第15話 命を説く
「後継者、だと? 貴様がか?」
ざわめく兵士達を手で制し、アレクが玉座から身を乗り出して問いかける。皇帝の仕草を捉えるが否や、ざわめきはピタリと止み、広間にはその微かな反響だけが残された。
「はい、皇帝陛下。つい先日決定したに物事つき、只今まで御耳に入れることが叶わず申し訳ありません。僭越ながら、私は"緋の魔術師"の後継者となり、こう帝国の発展と叡智の探求及び究明に尽力する所存で……」
「偽りだ」
アレクが言葉を遮った。突然の発言に、ユートの口から驚きの声が僅かに漏れた。言葉を遮られるなんて、微塵も思っていなかったからだ。
「……醜い、余りに醜い! 本心を偽りで飾ろうなど魔術師の風上にもおけぬ。恥を知れ」
玉座の間に大音量の怒号が木霊する。兵士は体を固まらせ、大臣達やシルヴィアはユートに視線を送る。怒りの主たるアレクはまさしく鬼の形相を呈し、軍刀の黒鞘を赤い絨毯に打ち付けた。それだけで、広間を流れていた筈の時が、ピタリと停止したかのようだった。
「貴様、虚言を宣っているな? 吐いた言葉に芯を感じぬぞ。帝国の発展に叡智の究名だと? 綺麗事で飾ろうと無駄だ。貴様、仮にも中級魔術師なのだろう? そんな者が今更叡智に何を求める、たった一人で何が出来る。軍に属する本格魔術師の抱く動機としては余りに脆弱だな。……腹の底に何を隠している。このまま我を欺く心算か?」
最悪の気分だ。まるで大蛇に睨まれたみたいだ。それも大群に体を締め付けられ、四方八方からされたような。アレクに大臣達、左右を埋め尽くす鎧の軍勢。彼らからユートへ一直線に向けられた疑いの視線は悪意を持たない純粋な疑問が故に、連邦で感じたものとは正に天と地ほどの差の重圧を孕んでいた。
蛙のように早くなった呼吸が五月蠅い心臓の鼓動を更に意識させる。それでもユートは顔を上げて、皇帝に目を合わせた。
「……仰る通りでございます、皇帝陛下。度重なるご無礼、本当に申し訳ございません。如何なる処罰も受け入れましょう」
「処罰はよい。だが、妙な真似はするな。二度は無い。……さて、では打ち明けよ。貴様の、腹の底に隠した本心を。喉に詰まらせた言葉を、我に」
ふと、シルヴィアの方を見た。何となく、無意識に。それは彼の本心が、安心感、これまでの許しを得たいと思った結果だろうか。だが、それは彼自身にも分からなかった。彼女はユートと目が合うと、これから起こる全てを肯定するように、無言で軽く頷いた。
「私は"緋の魔術師"を……いえ、シルヴィア・ベアトリクスさんを助けたいんです」
「……ほぅ?」
シルヴィアの身体が少し震え、アレクが如何にも興味深そうな声を上げた。彼は布擦り音を立ててその装束に包まれた足を組みなおし、髭を蓄えた顎を撫でる。何とも芝居がかった仕草だった。
「今回の任務中、思わぬ形ではありましたが、知りました。『最上位魔術師は、後継者を持たなければ殺されてしまう』ということを。少し浮世離れしていると言いますか、世界で最も価値のある人間を殺してしまうという事は俄かには信じ難く、それこそ虚言だと思っていましたが……先日、それが真実だと知りました」
静謐な広間にユートの声が響く。か細くも強い意志が込められた、本心の言葉が。
「それを知った時、私は……軍人として恥ずかしながら、深く恐怖しました。『後継者を持てなかった』それだけで人の命が失われてしまう事に。何十年も生きた価値のある命が、紙切れのようにいとも容易く消えてしまう事にひどく戦慄しました」
「……人の命は、そんなにも軽いモノでしょうか?」
一体何を言っているんだ、僕は。
「こんな事、軍人である私に言う資格は無いでしょうが、私は、もう何も失いたくありません。自分の命も、他人の命も。だってそうでしょう? 奪っても奪われても残るのは悲しみだけで、背中に業を積もらせるばかり。煮立った脳を血と涙で浸すような罪悪感には……私はとても耐えられません……。すぐ側で命が失われていくなんて、伸ばせば救える命を見ない振りなんて、私……いや、僕にはもう出来ないんです」
黙れよ僕。分を弁えろ。何偉そうにそれらしい言葉で語っているんだ。気持ち悪い。
「…………」
ユートは声を震わせながらも、懸命に言葉を紡ぐ。
「こんなこと言っても僕は、シルヴィアさんを見捨てる事が出来なかっただけの偽善者です。これまで散々奪ってきたから此処に立てている事も、それなのに奪われる事を恐れる不条理さも理解しています。ですが、それでも命を繋ぎたかった。消えそうな命の火に、僕は、僕の身を焼いてでも燃え続けて欲しかった。……シルヴィアさんに生きていて欲しかった。それが、それだけが全てです」
一息に言い終え、ユートはすかさず頭を垂れた。呼吸も浅くなり、心臓が身体の内側で暴れている。それでも、言ってやった。そう、僕はいつだって臆病者で、偽善者なんだ。だからこれくらいは、聖人君主の真似事だと言われようとも伝えたかった。あの冷酷な皇帝陛下に。いや、あのおかしな魔術師に。
「……あい分かった。左大臣」
「承知致しました。それでは、本当に宜しいのですね? 陛下」
「あぁ、構わぬ」
ふと顔を上げると、アレクが左大臣と呼ばれた男に何か囁いていた。こちらを横目に小声で話す様は少しだけシルヴィアの運命を変えた事を暗に示していた。目を凝らしたが、彼らの顔は何故か雨降りの窓のように視界が悪くなっていたので見えなかった。が、そんな事はもうどうでも良かった。今はただ、この胸を落ち着かせる何かに縋りたかった。
だからユートは、やはりシルヴィアを見た。理由はもう考えなかった。答えは決して得られないと分かっていたから。それに彼女もきっと、こちらを向くと確信していたから。
「全く。馬鹿だな、君は。軍人が、真っ当に命を語るなんて。筋金入りの偽善者ぶり、いっそ称賛に値するね『ただ助けたかった』なんて下手に恰好付けて。聞いているこちらが恥ずかしくなる」
「シルヴィアさん……」
それでもシルヴィアは彼女は口元を厭らしくも可憐に歪めると、その微笑みで彼を許した。
「やっぱり、お前を選んで正解だったよ。私の可愛い愛弟子君」
そう言って、彼女はまた顔を逸らして玉座の方を向いてしまった。
向き直る一瞬、ほんの刹那だったが、彼女の瞳が愁いを帯びていたような気がした。
……何でだよ。たった今、貴女の命を繋いだかも知れないのに、なんでそんな、
彼女の秘めた昏い感情。度々滲みだすあたり相当に深く胸に刻み込まれているのだろう。だがどうしてだ? 一体、何で?
ユートがいくら沸騰した脳に問いかけても、それらしい答えは得られなかった。
緋の魔術師の大いなる探究 ~wisdom・crusade~ ぱーぷり瑪瑙(メノウ) @papurika86
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