第5話 シオンの花言葉

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エドのブロックは熱狂の内に幕を閉じた。ブロック優勝者はエドだったが、エド自身は優勝賞金を辞退し、4位入賞までした者たちへの賞金へ充てることを宣言した。


周囲からは驚かれたが、これは私達の中で事前に打ち合わせておいたものだ。自分たちで開催した大会で優勝して賞金を受け取っていたら、参加者が白けてしまうだろうからこれは仕方ない。それに、これは本当に幸いな事に、私も彼ももう貧乏ではなかった。




夫であるアデレーヌのブロックは、良くも悪くも無難に終わった。しかし私にとってはおまり面白くない結果でもあった。


「本当にすまない…まさか3人目で負けるとは」

そう、騎士団長アデレーヌが上位入賞出来なかったのだ。

これは流石に予想外で、評議室の中がとても微妙な空気になってしまった。


相手が悪かったとしか言いようがない。

二人目までは近接戦闘自慢の男たちが相手だったため、アデレーヌも真正面から粉砕することができた。

彼な本気で力を込めた時は、私でも鍔迫り合いを制することは出来ない。男女の差とかそういう問題ではなく、その長身と弛まぬ鍛錬によって生み出された全身の膂力は、十分に優勝可能なレベルだったはずだ。

その目論見に違わず、アデレーヌは自分よりもさらに大きな男たちを相手に膂力で圧倒してみせるという、非常に派手な勝ち方をしてみせたのだ。


だが3人目の相手は相性が最悪だった。

まず見た目は完全に少女そのものであり、服装も魔道士のそれだった。

つまりアデレーヌが素手で殴った場合でも致命傷になりかねない相手であり、魔法を使えない彼が勝とうとするなら投げ技や関節技と言った格闘戦で意識を奪う他なかった。


そして残念なことに、彼女は卓越した魔道士でもあったのだ。

彼は近付くより前に両足を凍らされてしまい、水魔法を応用した鞭によって捕縛された後に地面に叩きつけられてしまった。

そして、首元に少女の手によってナイフが当てられ、試合終了。この間、なんと10秒。まさに秒殺だった。

ちなみにその少女はブロック優勝している。彼にとってはせめてもの救いだったかもしれないけども。


「私が稽古をもっとつけておけば良かったかしらね?」

そう言うと、アデレーヌはその巨体をどんどん小さく丸くさせてしまった。周囲からはさらに憐れむような目で見られてしまっている。…捨てられた子犬か、この人は。かわいすぎでしょ。

……仕方ないなぁ。

「…でも、二人目までは格好良かったわ。女の子に負けたときも潔かったし、さすが私の旦那様です。素敵でしたよ。今日の夜はゆっくり二人で過ごしましょうね。」

「あ…ああ!そうだな!」

途端にぱああっと顔を輝かせて体が大きくなっていく名犬アデレーヌ。ああ、どうしてこの人はこんなにポンコツになってしまったの?初めて会った時のときめきはいずこに?


「……まるで飼い主だな。」

呆れたようにため息混じりで呟くエドに殺意をぶつけると、エドは顔面を蒼白にさせて目線を外す。もし飼い犬だなと呟いていたら私の投げナイフもオマケで付けたところだ。

夫婦の世界に入ってくるんじゃないわよ、異物が。


「…まあ、それはともかく。アデレーヌは残念でしたけど、それだけ強者が集まってるということですわ。良いことではありませんか。後はアンリのブロックと、アネットのブロックですわね。確か、アネットが先だったかしら?」

そう言って空気を変えてくれた親友に感謝したい。


そう、明日はアネット様のブロックで試合が行われる。多分、あの子が優勝するだろうなとは、私も含めて全員の見解だ。


アネット様は、私には一度も勝てたことがないけども、ジュリアを除くそれ以外の人達…つまりアデレーヌや剣聖様、そして勇者様には現在勝ち越している。ジュリアとは小さい頃に手合わせをしたっきりで、その後は公務が忙しくて時間をとれていない。


そんな例外を除いてなぜ私相手だと勝てないのかと言えば、私自身がアネットの癖を見破っているからであって、偶然ではない。その癖を直すのもあの子にとって必要なことだが、答えを教えるだけでは不自然な戦い方になってかえって良くないので、あえて黙っている。恐らく、その癖を修正したら私にも勝てるようになるだろう。


しかし、どうしたのだ。

先日エドが優勝したとき以来、微妙に落ち着かない。魔王復活が近付いているからだろうか。皆もそれを感じてるから、気持ちがソワついているのかもしれない。

そう思うようにした。


だがその夜、夫の胸の中で眠りながらも、不安はますます強くなる一方だった。



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大方の予想通り、アネットは快進撃を続けていた。

まだ12,3歳ほどの少女は身の丈よりも大きいバスタードソードを片手で振り回し、襲いかかる猛攻も全て避け、避けきれないものはカウンターバックラーで巧みに流して躱していく。


その姿は可憐の一言で、決して敵と武器をぶつけ合わずに攻撃を躱し続ける姿から、後に"蝶の剣舞"と称賛され人々の間でささやかれることになる。


「強いですわね。今の私では勝てないかもしれませんわ。」

「光栄ですが、それはまだわかりませんよ、我が君。」

さりげなくアンリの指導を称賛すると、彼女も満更ではなさそうだった。昔好きだった男の娘の師匠を買って出たとき、この子は何を思っていたのだろう。


『あいつにぎゃふんと言わせてやりたいの』

あの最低男の娘が3歳になったとき、アンリはそう私に言って笑っていた。既に聖女様にも許可を貰っていると聞いて呆れたものだ。しかし、それが全てだったのだろうか?


勇者シャルルがその力に目覚めたときのきっかけは、幼馴染であるセイラを助けたくて命を賭けたときだったらしい。


『だがこの力の目覚めに、たぶん使用者の命は関係ないな。』

『どういうことですの?』

『俺はあのとき背中からばっさりやられてて、確実に死ぬところだったんだ。たまたまセイラに治癒力があったから助かっただけで、意識を失った俺は光を全て吐き出すんじゃないってくらい、光を放ち続けていたらしい。』

『じゃあ、きっかけというのは…?』

『愛する誰かを守りたいっていう、強い気持ちだ。多分な。』

そう言う勇者様は、遠くで歓談していたお姉様に、少しだけ申し訳なさそうな顔をしていた。


もしかしたらアンリは、アネットが勇者の力に目覚めたとき、その誰かを守れる力を自分の手で付けてあげたかったのかもしれない。非力だったシャルルや、かつての自分を緋色の少女に重ねていたとしたら?


かつて彼女は、手紙をあの男に届けたくても出来なかった。まだ戦う力がなく、戦う必要のない世界にいた彼女にとって、それは仕方のないことだったけど。もしや、その時のことを、まだ。


「後悔して…いますのね。」

「…?なんのこと?」

「いいえ、なんでもないですわ。」


ごめんなさい、アンリ。私の親友。

きっと、あなたに後悔の種を植え付けたのは、私ですわ。


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アネットの3回戦の相手は、マスクをかぶった大男だった。いや、正確にはマスクどころか、不潔な色をした服で全身が隠されていて、不気味な雰囲気を放っている。


「様子がおかしい…。」

アンリの言葉に私も頷く。私は万が一に備え、聖女の取りまとめをしている神官長に障壁魔法の強化を命じた。


だが、次の瞬間。

「…まさか…っ!?アネット様が危ない!!」

そう叫ぶと、アンリは女王の観覧席から飛び出し、聖剣セイブ・ザ・ロードを抜きはなった。


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(こいつ…なんでこんな臭いの!?)

私はこの、嗅いだこともない悪臭に耐えきれず、左手で鼻と口を塞いでいた。

目の前の大男はユラユラと体を動かしつつ、ボロボロのナタを振り上げた。


「なめないでよね!」

大男の攻撃は遅く、一撃も当たらない。それどころか時々明後日の方向に攻撃を仕掛けていた。これならむしろこれまで戦った相手たちの方がずっと強かった。

ならどうして勝ち上がってこれたのだ?途中で誰かと入れ替わったのか?

何度目かわからない遅すぎる攻撃に苛立ち、ナタそのものを両断すべくバスタードソードを振り抜こうとした。その時だった。


「アネット様!!後ろに飛んで!!」

突然聞こえたその声に混乱しつつも、体は師匠の言葉に即座に反応した。

その瞬間、大男の全身から深紫色の煙が吹き出す。

(なに、この煙!?)

触れただけで肌が痛み、僅かでも吸い込むと肺が焼けるようだ。状況が理解できなくて、一瞬だが動けなくなった。

だから、反応が遅れてしまったのだ。

あの大男はいつの間にか接近して、私の前に立っていた。そして気付いた時には深紫色の煙をまといながら、ナタを振り下ろしていた。

思わず師匠の教えに反して、目を瞑ってしまった。




振り下ろされていたはずのナタは、その腕ごと中空を舞って会場の障壁に直撃する。そして次の瞬間、誰かの腕に抱かれて一瞬で後方に移動していた。

煙に当たったせいで目が見えず、咳も止まらない。でも、見えなくても誰なのかはすぐに分かった。


敬愛するこの人のことを他の誰かと間違えたりはしない。

「お姉様…ありがとうございます。」

「もう大丈夫です、アネット様」


ああ、私のお姉様が来てくれた。


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腕を切り飛ばされたにも関わらず、この大男は平然と立っていた。それどころか落ちていたナタを、切られた腕ごと左手で握りしめてこちらに歩み寄ってくる。


「まさか、アンデッド!?」

アネット様が悲鳴を上げた。そう、恐らくこの大男はアンデッドだ。それも、結構高位なやつだろう。ここにいるはずのない、魔王の周辺にしか現れない上位の魔人。

1,2回戦でも同じ格好をしていたはずだが、今のような動きではなく比較的自然だったと思う。大会のルールも守っていた。

恐らく、ここに来るまでに腐敗が進んだが、死霊術に使った魔力が尽きてきて状態を維持できなくなった。そんなところか。


(こいつが呼吸をしていなかったことにもっと早く気付けばよかった。)

完全に失態だった。怪しげな風貌など他にもいたし、アネット様にばかり注目していたばかりに細かい動作に目が行っていなかった。


「……ゆ……し……ろす……」

何だ?何を言っている?

ついに声帯も腐ってしまったか?


目の前の大男のマスクが、腐った液で濡れたせいか、ずるりと音を立てて落ちた。

そこにはまばらになった紫紺の長髪と、片目だけ残っていた紫紺の瞳があった。

私にはそれだけにしか見えなかったが、勇者様達にとっては違ったらしい。


「…そ、そんな馬鹿な!?アンリ!今すぐそいつの首を飛ばせ!!」

勇者様の声無くても、私は既に動いていた。アンデッドを止めるには、脳を破壊するに限る。

ジュリアより賜った聖剣は大男の首を軽々と両断し、その体は力を失って倒れた。

そして天高く飛んだ首は、一瞬。本当にただ一瞬だけ、緋色の髪の童女と目があった。そして、地面に落下した衝撃に頭が耐えきれず、脳漿をぶちまけて息絶える。


悲鳴があがる会場。だが、それは混乱の序章に過ぎなかった。


「やっと手に入れた。」

それは、アネット様の妹…クロエちゃんの声だった。

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クロエちゃんの髪の毛が緋色から紫色に変化していく。彼女の中で輝いてたはずの癒やしの力は、そのまま死者を動かす力に転換されているのか、首のない魔人が不自然な動きで立ち上がる。


その生きていれば有り得ない気色の悪い動きを見た観客たちの一部が失神し、それ以外の人達は我先にと会場から逃げ出していった。


「落ち着け!王城の中へ人々を避難させろ!王都の外には出すな!魔王の気に当てられて外の魔獣が暴れているに違いないぞ!!ここは我々勇者パーティーが死守する!!」

勇者シャルルの命令と、衰えを知らぬ覇気により、人々と騎士たちは少しだけ落ち着きを取り戻した。失神した人々も、会場から運び出されていった。


「アンリ!アンリぃー!」

ジュリアの声が聞こえた。声のする方を振り向かず、片手だけ上げて静かに答える。

「大丈夫。任せてよ、親友。」

ジュリアはまだ私の名前を叫んでいたけど、シリル様に連れられて会場を出ていった。


「フフフ…これが次代の勇者の体か。まだ生まれたばかりらしいな。小賢しい光を纏いおって。だがこの程度ならばすぐに我が闇に染まるだろう。」


怖い。怖い。なんだ、この怖さは。

体が勝手に震える。足が言うことを聞かない。辛うじて強がってみせたけど、多分上手く笑えていない。夜にオウルベアーから追われてた時だって、こんなに怖くなかった。

こんな怖いやつを向かって旅をしていたというのか、エドは!


「アンリはアネットを連れて逃げろ。ここは俺たちでなんとかする。」

エドがアネット様のバスタードソードを拾い、クロエちゃんと対峙した。自分の娘と対峙するなんて、どれだけ辛いだろう。


だのにその背中は、あの日村で見たときよりずっと大きくて、大好きだったエドそのものだった。


ああ、そんな、なんてことだ。

私はまだ、エドのことが。

なんて、なんて愚かな女なの、アンリ!


「……自惚れるんじゃないわよ、30超えたおじさんが。」

胸の高まりをそのままに、セイブ・ザ・ロードを手にエドの横に立った。


「私の弟子に一度も勝てなかったくせに生意気言わないで。あなたこそ、アネットを連れて逃げればいいでしょう?」

そう皮肉げに笑って、クロエちゃん…魔王と対峙する。驚いた顔をしたエドは、それでも止めることはしなかった。


「私だって、戦えるわ。エド。」


ありがとう、エド。

あの日世界を救ってくれて。

私を守ってくれて、ありがとう。

こんなに怖いやつと戦ってたんだね。

だから今度は私があなたを守ってあげる。


「……ありったけの光を集める!アンリとエドでクロエの動きを止めろ!殺すなよ!その後は俺がなんとかしてやる!」

勇者シャルルは、あの日に折れたままの聖剣をもう一度握りしめて、力を集め始めた。凄まじい光の渦を纏っているのに、空は暗いままだった。


「ふん…全盛期を過ぎた勇者がいくら力を溜めようと私の敵ではない!」

「それはどうかしら?幼女趣味の魔王様。」

私の挑発に、激しい敵意を向けてくる魔王に、心が屈服しそうになる。だけど、もう足は震えない。


「取り憑く相手を間違えたわね。絶対に許してあげないわよ、この変態が。」

底知れない力が湧いてくる。


「魔王より強い女がいるってこと、教えてあげるわ。」

そして、地を蹴った。




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『ねぇお父さん、シオンの花言葉って何?』

『ぶふっ!?な、なんだ突然!?』

『アンリお姉様にね、綺麗なシオンの花をプレゼントしたの!そしたらなんだか変な顔で笑われちゃって…お父さんに花言葉を聞いてみなさいって言われたの!』

『お…おお…歴史は繰り返すのか…ああ神様…』

『ねえ、教えてよー!シオンの花言葉ってなーにー!?』






私は、自分のことを強いと思ってた。


師匠に教わって、お父さんにも勝って。


勇者様にも勝った。


師匠に勝てないのは最強だから仕方ないと思ってた。


何があっても大丈夫って思ってた。


魔王にだって負けないと思ってた。


だから、こんな日が来るなんて思わなかったの。







『おのれ…アンリめ…!ええっと、シオンの花言葉はな?【追憶】、【遠方にいるあなたを思う】、【失恋】、それと――』









「アンリぃぃーーー!!!」









『――あなたを忘れない。』




お師匠様のお腹に、大きな穴が開いた。

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