんですか?」
「ごめん、言わない方がよかったかな」
教授はわたしの目をじっと反らさずに見て言った。
「あとで、誰かから聞くよりも先生から聞いた方が情報として確かです。ありがとうございます」
わたしは田口さんといつか結婚できたらいいなと思い始めていたし、田口さんもわたしが就職してもお互いに立場を尊重しながら交際をして行こうと常に言ってくれていた。
「先生から聞いたんだけど、由隆くんが、上川くんが危篤なんだって。わたし、病院に行ってもいいかな?」
「気を付けてね、僕は仕事中だから一緒に行けない。だけど約束してくれる? お願いだから、僕のところへ絶対に帰って来るって」
「分かってる、大丈夫だから」
わたしは一呼吸置いて、教授に頭を下げると白衣を脱いで椅子にかけた。その先のことはよく覚えていない。だけど、わたしはその数年後に田口里沙になる。その決意は変わらない。
でも、このあと、由隆にどんな顔をして会えばいいのか分からない。心と体が離反している事は十分に分かっている。けれど、会わなければいけない。それだけは十分に理解しているが、きちんとさようならも告げていないのに、なぜこんなことになってしまったのか。もう、聞くことはできないのだろうなとぼんやりと思っていた。
了
最後の誤算 樹 亜希 (いつき あき) @takoyan
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