第14話 誓い

「おい、早くしろよ。いつまで待たせる気だ?」

「もう少しだけ待ってください、あ、あと五秒、五秒だけでいいので……」





 何か汚い物を見ているような、冷ややかな目で軽蔑するシルヴィアの視線と言葉がユートの胸に突き刺さったが、何とか平静を繕って凌いだ。




 ここは帝国王宮のとある一室。この部屋には数分前に招かれた。何でも、これから正式にシルヴィア及び国家との"契約の儀"を始めるので、正装に着替えなければならないとかなんとか。誰がどう見ても状況に頭が追いつかないだろうが、そこはユートも同意なので許して欲しい。というか完璧に順応できているシルヴィアがおかしい。とにかく時間が無いので、急いで帝国礼装に着替えている。



 帝国に舞い戻ってから、今まで行動しっぱなしで頭がくらくらする。ユートの朦朧とした脳内に、数時間前の出来事が浮かび上がってきた。



     *  *  *  *  *



 連邦での一件を終え、ユート達は母国、『モルトピリア帝国』へと帰還した。しかし帰還したは良いものの、母国の土を踏む前に、何処からともなく現れた黒ずくめの集団に拘束されてしまったので、実際には帰国の感覚だとか帰郷の安堵感は全く感じられなかった。人間の護送、と言うよりも物の輸送に似た拘束を受けつつ、何処かへと、現在進行形で連れていかれている。車窓から見える風景は以前と一分の変化も無く、初めて帝国を訪れた者ならば目を丸くするだろうが、帝国国民のユートにとっては、見慣れた日常風景だった。




「お前、"あかの魔術師"だな? これより連行する」


「えっ、ちょっと待ってくださいよ! あのっ、放して下さい!」



 あの時、不審な黒ずくめの男たちは何か言うでも跪くでもなく、黒ずくめの男はまた"術式封除ズィ―ゲル"をユート達に掛けると強引に大きな黒い魔導車まどうしゃへと連れ込み、移動を開始した。



「何だ何だ? 折角舞い戻ってきてやったって言うのに、この待遇はないだろう。もっと丁重に持て成してくれよ」

「シルヴィアさん、無駄ですよ。今更何を言おうと、僕達にはこの"術式封除ズィ―ゲル"が掛けられてるんですから。持て成す気があるのなら、最初からこんな物なんて用意しませんって」



 そう言ってユートは両腕に欠けられた二度目の手錠を不貞腐れるシルヴィアに向ける。確かに両手と動き、更には魔術を拘束されつつ大勢の黒ずくめの男に睨み付けられながら魔導車で連行されているこの状況は、世辞にも好待遇とは言い難い。もっとも、国際関係が緊張し続きだった連邦に対してあれだけの恩を売りつけたんだ。少しはマシな、それこそ出迎えぐらい望んでも罰は当たらないだろうに。ここに居るのが圧迫感や支配感に興奮を覚えるような人間だったなら待遇も変わったのかもしれないが、生憎ユートもシルヴィアも、そういった類の嗜好フェチズムは持ち合わせていない。残念ながら。





 特にこれと言った話す事も無いので、ユートは車窓から帝国の風景を無意識的に眺めた。帝国は言わば、巨大な砦のような国だ。国の周囲を落差百メートル程の塹が都市を守るように取り囲み、進入を阻んでいる。そのため魔力機関列車を除いた出入国の手段は五か所ある関門のみ。


その塹の他にも何重にも張り巡らされた探知結界に、つい最近発掘された"旧世界の遺物"を基に改良、量産化に成功したという新兵器『大砲』を何千門と備える高き壁は"城塞国家"の名に恥じぬ威圧感を放ち、見る者に巨大な断頭台か破城槌の前に首を置いたかの如き恐怖に似た圧力を感じさせる。所々に防壁が崩れ、黒煉瓦の欠けている箇所があるが、おそらくは先の戦争の残痕だろう。



 帝国内は連邦とは異なり煙突は少ないが、国の中心街は王宮から延びた通りに沿って建物が並んでいる。その通りから枝を生やすように道が分かれ、他の通りと繋ぐ。その後も道は分かれ、住宅街や広場へと続いていく、この放射線状に広がった円形の街並みが美しい。建造物の高さはどれもまちまちだが、色とりどりの外装や歩道に進出した露店の座席やパラソルが洒落ていて色鮮やかだ。これに真白の雪が合わさればより一層綺麗なのだが、白雪がこの国を一色に染めるのはもう少し先である。




     *  *  *  *  *




「着いたぞ、降りろ」

「何が降りろ、だ。私は天下の最上位魔術師だぞ? 失礼な」

「落ち着いてください。シルヴィアさん」



 黒ずくめの男がユートの体を乱暴に掴み、無理矢理に車から引きずり降ろした。連邦を出てからと言うもの、後継者としてのこれからについて話していたせいで決戦の疲労と眠気が凄い、これではシルヴィアが不機嫌になるのも無理はない。



 目の前に聳える荘厳な建造物から察するに、どうやら二人が連れてこられたのは王宮らしかった。しかしなぜ王宮に?



「付いてこい」



 シルヴィアの機嫌も窺わずに、先程と同じリーダー格の男が勝手に王宮内部へと歩いていく。仕方がないので、不満を言い続けるシルヴィアを連れて取り敢えずは付いて行くことにした。




 思えば、王宮に入るのは数年ぶりだ。それこそ中級魔術師の位を授かる時に訪れたきりなので、当時はよく見る事の叶わなかった絢爛華麗な調度品の数々が多く見られた。純白の壁に黒の絨毯。誇らしげに掲げられた赤黒の国旗と胸を張った何時かの英雄像、美しい花々が彩る広い中庭に巨人の家のように巨大な石柱、目に痛い程に鮮やかなステンドグラスの窓、何十万冊もの古書が納められた棚。日常の中では決して体験する事の無い、何とも神秘的な空気を含んだ王宮内部は何処かファンタジー小説にでも入り込んだような、酩酊にも似た感覚を呼び起こした。



「この先で"皇帝陛下"がお待ちだ。さぁ、進め」



 しばらく歩き、分厚く巨大な扉の前に辿り着くと黒ずくめの男は二人に告げ、瞬きの一瞬で姿を消した。周囲を見れば十人近くいた取り巻きも、いつの間にやら音もなく居なくなっている。何だったんだあの人達は、物の怪か。



「…この先は確か"玉座の間"の筈だが、どうするユート、行くか?」


「取り敢えず行きましょうか。皇帝陛下がお待ちのようですし」



 そうだな、とシルヴィアが頷いたのを確認すると、二人同時に一歩を踏み出した。真紅の絨毯を踏み締めると同時に、探知術式の結界でも張られていたのか、途端に巨大な扉がゆっくりと開き、二人に先を促した。




「……如何した? もっと近くに寄るがいい」


 促されるままに先へと進むユート達を出迎えたのは、重厚な鎧を纏った大勢の兵達と至極落ち着いた声だった。



 "玉座の間"は一言で言えば神殿のような空間だった。中心街の広場にも引けを取らない巨大空間、それは声が良く響く程に広く、『学校』の講堂の倍近い大きさだ。最奥には高く据えられた玉座があり、その後ろには垂れ下がった赤黒い秋桜コスモスと空を舞う鷲のシンボルを湛えた帝国国旗。十メートル以上はありそうな高い天井を見上げると一面に張られた冬の天球図が見下ろしている。何でも、現帝国皇帝は星々についての教養が深く、世界的にも珍しい皇帝にして天文学者という二つの肩書を持っている。その研究のため、季節が変わるごとに天井の天球図は張り替えられているらしい。

    

 

 言われるがまま玉座へと近寄るとユートは無意識に膝を紅い絨毯へと突けていた。それはシルヴィアも同じだったようで、横をに目線を向けると彼女も同じように膝を突いていた。張り詰めたこの場の空気がそうさせたのか、それとも何かの術式なのか、真偽は分からなかった。





「……良くぞ舞い戻った。愚、我が駒よ」



 少し遠くから聞こえる声は小さいながらも異様な威圧感を放ち、聞く者全ての思考を凍結させた。



 その声の主、荘厳なる玉座にて二人を見下ろす男は眉一つ動かさずに不敵な笑みを浮かべる。齢は確か五十七、赤と黒の装束は裾や胸元のみならず細部にも微細な装飾が施されており、職人に拘り抜かれた至高の一品であることが簡単に見て取れる。歴戦の渋みと静謐を湛える深藍色こきらんの眼は未だ光を失わずに、視線に射抜かれた者を忽ち強張らせる。青みがかった緑の髪は彫りの深い顔に、豪奢な装束越しでも分かる大柄な体躯、一国の統治者として、一切の隙も無い品格漂う佇まい。傍に立てられた黒鞘の軍刀はそれはそれは巨大で刃渡りだけでも一メートルはありそうだ。




 そう、眼前のこの男こそが、モルトピリア帝国第二十三代皇帝、アレク・マヴロス・モルトピリアだ。




「まさか、本当に戻って来るとは……って顔をしているな、皇帝陛下。誤算だったか? これで議会の採決は全て白紙に戻ったな」

「ちょっとちょっとシルヴィアさん!? 今は流石に口の利き方を間違えないでくださいよ!」



 開口一番、不敬罪として取られても反論できない、とんでもない口の利き方でシルヴィアがほくそ笑んだので堪らずユートは小声で諫言する。一度放たれてしまったため今更取り返しの仕様もないが、建前だけでも弁護しなければ今後に関わる。なので少し遅れた言葉でも、一応だ。



「……その生意気な口振りは相変わらずのようだな、我が駒よ」

「誰が駒だ」


 

 胃が痛い。どうにか静けさを保とうとしていた精神も音を立てて内面から崩壊していく。なのにシルヴィアは一切迷いの無い不敬罪相当な物言いでアレクを挑発し、対するアレクも動じずに彼女を鼻で笑う。彼女の挑発に肝を冷やしているのは大勢の兵士達も同じらしく、冷や汗を流しつつも如何にか平静を保とうと必死なようだ。その上この空間はまるで二人の間に見えない火花がその熱を散らしている様で、正に一触即発の危険な空気。加えて何故か部外者扱いのユートだけが苦しんでいるという可笑しな状況だ。



「他愛ない。だが今は許そう。此度は用があるのは貴様だけではない。いや、寧ろ本題は貴様の傍らの小僧よ」



 そう言うとアレクはゆっくりと手袋に包まれた黒い指先でユートを指す。何も危険の無い行為だが、ただそれだけでユートは卒倒してしまいそうになる。我ながら困ったものだと内心笑ってみるも、心は一切晴れなかった。



「ユートに用だと? 何故だ」

「先程、連邦国政府から通信があった。帝国の魔術師に国を救われたとな」



 徐に経緯を話し始めたアレクは何処か不気味さを感じさせる静謐な声で語る。如何やら先の一件の情報は既に帝国内部へと伝わっているらしく、加えて他国にもその情報は届いており、各国政府や潜入捜査官の動き出しも確認済みらしい。件から既に数日経過しているとはいえ、情報の伝達速度が半端ではない、諜報部員が本当に人間なのかどうかすら微妙になってくる。



「……すると連邦政府の連中が急に友好的な態度を取り始めた。数時間前まで嫌味と皮肉しか言えなかった者達がだ。連邦め、下手な道化が過ぎる」



 本当に可笑しなものよ、と語るアレクはそこで言葉を切ると心底愉しんだ表情を浮かべ、侮蔑交じりの嗤い声を高らかに響かせた。



「……だから何だ? その事とユートに何の因果関係がある?」



 いつまで経っても本題に入らないアレクにとうとう痺れを切らしたのか、最早苛立ちを前面に押し出したシルヴィアは立ち上がって一歩踏み出す。即座に脇の兵士が銀甲冑を一歩踏み出し、取り押さえようとしたが、すぐさまアレクが目で制した。



「連邦は此度の一件を経て、とある一つの提案を呑んだ。国家存亡の危機の救済御礼として、前々より我が帝国が提案した国交回復及び友好外交条約締結案を承認するとな。あの勢い任せの五月蠅い通信から察するに、再三口を噤み続けてきた条約案を早急に呑んだとしか思えん。本当に中身を確認したのかすら」



 やっと本題に入ったアレクの話に、二人のみならずその場の全員が一心に耳を傾ける。ただ感覚を集中させ、一言一句を聞き逃さぬように。



「だが、重要なのはここからだ。連邦政府は条約締結に加えて貴様ら二人の国家間問題解消責任の免除を要求している。やはり連邦は程度が知れておる。君主すら不在の滅亡寸前国家、正に風前の灯、砂上の楼閣であるのに、今の自らの立場を全く理解できていない。何とも愚かしい者共よ」



 アレクの言う国家間問題解消責任とは確か、帝国と他国の外交関係において帝国の何者かが何らかの問題や国際交流間の摩擦を生んだ場合、問題解決後に帝国の国際的信用を貶めた責任を負い、軍部を退くという形で責任を取るというものだが、今回は終戦直後につき、起こした問題が如何なるものであろうとも責任はより一層高いのだろう。時期が時期だ、最悪の場合、極刑や国外追放まで存分にあり得る深刻な事態なのかもしれない。



「……面倒だ。核心を隠して話すのは止めとしよう。それにこの際だ、言ってしまうが良しであろう。"緋の魔術師"、貴様は最早用済みだ。あの日、貴様を拘束し、議会の審議に掛け、全会一致で術式を封印して以来、今日に至るまで貴様の"神授術式オリジナル"は全て我々帝国政府が保持、管理している。"叡智"の研究も一向に進まず、後継者も立てない。挙句、国家に大損害を与えて国外へ逃亡する。そんな貴様に見合った居場所が、この国にあるとでも思っているのか?」

「当たり前だ。でなければ、こんな廃れた国になど戻らん」



 二人が言葉を交わすごとに緊張感は増すばかり、シルヴィアは相手が一国の皇帝であると理解していないのか、それとも単に嫌っているだけなのか。どちらにせよ、その無礼極まりない言動は非常に不味い。しかし、何とか宥めようにも、第三者が口を挿んでいい空気ではないことは明白だった。


「貴様の心境がどうであれ、処分は近日中に下される。大広場の大観衆の中、断頭台で貴様の国を刎ね、盛大に帝国中へと晒上げる……筈だったのだが」



 アレクの顔色に暗雲が立ち込める。



「それでは連邦の要求を達成できぬ。貴様の首を曝せば確定的に外交関係は破綻してしまう。国交断絶にも等しい現状から更に崩壊してしまう。しかし、貴様の処刑は議会で既に承認済みである。して、帝国市民への威厳を取るか、国際上の立場を取るか……何とも面倒な事態になったものよ」

「それで? 結論は?」



 分を弁えぬどころか尊敬の念を一分も滲ませない無礼者は、結論を急かす。相対する皇帝は、忌々し気に吐き捨てた。



「貴様に突き付けられた問題は二つ、一つは忠誠心の著しい欠如。もう一つは術式の後継者問題だ。元より、貴様の処分は後者を重要視しての決議だったのだが、もし、そこの小僧」

「は、はい!」

「おい、もう少し声を落とせ」



 シルヴィアには言われたくないが、今が冷静になるべきな時な事は自明の理。今こそ『学校』時代に散々叩き込まれた礼儀作法を活用せねば。



「先ず、貴様は何者だ? 名乗れ」



 高圧的な (故意かどうかは分からない)口調で問い掛けられ、思わず辟易としてしまうが、掛けられた言葉は丁寧に返すのが礼儀と言うもの。



「はっ。皇帝陛下、只今まで名乗りもせぬまま佇立していたこと、心よりお詫び致します。申し訳御座いません。私はモルトピリア帝国軍機動攻撃隊少佐、名はユート・サングレイスであります」

「……そんな事など、疾うに知っておるわ。帝国の兵よ、今一度我が問答を再考せよ」



 ユートの頓狂な言動に、その場の誰もが目を丸くする。何かこの場に適さぬ不味い事を口走った訳ではないが、どうやら適切な返答ではなかったらしい。今思い返すと、当時のユートの言動はとんだ恥晒しにも程がある。そこに穴が無くとも、掘り起こしてでも入るべきだった。



 詰まった空気を咳払いしつつ、何とか訂正を試みる。



「…失礼、皇帝陛下。訂正致します。私はユート・サングレイス。先は緊急時につき契約の儀は未だ執り行っておりませんが、正式な"緋の魔術師"の後継者であります」



 ユートが告げた途端に、広間全体の空気が反転した。兵士の一人が発した小さな呟きは静かな水面に一滴の雫を溢したように伝染し、忽ち広間全体が人々の困惑とどよめきで埋め尽くされた。

 

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