第12話 2人の行方
テオドラに教えられた部屋をノックすると、「テオ姉かなあ?」というアナスタシアの声。
「はー…」
い、と言う声が、マクシムスを見て止まる。
「入るぞ」
アナスタシアを押しのけるように部屋に入ると、椅子に腰掛けたコミトがいた。
「マキシ…」
「コミ姉だけが悪いんじゃないの!その、姉妹みんなで決めた事だから…」
「わかってる、アナ。話を聞きにきただけだから」
アナスタシアにそう言うと、コミトに向き直る。
「事情が、あるのだろう。話してくれないか」
「…ごめんなさい…。わたしがすべて悪いのです…」
目を伏せて、力ない声で謝るコミトに「違うよ!」とアナスタシアがいう。
「コミ姉は、被害者なんだ!」
「アナ!」
「…どういう事だ?」
じっとコミトを見るが、なかなか話そうとしない。
「この場所は、テオドラから聞いた。あいつは離れる事に反対したそうだな」
コミトは不器用にうなずく。
「あいつに言われた。俺はもっと説明すべきだ、と。言わなきゃわからないと。だが、それは、コミトもそうなんじゃないか?」
コミトは顔を上げて、マクシムスを見た。
「話してくれ。その上で、どうすればいいか、考えよう」
「…わかりました。…結局、テオドラがいうようになってしまいましたね…」
弱々しく微笑んだコミトは、マクシムスを見て言う。
「わたしを見て、何か変化に気が付きませんか?」
「……少し、ふっくらした?」
「その通りです。わたし、妊娠しています」
「えっ」
「しかも、マキシの子ではありません」
「‼︎‼︎」
さすがのマクシムスも、固まった。
「開幕戦と大祭の、ちょうど真ん中ぐらいでした。……店から帰る途中で、3人組に襲われました…。
わたしが悪かったんです。いつもなら夜道は危険だから、店で一晩明かすんですが、満月でしたしそれほど時間も遅くないので、大丈夫と思ってしまったんです…」
「そんなのおかしいよっ!なんで襲われた方が悪くなるの⁈襲った方が悪いに決まってるじゃん‼︎」
アナスタシアの怒りに、コミトは「ありがとう」と答えるも、顔は暗い。
テオドラも言っていたが、女を「もの」としか見ない男は多い。
この場合も、たとえ当局に訴えても「夜道を女1人で歩くのが悪い」とされるだけだ。
娼婦ということもあり、金を出さない男への逆恨みとかハニートラップとか言われる可能性もある。襲われた女性だけが泣きを見るのだから、この手の事件は後をたたない。
「わたしも何年も身体を売ってましたから…、いまさら汚されてもそれほどショックはないですが……、時期が悪いと思いました。妊娠しやすい週だったのです」
娼婦の最大の敵は妊娠である。仕事ができなくなるし、子供をどうするかの問題もある。
だからバイオリズムには気を使う。娼婦たちには長年の経験から、妊娠しやすい時期を(個人差あるにしても)把握している。
「この頃、マキシは忙しそうでした…。2人の時間がもともと合わないこともあり、ちょっと寂しかったんです。…たしかこの日はマキシのお休み日でしたから、家で一緒にいたいと思ってしまったんです…」
主戦ドライバーとなり、さすがに馬丁の仕事はやめ夜番もなくなった。小さいアナスタシアが家で1人でいることもあり、早めに帰宅している。寝るのも早くなった。
一方、コミトとテオドラは店で夜を過ごし、次の日の朝から午前に家に帰ってくる。昼飯を一緒に取ることもあるが、主戦ドライバーとなってチームの仕事も増え、大祭前は一時帰宅して昼食を取ることもできなかった。
そして、コミトたちが仕事にいくと入れ代わりくらいで、マクシムスが帰宅する。
何日も顔を合わせず、アナスタシアが伝言役となって生活していたのがこのころだ。
「身体の変調に気がついたのは、1ヶ月ほど前、ちょうどマキシが入院してたころです…。味覚が変わったり、食欲がなくなったりして…。アナの出産の時のお母様もそうでしたし、店の皆さんにも聞いていましたから、つわりだと」
「…なんで、言ってくれなかったんだ?」
「……入院してた治療所は大部屋でしたし、相談できる雰囲気では…」
いえ、違いますね、とコミトは自嘲気味に笑う。
「怖かったんだ、と思います…。マキシに嫌われたら、と。そして、この子を堕ろせと言われるのが」
正教会は堕胎を「子殺し」として認めていない。たとえそれが暴行による不義の子でも、生まれる子に罪はないと教えていた。
「つまり、コミトは、お腹の子を産みたいと…」
「コミ姉は、この子をマキシ兄の子と言い張ることだって出来たんだよっ。それを…」
「アナ、それはダメです。そんな誤魔化しして得た生活に、幸せはありません…」
「じゃあ、今の生活を続けて、幸せはあるのっ⁈」
アナスタシアはコミト向かって言う。口調は怒っているが涙が出そうになってる。
「コミ姉、こっち引っ越してきて、ぜっんぜん笑ってない!諦めたような顔ばかりだよ!それで幸せなの⁈」
「アナ…」
「マキシ兄と一緒にいた時の方が笑ってた!わたしだって、楽しかった!わざわざ不幸せになりたがってるようにしか思えない!」
「でも…でも、わたしが、マキシのそばにいると…マキシが…」
コミトの目から涙が溢れる。
「入院先で、聞きました…。マキシは有望なドライバーで、ファンの女の子も多いと…。お見舞い持って来た女性も何人か見ました。上品で家柄の良さそうな子もいて…一方でわたしは…」
「…俺とコミトが出会って、何年になると思ってる?」
「え?…7歳の時でしたから、かれこれ10年でしょうか…」
「そうだ。10年の付き合いがあるのに、コミトはつい昨日今日寄ってくる女に、負けると思ってるのか?」
「…ですが、そういうのは時間の長さに比例するわけでは…」
なんで、こんなにも自分に自信がないんだろう、この子は。
俺や妹たちのことは過大なくらい褒めて自慢するのに、自分のことになると途端に否定的になる。
いらだたしくも思うが、……それも含めてのコミトだ。
「俺は何度も、コミトが好きだといっているが…そんなにも、俺の言葉が信じられないか?」
コミトは顔を上げ、一瞬ほころばせるが、またすぐに泣き顔になる。
「マキシは優しい…。優しすぎるのです。わ、わたしのような薄汚れた女にも、かわいそうに思って…」
「コミトは汚れてない」
言葉を遮って、強めに言うマクシムス。
「最初に、それこそ10年前から、コミトは輝いてる。今も」
「そんな…」
「優しいとコミトはいうが、10年前、コミトは俺にリンゴを、食料をくれた。何度も無償で。あれの方がはるかに優しい」
「…」
「何度も思ったよ。なんでこの子は、俺に恵んでくれるんだろう、かまってくれるんだろうって。見返りを求めるでも、ちやほやされたいわけでもないのに」
「あれは…お父様が…」
「テオドラは、父が同じでも違うだろ?」
「…それは…」
「俺がドライバーになるって決めたのも、コミトがいたからなんだ。コミトと釣り合いが取れるようにって。第三階梯になれたのも、言うなればコミトのおかげなんだ」
マクシムスはコミトの手を取る。
「だから、自分がダメだと思わないでくれ。これからも、俺を導いてくれ」
「マキシ…」
「そうだよ!またみんなで一緒に暮らそうよ!」
アナスタシアが勢い込んでいう。
「でも…、お腹の子は…」
「産めばいい。コミトの子なら、俺の子だ」
コミトの目が大きく見開かれる。
だが、マクシムスにとって当たり前の結論だ。
「アナは、俺の妹だよな?」
アナスタシアを見てマクシムスはいう。
「もちろん!」
元気よく答えるアナスタシア。
「アナはコミトの妹。だから俺の妹。同じことだよ」
「…マキシ…わたし、わたし…」
コミトの目から大粒の涙がぽろぽろ溢れる。
そんな彼女にそっと手を回し、抱きしめる。
「家を買おう。子供が産まれるなら、さすがにあの部屋は狭いだろうから」
金は、借金すればいい。
借金抱えるくらいの方が、どうも俺たちにはいいようだから。
「……はい」
「家は…、今思いついたが、前のコミトたちの家なんかどうか?」
「えっ」
「それと…コミトたちのお母さんも呼んでさ…。今どうしてるかはわからないけど」
「わたし、知ってる!」
アナスタシアが元気に手を挙げた。
「実は、お母さんとは隠れて連絡取りあってるんだ!あのヒモとはわかれて、ひっそり暮らしてる!」
「アナ…」
「コミ姉覚えてる?わたしをお母さんとこから連れ出した時。あの時、お母さんは後で来るって言ったよねっ。5年経ったけど、約束守ってよ!」
「……本当に、いいんですか?」
「同じことを、言わせるなよ」
マクシムスは断言する。
「コミトの母親は、俺の母親だよ」
★
月満ちて。
元気な産声が響く。
「男は入れない」といわれ、コミトの出産部屋からは離れたところにいた、マクシムスにも聞こえた。
その後、少ししてから女たちに呼ばれた。
「マキシ兄、入っていいって」
テオドラに言われ、小走りしていく。
「思ったより、すんなり出てくれたわ。女の子よ」
産婆とともに、産まれた子を産湯で洗っているコミトたちの母が言った。
久しぶりにあったときには痩せこけていたが、今は正常な体つきになっている。
男にも捨てられ、家も取られ、合わせる顔がないと言っていたのを、コミトたちがつれてきて同居している。
「こうして初孫に会えたのだから、生きててよかったわ…」
声を上げる赤ん坊を産衣で包みながら、しみじみ言う。
「また女が増えたかぁ。マキシ兄の居場所がなくなるねぇ」
と、テオドラがニヤつけば、
「わたし、この子のいいおねーさんになる!」
とアナスタシアは元気に宣言した。
「マキシ…」
疲れは見えるも、やりきった顔のコミトが言う。
「よく、頑張ったな」
産衣の子を抱きながら、マクシムスが答える。
「この子ともども、今後もよろしくお願いします」
「ああ」
力強く。
「今、初めて自分に自信が持てた気がします…」
「それは、良かった」
「あ、今のマキシの笑い顔、素敵ですよ」
「…鉄人の笑い顔は、貴重だからな?」
「ふふっ。…わたしは幸せ者ですね」
「俺もだ」
競技場の月 〜戦車乗りと娼婦の物語〜 墨華智緒 @saku-taro
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